5/25 「かわいそうなのでは抜けないゾウ」
あなたの手に、一冊の絵本がある。
目の前には、床に体育座りをするスモック姿の幼稚園児たち。そこであなたは、自分が保育実習に来た学生であり、今から子供たち相手に絵本の読み聞かせをしなければいけないことを思い出す。目の前の輝く目は、あなたと、その手に携えられた絵本にまぶしいほどの視線を寄せている。
これからあなたが読む絵本の表紙には、一匹のゾウが描かれている。
そう、これは有名な、ある一頭の不幸なゾウについての実話を基にしたお話だ。
あなたは表紙をめくり、絵本が子供たちに見えるようにする。
そしてあなたは、子供たちが聞き取りやすいようにはっきりとした口調で、その物語を読み始めた――。
* * *
(書籍では漢字をひらいていたりルビが振られていたりなどの措置がとられていますが、ここでは読み易さの都合上修正したものでお送りします)
――――――
絵本『かわいそうなのでは抜けないゾウ』
これは戦時中の、とある不幸なゾウのお話です。
とある動物園で、一頭のゾウが飼われていました。
その頃ゾウが見られる動物園というのは国内ではそこだけだったので、毎日多くのお客さんが、ゾウを見るために長い列を作るほどでした。
しかしそれが続いたのも、戦争が始まるまででした。
戦争が始まってしまうと、動物園は閉鎖されてしまいます。
それに、この動物園は国内でも特に栄えた場所にあり、戦争で狙われてしまうかもしれませんでした。なのでほとんどの動物は地方の動物園に散り散りに移されたのですが、ゾウさんだけはその大きな体から、他の動物園で飼うことができずに残されてしまったのでした。
ひとりぼっちのゾウさん。
しかしゾウさんにとって辛いことは、ひとりになったことではありませんでした。
「やっぱり、かわいそうなのじゃ抜けないよ――」
バックヤードの自室で快○天を読んでいたゾウさんは、ぶぅと長い鼻の先から息を漏らしました。
「やっぱり、今月号も駄目だったのか?」
檻の向こうからそう尋ねたのは、ゾウの飼育のために残された飼育員さんでした。ゾウさんは鼻先で器用に快楽○を飼育員さんに渡すと、しょんぼりと耳を畳みます。
「まぁ、えっちではあるんだよえっちでは……絵のレベルも高いし、ストーリーも濡れ場に集中できるように構成されていると思う。けどさぁ……やっぱりほとんどレ○プものじゃあ、顧客みんなが満足できるわけじゃないと思うんだ」
「それも、ここだけで言えることだけどな。他の人間に聞かれでもしたら、国家反逆罪で捕まってしまうぞ」
当時、この国は戦争中でした。
そのため国内の色んなものが、戦争のために変わっていきました。映画は国を讃えるものとなり、贅沢は敵として様々なものが抑圧され。動物園で働いていた飼育員さんのほとんども、兵士として戦いに向かわされました。
成人向け漫画雑誌もまた、戦争によって多くの抑圧がされました。
漫画で平和ボケしたいちゃラブを描けば、国民の戦争に対する士気が下がってしまう――そう考えた軍部は、すぐさま出版界に表現規制を命令したのです。
しかし漫画家も、ただ表現の場所を奪われるだけではありませんでした。
"兵士の士気が上がるようなエロ漫画を描くから、廃刊だけは止めてくれないか"
そんな彼らの声が奇跡的に通り、成人誌はどうにかこれまで刊行を続けていました。それこそがこのレ○プ物が九割を占めた、以前とは見比べ物にならない内容の
「はぁ……せっかく教科書よりも黒塗り修正が少なくなったというのに、これじゃあ何の意味もないよ。僕好みの漫画が載る頃には、牙が判子にされちゃってるんじゃないかい」
ゾウさんは和姦ものならだいたいイケるクチでしたが、特に女装した美少年に対してはついつい鼻を伸ばしてしまう性癖の持ち主でした。しかし女装ジャンルはステレオタイプな男らしさがなく兵士に悪影響を与えると真っ先に規制されたので、日の目を見るのはいつのことになるのか分かりません。それはゾウさんにとって、生きる意味を剥奪されたようなものでした。
「耐えるしかねぇよ、俺たちは」
飼育員さんもまた、悔しそうに歯噛みをしました。最推しのNTR快楽堕ちシリーズの作者が徴兵され打ち切りになった飼育員さんもまた、失意に枕を濡らす
しばしの沈黙が、二人の間を流れました。
再び口を開いたのは、飼育員さんでした。
「――なぁ。もし俺が闇市に行くって言ったら、お前は止めるか?」
飼育員さんの言葉に、ゾウさんはつぶらな瞳を見開きます。
「闇市って、まさか、買いに行くつもりかい――闇同人を」
闇同人。
それはエロ漫画家が秘密裏に印刷所にコンタクトし、監視の目を避けてアングラで販売するリスキーな代物です。売っているところどころか、所有が発覚した時点で牢獄行きは免れないでしょう。そんな死線に飛び込むような真似を、飼育員さんはしようと言ったのです。
ダメだ、危険すぎる――そう言って反対しようとしたゾウさんでしたが、その目に映ったのは、並々ならぬ覚悟を決めた、漢の姿でした。
「……そこに、
「あるさ――俺たちの心に、若妻がいる限りな」
男同士、微笑み合い。
ゾウさんの食事を用意した後、飼育員さんは闇市へと向かいました。
それが、ゾウさんが最後に見た飼育員さんの姿でした。
軍部の人間が飼育員に変わってやって来た時、ゾウさんは全てを悟りました。もうこの世界に、
一ヶ月後、ゾウさんは後任の飼育員が与える餌を全て拒否し続け、その果てに餓死しました。その餌に毒が仕込まれていたことにゾウさんが気づいていたのかどうかは、定かではありません。
ただ死ぬ直前の夜、見張りでついていた飼育員はゾウが喋る声を聞いたと報告を残しています。飼育員が言うには、ゾウはこう喋ったそうでした。
『来世は……男の娘の股間に生まれたいな』
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