11
「なんでだろうな。アタシ、副隊長考えろって言われてお前さんの顔が浮かんだんだ」
「っ、あ、……あ」
「お前さんがな、ネリッタ隊長と何か悶着あったってのは聞いてたんだよ。あの人が誰かの事を悪く言うなんて、カザラフ様だけかと思ってたけど……どうやらそれなりの事やったらしいな?」
ソルビットの瞳から涙が零れ落ちる。その雫が流れ出すのと同じくして、その顔は下に向いた。手は握り返されなくて、アルギンがその手の甲を親指で撫でてやる。
「……前。……以前、適性試験とかって……『誰でもいいからバレずに騎士の情報を調べてこい』って、言われて」
「うわぁ」
「あたし、どうしても……上の役職に就きたくて。隊長格相手だったら合格になるかな、って思って、ちょっと本気出したら……なんか、嫌われてしまって」
「……本気って、どのくらい……」
「………、その」
「止めてやれ、それ以上聞くな。ネリッタが浮かばれんぞ」
アルギンの後ろでサジナイルが声を出した。どうやらソルビットが調査した話の内容を知っているらしい。適性試験を出したのはこの人物なのだろう。
ソルビットもその声で、サジナイルの存在に気付いたらしい。再度顔を青くしていた。今までの話を聞かれていることに気付いたらしい。アルギンが勧誘してきたことも。
気づけば香る、紫煙。
「さじないる、さま」
「随分汚れたもんだ。『灰被り姫』なんて童話があったっけなぁ、どこの話だったか。尤も、今のお前は『埃被り姫』だが」
紫煙は懲罰房の中に入ってくる。それから、ソルビットからも見える位置にサジナイルが位置づいた。その姿を見るだけで、『宝石』の身が固く強張る。アルギンにとっては歳の離れた口喧嘩相手のような気がするサジナイルだが、曲がりなりにも『風』隊長だ。確かに、部下と接する姿は威厳と自信に満ちている。
そんなソルビットが頼りなげで、心細そうで、アルギンがその隣に座り込む。背中経由で肩に手を回して、寄り添うように抱きしめた。
「お前、馬鹿な事したよなぁ? 『宝石』って言われて仕事してるうちは良かったけど、そのお綺麗な顔に傷付けたらさぁ……仕事になんねぇだろ? お前何年諜報部隊にいる訳」
「……も、申し訳あり……ません……」
「それで、余所様のお偉いさん食い散らかして満足したら、次はアルギン? お前の上昇志向と先見の明にはつくづく感心させられる」
「おいサジナイル様、その言い方は」
口を挟もうとしたアルギンに、サジナイルの冷たい視線が刺さる。それはアルギンとしても一度もまともに正面からは見たことのない、『隊長』としての顔だった。
「『花』隊長アルギン、少し黙っててもらおうか」
「な……」
「この話は『風』の問題が先だ。まさか今までの成果も恩義も全部捨てて、『花』として勤める覚悟があるのかを問うている」
煙草が短くなる。吸うたびに、否、吸わずとも音を立てて燃えていくそれは、まるで時間制限があるとでも言いたいような脅しのように見える。
ソルビットは震えていた。同隊の隊長としての発言力が垣間見えて、アルギンが今更ながらこの人物が隊長だったことを認識する。……ただ、本人の言が本当ならば、この人物はもうじき隊長でなくなるはずなのだが。
「……あたし、は」
「別に、副隊長の座が目的だったら『風』でも良いだろ。エンダにはそのつもりがあるようだがなぁ? わざわざ『風』の奴らを敵に回さんでも、今のままの勤務態度だったら何の障害もなく副隊長にはなれるだろ」
「……敵、だなんて。あたしは、そんな」
「お前が『花』に行くのなら、まぁ、『風』と『花』で問題になるわな。これまで同じ隊の奴から決めるのが通例だ、隊長死にました他所から隊員引き抜いて副隊長にしました、なんてコイツのやる事前代未聞すぎて皆混乱するぞ? この女見てみろ、仕官してから今の今まで問題事ばかり起こしやがって。そんなコイツの下についてみろ、お前絶対後悔する」
サジナイルの言葉がいちいち的確で、アルギンの眉間に隠しようのない皺が寄る。
後悔、の言葉には少しばかり心が痛んだ。……ネリッタは、一回でも後悔したことがあるのだろうか。理想とされる副隊長ではなかったかもしれない。けれど、アルギンはネリッタの側にいて一度だって後悔したことがない。いや、その言葉も今では嘘になった。アルギンは自分の力不足で、彼を死なせたと思っているからだ。
「悪い事は言わない、この話は蹴ってしまえ。こんな奴に浪費されたんじゃ、お前そう長生き出来ねぇぞ」
サジナイルがその場で煙草を捨てて踏み躙る。煙を出さなくなったそれを放置で、彼は長い腕を組んだ。
アルギンがその姿を見ていると、顎の動きだけで手番を指示される。次、話すのはお前だ、と、その瞳が言っていた。
そうかい、ありがとよ。口には出さずに舌打ちで応えた。これだけ言われたソルビットは、下を向いたまま動こうとしない。
「……なぁ、ソルビット」
アルギンの声は、努めて優しく。
「そうだよな。サジナイル様の言う通りかも知れん。エンダは確かにお前さん買ってるし、一回こっちの副隊長の席取ったら、合わないからって『風』に戻ることも出来ないし。アタシって、ほら、不愉快な言われようだけど、確かに問題事起こしまくってるしな。それに関しては反論できないけどさ。……でも」
ソルビットの瞳が、アルギンを見た。
「隊長になるってなって、副隊長選べって言われて、ずっとお前さんの顔が浮かんでるのは本当」
「……アルギン、さま」
「ごめんな、お前さんの言葉に、勝手に嬉しくなった。お前さんなら……ソルビットなら、アタシを支えてくれるかもって思った。そうなったらいいな、って、今でも思ってる。ソルビットの言葉に、滅茶苦茶甘えてるアタシがいるんだ。そんなアタシの下に付くなんて、不安だろうし嫌かも知れないけどさ」
絡む視線は、アルギンにとっても気恥ずかしいもので。それが『宝石』と言われる美貌の主なら尚更に。照れたように笑いながら、肩に回していた手を外した。細い肩だとは思っていたが、女性特有の柔らかさもある。この体全てがソルビットの武器なのだ、軽々しく触れていてはいけない気がして。
「でも多分、アタシの側にいたら毎日楽しいよ」
ソルビットが目を見開いた。この言葉をどう受け止められたのだろう。それを聞くのは流石に無粋で、アルギンが立ち上がる。
「どうしても嫌ってんなら無理は言わないから。ちょっとくらい頭ん中で考えてくれたら―――」
ソルビットには拒否できるよう猶予を与えたつもりだった。しかし、次の瞬間にはソルビットはアルギンの胸の中に飛び込んでいた。
よろめくアルギン。その胸に顔を埋めて泣き出すソルビット。
「やり、ますっ!! あたし、アルギン様の所に行きますっ!!!」
「―――」
「行かせてください! 側に居させて!! あたし、貴女の事支えますからっ!!」
「ソル、ビット」
二人のやり取りを見ていた男二人が、音を立てずに懲罰房を後にする。
歩きながら再び煙草を手にしたサジナイルが、フュンフの冷たい視線を受けてそれをどうするか躊躇った。
「少し吸いすぎではありませんかな」
「あーうっせー。どいつもこいつもピーチクパーチク」
「あれで良かったのですか。不肖の妹ながら、『風』のお役には人一倍立っていた筈ですが」
「……お前、妹が体売ることで成り立つ外交ってどう思ってるよ」
「有り体に言えば、最悪です」
フュンフの視線もお構いなしで、煙草を咥えて火を点す。フュンフの鼻先に紫煙が流れると、それを嫌そうな顔をして振り払っていた。
歯に衣着せぬ言い方をしたフュンフを鼻で笑うサジナイル。笑う相手はフュンフではなくて、自分だけれど。
「まー、そうだよな。クソ先代のクソ任務受けたアイツもアイツだけど、俺じゃアイツの呪縛取り払ってやれなかった。なんだってあんな使い勝手いいんだよ」
「その道を選んだのは妹です」
「……でも、結局アイツはアルギンを選んだだろ。まぁ、つまり、そういう事だ」
これから先、二人の道は誰も通ったことがない獣道だ。それを分かっていて、ソルビットはアルギンの手を取った。既に整地されていた道よりも、そっちを選んだ理由。
ソルビットはそれまでを放棄してでもアルギンと居たかった、と。
「アイツがこれまでの事を無かったことにしたくても、アイツを『知っちまった』奴らは納得するか分からんがな」
「……女はソルだけではありますまい。他の女を宛てがえば、すぐに目が逸れましょう」
「それならいいんだがな。……いや、悪いかもな?」
「それは、どういう」
「アイツがまた何かしら『入用』になった時に、もう一回自分を犠牲にする覚悟があったら。使えるものは何でも使うのがアイツだろ、いつでも『使える』状態にしときたいんじゃないかって思ってな」
物言いは『風』隊長としての事務的なものだ。その無機質さにフュンフが眉を顰める。妾腹の子だとしても、フュンフはソルビットに妹としての情が沸いていた。それは、実の妹として同じ姓を名乗る女に対して以上かもしれない。
サジナイルは唇から煙草を離し、そんなフュンフに笑った。たまに見せる、底意地の悪い笑い方。
「兄妹ってだけあって、お前もアイツも、誰かに心酔するって所は共通してんのな」
「……別に、それに血筋は関係ありますまい」
「はいはいそーだな。……あーあ」
空に向かって紫煙を吐き出す、サジナイルの顔はフュンフからは見えにくい。
「ネリッタがいたら、こんなに面白い光景を一緒に見れたのになぁ」
「……。前提が、狂ってしまいます。あの方がいるなら、アルギンは隊長になる事は」
「そうだけどよ。……考えるだけ、いいだろ」
詮無い事だ。フュンフが興味も薄く、サジナイルを置いて先に歩いて行ってしまう。もう居ない人の話をして何になる。その時のフュンフは、それしか思っていなかった。
つれない奴。サジナイルがその後ろ姿に笑った。もういない者の事を考える無駄さ加減は分かっている。それでも、思わずにはいられなかった。
「……なー、ネリッタ」
亡き人の事を。
「喜んでくれるだろ。もうお前がいなくても、アルギンは自分の道を進んでるんだ」
誰にも聞こえるはずのない声。
サジナイルの周囲に一陣の風が吹いて、紫煙が流れていく。
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