中間試験


 2Cの教室で、総一郎は海子から受けとった週連絡書に目を通していた。生意気にも、内容は改善され文句のつけようがない。文面の統一性から、おそらく海子が各クラス分すべてを清書し直して作成したのだろう。


 総一郎が一年の頃は、この書類を書くだけでヒーコラ言ってを思うと、悔しくも思えた。


「最近、忙しいそうじゃない?」


 顔を上げると、いつのまにか雪が佇んでいた。


「まあな……」


 総一郎はため息をつく。忙しいのは構わないが、別の問題が頭を悩ませていた。


「例の後輩とはうまくいってるの?」


「まったくだな」


 ふるふると首をふる。


 他人にどう思われようが構わない。そう決めてから、人間関係に心を砕くのは久しぶりだった。お互いに嫌いだからと、距離をとるわけにもいかない。

 同じ校則委員として、うまくやっていかねばならないのだ。どうすればいいか、見当もつかなかった。


「そう……よかったわね」


「よくねえよ。相性は最悪だ」


「なら先生に言って、替えてもらいなさいよ」


 顧問の篠崎にそう言えば、叶うことだ。海子がどういうつもりなのかは、雪には大体検討がつく。あの下級生と一緒にいることは総一郎にとって危険なことだ。


「それもなんか違う気がするな」


 海子が持ってきた連絡書はかなり改善され、よくなっている。少なくとも一年前の総一郎にはここまで出来のいいものは作成できなかった。それを海子は一年の各クラス分をやってのけている。文章を作り直すだけではなく、各委員長たちに内容を搾りださせた。まだほとんど接点もない他のクラスの人間から、そこまでさせる労力は計り知れないだろう。


「好き嫌いで、文句言うのもダサくないか?」


「なにそれ、わかんない」


 雪は面白くなさそうに返した。


「とにかく、あの後輩には気をつけなさいよ。だいぶ、あんたのこと恨んでいるから」


「そりゃあわかってるよ」


 わずかに口角を上げて、雪は教室から出て行った。


 星海子がどういうつもりかは知らないが、総一郎にとってはどうでもいい。今は一年の不純異性交遊を取り締まらないといけない。

 学年を超えて動ける大義名分は、彼にとってありがたいことだった。そのためなら、多少の困難は受け入れるつもりだ。




 星海子が校則委員に入って一ヶ月が過ぎた。


 なんとか総一郎の弱みを探しだしてやろうと画策していたが、なかなか思うようには進まない。あれだけ強引な手段で生徒を追い込んでいるのだから、とうぜん違法まがいなことをしているものだと決めつけていたが、そうではなさそうだった。


 生徒手帳に記載された校則を端まで何度も読み返したが、やはり学校自体が異常だと思わざるを得なかった。なんの得があって。生徒たちの恋愛を摘み取るのか海子には理解できない。


 五年前に世間を騒がせた事件と、いま在校する生徒たちにはなんの関係もないのだ。




 総一郎のクラスに顔を出すと、彼は誰もいない教室で机に向かっていた。


「今日はすることないんですか?」


 相変わらず刺々しい口調で海子は尋ねる。


「ねえよ。連絡書もうまく書けてた」


 顔も上げすに、総一郎はノートに鉛筆を走らせている。シャーペン使えよ、と内心で海子は毒ずく。


「また勉強ですか?」


「ああ、そろそろ中間だからな」


 この男は、暇を見つけては勉強をしている。あれから総一郎のことをいろいろ調べてみたが、成績がよくないのは本当らしい。そのために校則委員に入り成績を買っている、というのが周りの意見だった。


 耳にした時は海子もその話を鵜呑みにしたが、よくよく調べるとべつに校則委員だからといって赤点が見逃されるわけではない。成績が悪くても、なんとか赤点をとっていないのは、どうやらこの男がそれなりに勉強しているからのようだ。これも校則委員にならなければ、わからなかったことだった。


「お前も、勉強していたほうがいいぞ」


「わたしは大丈夫ですよ」


 かなり無理してこの学校に入学したが、受験の時から勉強する習慣をそのまま続けている。この調子なら中間も問題ないだろう。もしかしたら、結構いい線いくかもしれない。


「あ、そう……」


 総一郎はなにか言いたそうにしていたが、結局口をつぐんだ。


 試験準備期間に入り、他の生徒たちもおとなしくしているようだった。県内でも有数の進学校なだけあって、試験前のこの時期は誰も彼も勉強に時間を費やしている。

校則委員会も通常業務をおさえ、試験の対策をするように言われていた。学生の本分を優先してくれるのはありがたいが、海子としては少々ひょうし抜けだ。


 なぜみなが必死に勉強しているのか、その理由を海子が知るのはそう時間が掛かることはなかった。



 

「――なにコレ?」


 思わず口元が引きつる。


 配られた答案用紙に名前を書いた後、海子は絶望感に口をふるわせた。高校最初のテスト科目は英語Ⅰだった。授業や教科書で教わった内容は僅かしか見当たらず、点数にするば十点分くらいだろうか。あとは高度な応用問題がほとんどであり、教科書を丸暗記してきただけの海子ではどうしようもなかった。


「あわわわわ」


 気が動転している間に、試験は終わりを告げる。続く、化学と日本史のテストも同じような感じで内容を深く理解していないと答えられないようなものばかりだった。


 記憶科目と言われている日本史でも、同じ答えでも教科書とは違う文面で設問されているので、丸暗記がほとんど役に立たなかった。時代背景と出来事、そしてその中心となる人物や組織のことを複合的に思考しなければいけない。


 中学とは試験内容のレベルが違いすぎる。


 何もできずに、一日目の試験は終わりを告げた。


 教室を見渡すと、周囲の人間はとくに驚いたふうでもない。もともとこの学校に来るような人間たちなのだ。基礎学力が違うのだろう。


 しかし何人かは海子と同じく、顔を青くしている者たちも見受けられた。


 付け焼刃でどうにかなるレベルの試験ではないことを痛感したのだろう。運よく、選択問題で点が取れていたら。そんな妄想にすがってしまいそうになる。


 この学園では、病気や留学などの例外的事情以外は留年を認めていない。もし年度を通して赤点の限度数をクリアできなければ、容赦なく退学になる。もちろん説明は受けていたし、毎年そういう連中がいることも海子は知っていた。


 しかし自分とは無縁の出来事だとも思っていた。


 色恋に浮かれて来る学校ではなかったかもしれない。海子のなかで、そんな考えが浮ぶ。


 窓際の席では、陸上部で一緒だった松本良子が他の女子たちと談笑している。表情を見るに、海子のような事態には陥ってはいないようだ。ますます危機感という火が海子をあぶっていく。


 ふと良子が海子の視線に気づき、こちらへやってきた。


「ど、どうだった? テスト」


 海子が部活を辞めてから、二人の仲は少しぎこちない。それでも良子は海子との仲を続けようと、以前と同じように接してくれている。


「そっちは?」


「まあ、なんとか出来たかな」


 良子は気をつかうように笑う。


「わたしは全然ダメだったー」


 倒れ込むように海子は、机に顔を伏せる。


「まあ、結構むずかしかったからね。明日からがんばりなよ」


「そういうレベルじゃない」


 海子の低い声に、良子も顔色をかえた。


「もしかして赤点?」


「たぶん……」


「どれが?」


 言いにくいから少し黙ったが、海子はぼそりと答える。


「……全部」


「それヤバイやつじゃん」


 他人にそう肯定されると、より追い詰められる。海子の顔色はさらに蒼白くなった。じわりと目に涙さえ滲んだ。


「ねえ、勉強したの?」


「したよ。一応前もって……」


 中学の頃はほとんど一夜漬けだったが、今回は海子なりに事前に勉強していた。


「参考書は自分で買ったやつ?」


 良子から思いがけない言葉が出る。


「ええ! べつに使ってないけど」


「ああ、やっぱりそうなんだ」


 聞けば、ほとんど生徒は試験のレベルを把握していたようだった。部活の先輩や、友達同士での情報交換なので似た傾向の参考書を使っていたようだった。そんな話は、いま初めて聞いた。


「ほっしは停学でいなかったからか……」


 良子は悔やむように眉間にシワを寄せた。停学から戻り陸上部を辞めてから、海子はクラスの人間とあまり話さないようにして距離ができていた。


「わたしとかは、先輩にいろいろ対策の仕方とか教えてもらってたから。じゃなかったら、きっと赤点になってたと思う」


 申し訳ないように良子は言った。


「ねえ、先輩からもらった去年の試験問題とノートのコピー。陸上部の一年で共有してるから、使う?」


 それは好意からの提案。彼女にとって、海子はまだ仲間なのだ。ただその純粋な瞳が海子にとって怖かった。


「――あ」


 海子の喉から間抜けな音が漏れる。


 それは渡りに船だったに違いないのに。何故か、すんなりと受け入れることができなかった。そして、その受け入れる瞬間を海子は逃した。ただだんまりと良子を見つめ返す。


「ごめん。余計なお世話だったよね」


 沈黙に耐えれなくなった良子から提案を引き下げた。


 なにが海子の邪魔をしたのか、本人さえもわからない。


 適当に会話を続け、良子とは別れる。早く帰って少しでも勉強をしなければいけない。しかし、そもそもやり方がわからない。詳しく良子に訊くタイミングも失ってしまった。危機感だけが膨張していき、なにをどうしればいいのかわからない。


 ただただ顔を歪ませて、廊下を進んでいく。


 靴を履き替え、校舎を出た所で海子のスマホが鳴った。画面を見ると、委員会メンバーとして仕方なく登録した、あの男からだった。



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