相談

 


 初めてとなる校則委員の仕事は出だしから躓いていた。


 堀江ゆかりのことを調べようにも、何をすればいいのかわからない。


 とりあえずB組へ足を運び、廊下から教室の様子を伺ってみる。海子のクラスと変わらない、どこにでもある雰囲気の教室内だった。堀江ゆかりの姿を見つけると、数人の女子たちと集まって談笑していた。


「友達いるんだ……」


 会ったときの印象から、友人は少ないだろうと決めつけていたがそうでもないらしい。海子に見せた態度はなりをひそめ、友人たちと笑顔でじゃれついている。その様子から、友人たちとの関係も良好そうだった。


 しかし海子の存在に気づくと、敵意のある視線を投げかけてくる。そのあからさまな態度に、やはり仲良くなれそうにないなと海子は表情をしかめた。


 そんな様子に気付いてか、B組の生徒たちも海子のことをあまり歓迎していないようだった。このクラスの人間からすれば海子はよそ者で、しかも仲間のことを害しようとする人間なのだから当然かもしれない。


 クラスの雰囲気が、海子の協力を拒んでいるようにさえ思えた。


 進展しない状況に、焦りだけが募ってゆく。


 とくに高林由美の期待は大きく、顔を合わすたび、どうなったのかを尋ねられる。


 彼女のなかでは総一郎に話を持ちかけたことで、すでに大船に乗ったつもりらしい。表情も明るくなり、胸をなで下ろしているようだった。そんな様子に、なんだか騙しているようで心苦しく、プレッシャーを感じていた。


 このまま教室を覗いているだけで、進展するとは思えない。


 結局、埒が明かずにあの男を頼ることになる。


 ■■■



 ――放課後、とある教室の扉を開く。


「あのっ」


 うす暗い教室は昼よりも開く感じる。規則正しく立ち並ぶ机と椅子、そのいつもの位置に総一郎は静かに座っていた。

 

 また勉強でもしているのか、机に目を落としている彼に近づき声を掛けると、怪訝そうな顔を上げる。


「なんだよ?」


「すいません。どうにもこうにもなんないですけど」


 苛だった声で海子が詰め寄ると、「だろうな」とあっけらかんと答えた。


「だろうなって、こうなるってわかってたんですか?」


 なにも教えてくれなかったことに不満を漏らす海子。初めてなのだから、手取り足取りとまでとは言わないがもっと親切にしてもいいのにと思う。


「ああ、予測はしてたな」


 首でも凝ったのか総一郎は、コキコキと首を動かした。その気にも止めない様子に、海子は眉間にシワをよせる。


「なんなんですか? わたしのこと嫌いなんですか?」


 思わず、そんな言葉が漏れた。


「お前も俺のこと嫌ってるじゃねえか」


 そう返されると、たしかにそうだった。


「そう……でしたね」


 呆気にとられ間が抜けた。お互いに嫌いだと公言しあえる間柄など、人生初めてのことで少し不思議な感覚を味わう。


「べつにイジわるしたわけじゃないぞ」


 総一郎は背もたれに身を預けて、海子の顔を見やる。


「やり方なんて決まってないからな。こうやればいいなんてマニュアルなんかないんだよ。俺はその一年のことは知らないしわからない。お前が考えて動くしかないんだよ」


 突き放された言い方に腹が立ち、そして少しショックを受けた。


「自分でどうにかしろってことですね。……もういいです」


 膨れ上がった感情を隠すように踵を返して教室を出て行こうとする。なぜこんな男を頼りにしていたのかと激しく後悔し、こういう人間だったのだと強く思い直した。


「まてまて」


 そんな海子の心中など知らずに総一郎は、その背中を呼び止める。


「なんですかっ?」


 乱暴に振り返り、総一郎をにらみ返す。喧嘩をしたいなら買ってやる。それくらい頭に血が上っていた。


「早とちりするな。まずはお前が思うとおりにやったほうがいいと思ってな」


「――はい?」


 しかし放たれた言葉は、海子の毒気を抜いた。


「どうするかはちゃんとお前が決めろ。それで困っていることができたら、頼って相談しろ。できるかぎりのことはしてやるつもりだ」


 思いがけないくらい真面目に返されて、これはこれでなんだか複雑な気分になる。海子にとって鷲崎総一郎という人間は、非情で冷たい人間でないと都合が悪い。


「あ、はい……」


 言われた通りに、くわしく現状を説明する。細かく話を聞きだした後、総一郎はポツリと質問を口にする。


「そのクラスの委員長はなんて言ってるんだ?」


 耳にした瞬間、自分の視野が狭くなっていたと認識する。


「あ、そういえばなにも言ってません」


 総一郎は少し呆れた仕草で、ため息をついた。


「同じ校則委員なんだから、そいつにも協力してもらえ」


 たしかによそ者である海子よりは、B組の生徒達から話を訊きだしやすいだろう。


「そうですね。うーん、でも……」


「でも、なんだよ?」


 歯切れ悪い海子に、総一郎は言葉を返す。


「委員長だからといって、聞きだせますか? とくに堀江ゆかりと仲の良い子たちが、しゃべってくれるとは思えないですけど」


 友達の秘密、それも本人が不利になるようなことを簡単に教えてくれるとは思えなかった。彼女たちも校則委員が嗅ぎまわっていることに気づいて警戒しているだろう。


 もしかしたらすでに堀江ゆかりから事情を聞いている可能性だって高い。B組の委員長がどんな人物がわからないが、同い年の校則委員になったばかりの人間が、うまく彼女たちから情報を引き出してくるなど思えなかった。


「まあクラスメイトと言っても、まだ三ヶ月も経ってないからな」


 クラス内でもやっと、グループが構築され始めているところだろう。口を聞いてないクラスメイトだって多いはずだ。関係性はまだ薄いだろう。


「正直、わたしはうまく話を聞きだすとかできないです」


 堀江ゆかりと面談した時のことを思い出し、顔をしかめる。お喋りは好きなほうだが、これとはワケが違う。他人が守りたい情報を思い通りに引き出すなど、それこそ魔法でも使わないと不可能と思えた。


「そういう時は担任に相談しろ。ふつうはクラスの担任と委員長で調査を進めていくもんだからな」


「先生とですか?」


 意外そうな声を上げる海子。すべて校則委員がやるものだと思っていた。


「あたりまえだ。生徒同士だと限界があるからな、今のお前みたいに」


 教師から呼び出されて話を聞かれるというのは、また重みが違う。立場が上の人間からはどうしたって圧力を感じてしまい、口を割る生徒は多いらしい。


 嫌な言い方だが、高校生はまだ子供だ。良くも悪くも大人という存在に影響を受ける。


 教師の方も対話のノウハウを研修でしっかりと学び、経験を積んでいる。勤続年数が長い教師などは、手練手管に話を聞きだすのがうまい。昨日今日、校則委員になった高校生とは比べるまでもなかった。


「B組の教師がそこらへんはうまく聞きだしてくれるだろ」


「なんかガッチリ仕組みがあるんですね……」


 学校を挙げて不純異性交遊を取り締まっているだけあって、システム的にもしっかりと作り込まれている。校則委員といってもただの生徒であり、いわば子供に過ぎない。取り締まりには教師である大人の介入が必須である。


「実際には担任の補佐が仕事みたいなもんだ」


 事実、他の校則委員はそうしている。一から十まで取り仕切って動いているのは、総一郎くらいのものだった。


「じゃあ、わたしがすることってなくないですか?」


 不満を感じて海子は口を尖らせる。


「生徒からの視点がいるんだよ。校則委員の意見と担任の意見をすり合わせることが大事なの」


 そういうコンセプトで発足されたのが、校則委員会なのだ。


「とにかくお前はB組の委員長と話をして方針を決めろ。そんで二人で担任に相談して、物事を進めていくんだな」


 思っていたよりも地味というか事務的な印象を受ける。もっと刺激的で能動的な活動だと海子は思い込んでいた。


「ええ、もっとこうわたしの時は――」


 思考がまとまりきらず海子は両手をワキワキと動かす。


「ああ、お前が停学になった時な?」


 二人にとって出会いの事件。


「まあそうですけどね……」


 わざわざ海子の地元まで出張って待ち伏せをして、現場を押さえるなど滅多にあることではなかったようだ。苛烈な総一郎だからこその物取りだった。


「はははっ、ドラマみたいに尾行でもすると思ったか?」


 あの時を思い出して、総一郎がかるく笑う。


 海子は珍しいものでも見たように、目をぱちくりとさせる。


「なんだよ?」


「いや笑うとこ初めて見たんで」


「こんなの笑ったうちに入るか?」


 少し恥ずかしそうな総一郎を見てあらためて思う。この男も年相応の高校生なのだ。なぜそこまで恋愛を否定しているのだろう。思春期盛りの若者なら誰だって、恋愛に興味があるだろうに。


「ちょっとキモかったですね」


「ほっとけ」


 すこし間があき、総一郎は再び机に視線を落とした。


「あ、じゃあ帰ります」


 終わりを察して、海子は挨拶を口にする。


「ああ、それとな。小まめに報告しろよ?」


 面倒だと表情をげんなりさせたが、立場をわきまえてしぶしぶ了承する。


「はぁい、わかりました」


 去ろうとする海子に、総一郎は最期にこう告げる。


「敵も、味方もつくんなよ」


 ちょっと気取ったその言い方に、また少しキモいと思った。

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