第2話
男は部屋を物色し、自分の昔の恋人が香港旅行に行っていることを知る。紙ごみのところに旅行会社のパンフレットがあり、彼女のPCのメールボックスには航空チケットを手配した形跡が残されていたのだ。
―あの女は俺に黙って……
それでこの数日電話をかけても応答しないのか。そう悟ると、彼がここに来た目的は彼女を殺害することであったが、どうやら達成できそうにない。日本にすらいない。しかしここまで決心してやってきたのだ一つくらい報いたい、せめてこの部屋に来たのだから、とベッドに腰かける。通常、このような場合は何をするのかと彼は思案した。
自慰行為などしようものならなおさら惨めになる。
ここに来る前に衝動に任せて購入したテディベアが床に落ちていることに気が付いた。きっと鞄を放り投げたときにこぼれたのだろうと勘違いしたが、ふと、彼に妙案が浮かぶ。
一週間後、香港から戻ってきた木更未唯はテーブルの上に鎮座する、妙なテディベアを発見した。そしてテディベアの脇に、メッセージカード、いつでも会いに行くとあった。あの男の筆跡であった。
女はテディベアとメッセージカードをゴミ袋にいれ、燃えるゴミの日ではないもののゴミの回収場所に持って行った。
―ふざけんじゃないよ……
テディベアに追い打ちをかけるように、篠つく雨が降りそそぐ。
―
「おかえり、今回もずいぶん汚れたね」
「あんの野郎ども、今度会ったら絶対殺す」
テディベアは「隆三、お風呂」と注文をつけるので、いそいで洗面器を風呂場からもってきてポットのお湯をいれた。そして水でぬるめようとする前にテディベアは湯に飛び込んだ。ボサボサになった長毛を湯に通して汚れを落としながら行水する烏よりも水しぶきを上げるものだから、熱湯が顔にかかる。
「あいつら、アタイをこけにしやがって。こんな可愛いぬいぐるみを捨てるか、ふつう」
「どうしたの?」
「聞いてくれよ、アタイ、ゴミ捨て場にほかされちゃって飯も食えないまま雨の中でブルブル震えてたんだよぉ」
「あぁ、まぁ見るからに外の汚れだねぇ」
成功すれば肉体や臓物やらを貪り食って帰ってくるので、今回は失敗に終わったようだ。
「そんなに殺人なんておきないんだよ」
「うるさい、とにかくあれが一番おいしいんだから」
「今回は諦めなよ、ね?」
「ぐぬぬぬ……もういい。また別のやつにする」
「いいの?」
「いい、どうせあの男に女は殺せないさ。元恋人らしいし、情があるんじゃないの? 今回はお肉、諦めることにするよ」
「そうかな、あと一歩だとおもうんだけれど」
テディベアの要望があり、柔軟剤も使って洗浄した。
翌日、あの男が店に訪れたので、俺は少し驚いた。驚きつつも、どこかそれが当たり前なのかもしれないと感じた。
「また来てくださったんですね、ありがとうございます」
「えぇ、まぁ」
いつものように男は顎を突き出すだけの会釈をしてから店内を物色し始める。
「あの、テディベアってありませんか」
「ありますけれど、以前もご購入されましたよね」
「ええ、まあ」
「よほどテディベアがお好きなんですね。男性なのに大変よい趣味をお持ちですよ」
「……ありがとうございます」
どうしたものかと思案した。そしてふと妙案がひらめいた。
「実は、この前のテディベアと似た商品はあるんですよ。在庫処分が送られてきたものなので」
「……そうなんですか」
男の眼の色が変わるのを、俺は見逃さなかった。
そもそも、どうしてテディベアがほしいのにデパートなどに行かずこんなリサイクルショップに来たかと言えば。
俺はバックでテレビを見てくつろいでいるテディベアの、嫌だと言いたげに首を振る意思表示を無視して、カウンターにおいた。
「こちらなんですよ」
「ええ、構いません」
テディベアは女に捨てられたと言っていた。この男は、再びその女を脅そうとしているに違いない。おそらくこの店に来たのも、もしかしたらその女がここに売却しにきた可能性を考えてのことだろう。
男は、気前よく金を払ってテディベアを購入して帰った。
「あぁ、お客さん、これサービスです」
「……ありがとうございます」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます