春は張り切ろう 2
放課後を迎え、雪たちは早々と学校を後にする。
高校生になると部活へ入らない人間は多い。雪も中学時代は卓球部に所属していたが、いまは勉強で忙しいため部活には入っていない。グループのみんなも帰宅部で、放課後は自由に過ごしている。
とくに用事がなければ、駅まで一緒に帰るのが恒例となっていた。
どこかに寄る話もでたが、頻繁に遊べるほど金銭に余裕はない。総一郎のようにバイトでもしていれば、こずかいにも困らないだろうが、そんな不純な動機で学校に申請しても許可は下りないだろう。
不純異性交遊の取り締まりの厳しいことで有名だが、普通に校則自体も厳しかった。
最寄りの駅へ着き、別れを告げる。
みんなそれぞれ自分が乗る幹線へと散っていく。それを見届けながら、雪は人ごみの中で立ち尽くす。
もしかしたら、来週には一人減っているかもしれない。ふとそんな不安に駆られ、何かをしないといけない気がしてきた。
「どうしたもんかな」
今から教室に戻れば、総一郎がいるはずだ。また勉強しているか、校則委員の仕事をしているはずだ。相談したい気持ちと、隠蔽するべきだという気持ちに整理がつかない。いつもならすぐに報告をしている。しかし今は、自分の気持ちがわからない。
胸のうちの感情を整理できず、けっきょく雪は駅の改札口をくぐった。
電車に揺られていると、やはり思考は中田久美へと傾いていく。
もし本当に彼女が男女交際をしていた場合、どうするべきか不安にも似た感情が渦巻いていた。雪自身はべつに恋愛が悪いことだとは思えない。むしろその逆だ。華の十七歳、恋愛へのあこがれは当たり前にある。
そもそもクラスのコラボレーターになった動機は成績のこともあるが、一番の理由は総一郎との接点を持つためだった。人の恋愛をあれこれ言う資格など、自分にはない。
なにせ自分自身が恋をしてしまっている。
総一郎とは違い、明確に恋愛を反対する気持ちはなく、むしろその逆の感情から、いまの立場を選んでいる。クラスメイトを騙している本当の裏切り者は自分なのだ。昼に二人が話していた内容が、今さら心に深く突き刺さる。
しかし単純に、友だちを裏切りたくもない。
付き合いが浅いとはいえ中田久美は友人だ。雪はそう思っているし、たぶん向こうもそう思ってくれているだろう。だから彼女が悲しい目に合うのはできるだけ、見たくない。
しかし見逃せば、総一郎からの信頼を落とすだろう。役目だって下ろされるかもしれない。それにコラボレーターとして恩恵だけを受けて、個人の事情には目をつむるのも違う気がした。
「ジレンマだなあ」
ひんやりとした車窓に頭を預け、ポツリと呟く。
気がづけば地元の駅へ到着していた。車両から降りると向かいのホームに見知った姿を見つけてしまう。咄嗟に視線を外し見なかったことにする。もう高校生なのだ、中学時代のことは忘れないといけない。
はやく帰って勉強でもしよう。なんとかギリギリ二年に進級ができたのだ。がんばらないと中間で赤点を取りかねない。かなり無理してレベルの高い学校へ来てしまい、雪も総一郎と同じでそうとう苦労をしていた。
駅前に停めてある自転車の鍵を開けた瞬間、スマホが震える。
「やっほー」
通話ボタンを押すと気安い声が、スピーカーから聞こえてくる。
「どうして番号知ってるのよ」
感情を押し殺した声で、雪は告げる。
「うんー? この前スーパーでおばさんと会ってそれで訊いた」
悪びれもなく相手はそう答えた。
こんなにあっさりと番号を知られるなんて。学校が別々になった機会に、番号を変更した意味がない。
「で? いまどこにいんの?」
「まだ学校よ」
悪い予感にすぐさまそう答ええる。
「またまた~、さっきホームにいたじゃん」
「くっ」知っていて電話してきたのだ。
「お、教える義理なんてないから」
「へー、ほー、ふーん。後ろ見て」
そう言われて振り向くと、岩越宝がそこにいた。
「よーっす! 久しぶり」
雪は挨拶には応じず、敵意のある視線で向かいうける。
「うわ恐い顔。むにっ」
そんなこと彼女は意にも返さないのか、気軽に雪の両頬をつまんだ。
「や、やめてよ。もう学校も違うんだから。馴れ馴れしくしないで」
「あー、良い学校行ったからって。そんな態度とるんだ」
「違う、そういう意味じゃなくて」
もうあんたとは友達を止めたのだ。本当はそう言ってやりたかった。
「じゃあどう違うのか、ゆっくり聞かせてもらおうか」
ガシリと昔のように雪の腕を取って歩きだす。やはり宝のペースとなってしまう。こっちが真剣に何かを訴えても、この女はいつもふざけてこちらの気持ちを受け止めない。本心をいつだってみせないのだ。
「ここで話を聞かせてもらいましょうかねー」
連れてこられたのは駅前のカラオケ屋だった。
「なんでよ。歌なんか歌わない」
「いやここなら、込みいった話しても聞かれる心配ないから」
さきほどまでのおちゃらけた態度はなりを潜め、宝は思い詰めたような表情を浮かべていた。
「ちゃんとアンタとは話さないといけないしね……」
真面目な視線を向けられ、雪はごくりと喉を鳴らした。中学三年の冬、あの時こわれたものは直しようがない。それでも、ピリオドだけは打たなくてはならないのだ。
「わかったわよ……」雪もおもく頷いた。
うす暗い部屋に向かい合って座る。
「あんた、今さらあの時のことを後悔したって――」
瞳を閉じ中学の頃を思い返す。楽しかった思い出と、それが崩壊した時の痛み。まだちゃんと胸の奥に刻まれている。
「まあまあ」
しかしそんな雪の決心とは別に、向かいに腰を下ろした宝は操作パネルを軽快にいじっている。
そしてすぐにイントロが流れだす。
「ち、ちょっと――」
「ほら始まった。懐かしいでしょ?」
確かに宝の言う通りだった。イントロを聞いただけで、心に引っかかるものがある。子供の頃に大流行したアニメの主題歌。主人公と猫の妖怪が出てくるアニメだった。
宝は楽しそうに歌いだす。
「話するんじゃなかったの?」
不満そうな雪とは対照的にノリノリで歌い進めていく。
「ほらサビサビ」
もう一つのマイクを渡される。
「え? ええ?」
「はやくはやくっ!」
そして気づけば雪もメロディーに声を乗せていた。
そこからは懐かしの曲を二人で入れていっては、「懐ちいー」と言いながら、たっぷり二時間歌うこととなった。二人とも知っている曲をそれぞれ入れて二人で歌うので、休みなしのぶっ通しの二時間だった。
自然と嫌な気持ちが晴れ、すっきりした気分となる。
「あははっ、すっきりした?」
組んだ足をブラブラさせながら、宝は雪に笑いかける。相変わらず好きなのかメロンソーダを飲んで、テーブルに置いた。
「なに? どういうこと?」
「なにか悩んでたんでしょ?」
「なんてアンタがそんなこと――」
ニマリと宝が右耳に触れていた。
それを見て、雪ははっとする。
「昔から変わらないねえ」
悩み事があると右耳をこねる雪の癖。子供の頃から何度も総一郎や宝の指摘されてきた。本人は認めてないが、昔はそうやってよくからかわれたものだ。
「別にたまたまだし。そもそもそんな癖なんかない」
クセというのは変わらないのかもしれない。宝が置いたメロンソーダのグラスに刺さっているストローだって先が噛まれて変形している。
「そう? まあでも。困っているなら友達を頼りなよ」
にまりと宝は笑って、自分を指さす。
「冗談でしょ。あ、あんたとはもう友達なんかじゃない」
身を切るように雪はそう告げた。言われた宝よりも、口のした雪のほうが思い詰めた顔をする。
「そう。なら今の友達に助けてもらいな」
宝は笑顔をやめ、自分の鞄を持って立ち上がった。怒ったのかもしれない。それでも、雪だって半端な気持ちで口にしたわけじゃない。
二人で無言のままカウンターへ行く。
「ああ、お金ないや。貸しといて」
財布を出しもしないで、宝はそう言った。
「はい? ふざけないでよ」
「あははは、声イガイガー」
さっきのことがなかったように笑う。岩越宝とは、とことんマイペースな女だった。
■■■
「おはよ」
登校してきて机に鞄を置くと、席が後ろの森澤澄子が挨拶をしてくる。
「うん、おはよう」
「あれ雪? めっちゃ声かれてね?」
「ま、まあ……ちょっとね」
喉を押さえながら答える。教室を見渡すと、他の三人はまだ姿が見当たらなかった。机に腰を下ろし、鞄の中から教科書を取り出して机にしまっていく。
森澤澄子は、横向きに腰かけ何かの文庫本を読んでいる。和柄のブックカバーをしているため、どんな本かはわからない。一年からの付き合いだが小説を読むんだと最初に知った時は、少し以外だと思った。
「あのさあ……」
静かに雪は、そう語りかけた。
「うん?」
彼女は読んでいた文庫本を下ろし、ゆっくりと視線をこちらに向けた。長いまつげの奥にある瞳と目が合うと、同性でも少し戸惑ってしまう。
「あたしに彼氏がいたらどうする?」
「いるの?」
そう尋ねると、キョトンとした顔でそう聞き返される。
「いや仮の話」
反対かそれとも応援か、彼女ならどうするのか雪は知りたかった。
「誰? あたしが知ってる奴?」
「いやだから仮の話だって」
「じゃあ仮の話の中では誰と付き合ってんの?」
しかし彼女は思いもよらない箇所に喰いつく。
「え……」
思わず視線を総一郎に向けてしまいそうになるが、なんとか堪えた。
「ケ、ケンドーコバヤシかな……」
咄嗟に好きなお笑い芸人をあげてしまう。
「おお! いい趣味してんね!」
彼女はテンションが上がったらしく、口を開けて笑う。雪の受け答えを気に入ったようだった。
「アンタちょっとファザコンっぽいしね」
「そうなの⁉」
意外な他者の評価に、思わず身を乗り出す。
「ちがくて、聞きたいのはさ――」
なかなか意図したとおりに会話が進まない。脱線した話をなんとか戻そうと悪戦苦闘するが、なかなかうまくいかない。そうこうするうちに、登校してきた中田久美が二人に近寄ってきた。
「なんか珍しいね。雪ちがテンション高いの。っていうかどうしたの? その声?」
「ちょっとカラオケで」
「へー、誰と?」
「昔の知り合い」
なぜか後ろめたい気持ちなる。
「そういえばこの間うちらもカラオケいったじゃん。その時の写真ほら」
中田久美が自分のスマホから写真を立ち上げる。その画面の中から目ざとく雪は、男女のツーショット写真を見つける。一瞬だが、例の男子と中田久美が仲良くピースしている画像が目に飛び込んでしまった。
すぐにカラオケの写真に変わってしまったが、間違いないだろう。
「へー、こんなん撮ってた?」
「あはは、澄子が歌ってた時のやつー」
二人は仲良く写真を見ながら談笑している。そのうちに他の二人も登校してきて、いつもの五人組となる。四人は中田久美の写真を皮切りに、それぞれも写真を見せあって盛り上り始める。
その横で雪は愛想笑いをして立ち尽くしていた。
これはもう確定じゃん……、裏切られた気持ちにさえなった。
以前に森澤澄子が言っていた。付き合うならうまくやれよ、という言葉が雪のなかで重みを増した。確定した以上、雪には裏の役割がある。
言質をとる必要があった。
「わたしにも見せて……」
力のない声でそう言った。
「いいよー」
ひとり暗いテンションで、雪は中田久美のスマホを受け取る。白々しいやり取りだったが、わざと棒読みで声を上げる。
「いろいろあるねー。あれーこの写真はー、わあーすごい仲よさそうー」
指をスライドさせて、例の写真を呼び出す。
この写真が発覚して中田久美がどう言い逃れするのか見物だ、とさえ思う。
もうどうにでもなれという心境だった。鬼がでるか蛇がでるか。踏み抜いた地雷には確かな手ごたえがあった。
「でしょ。これ親戚のみんなで沖縄行ったときのやつ」
しかし予想に反して中田久美は、ごくごく普通の態度で返してくる。
「あーいいなー、沖縄」
「海、めっちゃキレイ」
え、あれ?と、雪は親戚という単語に引っかかる。周りのみんなも特にツーショットの写真について、何も言わない。
「従妹って他にもいるの?」
森澤澄子がそう尋ねる。
雪はファッ、と口をぽかんと開く。
「あーいるよー。大学生のお兄さんと一コしたの女の子が」
彼女はスマホをスライドさせ、他の写真を見せてくれた。紹介された二人もしっかり写真に写っている。言われてみると、兄妹のように見えてくるから不思議だ。
「歳近い従妹とかいいね」
「まあ、楽しいよね」
「あたしも兄妹とかいないからさー、ね? 雪、え」
雪はほろほろと涙を流していた。
「な、なんで泣いてるの?」
中田久美が引いていた。こっちはお前の心配してやったのに、と内心で思わなくもなかったが、溢れてくるものはしょうがない。
「従妹かー」
雪は大きなため息をつくと、全身から力が抜けた。
「どういうこと?」
事情を知りたがる四人に、中田久美が彼氏を作って退学になるかもしれないと勝手に心配していたと白状する。
「えぇー、心配してくれたんだ。なんか意外」
若干まだ引いていたが、それでも中田久美はまんざらでもない様子だった。他の三人も雪を冷やかして笑う。確かに少しきつい性格をしているが、ここのメンバーはそんなに悪い人達ではない。
そうこうしているうちにチャイムが鳴り、三人は自分の席へと戻っていった。
やっと安心して雪は、前を向く。
「でもさ」と森澤澄子が後ろからぼやく。
「従妹でも結婚できるんじゃね?」
慌てて振り返ると彼女はイタズラそうに笑って、指をさすジェスチャーをする。その指先をたどると、中田久美と例の男子はやはり仲良さそうに笑い合っている。
「わたしは久美を信じるよ……」
くさいものに蓋をするように、深く考えないようにしよう。そう決めた。
「ふーん」
「――ねえ雪? わたしに彼氏いたらどうする?」
森澤澄子は最期にそう言って、ニンマリと笑った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます