噂の男子
ひとりぼっち、それは辛いことだった。
嫌なことがあっても誰にも相談できず、一人で抱え込むことになる。
次第に思考は偏っていき心を蝕んでゆく。
他の人間に思いを吐露し、他社の意見という水をたす。それだけで毒素のように煮詰まった思考はうすまり、嘘のように心が楽になる。
何気ない誰かの言葉に傷つき、そして救われることもあるのだ。
しかし今の海子には、誰かなどいなかった。
クラスから孤立してしまい、気軽に愚痴をいう友達がいない。わりと子供の頃から友達の多かった海子には、未体験の状況だった。
教室をみわたす。みんな真面目に授業を受けているが、きょう最後の授業とあってかどこかソワソワとした空気が漂っている。
なんだか自分だけその空気になじめず、妙に寂しく思えた。
ぼんやりと総一郎の顔が浮かぶ。
決して友達などではない。優しい言葉をかけたりもしない。しかしあの先輩なら、話だけはしっかりと聞いてくれる。
大嫌いな人間だが、いまは無性に誰かと話したかった。
そんなとき、一通のメッセージが届く。
授業が終わったら教室で待っていて欲しい。という旨のラインをB組の安達から受け取る。気が滅入っていて気分ではなかったが、無視するわけにもいかなかった。
了解、とだけ短く返信する。
HRが終わり、クラスメイトたちが教室から出てゆく。
ひとり、自分の席で居すわる海子に声をかける者などいなかった。松本良子は早々に陸上部メンバーと部活へ行ってしまう。そして高林由美は昼の一件から避けられ、視線も合わさずに教室をでていった。
彼女からはまだ聞かないといけないことがあったのに、とてもそういう空気ではない。今後のことに頭を悩ませていると、あっという間にひとり教室に取り残されていた。
深呼吸か溜息かどちらにもつかない息をもらす。
「――星さん」
やっときたのかと顔を上げると、待ち人とは違う人間が視界のさきに立っていた。
会ったことはなかったが、誰なのかは知っている。
噂にあがっている、神吉大地がそこにいた。
「なに?」
機嫌がよろしくない海子はそっけなく返事をする。
「ごめん、少し話がしたくて」
落ち着かない感じでメガネの位置を直す。緊張しているようだった。
「ふうん。……座りなよ」
右手で近くの机をうながす。彼は不慣れな教室へおずおずと足を忍ばせ、海子とは離れた席へ腰をおろした。
「安達くんはこないのね?」
こくり、と彼はうなずく。
想像していた人物とは異なった。ブサイクではないが、とても女性にモテるタイプとは思えなかったからだ。だからといって不快感があるわけではない。どちらかというと誠実そうで人柄自体には、好感がもてた。
「うん。僕が頼んだんだ」
つまり安達は頼まれて、海子との場を設けたらしい。
「で、なんのよう?」
「ゆ、ゆかりのことなんだけど」
「そうだろうね」
少し離れた位置で言葉を投げかけ合う。二人だけしかいない教室は、普通の声量でもお互いの声を響かせた。
「僕との不純異性交遊を疑われているって聞いて」
「そうだよ。二人のことを調べている」
もう一人との疑いもあるけど、と海子は頭のなかでつけ足す。
「そんな事実はないんだ」
神吉はつよい口調で主張する。
「そりゃあ本人は否定するでしょうね」
なにを言うかと思えば、くだらないと海子は思った。
そんなことを言いにきても、なにも変わらない。訴えだけでは証明などできないし、誰も信用はしない。そんなこと海子が散々思い知ってきたのだ。
「証拠があればいいんだろ?」
席を立ち、彼はゆっくりと近づいてくる。
「そんなものあるわけない」
付き合っている証拠はあっても、その逆はありえないのだ。
「携帯を見せるよ」
ゴトリ、と彼は机にスマホをおく。
「メールでもなんでも確認してくれよ」
校則委員がメールのやりとりを証拠に不純異性交遊をとり締まっている話は有名だ。おおかた、どこかでそんな話を耳にしてきたのだろう。
「自分から言いだしても意味ない」
ピシャリと海子は告げる。抜き打ちで行うから、効果があり意味もでてくるのだ。
「ここに来る前に消してきたんでしょ?」
わざと意地のわるい質問を投げかけると、彼はこまった顔をうかべる。
「そんなことしてない」
しっかりと言い切る様子は、真実なのだろうと思わせた。
「それを信じろって?」
「そ、それは……」
言いよどむ神吉に、海子はさらに続ける。
「心配しなくても、明確な証拠でもない限り処分なんてされないから」
疑わしきは罰せずだ。厳しいルールゆえに、明確に線引きがされている。どんなに怪しかろうが、ボーダーラインさえ超えていなければ処罰はできない。それゆえに学校側も線をこえた一歩を掴もうと必死になっているのだ。
「よかった……」
心底、安心したように表情を和らげる。その様子をジッと見つめていると、ふと疑問が口からわいた。
「ねえ? ほんとに付き合ってないの?」
校則委員としてではなく、星海子個人としての問いかけだった。
「も、もちろん」
「でも好きなんでしょ?」
一拍おいて、しっかりと彼は答えた。
「う、うん」
しばし無言で視線をかわす。不思議と頭の中はからっぽで、疑念とか思惑であるとか余分なものはなかった。
ここまで正直に言うのだ。彼が言っていることは事実なのだろう。少なくとも海子はそう思うことができた。
「正直に言うんだね」
「信じてもらいたいからね」
己の保身ではなく、堀江ゆかりを助けたくての行動らしい。そんな思いがひしひしと伝わってくる。彼が彼女のことを大切に思っていることが手に取るようにわかった。
だからこそ他校の男子のことを尋ねることが憚られた。好きな子がべつの男と噂があることを知ればショックを与えてしまう。
いつか知ることになるだろうし、もう知っているかもしれない。校則委員として、しっかりと仕事をすべきなのだ。
しかし結局、海子は尋ねることはできなかった。
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