第2話

俺の住んでいる町には岬にシンボルの燈台がある。その燈台を中心に海辺の小さな漁村から始まり、今や団地、市場、商店街、デパートが建てられている立派な現代都市だ。いわば、燈台の町だ。いつでも慈母のように行く先を照らす燈台の名前を頂いた町名もついている。

 そんな街に俺は森から戻っていく。ここ数日、何にしても心の中で何か欠けたままだ。魂のない肉体は、さまようためだけのカロリーを求めて、駅近くのマクドナルドに入りポテトを注文した。

ポテトをつまむ。俺はなんてプライドが高い人なんだろう。大抵のことでは笑ってすますが、肝心のところではプライドの高さが浮き彫りになる。それが故に俺は今まで上を向いて歩いた。

 学校の同級生たちと自分を重ねずにはいられない。同級生の田中は高校生生活の最後の2か月、学校に来なかった。塾での追い込みをしたに違いない。今までも学校の定期試験を定期的にボイコットしてきた。当然、東帝大受験の名門塾、銅緑会の宿題をやっていたに違いない。その甲斐あったのか、東帝大理科一類に見事現役合格した。そんななりふり構わない彼を俺は軽蔑ながらも羨ましがる目で見た。

 俺がそんな目を向けたのは彼だけじゃない。別の同級生の小谷は、いつも成績は進級スレスレで、毎年教師の温情裁定を待つ身だった。それなのに、何かほかに当てがあるように仙人のごとく元気にゲームを続けた。ほとんどの大学受験生が受けるセンター試験前までは毎日5時間のゲームをしたと豪語する。彼はセンター試験後に奮発したといい、受験科目を絞って、驚くことに京王義塾大学の名門学部へと合格した。

 あの二人は俺から見れば同じだ。俺にはできないことを平然とやってのける才能を持っている。俺はずっと上だけを向いて歩いてきた。そして今、俺の頭は上向きで固定されていることを知った。身の回りのある幸せに目を向けられず、輝く星々をこの手につかもうとあがき、さらに茨の這う壁をよじ登る。まさに、燈台下暗しだ。しかし、分かっていても燈台は背筋をピンとして遠くを照らし続ける。

 現代文の教科書に載っている中島敦の「山月記」を思い出した。李徴は尊大な羞恥心と臆病な自尊心を持ち続け、心の虎にのまれ身も虎へと変わった。古代の中国では虎を「大虫」と呼び、それは醜いもの、害をなす者の象徴とされている。なるほど、李徴は自分の高い自尊心も相まって、自分を醜い虎呼ばわりしたのか。じゃあ俺は何だというのか。

 俺は「尊大な向上心」と「苛烈な羞恥心」、そして「臆病な自尊心」を持っているに違いない。上を見てまとめあげた尊大な夢を求めて茨の壁をよじ登り、そこから落ちたのなら自分を苛烈な鋭気をもってして責め、その結果、本当は臆病な自尊心から血が吹き上げる。李徴は虎になったが、これほどの悩ましい身を持つ俺はいったい何になるのだろうか。いずれ燈台の近くで発狂する日も遠くはない。

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