第1話
「お前も、もっと肉を食え肉を」
テディベアが自分よりも細身であちらこちらが傷んでいるパッチワークのテディベアをゆすっているから取り上げると、膝関節を何度も蹴るのだった。
「売り物なんだから、汚れたら困るんだよ」
「客なんか来ないくせに」
「お前が外でいらっしゃいませぇとか言ってくれたらすぐ話題になるさ。さぁやれ、いますぐ」
「アタイはねぇ、見世物じゃないんだよ」
飛び上がって俺のほほをぶった。毛並みが長くて柔らかい。洗濯・乾燥が終わった後なので、軽い肌触りだ。
「それにしても、そいつ、ヒョロヒョロじゃないか。ちゃんとご飯を食べてないからそんなことになるんだ。今度、アタイと一緒にどうだ……聞いてるのか?」
「ふつうはしゃべらないんだよ」
「そういうもんか……たまにはいるんじゃないか」
「いないよ。少なくとも俺は君がはじめてだよ」
「……」
突然、テディベアが黙り込んだ。こういうときは大抵、面倒なことになる前触れである。
テディベアはそろそろ来そうだと隅の一角に腰かけて動かなくなった。
これがあてにならないのは、すぐに来ることもあるが、1時間経っても来ないことがある。こうなるとこのテディベアは、客が来るまで微動だにしない。
店内の清掃でもしようかと、フローリングを掃除シートで拭っていると扉が開いた。
「いらっしゃいませ」
その男は、半ば常連の客であった。小生意気なテディベアがウチにいつくようになる前から利用してもらっている。
「いつもありがとうございます」
男は首を鳩のように動かして会釈すると棚を物色しはじめる。
やはりこの男もあらゆるものを無視してテディベアを拾い上げた。
「……こいつ」
「どうしましたか、お客様」
「……いえ、その、これをください」
「かまいませんよ」
男は俺のいうままに金を払って出ていった。
―
男は乱雑にテディベアを鞄に詰め込むと、全身をムカデが更新しているようなむずがゆさに襲われ矢も楯もたまらず小走りになる。むず痒さは薄らいだがそれでも男は我慢できぬと、あまりにも恋愛期間の短かった女のもとにむかった。しかし、部屋には鍵がかかっており盗んでいた合鍵で侵入するもしばらくの間、誰も立ち入った様子がないのだ。洗濯物がなく冷蔵庫すら空っぽであった。なにより決定的だったのが、女が常用していた香水の匂いがしなかった。
彼がまだ彼女のもとに入り浸れたころ、彼女にプレゼントをした香水であるわけだが、いつも会うたびに使ってくれていた、それも大変に気に入っていると。それほど好きな香りであるならと、自分はトイレを使用した後などに臭いをかき消す為に使っていたので覚えている。
狭いワンルーム、見渡すのはたやすいので、隅から隅まで調べてみるかと、男は玄関に鞄を捨てた。
鞄の底にしまわれていたテディベアは、書類や書籍などをかきわけて這い出すとバランスを崩して零れ落ちた。
したたかにぶつけた箇所の毛並みが乱れたが、このテディベアはそんなことで声を荒げるような真似はしない。そもそも痛覚などない。
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