出した答え


 あれから一週間が経過し、C組委員長である吉田に例の件を確認してみる。


「ああ、あれか? 調べたけど、全然問題なかったわ」


 吉田はあっさりとそう答えた。


 それを聞いた途端、総一郎の肺に詰まっていた重い空気は抜けてゆき、同時に気も抜けた。どうやら杞憂だったようだ。


「ならいいんだ。邪魔したな」


 やはり花田に限ってそんな馬鹿なことはしないだろう。昔から柔道に命を懸けている奴だし、部でも責任ある立場になる身だ、柔道部に迷惑が掛かることは絶対しない。総一郎が知っている花田という男はそういう男なのだ。


 顔がゴツイから昔からモテなくて、ナヨナヨしているイケメン風の優男を嫌っていた。そういう男を好きになる女子について、よく悪態もついていた。そのことを思いだすと、懐かしさについニヤけてしまう。


 なにわともあれ大事にならずに済んでよかった。そんな一息ついた総一郎に冷や水を掛けたのは、浅倉雪の一言だった。


 放課後の教室に呼び出される。


「花田くん、マズいことになってる」


 雪の緊迫した声に、頭が混乱する。


「ちょ、ちょっと待て。間違いだって聞いたぞ?」


「誰がそんなこと言ったの?」


「C組の吉田だ」


 雪はその言葉に目を細めた。


「わたしとその男、どっちが信用できるの?」


「あ、ああ……そうだったな」


 自然と右手で顔面を覆う。また同じことを繰り返してしまうところだった。なんの確証もない希望に縋りついて、答えを出してしまった。


 世の中の全てを疑うと、あの時から決めたというのに。


「しっかり話を聞かせてくれ」


 総一郎の言葉に雪はしっかりと頷く。

 

 彼女の話では、こういうことらしい。


 熊のような体格、厳つい顔面、針金のような髪質、およそ異性からモテる要素など皆無の柔道部エース花田努。そんな男に他校の女子生徒がなんの間違いか好意を寄せている。しかも小柄で気立ての良い女の子らしい。


 まさに花田にとっては、一生にあるかないかの出来事である。常日頃からカップルに対して毒ついてはいるが、それは本心からではなく嫉妬であることは明白だった。心の奥底では心底羨ましいと悔しがるのが普通の高校生男子というものだ。


 花田も例にもれず、やはりその娘からのラブレターに心を躍らせ、今度返事をするという。世間では、珍しい話でもない。


「それで、なんて返事をする気なんだあいつは?」


「さあ? そこまでは……」


 雪ははっきりと答えることはしなかったが、お互いの予想が一致していることは理解する。気持ちはわかるが校則委員としては、ほっとくわけにはいかない。


「わかった。すぐに確認してみる。いつもサンキューな」


 雪は何も答えず、静かに立ち去った。それを見届けてから総一郎は、スマホを取り出しC組の委員長である吉田に電話を掛ける。帰宅部のはずだから、出れないことはないはずだ。


 数度のコールで、ダルそうな声がスピーカーから聞こえた。


「はい? 吉田だけど」


「俺だ、鷲崎だ」


 わかってるよ、とあまり歓迎されていない口調だった。


「お前、花田の件あれはどうやって調べたんだ?」


「だからあれは何も問題なかったって!」


 吉田は語気を荒くした。


「どうやって調べたかって聞いてんだよ」


 吉田の物言いに、総一郎の声も低くなる。


「あう……それは」


「電話でわざわざこれを聞く意味わかるよな? 一から話せ」


「花田に直接確認した……」


 先ほどの語気は失われ、弱々しい声だった。


「は? なんて?」


「お、お前……彼女とかいないよな?って、ならそんなわけないだろって」


「そんなことが確認になると思ってんのか? あん?」


「だってよ花田とかそんな話すわけでもないし、校則委員たって誰もお前みたいに真面目にしてないって!」


「てめえはそれで内申と成績を買ってんだろうがよ! 恩恵だけ受けといて、それが通るわけねえだろうが。これは篠崎に報告するからな」


 クラスから違反者が出た場合、校則委員会顧問に事の経緯を文面にまとめそれを提出しなければならない。今回のように、クラスの違反者が己ではなく他から発覚した場合、職務怠慢として、その委員長はペナルティを受ける場合がある。もちろん全てがそうなるわけではないが、今回のケースは十二分に当てはまるだろう。


「ちょっと待ってくれよ。それは」


「なら挽回しろ! てめえで失敗を取り戻せ」


「わ、わかったよ。どうすればいいんだ?」


 雪から聞いたことを伝える。その上でしっかりと本人に事実を認めさせ、その他校の女子生徒との交際を断るように説得しろ、そう伝える。


「それがしっかりできたら、降ろされることもないだろ」


「わ、わかった。さっそく明日、花田ともう一度話してみるよ」


 吉田も尻に火がつき、焦りはじめたようだった。


「どうなったか逐一教えろ」


 それでも頼りなさげな答えを聞いた後、電話を切る。


 数日前に花田と会った時のことを思い浮かべる。顔を合わせた時、あまり歓迎されていない感じだったのはこの事が原因だったのだ。おそらく花田には心当たりがあり、その件で校則委員の総一郎が訪ねてきたのだと勘ぐったのだろう。


 気付くチャンスはあった。相変わらず間抜けだ、と総一郎は自分を殴りたくなった。



 ■■■



 翌日、意外にもはやく吉田から電話が掛かってきた。


「どうだった?」


「それが、やっぱり俺じゃ聞き出せなくて」


 歯切れが悪い吉田の話では、花田に問い質すも答えは返ってこず、逆に証拠でもあるのかと凄まれてしまったらしい。


「あいつ、やたら迫力あるし。俺じゃちょっと」


 確かに花田は昔から柔道部という団体のなかで、集団を率いてきた人間だ。肝が座っているし、機転も利く。単純に人間として凄い奴なのだ。総一郎としては、吉田が聞き出せないのも無理ないと思えた。


「わかった。一応、ガキの頃からの知り合いだ、俺が話してみるわ」


「マジか! そのぉ――」


「わかってる。別に手柄を横取りするつもりじゃねえよ」


 ただ総一郎は気に喰わないのだ。


 恋を素晴らしいと思っている人間が、愛が尊いものだと思っている連中が、恋愛がいかに人間関係を壊し人を傷つけるか誰も見ようとしない。


 まだ心が脆い学生がする行為じゃない。それを総一郎は、思い知らされた。




 部活が終わり、陽が落ちた柔道場で花田はひとり目を閉じて佇んでいた。不安に揺れる鼓動を、なだめるように深呼吸をする。


 練習後のまだ熱が残る身体からは汗が吹き出て、厳つい顔には雫がつたっている。


 ゴツイくて汗まみれになっているその姿は、異性の目にはきっとよく映らないのだろう。こんなにも真剣に物事に取り組んだ証は、どんな姿よりも魅力的だというのに。


「よお、悪いな」


 音もなく柔道場へ入ってきた総一郎は、気軽そうに声をかけた。


「遅かったな」


 花田は静かに瞳を開き、入ってきた総一郎に視線を向けた。


 部活が終わったら少し時間をくれ。総一郎は簡単にそう伝えた。向こうもどんな用件なのかは百も承知だったのだろう。「わかった」とだけ短く、そう応じた。


 しかし花田にとっては気が重たい話になる。それなりに覚悟を決めて、話し合いに臨もうとしていた。そんな花田を尻目に、総一郎は上着を脱ぎネクタイを外して、靴下を脱ぎ始める。


「なにしてんだ?」


 意図がわからず花田は戸惑った。


「稽古つけてもらおうと思って。いつでもいいんだろ?」


「は? 今からか? なに考――」


 花田が喋っているのも構わず、総一郎はその巨体に掴みかかる。花田も長年の習慣からか、しっかりと組み合って総一郎を迎え撃った。


 勝負はあきれるほど早かった。何せ現役の頃でさえ敵わなかったのだ。一年以上ブランクがある総一郎がかなう道理はない。花田が動いたと思ったら、もう床に叩きつけられていた。


 一本っ! と心の中で叫んだ。


「ゴホッ、大外刈りかよ」


 こんな大技で決められるとは。


 総一郎は自分の技の衰えを自覚した以上に、花田が強くなったことを悟った。しかもこっちは道着も着ていないのだ。花田にとってはやりにくいことこの上ないはずだ。それでも簡単に投げ飛ばされた。


「じゃあ、もう一本頼むわ」


 咳き込む胸を押さえつけ、身を起こす。これでも六年間柔道をやってきた身だ。弱くとも、体力だけはそれなりにある。


「なあ、これなんの意味が――」


 また突っかかっていく。さっきみたいに投げられないように相手の出方も見る。しかしそれでも花田の体力に振り回され簡単にバランスを崩され、床に投げられる。


「はぁ、はぁ、中学の時は小股系苦手だったくせによ」


「ははは……高校に上がって死ぬほど練習した」


 息を切らしながら、互いにうっすら笑みを浮かべる。


 また立ち上がり、また投げられる。何度も何度もそれを繰り返す。次第に花田も疑問を持つことをやめ、その行為に没頭していく。


 互いの呼吸と、総一郎が床に投げられる音だけが響くようになる。


 そして一方的に投げられている総一郎に限界がやって来た。


 床に叩きつけられ、起き上がる時間が長くなる。起き上がってもフラフラして下半身が踏ん張れない。花田にとってはさらに投げやすくなっていた。


「はぁ、はぁ、はぁ……もう止めろ。いいかげん、限界だろう」


 苦しすぎて花田の問いかけに答えることができない。ただ首を振って態度で拒否する。


「そうかよっ!」


 花田の全身がしなり、今日一番の勢いで床に叩きつけられた。これで終わりだ、もう立てないだろうと。そして投げられた総一郎も限界を感じ、身体の力が抜けた。


 しかし、それでもまだ指は反応し、腕も足も動く、体も立ち上がれる。


「――ま、まだ……やんのかよ」


 花田も限界が近かった。


 ただでさえ厳しくて激しい部活の後に、ニ十本以上総一郎を投げ飛ばしているのだ。疲れないわけがなかった。


「は、は、へへへへははははっ」


 総一郎は笑った。それは気持ちの良い笑いではなく、あざけるような嗤いだった。


「なんだ? お前のほうが先にヘバっちまったのか? 案外情けないんだな」


 荒い呼吸でそう告げる。


「――なんだと」


「真面目に練習してないんじゃないのか?」


 身体が鉛のように重たいが、問題はない。むしろ疲労が限界をこえて、どうでもよくなってきたくらいだった。


「お前、昔より弱くなってるよ」


 花田にとってそれは許せない言葉だった。全てを懸けてきた柔道が弱くなっているなど、絶対に言わせておけるはずがなかった。


「てめえっ!」


 すぐに掴みかかって投げ飛ばし、そして黙らせてやる。しかし、花田の思い描いたとおりにはならない。おかしい、こんなに力を込めているのに。花田に焦りが生まれる。


「くそっ!」


 さらに力を込めるのが、長身である総一郎の体幹を崩すことができない。別に総一郎が強くなったわけではない。柔道は技だ。花田が熱くなって腕力に頼っている今、経験者である総一郎を投げ飛ばすことは絶対にできない。


「どうした? 女に気を取られているから弱くなるんだよ」


「お前に何がわかんだよ! 不細工に生まれてきて一生彼女なんてできるはずのねえ俺の気持ちなんてわかんねえだろ!」


 花田の本音が吐露される。


「ほとんど会ったこともねえ女の何が好きだってんだよ!」


「十分だろ! こんな俺のこと好きって言ってくれるだけでよ!」


 十分だった、こんな自分を肯定してくれるだけで。どれだけがんばっても女子が自分に好意を寄せることなどなかった。ただ喋るのがうまいナヨナヨした男子が、女子に人気だった。


 だったらそれでもいい。俺には柔道がある。しかしきっと心の奥はそうじゃなかったのだ。


「こんなこと、きっとこの先絶対にない! 俺を好きになる女子なんていないんだよ!」


 型もタイミングもバラバラだ。しかしそれでも腕力だけはもの凄い。しがみつくように総一郎は必死に堪える。


「うるせえっっ!」


 花田が無理矢理しかけてきた技を堪えきると同時に花田の重心が片足にかかる。攻めすぎた代償、千載一遇のチャンスがやってくる。


「しょうもないんだよ!」


 左足、それを払うだけで花田は床に叩きつけられる。しかし総一郎の伸ばした足は、寸前で空かされる。花田が伸ばした右手が総一郎の上半身をのけ反らせ、届くはずだった足は空を切った。


 ピンチの後はチャンス、そしてその逆もしかり。


 花田の全身は力が抜けた瞬間に染み付いた技を無意識に繰り出し、まるで手品のように総一郎は床に吸いこまれた。鮮やか過ぎる技は投げられ方でさえ軽やかに、床に優しく寝転がされたようだった。


 タンッ――、音が鳴った瞬間、総一郎の視界を天井のライトが焼いていた。


 限界を超えた心臓の鼓動は頭まで響き、全身に伝う汗と吐き出される呼吸が疲労の余韻を味あわせる。不思議と心地よかった。


「そ、そんだけ強くて、なにが不満なんだよ」


 天井のライトを見すえたまま総一郎はポツリと口にする。


「お前にはわかんねえよ」花田が答える。


「それはこっちのセリフだ」


 ガキの頃からずっと羨ましくてしょうがなかった。花田の才能と強さに憧れ、そして嫉妬していた。女にモテることよりもずっと価値のあるものをこの男は持っている。


「まだやるか?」


 投げかけられた言葉に、力を入れるが身体はシビれたように動かない。


「ダメだ。動けねえ」


「俺はまだまだいけるぞ」


「おみそれしましたよ」


 相変わらず強い人間だ。柔道だけじゃなく心も。ただ負けず嫌いなだけかもしれないが。勝負の世界では、それがなにより大事なとなのだ。


「告白受けるのか?」


「いい娘なんだ。ホレちまった」


「……そうか。見逃す気はねえからな」


 疲れ切った身体はややこしい考えを放棄し、もやもやした気持ちも不思議とどこかに飛んでいた。互いに始まる前と状況は変わっていないのに、胸だけは軽くなっていた。


「明後日の駅前に七時だ」


 なんのことかわからず総一郎は、花田を見上げる。


「その日に返事する話になっている」


「なんでそんなこと教えるんだよ」


「後であれこれ調べられるのは迷惑だ。そんなに気になるなら、一緒に来いよ」


「はあ? そんなこと相手に失礼だろ」


 総一郎の言葉に花田は大笑いする。


「交際は絶対許さないくせに、そんなところは律儀なんだな」


「それとこれとは別だろ」


 乱れた柔道着を正し、花田は背を向ける。


「まあ来たきゃこい。あ、戸締り頼むわ」


 花田は壁に掛かっている鍵を指差して、そのまま出ていく。総一郎はまだ乱れたままの呼吸で、天井を見上げるのだった。


 説得には失敗した。なら自分のすることは決まっている。花田自身もそれを覚悟しているのなら、容赦などする気はない。



 ■■■




 二日後の放課後。


「ほんとに一緒に行くのかよ」


「嫌ならいいぞ」


 総一郎と花田は肩を並べて、待ち合わせ場所へ向かっていた。


 花田の部活が終わるまで待っていたため、陽が沈み空には星が街には電気が煌めきだしている。待ち合わせの駅へ降りると海が一望でき、目の前にはちょっとした公園がある。その公園に設置されている街灯の下に女の子がひとり立っていた。


「あの娘だ」


 花田がそう言う。不思議だ、まだ遠くて顔も見えないのに彼女が可愛いことがわかった。しかし、それは総一郎にとっては都合が悪い。


「こんばんは」


 互いに顔が見える距離まで近づくと彼女はそう言って笑顔をみせた。


「すまない。待たせたみたいで」


「いえ、ぜんぜん大丈夫ですよ」


 花田と彼女は互いに照れくさそうに笑った。


「そちらは?」


 彼女が総一郎に視線をやる。


「ああ、同じ学校の鷲崎。小学校からの付き合いだ」


 総一郎はすごく居心地が悪い。彼女にとってはお呼びでない第三者なのだ。邪魔者以外何者でもない。しかし連れてきた張本人は堂々としており、悪びれた様子がないのが恨めしい。どうすんだよ花田、と心で叫ぶが当然伝わってなどいない。


「どうも」


 ペコリと頭を下げる。


「はあ……」


 不思議そうな視線を返される。それはそうだろう。


「悪いが、俺はアンタの邪魔をしに来たんだ」

 

 意を決して、総一郎は口を開いた。


「――えっ?」


 彼女は口元を両手で覆って驚いた。いちいち仕草がお嬢様っぽい。


「うちの学校のことは知ってるだろ? 俺は学校の校則委員だ。つまりはアンタ達が付き合ってもらっちゃ困るんだよ」


 互いの気持ちなんて知っちゃこっちゃない。総一郎にとって花田が退学するのは嫌だ。花田自身にとっても絶対によくないし、それに柔道部のことを考えてもそうだ。この二人の交際は、確実に花田を不幸にする。


 だから悪者である自分が、阻止しなければならない。


「アンタが花田と付き合ったら停学、それでも交際を止めなかったら退学になる。だから諦めてくれ、花田のことを思うんなら」


 なかなか最低に決まった。


「そ、そんな……わたしの気持ちはどうなるんですか?」


 彼女はうつむいて、街灯を反射させる荒いコンクリートの地面を見つめた。


「さあな。新しい恋でも見つけてくれ」


 総一郎からは彼女の表情は前髪に隠れて見えない。それでも怒りか悲しみに彼女が震えていることはわかった。


「わたしと花田さんがお付き合いすることはできないんですか?」


「ああ、校則で禁止されている」


 他の学校のように建前じゃない。うちの学園は、実際に退学者が何人も出ていることを説明する。


「そうですか……わたしはフラれることもできないんですね」


 やっと上げた顔には、涙で透きとおった瞳があった。


「せめて花田さんの口から、振って欲しかった……」


「早見咲さん」


 黙って聞いていた花田が口を開く。


「はい……」


「俺はあなたが好きですっ!」


 ――は? 思わず花田の顔を二度見する総一郎。


「はいっ!」


 うって変わって彼女の顔には華が咲いた。


「このあいだ手紙を貰ってから初めてあなたのことを知りました。だけど、俺のことを好きって言ってくれたあなたが、手紙に書いてくれたみたいに俺のことを見ていてくれたあなたが、好きになりました」


 花田の顔は茹でたように赤く、彼女の顔は花が染まったかのように可憐で、お互いに見つめ合う。


「はいっ! わたしも花田さんが好きです!」


 あまりの想定外に総一郎は二人に手を伸ばすが、その右手は空を切る。


「おいおいお前ら……」


「だから卒業まで待ってもらえないかっ! それまではしっかりと柔道に向き合いたいっ!」


「はいっ! わかりましたっ!」


 彼女の言葉を聞いて花田は破顔する。そして二人はたたえ合うかのように握手を交わした。これで文句ないだろう、そう花田は目で語っていた。


「えぇ……」総一郎の口から、引いた声が漏れる。


 そういえばこいつのあまり仲良くなかったのは、ガキの頃、こういう熱いノリがあまり好きじゃなかったからだと思いだした。


 人間、どうやらそんなに簡単に変わるものではないらしい。



 ■■■

 


 後日、教室で寝ていると自分の立場を心配したC組の吉田が総一郎の元を尋ねてきた。


「なあ? 本当に花田はその他校の女と付き合ってないのか?」


 ラジオを聞いていて聞こえず、イヤホンを片方外す。


「なんだって聞こえなかった」


「いやだから花田は結局、お断りしたのか気になってさ」


「いや断ってはいない」


「は? まずいじゃねえかよ。付き合いだしたってのか?」


「それも違う」


 怪訝そうな顔する吉田を尻目に、あの日のことを思い出す。


 二人は付き合うことを保留にし、卒業後晴れて恋人同士になるのだそうだ。花田の提案に彼女も納得し快諾した。嘘はつかない男だ。ああ言ったからには、それを突きとおすだろうし、また総一郎が抜き打ちでチェックしにくる人間だということも互いにわかっている。


 これも信頼と呼べるものなのかもしれない。


 校則委員としては一杯食わされた気分だが、花田の昔なじみとしては彼女のことをわかっている同志にさえ思えて、悪い気分じゃなかった。


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