暴力はいけない



 B組の委員長は安達という男子で、いちおう顔見知りであった。


 愛想がなく、どちらかと言えば暗い印象を受ける。どことなくこちらのことを下に見ており、海子は好感を持つことはできなかった。


 校則委員として提出する週次報告書を取りまとめた時に、何度か顔を合わせたくらいだ。非協力的な態度で、書いてくる内容もかなりおざなりなものだった。校則委員など、したくてしているわけじゃないと露骨に態度で表していた。


 気乗りはしないが仕方がない。海子はその男子と話をするため足を運ぶ。


「はあ? 別にどうでもいいんだけど」


 廊下で呼び止めて校則委員の話を持ちかけると、あからさまにやる気のない態度を見せた。その物言いにイラついたが、ぐっとこらえる。


「いやクラスから不純異性交遊が出たら、キミも困るよね?」


 ペナルティのことは当然、知っているはずである。


「そんなこと言われてなあ、その女子と喋ったことないし。もう帰っていい?」


 ダルそうに返事をして、すぐに帰りたい素振りをみせる。


「クラスの人たちから話を聞いて欲しいんだけど」


「いやー、俺そういうタイプじゃないから」


 話は終わってないのに、出口へ向かって歩きはじめる。負けじと海子もその後を追い、下駄箱を開けようとする間に割り込んだ。


「ちょっと校則委員だよね? その態度どうなの?」


 怒気を孕ませて睨みつけると、足立はイラだった表情に変わる。


「いやお前こそ、どんだけ内申稼ぎたいんだよ」


「どういう意味?」


「男とやって停学になったくせに、今度はよく人のこと売ろうと思うな」


 浴びせられた暴言に頭が沸騰して、思わず言葉が出ない。そして気づけばすでに、安達の頬を張っていた。じんじんと右手が疼く。


「――お前、なにすん」


 言い終わる前にまた右手をふるう。安達はすっかり怯えた顔になっていた。もう一度ぶとうと右手を振り上げ――その瞬間に後ろから声をかけられる。


「やめなさい」


 声量こそ大きくなかったが厳しい口調が響いた。


 振り向くと短い髪とメガネをした女生徒が、咎めるような視線でこちらを見据えている。制服の色から二年の先輩のようだった。


「あ……」


 とたんに海子は恥ずかしくなり、瞳に涙を浮かべる。


 おびえて怯んでいた安達はすっかり気を取り直し、真っ赤な顔で「お前、頭おかしいじゃないか」と罵ってきた。またぶっ叩いてやろうかと思ったが、そうもいかない。


「あやまれっ! あやまれよっ!」


 そんな安達に、浅倉雪が向き直ると彼は口を閉ざした。


「見てたけど、あなた……叩かれても文句言えないと思うよ」


 安達は言葉を詰まらせ、顔を歪ませた。なにか言い返そうとする素振りがあったが、先輩にたてつくほどの気概はないらしい。


「ふー、雪カックイイ」


「いやいや修羅場すぎでしょ」


 雪の後ろから、二年の女子たちが集まってくる。アウェーと感じたのか安達は逃げるように立ち去っていった。


「あ、ありがとうございます」


 海子はペコリと頭を下げる。


「いやー、どっちかと言うと助けたのは男子のほうじゃね?」


 雪の後ろで一人がそう言うと、ドッと連れの仲間たちが笑い合う。雪だけが静かな視線で海子のことを見つめていた。


「自分が不利になることはしないように」




「こわ、お前こえーよ」


 ことの発端と経緯を聞いて、総一郎は露骨に引いていた。


「だってしょうがないじゃないですか……」


 落ち込んでいるのか海子は、器用に椅子の上で体育座りながら呟く。両膝で顔が隠れているせいか、声がくぐもっていてより悲壮感が増している。


「気持ちはわかるが、手だすなよ」


 返事はない。


 そういえば自分もビンタされたことが思い出したが、さすがに今は口にするべきではないと察して黙ることにした。代わりにガリガリと頭を掻く。


 こまめに報告を入れろとは言ったが、まさか半べそをかいてやってくるとは思わなかった。そして困ったことに、事情を聞くと非があるのは海子のほうだった。原因を作ったのは男子だが、暴力は許されないことだからだ。


 相手が問題にしたら、また停学なってもおかしくない。そうなれば退学の可能性もでてくる。


 どんな理由であれ暴力は許されないからだ、それは別にこの学校だけではない。ふつうの社会でのルールもそうなのだ。そうなれば本人がいちばん被害を食うことになる。それが世の中の仕組みというやつだ。


 問題になる前に、ただのイザコザとして解決しないといけない。そうするには、しっかりと謝罪する必要がある。


 黙って何も言わないところを見ると、本人も反省はしているようだった。それをあれこれ説教などする気もないし、そんな立場でもない。


「反省してるんなら、ちゃんとあやまっとけよ」


「嫌です」


 海子は顔を隠したまま、きっぱりとそう言った。やったことは悔いてるが、自分が悪いとは微塵も思っていない。あの男に頭を下げるなど願い下げだった。


「嫌でもしとけ。そういうもんだ」


 グスリと鼻をすする音だけした。首根っこをつかんで謝りにいかせても、さらに揉めて問題になりそうな気がした。


「まあ機会があれば、ちゃんと謝罪しとけ」


「そんな機会、こないですから」


 それ以降ほんとうに総一郎はなにも言わず、自分の作業を黙々とこなしていた。ただ時間だけが過ぎ、海子も落ち着いたのか態勢が辛くなったのか、何も言わずに帰っていった。


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