嫌いな先輩、生意気な後輩



 最終のホームルームが終わると、担任から声を掛けられる。


「篠崎先生が呼んでる。あとで校則委員会室へ行きなさい」


 校則委員をしていると呼び出しをうけることはめずらしくない。とくに何も疑問に思わず、教室の戸締りをしてから委員会室へ顔を出すことにした。


「やあ、遅かったね!」


 篠崎は機嫌よさそうに、手を広げて総一郎を迎えた。


「いやー、相談があってね」


 嫌な予感しかしなかったが、とりあえず話を聞くためパイプ椅子に腰を下ろす。


「新入生の違反数が伸びなくてねえ」


「何人か停学者が出てるって聞きましたけど」


「はははっ、キミがあげた一件だけじゃない。それに風紀のほうだけで、交遊のほうはてんでダメ」


 風紀とは身だしなみや生活態度、そして交遊とは不純異性交遊のことを指している。校則委員会顧問の篠崎が重視しているのは、あくまで不純異性交遊の取り締まりだった。


「うーん、例年……とくに去年と比べると大分落ちてしまって」


 篠崎ががっくりとうなだれる。オーバーで演技的な振る舞いがこの男のうさん臭さを際立たせていた。


「ずばり言うと、ぼくの評価はどれだけ生徒を停学か退学にするか。これに尽きるんだよ」


 生徒を守るのは生徒自身、もしくは担任や生徒会の仕事である。それに対し、競合しているのが校則委員会である。相反する組織を競わせて、成果を上げるという学校の方針であった。


 学校の運営からすべて数字で判断され、評価が決まってしまう。大人の世界とは、そういうものらしい。


「去年は、キミがだいぶ数字を挙げてくれたから助かったんだ。だけど! そのせいで前年の件数を超えるのが難しいよ」


 篠崎はやたらと前年比という数字にこだわっていた。総一郎は知る由もないが、理事会が注力している指針なのかもしれない。


「この時期に数字を取らないと、取り返しがつかないよ」


 新入生たちは、まださほど校則を重要に考えていない。この学校がどれだけ強く校則、とくに不純異性交遊の取り締まりに、重きを置いているかを。


 だから毎年、この時期に新入生を追い込み数字を稼ぐ。さらに今年は新入生の5%を退学または停学にする。篠崎はそういう目標を立てていた。このままでは、その計画は未達となって終わってしまう。


「それなのに全然うまくいってないよ!」


 篠崎の口調に熱がこもりはじめ、挙動が激しくなっていく。


「なんとか各クラスの委員長が決まったのはよかったんだけど。まだ誰も違反者を取り締まれていないんだよ。一年生の交遊で停学になったのは、君があげた子だけっ!」


 バンバンッと机を叩く。


「校長なんかは、うちの校風が認められて成果が出ているとか言ってるけど。本当に頭が悪くて嫌になるよ」


 それに関しては総一郎も同意見であった。一年生の校則委員が機能していないのだろう。おそらく嫌々校則委員を押しつけられ、やる気もなければ、やり方もわからない状態なのだろう。毎年恒例のことだった。


 ただ去年の総一郎が、違っただけだ。


「このままじゃ、不純異性交遊が跋扈してしまう!」


 篠崎は嘆くように頭をかきむしる。


「いわゆる見せしめが必要なんでしょう?」


「そうだよ! もっと違反者をバンバン捕まえて、ビビらせないとわからないからね。担任の先生方はどうにも生徒の味方ばかりするからか、成果がちっとも上がらない。やっぱり同じ目線から取り締まらないとなかなか尻尾はつかめないみたいだね」


 新入生もさすがに教師の前ではボロは出さないだろう。同じ岸に立っている生徒でないと、見えないものは多い。だからこそ校則委員や、さらにコラボレーターという制度が作られたのだ。


「だから実績のある君に一年生の校則委員をまとめてもらい、指揮をとってもらおうと思ってね! やってくれるだろうか?」


 口調こそ丁寧だが、有無を言わさない圧力がある。やはり面倒な話だったと、総一郎は顔をしかめた。


「わかりました」


 しかし総一郎は二つ返事で引き受ける。


 なぜなら総一郎がいる二年では、あらかた男女交際の芽は摘み取ったと考えていた。学校全体のことを考えるならば、いま新入生を取り締まらないといけない。


 一年が浮つけば、いずれそれは学校全体にも伝染する。昨年のように、最初に厳しく取り締まれば生徒たちも危機感が生まれ、それが抑止力となるのだ。


 違反者を取り締まれば取り締まるほど、他の生徒への牽制になる。恋愛を憎む総一郎にとって、願ってもないことでもあった。


「一年の校則委員たちにノウハウを教えてやってくれ」


 各一年の委員長たちを集めて、校則委員としての活動方法を指導する。そして実際に監督として指揮をとり、違反数を上げてほしいという話だった。


「まあ普通は担任の先生と話し合って、進めていくんだけどね」


 成果が上がっていないのであれば、やり方を変えるしかない。もっともっとこの学校は変わらないといけないのだ、と篠崎はそう語る。しかし篠崎という男は他の教師から快く思われていない。


 だから実際には連携が取れていない。教師はどうしたって、生徒を退学にしたくない者たちが多い。なかには恋愛に関して肯定的な人物だっているくらいだ。


 本当にこの学校から、不純異性交遊を無くそうと心の底から思っているのは総一郎とこの篠崎の二人くらいのものだった。


「あっ、それと大変だと思うから補佐をつけるよ」


 篠崎は最期にそう付け足して、ある第三者を部屋に招き入れる。


「星海子くんだ。知ってるね?」


 想像もしていない人物が出てきて、総一郎はパクパクと口を金魚のように動かした。


「な、――なんで、お前が?」


 そもそも校則委員とは各クラスの委員長が兼任するものだ。海子のクラスには山中という女子生徒がもう委員長に就任している。どういう了見で、海子がここにいるのか総一郎には想像すらできなかった。


「どうもお世話になります」


 無愛想に海子はそう告げる。


「せ、説明してくれますか?」


 総一郎は篠崎に向き直る。


「ああ、山中さんね。もともと委員長やりたくなかった子だからさ。二学期には、この星さんと交代してもらうよ」


「いやいや、というか違反者ですよ?」


「別に違反者が校則委員になれないなんて決まりはないからね。しっかりおつとめも終わってるんだから大丈夫。なんでも停学になった失点を取り返したいから校則委員に入れてくれって直訴しに来たんだよ」


 立派なもんだと、パチパチと拍手する。


「さすがにいきなりは無理だから。二学期からになるけど。山中さんにとっても星さんにとっても、良い話だからね。やる気があるなら、見習いとして手伝ってもらうことにしたんだ。本人も君の仕事っぷりを勉強したいっていうからさ。まさに彼女のようなやる気のある人材を求めていたんだよ僕は!」


 本気で嬉しそうにしているから、質が悪い。


「じゃあ星くん、鷲崎くんの元でしっかり勉強してください」


「わかりましたー」


 あからさまに気のない返事をしている後輩女子。他に目的があることは明白だった。


 ■■■



 二人仲良く、委員会室を後にする。


「どういうつもりだ?」


「なにがですか?」


 薄暗い廊下には誰もいない。夕暮れに差す影のなかで二人は、敵意を向け合う。


「どういうつもりで校則委員なんかに入りたいんだよ?」


「内申点を取り戻すためですよ。誰かさんのせいで停学になりましたからね」


「そんなのは自業自得だろうが」


「わかってます。だから失点を取り戻したいんですよ、文句あります?」


 そう堂々と告げられると、返す言葉もない。しかし彼女が建前しか口にしていないことくらいはさすがに理解できた。どうせ尋ねても、本当の理由を話す気もないのだろう。


「シャレでしてんなら、痛い目みるからな」


「誰が冗談でこんなクソみたいなことやるんですか」


 海子は嫌悪感を滲ませる。


「あん?」


「校則委員って、思ってたよりもずっとくだらない」


「なんだその言い方は」


 思わず凄んでしまう。


「睨んでも、怖くなんかないですから」


 いっそキレて殴ってくれてもいい、海子は内心でそう思う。それくらいの覚悟はしてきたつもりだ。そうすれば海子の目標は簡単に達成できる。しかし、思ったとおりにはいかず、総一郎は怒りを吐き出すように息を吐いて仕切り直す。


「どう思おうが勝手だがな、遊びでやってんじゃないからな」


 しっかりと恩恵がある分、やることはある。そして同じ学校に通う学友を告発するのだ。周りからは嫌われるし、逆恨みもされる。考えているよりもずっと辛い。


「成績を買いたいんなら真面目に勉強しろ」


「ほっといてください。あなたも同じ穴のムジナでしょ」


「もっとやることがあるだろう。部活とか」


 そういえばこの女子は陸上部だったはずだ、と総一郎は思い出す。


「辞めてきました」


 少し違うトーンで彼女は端的にそう答えた。介入を拒むその空気に、総一郎は何も言えなかった。ただ胸のうちで馬鹿だな、とそう思っただけだ。


 廊下から見えるオレンジに染まったグラウンドに、陸上部員たちの姿があった。ふと隣の女子を見るが、暗い影にその表情は隠されて何も見えない。

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