13

 綺麗な男だ、と思う感情は今でも変わらない。

 その美貌は中性的、長い睫毛と白い肌。切れ長の瞳は灰色、薄い唇と高い鼻。小さい輪郭に収まった顔を持つ彼の背は高く、その背の半分程にまで伸びた銀糸のような髪。着ている神父服は禁欲的な彼を象徴しているようで、エルフともまた違う幻想的な立ち姿に、アルギンが再び息を飲んだ。

 立っているだけで絵になる男は確かにいる。しかし、アルギンにとって、胸をときめかせる事の出来る男はこの『月』隊長しかいない。

 見惚れる。まるで地上に降りてきた月のような美しさだと、アルギンはこの男を見る度に思っている。


「要件を言え」


 無言で時間を費やすアルギンに、彼の声が投げかけられた。しまった、とぎくりと体を震わせて、居心地悪く咳払いをする。

 彼はアルギンよりも先に副隊長になった。そして、アルギンが副隊長になってから彼は隊長になった。自分より先を行く彼は、誰かを顧みることを滅多にしない。それは多分、隊長としてのアルギンに対しても。


「……その」


 彼が訝しんでいる。表情は変わらないがそれだけは分かる。伊達に長い事片恋していない。

 何を言えばいい。何の話題なら、彼がもう少し側にいてくれる。必死に次ぐ言葉を探していると、当たり障りのない話題が浮かんでくる。


「……アタシが隊長に推してくれたの、誰なんだろうって思って」


 それは今までそこまで気に留めていなかったものだ。正確には、他に考えることがありすぎて二の次にしていたもの。

 アルギンの口から放たれたそれを聞いて、彼の柳眉が僅かに動いた。


「知ってどうする」

「な、何もしないけど。でも、ほら、……アタシは、貴方が言ったみたいに、確かに短絡的で、考え無しの馬鹿で、隊長にするには不安しかなかっただろうけど。アタシだって、それは分かってる」


 まるで子供がその日一日の行動を報告するときのような辿々しさで、けれど彼は黙って聞いていた。自分に興味がない話ならすぐに切り上げてどこかに行くような男だというのに。


「でも。……アタシがここにいてもいいって、……まだ、アタシは皆の前に立ってていいって、そういってもらえた気がして、嬉しかったんだ」

「……」

「なんか、ごめん。そんで、ありがと。アタシがここにいられるって事は、アタシを推してくれた奴の意見に納得してくれた……って、事だよね」


 その時、彼の瞳が僅かにいつもより見開かれた、気がした。いつも結ばれている唇がほんの少し開く。

 珍しい顔だった。こんな世間話程度の話で、彼のこの顔は見たことがない。いつも全くと言っていいほど表情を変えない男なのに。それが例え、戦場で傷を負ったとしても。


「……言うまいと思っていたが」


 彼が話を切り出すのも珍しかった。いつも聞き専に徹する男だというのに。彼は少しだけ視線を逡巡させ、それから腕を組んで口を開く。


「三隊長のうち、二人が隊長就任を反対した」

「………えええ!!?」

「汝は不適格、と判断された筈だった。処遇はそれから話し合うとしても、副隊長残留も危うかったかも知れぬ。……一人だけ、汝を隊長にと強く要請しなければ」

「アタシ、そんなに危なかったの?」

「自覚はあるのだろ」

「……ハイ」


 薄々気付いてはいたが、まさかそこまでの話になっているなんて思わなかった。

 アルギンだって自分で分かっている。同じことを誰かがしたなら、その時はアルギンも声を荒げて隊長就任を反対しただろう。

 どっちだ、と、真っ先に思った。カリオンとサジナイルの顔が交互に浮かぶ。


「……もしかして、サジナイル?」

「………」

「アタシを推したのと、隊長辞めるのと関係ある?」

「それを我が口にすることは出来ぬ」


 三隊長の会議の内容なんて、次期隊長になるアルギンにも話せない。それが分かっているから、アルギンは唇を引き結んだ。本当にサジナイルが隊長にと推してくれたのなら、残る二人は同僚になる。……隊長就任を反対した者だ。

 背筋に寒気が走った。

 本当に、これから後ろ盾のない状況で隊長職に就かなければならない。支えてくれたネリッタはもういない。目の前の男の冷たい視線に、心臓を掴まれた気分だった。


「そう、だよね」

「……。して、アルギン」

「……え、な、なに?」

「何故、サジナイルが汝を推したと思った?」

「え、それはだって、……アタシに負い目があるから」


 サジナイルはネリッタの死に責任を感じている。年齢に似つかわしくないその激情が覆い隠されるほどに。塞いだアルギンを見て辛いのは、サジナイルも一緒だったのだろう。

 彼はアルギンに向けていた視線を逸らし、窓の外に顔を向けた。外は街の灯りさえ消えている。

 視線が逸れたことに、もう彼は話を切りたがっているのだろう。アルギンはそう受け取った。


「でも、アタシはもうそんな負い目とか、そんなんが欲しい訳じゃなくて。……これからアタシは隊長になる。だから、泣き言だとか自信ないとか言ってらんなくて」


 だから、伝えたいことを捲し立てる。

 彼が帰ろうとしないうちに。


「そのうち、アタシは貴方が認めてくれるようになるまで努力する。頑張る。貴方は勿論、隊長の誰と並んでも恥ずかしくないようになりたい。……違う、なってみせるから」

「―――」

「それまで見てて、なんて言わないけど。いつかアタシが貴方の目から見て、満足行く『隊長』になれたら、その時は……認めてね」


 拙いかもしれないけれど、それは精一杯の決意だった。彼の視線はアルギンに戻る。向けられた視線は穏やかなものだった。


「……そうか」


 それは了承とも惰性とも取れない相槌。少なくとも耳には届いたらしくて、アルギンとしてはそれで満足だ。言いたい事を言いきったアルギンの顔は真っ赤だった。それは自分で気付けるものではなかったけれど。

 これで、もう話すことがなくなってしまった。無言でも、彼のいる空間が好きだったアルギンとしては名残惜しいがこれでお開きにしないといけない。


「……アタシ、もう戻るよ。遅い時間だし、そっちも忙しいだろうし」

「ああ」

「お疲れさま。……話、聞いてくれてありがとう。おやすみ」

「………ああ」


 そうして扉はアルギンの姿を飲み込み、閉まる。一人残った『月』隊長は、部屋の蝋燭の灯を一つずつ落としていった。

 ひとつ消えるごとに暗くなる室内。全部消える頃には、外からの月の光のみ彼を照らす。


 ―――おいおい本気かよ。お前が言ったんだろ、アイツを隊長だと認める奴は気楽者だって


 ―――そうだね、私も今のあの人には不安しかない。……確かに私たちの責かも知れないが、それでも


 銀色の光のみが届く暗い室内で、彼の耳に、カリオンとサジナイルの声が蘇る。


 ―――今はまだ見送ってもいいんじゃねぇか。陛下に何言われても、何とかして副隊長にはいさせてやるからよ


 ―――例え副隊長の座から下ろされたとしても、彼女の能力は確かなものだ。今焦らなくても、傷の癒えたいつかに、また


 思い出しながら、彼が俯いた。

 アルギンを隊長に推したのは、彼だった。


 ―――では、我も隊長の座を退くか


 その言葉に固まった二人の姿は滑稽だった。


 ―――これまでのあの者の功績を忘れたものはいまいな。ネリッタ亡き今、誰があの者を使える


 言った言葉に嘘はなかった。けれど、自分でも理解できない感情が働いたのも事実だった。

 例えば、アルギンが副隊長でなくなったとして。その後あの者はどうするのか。

 例えば、アルギンが副隊長として残ったとして。誰かの命令を素直に聞けるのか。

 そうなった彼女の振る舞いは、今と変わらずにそのままだろうか?


 ―――団結させる能力は突出している。アルギンが隊長にならず、他の者がその座に就いた時。新隊長の就任で混乱した配下は誰の言葉を聞く


 粗暴な野薔薇が大輪の薔薇になったのは、ネリッタがいてこそで。

 その大輪の薔薇が力の使いどころを覚えた今、摘まれて地に落とされてもきっとその場所で輝くことは出来る。……その輝きを、摘まれた彼女が正しく使うと誰が言い切れる。


 ―――内輪揉めに巻き込まれるのは御免被る。その未来が見えているからこそ、我はその時にはこの席を後任に譲ろう


 彼としては隊長職に何の未練もない。多少恩のある先代隊長から与っただけの椅子だ、適任がいるなら譲っても構わないと思っている。そこで他隊のいざこざに巻き込まれるくらいなら、捨てた方がましかも知れない。

 二人が顔を見合わせ沈黙する。『月』の退任は更なる混乱を招くことくらい容易に想像できるからだ。そして同時に、この男が退任を言い出す程危機感を覚えているとは思わなかったのだ。


 ―――さて、どうする。選べ


 有無を言わさないその言葉に、二人が沈黙したまま俯いた。隊長就任から一番日が浅い筈の『月』隊長が出す圧は、二人を飲み込んで黙らせる。

 結局二人は、利益と不利益を天秤にかけるしかなくなる。それで重きに傾いたのは、アルギン隊長就任の方だった。


「認めて、か」


 月明かりを見上げる『月』。

 その表情は穏やかだった。

 『既に』と伝えていたら、彼女はどんな表情を見せただろうか。


 退室する『月』隊長。

 誰もいない室内を、月はまだ照らし続けている。


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