12

「―――あ?」


 それはソルビットを懲罰房から引っ張り出してきたその日の夜。

 アルギンが他の隊長と副隊長を集めて会議室に押し込んだ時の事。

 会議用の机は大きな正四角形で、それぞれに着席する場所が決まっている。会議室に一番最後に入ってきたのはアルギンとソルビットだった。

 サジナイルの隣で、『風』副隊長だったエンダはソルビットの登場に目を丸くしていた。今のところ役職持ちではない者だ、お前無関係だろ―――言いかけて、止まった。

 そんな部下が、アルギンの隣の席に座ったのを見てしまったからだ。まるで、そうするのが当たり前だとでも言うように。


「ソルビット、お前」


 エンダは動揺しきりだが、隣のサジナイルに焦った様子は見られなくて、それで察してしまう。エンダの顔から血の気が引いた。

 ソルビットは初めて一員として加わる会議にも関わらず、臆することなく背筋を伸ばして座っていた。……顔は決して『風』の方には向けないが。


「急な招集にも関わらず、応えてくれて有難く思います」


 この場に必要な人員が揃ったのを見て、アルギンが切り出した。決して暇ではない筈なのに、全員が着席しているのは滅多にないことだ。

 ここにいる全員の視線を受けるのは、もう慣れた。けれどこれから口にする内容は、中々に話すことを躊躇われる。喉が渇く。吸う息が震える。変な汗が出る。そんな不安を押し殺し、笑みを湛えた唇で、胸に手を当てこの場の全員に頭を下げた。


「アタシ、アルギン・S=エステルの隊長就任にあたり、推挙してくださった方がいらっしゃると聞いています。まずはこの場を借りて、御礼を申し上げます」


 どうせ、この場に居る連中にはこんな強がりは筒抜けなのだ。笑みを浮かべているだけでも必死な心中を見破られたくなくて、頭を更に深く下げる。白々しい、とでも言いたそうに鼻で笑う音がサジナイルの方から聞こえてきた。

 うるせぇ畜生、と叫びたくなるのを抑えて顔を上げる。改めて受ける全員の視線が、痛かった。


「……早く執務にも慣れて、胸を張って他隊の隊長様と肩を並べられる日が来るよう尽力いたしますので……どうか皆様、お手柔らかにお願いします」


 必死の強がりの笑顔。お行儀のいい言葉選びも飽きてきた頃だった。

 白けたようなサジナイルが、無断で煙草を出して火を付けた。視線の半分がそちらに向く。


「そんな平たい胸張っても何も代り映えしねぇだろうがよ」

「は」

「んな猿芝居されたってそそらねぇんだよ、肩並べる前に色気身に着けてこい」


 紫煙と同時に吐き出される失礼を通り越して侮辱的な言葉にアルギンが顔を真っ赤に染める。それを聞かれたくない人が、この場にいるのに。そんな彼の視線は、自分に向いている……気がする。


「サジナイル!? お前さんアタシの事本当なんだと思ってんだよ!!?」

「へーへー隊長職与った瞬間から俺の事呼び捨てな。まぁお前の無礼なんざ今に始まった事じゃないが」

「どっちが無礼なんだよお前さんはぁあ!!?」


 二人が言い争う別の方向から、机を蹴る音がした。アルギンが反射的にそちらに視線を寄越すと、『月』の隊長と副隊長が不機嫌そうな顔を隠さず座っている。

 音は、隊長の方から聞こえた。彼の長い脚が、机の天板を蹴り上げたのだ。


「そのような愚にもつかない話を聞かせるために招集したわけではあるまい」


 不機嫌を隠さない態度と、その隣で目を閉じて頷いている副隊長。野次を吹っかけてきたのはサジナイルなのに、アルギンが怒られているような感覚。―――何が悲しくて想い人から強めの注意を受けなければならない。苛立ちが募ってサジナイルを睨むが、既に彼の視線はアルギンには無い。

 気を取り直す。お行儀のいい振りも、もう止めた。そもそもこの場に居る全員は、素のアルギンをも知っている。


「……んじゃ、まぁ、続けて報告するぞ。副隊長指名しろって話だったから、遠慮なくさせて貰った」


 掌で、隣に座るソルビットを指す。それに驚く顔を見せるものは今更いなかった。指されて立ち上がったソルビットは、やや緊張した面持ちで。


「『風』所属のソルビットと申します。隊を越えての就任は前代未聞とお聞きしましたが、私が前例になる事が出来ればいいと思っております。若輩ではありますが、ご指導いただければ有難いです」


 無難でそつのない挨拶を述べ終わると同時、一人から挙手があった。それは『風』副隊長エンダの手。

 来るとは思っていたらしいソルビットが身構える。


「……俺は報告受けてないんだが、どういうことだ?」

「あれぇ、おっかしーなぁ? 隣にいるサジナイルは知ってるぜ」


 まだこの面々に不慣れであろうソルビットに答弁をさせるつもりはなかったアルギンが口を挟む。エンダは恨めし気にサジナイルに視線を向けたが、彼は彼でどこ吹く風の表情のまま煙草を吸っている。

 この表情を見るに、確かにエンダがソルビットを『風』で重宝しようという意思はあったのだろう。でもそれがどこか、安心したように見えたのは何故なのだろう?

 アルギンが二人を眺めながら、ソルビットを座らせる。


「と、言う訳だから。今後ともアタシら『花』をどうぞよろしく」

「宜しくお願いいたします」


 これ以上エンダが言葉を重ねる前に、早々に切り上げた。エンダも何かを言いたそうな顔をしていたものの、それ以上文句を口にしない。

 次に手を挙げたのはサジナイルだった。誰かから指名される前に、煙草を消して立ち上がる。


「折角顔が揃ってんだ、ちょっとばかり時間貰うぜ」


 未だ部屋の中に漂う紫煙の香りは、その味はさておきアルギンの好みのものだった。サジナイルという人物がいる場所にはよくこの香りが付随する。兄の経営する酒場に漂う安っぽいそれでなく、重厚で香辛料のような香り。


「ここにいる奴らの大半には言ってあるが、俺は隊長職を辞することになった。同時に全ての位を返上する」


 その報告に反応したのはエンダ以外の各隊の副隊長。特にソルビットの表情は緊張とはまた違う、驚きを隠せないようなもの。カリオンの表情に至っては、痛ましい。


「後任はエンダだ。俺と違って円滑に物事進められる奴だからな、分かっているとは思うが虐めてやるなよ。色々手続きが残ってるが、それが終わり次第……とは思っている。まぁもうあまり長くはないが、よろしくな」


 サジナイルの言葉には誰も何も茶々を入れない。静かな空間で、最初に笑ったのもサジナイルだった。


「おいおい、誰か何か言えよ。調子狂うだろ……」


 自分から誰かの茶々を望んだが、それに応えるものはいない。彼らしくなく沈んだ表情を見せて、それからは黙ったまま着席する。責任、とは誰も考えてなかったのだろうが、これがサジナイルのけじめだった。

 沈黙したのを誰もが重苦しく受け止めている。その沈黙は、耐えかねたサジナイルが会議室を出ていくまで破られることはなかった。


「……他に、発言したい方はいらっしゃいますか」


 『鳥』副隊長であるベルベグが、重苦しい空気に声をあげた。沈黙し続ける面々を見渡してから、最初に席を立つ。


「申し訳ありません、私達は先に下がらせていただきます」

「まだ、仕事を残してきてしまったからね」

「……お疲れ」


 ベルベグとカリオンが同じように部屋を後にしようと、他の面々より先に下がっていく。


「ありがとよ、来てくれて」


 そんな二人に、アルギンが礼を言う。二人は軽く笑みを浮かべて、扉の向こうに消えていった。

 次に立ったのは次期『風』隊長のエンダだ。去り際にアルギンに手を軽く上げて見せて、ひらりと振っていく。

 室内の人数が半数になってから、アルギンが視線をちらりと『月』の方に向ける。隊長と副隊長の二人は、執務に戻る為に漸く動き出した所だった。

 アルギンが、『月』隊長に向けていた視線にソルビットが気付いた。何かを察した彼女は、フュンフに近寄る。


「兄貴、ちょっと」

「ソル?」

「話があるんだけどいい? ちょっとここじゃ話せないからさ」

「……申し訳ありません、隊長。少々席を外します」

「構わぬ」


 ソルビットが『月』隊長に向かって頭を下げる。そして、『月』の二人から見えない位置で、アルギンに向かって片目を閉じた。

 それだけで察してしまう。相手は『風』の『宝石』だ。アルギンの心の内なんて、もうとっくに知られていてもおかしくない。


「っ、そ、ソルビット、待て!!」


 名を叫んでも、扉はアルギンの目の前で閉じられてしまう。後に残されるのは、『花』と『月』の隊長だけで。

 アルギンが恐る恐る振り返った。特に表情が変わる事のない彼は、アルギンの視線に気づいて視線を向けてきた。想いを寄せる相手の瞳を見返すことになって、頬に熱が集まる。


「……どうした?」


 どうした、なんてそんな一言にも体が震えそうになる。声も、存在も、アルギンには弱点そのものだった。

 既に何年片想いしているか。肩を流れる銀糸も、冷えた視線も、涼やかなテノールも。すべてがアルギンの心を搔き乱す。その視線を身に受けるだけで、視線がどこかを彷徨ってしまう。


「なんでも、っ」


 ―――ない。そんな事で、自分の心をもうはぐらかしたくはなかった。


「……あの、さ」


 不器用でも、何か、伝えられるだろうか。

 アルギンは意を決して、彼の瞳を見返した。


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