星海子が停学から戻ってきてから

停学が明けて

 

 学校のなかには、テリトリーというものが存在する。

 

 二年の教室が並ぶ廊下には、同学年の生徒たちで溢れていた。違う学年の生徒、しかも下級生がそこへ紛れこむと、やはり人目を引くことになる。しかし集まる好奇な視線をものともせず、その下級生の女子生徒は強く足を踏みしめながら二年の廊下を突き進んでいく。


 その進む先には、鷲崎総一郎の姿があった。


「ね、眠い……」


「まだ月曜のしょっぱだぞ」


「昨日、バイト?」


 メガネコンビをひき連れ、総一郎は廊下の先にある自販機を目指していた。


 一限目が終わり、あまりの眠気にコーヒーを買いに行く最中であった。廊下の向こうから、上級生をかきわけるように一年の女子がこちらへ向かってくる。


 挑戦的なその視線は、まっすぐに総一郎を見据えていた。


「なになに? なんかこっち来てない?」


「誰だあれ?」


「なんか怒ってない?」


 メガネの二人が訝しむが、総一郎は口を閉ざしたまま女子の視線を受け止める。目の前で立ち止まり、互いの視線に火花を散らす。敵意むき出しの女生徒の視線を、総一郎は不遜に見おろした。


「どうも鷲崎センパイ」


 挑発的な口調で星海子は、挨拶をする。


「ああ、停学とけたのか」


「ええ、おかげ様で今日から復帰です」


 海子はふかく眉間にシワをよせる。


「次はないから気をつけろよ」


 短く答え、総一郎は脇を抜けようとする。


「わたし、悪いことしたなんて思ってませんから」


「そうか。なら早くこの学校を去ったほうがいい」


 二人の位置が立ち代わり、背中ごしに嫌味を掛け合う。


「先輩こそ、いつか後悔することになりますから」


 去っていく総一郎に海子はそう告げた。


 あんな人間が学校の規則を盾に、好き勝手していいはずがない。間違っている人間には、必ず罰がくだらないといけないのだ。拳を握りしめ、海子は強くそう思う。


「――なあ、総」


「なんだよ」


 八木が前を歩く総一郎に声をかける。


「あの子、めっちゃ怒ってたけど。なにしたんだよ?」


「なんもしてねえよ」


 ぶっきらぼうに返す。


「刺してきそうな勢いだったじゃん」


 八木は自分のことのように狼狽えている。


「たぶん、大北の元カノだろ?」


 萩が口をはさみ、八木は納得したように頷く。


「ああ、そういうことかあ」


「まあ恨まれてもしょうがないよね」


 二人は苦笑いをする。


「ふん、一年坊になにができるっていうんだよ」


 総一郎は誰に言うでもなく、そう口にしながら廊下を進む。


 自販機でコーヒーのボタンを押す頃には、もうすっかり目が覚めてしまっていた。しかし何もしないで帰るわけにもいかず、しかたなくコーヒーを買う。パックにストローを刺し液体を吸い込むと、苦みと甘みが口に広がった。恨み言を言われることなど慣れている。今さら年下の小娘に恨まれようが、怖くともなんともない。


 そういう一年を過ごしてきたのだ。無意識に、ガジガジとストローを噛みしめる。


「後ろから刺されるかもよ」


「そんなわけあるかよ」


 メガネの二人も適当にジュースを買い、さっきのことを話題に会話を弾ませている。


「そんなのわかんないじゃん。女なんてなにするかわかんないよ」


「なんで恋愛経験豊富みたいな感じで語ってんだよ。おまえ童貞だろ?」


「それは言っちゃいけないよ? 男にそれ言ったら喧嘩になるよ」


「あはははっ、気にしてるじゃん」


 黙り込む総一郎に、二人は相変わらず好き勝手なことを言っている。


 彼女の立場から考えれば、恨み言のひとつでも言いたいのは理解できる。好きに恨めばいい。イラだった気持ちをぶつけるように、飲み終わった紙パックをゴミ箱へ放り投げる。


 どうせ学年が違えば、顔を合わす機会などそうないはずだ。総一郎はそう自分に言いきかせ、忘れることにした。この一年で色んな人間の恨みを買ってきたのだ。こんなことは慣れっこのはずだった。



 ■■■




 しかしその日から、星海子に付け回されることになった。


 なにやら視線を感じて振り返ると、彼女が敵意をこめて総一郎を睨みつけている。休み時間、体育の授業、昼の食堂、あらゆる場所で彼女はじっと総一郎に敵意のある視線を送ってくる。


 そしてその行動を観察し、学校に報告をいれている。捨てた空き缶のゴミ箱が違うとか、職員トイレを使用したとか、女子をイヤらしい目で見ていただとか、些細でしかも証拠もないようなことを匿名希望で学校の掲示板に書き込みされている。


 誰も見ていない掲示板なので、実害はなかったがあまり気分の良いものではない。


「おい、どういうつもりだ?」


 ほっといても止める気配がないので、とうとう本人に問い詰める。


「なにがですか?」


「つけてるよな? 俺のこと」


「そうですけど」


 面と向かって指摘すると、海子は堂々とそれを認めた。


「鬱陶しいんだけどな」


「わたしは気にしません」


「俺が気にするんだよ!」


 海子は挑発するように大きくため息をつくと、「先輩のこと嫌いなんで、どう思われようが気にしません。そういう意味です」と声を大にして言い直した。


「文句があるなら直接言え」


「別にないですけど。なんなんですか? この学校は人をつけ回したらダメという校則はないはずですが? 校則委員の鷲崎先輩」


 どこか勝ち誇ったように彼女は告げる。屁理屈でいい気になっているようだ。


「人の迷惑を考えろよ」


「気にしなければいいじゃないですか」


 どういうつもりなのか全然理解ができない。八木が言っていたように、後ろから刺す機会でも窺っているのだろうか? そう考えると総一郎は少し怖くなってきた。


「とにかく用がないなら、人のことつけ回すのはやめろや」


 少し脅すように低い声を出す。強く言えば止めるだろう。しょせんは年下の下級生の女子だ。


「……い、嫌です」


 海子は怯んだように声を震わせたが、それでも拒否する言葉を発した。


「なにがしたいんだよ」


 苛立った声にも、気丈に言い返してくる。


「あなたに教える義理なんてないですね」


 罵詈雑言や直接叩かれたりすることはあったが、ストーカーのようにつけまわされるのはこれが初めてだった。総一郎はいまいち対処がわからず、首をひねる。

 

 まさか手をあげるわけにもいかない。


「勝手にしてくれよ……」


 いまは彼女を説得する材料を持ち得ていなかった。結局、最後は男のほうが不利になってしまうのだった。

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