試験は終了しました
「は? なんですかそれ?」
総一郎の話を聞き終えた海子の第一声はそれだった。
「だから今からやって、すべて赤点回避するなんて無理なんだよ」
「そんな! 偉そうなこと言っておいて」
「言ったか? そんなこと」
てっきり劇的な改善策かなにかを期待していた。
「お前が得意っていう現国と、あとは世界史、それ以外は捨てろ」
総一郎の提案は、ごく当たり前のことだった。要は赤点を回避できそうな科目にだけ絞れ、それだけだった。
「あとは全部赤点になりますよ?」
今日のテストの感触だと、おそらくそうなってしまう。
「しょうがないだろう。最終日のその二科目を徹底して対策すれば、なんとか赤点を回避できんだろ。去年の試験問題なら入手できる」
友達は少ないが、ツテなら何件か心当たりがあった。
「なら全科目くださいよ」
「やってもいいが。さっきも言った通り、それで全教科赤点回避するには時間が足りない。全部赤点になるか、一つか二つでも回避するか。決めるのはお前だ。自信があるなら、全科目赤点回避を目指せばいい。無理だと思うけどな」
ぐむむ、と海子は口をつむぐ。
「言っておくが、これは俺の経験談からの助言だ。前年の問題があっても、まずその通りに出ない。あくまで試験のレベルがわかるくらいだからな。それに向けて出題範囲をしっかりやり込まないと点なんかとれない」
「でもそんなに赤点になって大丈夫なんですか?」
退学という言葉がチラつき、不安で海子の瞳が揺れる。
「馬鹿。まだ一学期の中間だろうが。出遅れることは間違いないが、退学が決まることなんてない」
言われてみるとそうなのだ。ただ赤点というものを取ったことのない海子には、どうにも不安だった。来るべき学校を間違った気がして怖くなってくる。
「そう、ですか……」
「だからビビらずに、やれること決めてやれ」
当たり前のことだが、不思議と他人に言われると安心する。誰かが大丈夫と言ってくれるだけで、心は軽くなるものだ。そして心が軽くなれば前にも進める。
「最初の中間で赤点だす奴が多いのは、毎年のことだ」
「そうなんですか?」
「ああ、だからお前だけじゃない」
総一郎はどこか恥ずかしそうに視線を逸らす。そんな彼に、海子はぼそりと質問を口にした。
「先輩もですか?」
げ、と総一郎は顔を歪めたが観念したように頷いた。
「そうだよ。俺は全教科赤点だった」
「えぇー、ちょっと笑えないです……」
海子はちょっと引いた。下手すると自分も同じ運命をたどることになる。それを思い浮かべると身震いし、嫌でもモチベーションがあがった。
嫌いな人間だが、今はやることをやらないといけない。
言われたとおりに現国と世界史に絞り、勉強をはじめる。丸暗記ではなく、しっかりと内容を頭に入れて理解する。応用問題を繰り返して問いて、経験値をためていく。試験を受けるたび確定していく赤点に不安はあったが、総一郎が言ったとおりに一日勉強したくらいでどうにかなるレベルではなかった。
頭を切り替え、勉強に没頭していく。
中間試験は終わった。残念ながら無事にとはいえなかったが、会津五嶌学園は日常を取り戻していた。放課後の校舎はどこか浮かれた気分が蔓延していて、いつもよりも賑やかだ。
そして校則委員会も通常業務を今日から再開した。
「それで? 試験どうだったんだ?」
総一郎は週次連絡書に目を通しながら、海子にそう尋ねた。
「がっつり赤点まみれでしたよっ!」
やはり海子には納得のいかない結果に終わってしまったようだった。しかし総一郎にとって、それは想定内のことで、だろうなという感じである。
「それで、現国と世界史は?」
ジロリと海子に視線を移す。その二つを回避しているかが、今後を占う問題なのだ。
「世界史は大丈夫でした。けど、現国は赤点でした」
やはり思い描いた通りにはならない。人生とはそういうものだ。総一郎は長い溜息をついた。
「そうか。なら赤点回避は一つだけか……」
ゼロよりマシだが。彼女にとってはしんどいスタートにはなってしまったようだ。
「それが世界史含めると三つセーフです」
にんまりと海子は言った。
「なぜか科学と古典の選択問題が、合ってまして」
「なんだラッキーかよ」
「でもお母さんにチョー怒られましたよ!」
「勉強しなかったお前が悪い」
「してましたよ! ちょっと想像と違っただけで」
言動を見るに、ちゃんと吹っ切れてはいるようだ。
「期末はマジで気をつけろよ」
「ふん、わかってますよ」
生意気な態度は変わらない。わりと恩を感じてくれてもいいと総一郎は思っていたが、彼女のなかではそうでもなかったらしい。これも思った通りにはいかない。
「先輩こそ、大丈夫だったんですか?」
ふと返された質問に総一郎は渋い顔をした。
「一個でちまった」
懸念していた英語Ⅱが赤点だった。
「うわあ。偉そうなこと言っておいて赤点でたんですか」
「うるせえよ」
お前のせいだと言ってやりたかったが、それは違う。自分で首を突っ込んだことだし、そもそも日々の勉強が足りなかったのだ。
しかしもともと苦手な英語はどんどんと理解が及ばなくなってきて、自力で追いつくのが難しくなっている。そのせいか普段からやはり手を付けにくくなっているのが、赤点の原因だと考えていた。
やはり予備校とかに行ったほうがいいかもしれない。
「頭いてえな」
疲労を覚え、目頭をもむ。
「というか早くチェックしてくださいよ」
提出した週次連絡書のチェックを待っている海子がそう急かしてくる。
「静かに待っとけ」
なんだかソワソワとしている彼女のスマホに、連絡がくる。
「ああっ、ちょっと時間ないんで。また明日取りにきますから」
「お、おい」
それだけ言って出て行ってしまう。
たぶん試験終わりに友達と約束を入れているんだろう。期末は泣き付かれても、絶対に助けてやらねえ、と総一郎は心に誓った。
「うん。もう終わったから、すぐに向かうよ」
電話を切り、廊下を駆けていく。
たしかに試験は悲惨に終わったが、絶望していてもしょうがない。現に全部赤点を取った人間が二年生に進級しているのだ。その事実は少しだけ、海子の心に希望の光を差してくれている。
ふと視線を感じて、廊下を立ち止まる。
振り向くと階段の上にいた女子生徒と目が合った。
二年の女子生徒のようだ。ショートカットにメガネの美人。知り合いではない。ただ観察するように海子を見ていた。心あたりがない海子が疑問を感じていると、ふいと女生徒は階段を上って姿を消す。
べつに悪意とかを感じたわけではない。
海子は彼女の存在を知らなかったが、雪のほうは当然知っていた。
もし彼女がこの先、校則委員会でめざましく活躍し、中核を担っていけば互いに顔見知りになるかもしれない。雪はなんとなくそんなことを想像する。なぜ総一郎に近づいたのか、尋ねようと思ったが思いとどまった。
しかし二人の出会いは、思いがけない形と早さで果たされることになった。劇的でもなく運命的でもない。そんな出会いだった。
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