謝罪されたら



 あんなことになってしまった以上、ひとりでB組の担任に相談に行かねばならなかった。


 すぐにでも行動したほうがいいのだが、昨日の出来事が海子の足を鈍らせていた。仮にも教師があんな暴言を吐くわけがないとわかってはいるが、内心でどう思われているか想像すると怖かった。


 ――それは教師に限ったことではない。この学校、すべての人間が海子のことをそうゆう目で見ているかもしれないということだ。考えだすと止まらくなり、気持ちが沈んでいく。


「あ、ああ、あの」


 聞きなれない声に振り向くと、昨日の元凶である安達が廊下の隅に立っていた。


 不快感に海子は顔を曇らせる。なにか口を開くと、昨日と同じことを繰り返しそうになりただ黙って男を睨みかえす。


「そ、その……昨日は、その、悪かった、よ」


 意外にも安達は謝罪を口にした。


「どういうつもりよ?」


 あからさまな態度の変化が不審に思え、困惑してしまう。


「いやだから、あやまろうと思って」


 警戒心は拭えなかったが、油断させて騙そうという風にも見えなかった。


「なんで急に?」


「さすがに言い過ぎたとあの後思って、それで」


 ばつが悪そうに安達は、海子の顔色を窺っている。


「それで反省して謝りに来たの?」


「まあ、それは……その、鷲崎先輩にも言われて」


 そこで意外な人物の名前が出てきて、海子は目をみはる。


「鷲崎? 先輩から何か言われたの?」


「いや、その……ちょっと昼に話を聞いてくれてさ」


 総一郎からの入れ知恵は間違いないが、安達からはネガティブな反応は窺えない。むしろ信頼を寄せているようにさえ思えた。


「許してくれ、悪かった」


 きちんと頭を下げられると、無下にもできない。


「もういいよ。そうやって謝ってくれたんだし……」


 先ほどまで腹が立っていたが、今は逆に申し訳ない気持ちになってきた。昨日、総一郎に言われた言葉が脳裏に浮かぶ。謝る機会としては、いまこの時なのだなと思えた。


「その……わたしこそゴメン。叩いたりして」


 自然と海子も頭を下げることができていた。


 お互いに謝罪をし合う。


 なにか不思議な空気を共有し、気分は落ち着いた。


 それで十分だったが、安達は校則委員として仕事も手伝いたいと申し出てくる。


「それはうれしいけど……」


 ここまで順調に話が進むと、むしろ気味が悪いくらいだった。しかし、ありがたいことには変わりない。これで少しはB組の事情もわかるかもしれない。


 それに正直、一人というのは心細かったということもあった。


「わ、わかった。お願いするね」


 根暗で愛想がなかった彼が、ただ人付き合いが苦手なだけの人間だと印象が変わった。人の印象など、自分の見方でいくらでも変わるのかもしれない。


 


 空いている教室を、校則委員の権限でひとつ借りる。


 さっそく話し合いをして、意見を固めることにする。二人で協力して、この案件に取り組むのだ。情報は共有するべきである。


 海子は事の発端と経緯、そして総一郎から聞かされたアドバイスを元に今後どうするかを説明していった。


「それで堀江さんのこと調べないといけないの」


 海子の話を聞いて頷く安達だったが、なにやら不可解そうに首をかしげる。


「あれ? ああ、うん?」


「なに? なにかあるの?」


 海子がするどく訊き返すと、おずおずと疑問を口にした。


「いや……別の学校?」


「そうだけど」


 キョトンと海子は答える。


 高林由美からはそう聞いている。他校の男子と不純異性交遊の疑いがあると。堀江ゆかり本人の態度と由美の真剣な訴えから思うに、おそらく疑いでは済まないだろう。海子はそう予測していた。


 未然に防ぐか早期発見によって堀江ゆかりの処罰を最小限に抑えることを、由美は望んでいる。


「いや、てっきり神吉とのことだと思ってたから……」


 知らぬ名前が出てきて、今度は海子が首をひねる。


「だれそれ?」


「同じクラスの奴だけど仲良いし、てっきり二人のことで目をつけてるかと思ってたから」


 安達いわく、クラス内でも噂になったことがあるらしい。


「あんたそれ、週次報告に書いてたの?」


 海子が顔色を変えて尋ねる。


「いや、その……わるい」


 都合が悪く安達は目を伏せた。


 そういえば、この男の週次報告書の内容はひどいものだった。内容がうすく、どうでもいいことを重複して書き殴られていた。とにかく行を埋めればいいという感じで、それを訂正していた時の苦労が蘇る。


 しかし今はそんなことに頭を悩ませている場合ではない。


「つまり堀江ゆかりは、別の男とも疑いがあるワケ?」


 思わず低い声になる。


「い、いやまて! 付き合ってるかは知らないぞ!」


「だから疑いって言ってるでしょ」


 嫌悪感に海子は顔を歪ませる。


 複数の男子と噂が立っている。ようは堀江ゆかりとはそういう女らしい。こんな女の色恋と自分の恋愛が一緒くたに不純異性交遊として括られるのは腹立たしかった。


「じゃあアンタはその神吉って人のことも調べてといてね?」


「あ、ああ。わかった」


 やることが増えたが、それは一歩でも前へ進んだと思うことにした。ある程度話し合った後、さっそくその足でB組の担任に相談を持ちかける。


 やはり学校を挙げて取り組んでいるおかげか、担任はしっかりと話に耳を傾けてくれる。担任だから当然かもしれないが、どちらかというと堀江ゆかりを庇うようなスタンスではあった。


 べつにそのこと自体に不満はない。


「他校の男子、初めて耳にするな……」


 話を聞き終えた男性教師はメガネを外し、目頭を指でこりこりと揉みこむ。


「同じ中学の高林さんから聞いたんですけど」


 訊けば、担任も他校の男子とのことは知らなかった。堀江ゆかりに関しては、やはり同じクラスの神吉という男子と噂になっていることは知っているようだ。


 もちろん現段階では、仲の良い異性だという認識だった。


「まあ疑いが出ているんなら調べないといけないな」


 その一言で海子は胸が軽くなった。


 大人に協力してもらえる。それだけでぐっと事態が好転したような感触がした。


 そして総一郎が言っていたように、担任が主体となって方針を決めていってくれる。安達も教師からの指示にしっかりと頷いていた。


 ずっとどうすれば良いのか迷っていた海子にとって、この悩みからやっと解放されるのだった。

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