コラボレーター 雪 エピソードone
春は張り切ろう 1
どんな学校でも休み時間というのは、賑やかなものだ。
三時限目の授業がようやく終わり、次をしのげば楽しい昼休みが待っている。生徒たちは思い思いに昼食の約束をしたり、他愛もない話題で盛り上がっている。例に漏れず、浅倉雪もそういう中の一人だった。
「ありえなくない? また鷲崎でしょ」
いつもの五人で会話を楽しんでいると、メンバーの一人である中田久美が苛立った声を上げる。
「二年に上がって速攻じゃんね」
「まだ五月なのにねー」
他の二人もその言葉に追随する。
先日、退学になったクラスメイトの話題だ。
その男子と中田久美はわりと仲が良かったため、彼を退学の追い込んだ総一郎に不満を抱いているようだった。
「同じクラスメイトのこと売るかな、ふつう?」
「久美、だいぶキレてるねえ」
「だってさあ」
この学校では委員長という役職はとうぜん嫌われる。なにせ他人の色恋を学校に報告し、ペナルティを与えるのだ。言い方を変えれば、学校にチクり点数を稼いでいる連中。一般の生徒たちのなかでは、そういうイメージが定着していた。
そんな人間に好印象を持つ者はいないだろう。
「まあでも、アイツが委員長やってくれるのはいいんじゃん。わたしが一年ときのクラスなんか、むちゃくちゃモメたしね。大変だったわあれ。もうマジ勘弁」
森澤澄子が、ミルクティーのパックに刺さったストローを吸いながらぼやいた。
「そうかもだけど。あいつがチクんなきゃ、退学になってないじゃん」
中田久美は、不満そうに口を尖らせた。
わりと仲間意識が強い彼女のなかでは、クラスメイトを退学に追いやるような行為は許せるものではないらしい。
「まあバレる奴が悪いけどね」と森澤澄子は、冷淡に告げる。
それに対して中田久美は、退学になったクラスメイトに対してあんまりだと難色を示す。しかし彼女と敵対してまで意見を述べようとは思わなかった。憤った気持ちを抑えるように、眉間にシワを刻んで黙り込む。
「まあまあ。つーか雪はおな中じゃん? どうだったの?」
雰囲気を良くしようと、他の女子が雪に話をふる。
「んー?」
話をふられ、スマホ画面から顔を上げる。総一郎や校則委員の話題にはできるだけ無関心を装ように決めていた。
「さあ? 喋ったことなかったかな」
そう短く答えるとスマホに視線を戻し、できるだけ興味なさげに振る舞う。総一郎とは互いに、教室の中では会話をしないよう心がけている。コラボレーターをしていることを、絶対に知られるわけにはいかない。
「まあ中学が一緒くらいじゃ、そうだよね」
話をふった本人も別に答えに期待したわけではなく、ただ話を広げようとしただけのようだ。
「今じゃ学校一の嫌われもんだしね。あはは」
「まあ、それなりのことしてるんだから。そりゃ当然でしょ」
女子二人が笑い合う。嫌われ者の校則委員たちのなかで、総一郎はさらに頭ひとつ抜けていた。大抵の人間が嫌がる委員長としての職務。それを一年のときから、執念めいたモチベーションと行動力で遂行し、他人の男女交際を摘み取ってきた実績がある。その悪名は同じ学年はもちろん、他の学年にも轟いていた。
「わたしは別に嫌いじゃないけどな」
ふと森澤澄子がポツリと、場の空気とはそぐわないことを呟いた。
雪を含めた四人が以外そうな顔をする。
「え? そうなの? なんでなんで?」
「いや、あいつみんなのストーカーしてるって噂だよ?」
「つか愛想もないし。偉そうじゃん」
雪以外の三人が、一斉に批判する。
「まあそれが仕事なんじゃん。学校のルールが気に喰わないなら、来なきゃいいじゃん。この学校には通いたけど、ルールは守りたくないです。それって筋が通ってなくない?」
森澤澄子の言葉に、他の三人は言葉を失う。
「澄子は恋愛禁止派なの?」
間をとった後、中田久美が反論を口にする。
「ぷっ、あはは……そんな派閥あるの? 学校が言うみたいに馬鹿正直に恋愛するなとは思わんけど、もっとうまくやれよって感じだわ。それなら互いに嫌な思いしないわけじゃん」
「じゃ、じゃあ……退学になった人たちが悪いって言いたいの?」
「そうだよ」
あっさりと彼女は肯定した。
「アンタって変わってるね」
中田久美は明らかに不満を滲ませた。二人の視線を交わり、空気がよどんでいく。二人とも気が強い性格だ。いつ喧嘩になってもおかしくはない。
慌てて他の二人が会話を進める。
「っていうかどっからバレたんだろうね? 大北が陸上部の後輩と付き合い始めたなんて、ほとんど誰も知らなかったじゃんね?」
「学校の外で遊んでて見られたんじゃないの? それかその一年の女子が誰かに話したか。初めての彼氏とか、友だちに言っちゃうもんでしょ?」
「それありそう!」ビシッ、と指さす。
剣呑な雰囲気を変えようと、他の二人は大袈裟に明るい調子で会話を弾ませていく。集団には、こういったバランサーも必要なのだろう。
「でも密告者がいるって話もあるじゃん」
「ぎゃはは、なにそれ?」
「だから委員長以外にも隠れて密告する連中がいるって。一年のときから、たまに聞く話じゃん。ねえ雪?」
今度はもう一人に肩を叩かれる。
「聞いたことあるけど、さすがにそれはないんじゃない?」
呆れた声でそう返す。
「まあね。そこまではしないでしょ。でも校則員会に報告したら内申もらえるって噂、そっちとかは、ありえそうじゃん」
「あ、そっちのがありそう」ビシッ、と指さす。
「でもそれならすぐにそんな話、広がりそうじゃない?」
「いやチクったらさすがに他の奴には話さないでしょ」
二人は軽口を叩きながら、軽快に話題を広げていく。なんとか場の空気を和らげようと必死みたいだった。
そんな会話に耳を傾けながら、雪の内心は犯罪者にでもなったような気分だった。二人が噂している張本人が、今まさに横にいるなんて思いもよらないはずだ。微かな罪悪感と自尊心が交じり合って、妙な気分になる。それと同時に、露見した場合のことを想像すると動悸がはげしくなった。
二人のがんばりのおかげか、森澤澄子と中田久美の二人も剣呑な雰囲気をひそめ笑顔を取り戻している。
「つーかそれよりも中間やばい」
「二年になって一発目は重要だよね」
女子高生の話題はすぐに移り変わる。
話題はまだ先のテストへと移った。一応進学校なので、わりとどんな生徒でも成績やテストのことには関心が強い。しかもこの学校は補習などの救済措置はとってくれないため、生徒たちは常に頭の片隅に危機感をもっていた。
雪にはむしろ、こちらのほうが深刻で頭が痛い。この話題になってからは、積極的に発言してテストの情報交換にいそしむ。試験の情報はどこに転がっているか、わからない。
「うーっす、久美!」
いきなり男子の一人近づいてきて、中田久美の後ろから肩を組んだ。
「もう雅紀、びっくりさせないでよ」
さっきまで険しい顔をしていた彼女の表情が一変する。
「いやー、弁当持ってきてくれた?」
「うん、あるよ。昼に渡すから」
「えー、いまくれよ」
いきなり現れた男子と中田久美が密着しながら楽しそうにしている。
まさかの光景に、雪はワナワナと震えた。
クエスチョンマークで頭がいっぱいになり混乱してしまう。深呼吸をして、いったん頭を整理させる。二人は周りの目も気にせず、くっついたままイチャコラしている。雪にはそう見えた。
中田久美の口調もいつもと少し違い、柔らかいというかキツイ感じがなりを潜め、ちょっと可愛い感じになっている。傍から見れば完全にカップルのそれであった。
お前たちが言う密告者の前でよくやるな、と雪は戦慄する。
「ど、どういうことなの?」
カタカタと震える声でよくやく声をしぼり出した。
「ん?」と二人がユニゾンして反応した。
「なにがー?」
いやあんたさっきまでキレかけてなかったか、という疑問を置いといて質問する。
「いや、そういう仲なの?」
震える指先で二人を交互に差す。
「そういうって?」
「い、いや付き合ってるの?」
雪の言葉に二人は顔を合わせて笑いだす。
「まさかー、こいつは兄妹みたいなもん」
「そうそう出来が悪い、弟だわ」
「なにい」
笑い声をあげながら、二人はバシバシと互いを叩き合ってじゃれついている。それを眺めながら、雪は「そう……なんだ」と呟いた。他の三人も二人のことを茶化しながら和気あいあいと笑顔だ。クラスメイトが退学になったばかりだというのに、危機感というものはないのだろうか? 雪はギリリと歯を食いしばった。
このクラスのコラボレーターとして、さすがに見逃せないだろうと青筋を立てる。そのタイミングでチャイムが鳴った。
徒然草の内容が全然頭に入ってこない。
雪は黒板を見つめながら、さきほどの出来事を反芻していた。二人の会話内容と行為を克明に回想し、頭のなかで吟味していた。
さすがに仲が良いとかいっても、あの男女の距離はおかしいよね。それにお弁当があるとか訊いてたから、どう考えてもただならぬ関係でしょ。でもさすがにそんな関係なら、周りから隠すよね。あれだけ堂々してるんだから、やっぱりなにもない? いや逆にそう思わせといて、裏ではよろしくやってる? いやその逆でただバカップル思考になってるだけじゃ? いやその逆の逆の可能性も――。
いろんな思考が頭をぐるぐると回り続ける。中田久美とは二年からの付き合いで、まだどんな人間かどうかまで把握していない。たまたま森澤澄子との関係で、同じグループの友達として一緒にいるだけだ。
良くも悪くも感情的な人物、それくらいしかまだ人物像をつかんでいない。
もともと親しい人間とはあれくらいのボディランゲージをとる人種なのかも、そう考える。
しかし同じグループの女子にそんなことをしているのは見たことはないし。そもそも男子から身体に触れていた。ただそれを受け入れていただけで、たぶんあれが二人の距離感なのだ。だとしたら、そんなの恋人しかありえない。とにかくあの二人は要注意で観察しないといけないだろう。
右前を見ると件の二人が近い席で坐っている。
しばらく観察していると男子はこそこそと中田久美に話しかけて、ちょっかいをかけている感じだった。それを受ける彼女も少し楽しそうである。
目に疲労を感じ、雪はメガネを外して目頭を揉む。
付き合ってそうー、というのが率直な感想だった。
まだ四月とはいえ灯台下暗しというやつだろうか。身近にこんなヤバイ案件があったとは、と心がずうんと重たくなる。
今も二人は視線を交わしてニヤニヤしている。
うわ視線で会話してるし。見ているこっちが恥ずかしくなって耳が熱くなる。何かドキドキしながら二人の動向に注意を向けていた。
そんな時、「浅倉―」と教師に名前を呼ばれる。
「ここわかるか?」
どうやら古典の教師は、雪が他のことに気を取られていることには気づいていないようだ。少し取り乱したが、堂々とした態度で立ち上がる。表情はいつも通りに、冷淡さを取り戻している。
そして「わかりません」と、胸を張って答える。「そうか……」と教師は短く答えた。
授業が終わり、二人にそれぞれにもう一度質問してみた。
「ほんとに付き合ってないの?」
そうすると二人とも、同じセリフでこう返した。
「そんなわけないじゃん」と。
やはりなにか怪しいと雪はそう感じた。
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