10

 遠目からは倉庫にしか見えない施設が、王城敷地内の端に存在していた。石造りの小さな建物だ。もう何年も、外装補修なんてされていない。

 天井は高くもなく、低くもなく。これが本当に倉庫だとしたら、その収納可能領域に疑問を抱くかもしれない。来客には倉庫、と案内されている筈なのに、正面から見えない位置には扉が三つついている。そしてその扉の下には、小さな鍵付きの受け入れ口。夏は暑く冬は凍える、そんな最悪な場所―――懲罰房。ここに入れられることが無くなっても、アルギンは縁が切れそうにないらしい。

 アルギンがそこを視界に収めるだけで嫌な顔をした。サジナイルは平然とした顔で歩いて近寄る。

 監視役はこの時間には誰もいない。それもそうだ、ここを抜け出したところで、待っているのは更なる懲罰だけ。ここに収容される方がまだ幸運だと思えるような事態になる。アルギンは一回だけそんな事態になったことがあるのでよく知っている。

 ……誰もいない、と思っていたのだ。二人とも。

 裏手に回った所にある懲罰房のひとつの扉の前で、立っている男を見つけるまでは。




「いらない」

「……今日はここで過ごすつもりか?」

「だから、そうだって言ってるじゃん。……そっちこそ仕事投げて何してんのさ」


 狭い個室である懲罰房、その中にいるソルビットに声を掛けているのは『月』副隊長のフュンフ・ツェーンだった。手には懲罰房の扉の鍵を持っている。鍵を開けようとしたが、それを中にいるソルビットに断られていたのだ。

 持て余した鍵を手の中で弄びながら、フュンフがソルビットと話している。


「話を聞いた。馬鹿なことをしたものだ、あのような直情女に出す助けなど無かろうに」

「ちょっと、それ言うならあたしここ出て一番最初に殴るよ」

「では、再び懲罰房か? ……いや、今度こそ『教育部屋』だろうが」

「そんなの脅しにならないよ。……いいから、ほっといて。あたしが、どうしても……聞いてて許せなかったからやっただけだし」


 フュンフは、それまで全く女の影を匂わさなかった。隊長と同じく禁欲的な厳しい神父として、同隊の者からは遠巻きにされている。

 今の隊長にはまるで従順なせいで、二人の間であらぬ噂が立っていることもある。勿論、それは噂でしかないのだが。

 ……だから、フュンフが何故ソルビットと、なんて分からずに、アルギンとサジナイルは物陰に隠れて様子を見ていた。


「お前も『風』で仕官として活躍している割には、随分な事をしたものだな」

「そっちに迷惑掛かるようなことは何もしてないだろ。ここにいたらバレるから早く帰れ」

「帰れ、か」


 フュンフが鼻で笑った。二人の会話を盗み聞きしていると、二人の仲が悪いものではなく、寧ろ―――ただ事でない関係を思わせる内容で、アルギンが目を丸くする。

 『宝石』に特定の相手がいたなんて考えられなかった。それも、相手は堅物で通しているフュンフだ。年齢差もそこそこ開いている二人の会話は、アルギンの乏しい恋愛観念を揺るがせるようなもので。

  

「―――兄に随分な物言いだな」


 兄、?


「城で顔合わせる程度しか付き合い無くなった兄がなんなの。今兄貴面すんな、都合のいい時だけ血の繋がり盾にしないでよ」

「使えるものは使うのがお前の流儀だろう、それに合わせてやっているだけだ。少しは私の事を兄と思う気概はあるのだな?」

「……そりゃ、兄貴は兄貴でしかないから」


 物陰でアルギンがサジナイルを見た。彼はただ気怠そうな表情で頷くだけ。知ってたんだ、と思って不愉快な気分になった。

 ソルビットもツェーンの人間か? アルギンの頭の中にそんな疑問が浮かぶ。ツェーン家と言えばそこそこの地位を持つアルセン貴族だ。詳細までは知らないが、フュンフは当主やその候補ではなかったはず。

 ツェーン家の人間が、何故『風』にいるのだ。その疑問は口に出る事は無い。


「まあいい。出ない、と言うのなら私としても無理強いはしない。精々そこで己の短絡さを呪え」

「はいはい、御託はいいから早く帰れよ。こんなとこ見つかったら言い訳も出来ないよ」

「―――ふん」


 フュンフが戻ろうとする、その進行方向にアルギンが出た。どちらにせよ、フュンフに見つかるのは時間の問題だ。当の彼は驚いたようだった。無理もないのだが。

 兄妹と分かって見れば、ソルビットと同じ髪色と髪質だ。結んで纏めた髪の毛先が落ち着きなく四方を向き、そして彼の目は驚いたようにアルギンを見ている。顔はこんなに違うのに、そうなのか、と冷静に受け止めた。


「……どこから聞いていた」


 フュンフが苛立ちを滲ませた声で聞いてきた。その隣にサジナイルも並び、無言で懲罰房の鍵を見せる。その意図に気付いたように、フュンフが少しだけ俯いた。


「っ、え、ちょ……兄きっ……フュンフ様、そこに誰かいるんですか!?」


 ソルビットの焦る声が聞こえた。扉を叩くような音がする。懲罰房の扉はそんな事で開かないし、そんな事を続けていれば先にソルビットの拳が壊れるだろう。


「フュンフ様!! フュンフ様!!?」


 フュンフの、その場に他に誰かいるような言葉以降何も聞こえない状態に、ソルビットの声が半狂乱になりつつあった。

 それで、何となくだがアルギンが察した。フュンフがソルビットの兄だとしても、二人はそれを隠しているのだということ。ソルビットが姓を名乗っている所を聞いたことがない―――つまり、私生児か。貴族や高官のそういう話は聞かない訳では無い。……幸い、アルギンの周りの男にはそんな軽蔑するような行為をしている者はいないが。

 アルギンが無言でサジナイルに手を出す。その手に、サジナイルが察したように鍵を置いた。


「フュンフ様!! ……返事しろよぉ!!」


 扉を殴る音はまだ止まない。その扉を、アルギンは一度だけ全体重を掛けて蹴りつけた。

 鼓膜に響く騒音。その一度だけで、ソルビットの動きが止まった。その静寂を確認した後、ゆっくり足を離して、アルギンが鍵穴に鍵を差し込んだ。

 僅か十秒程度の事だった。開錠の音がして、アルギンが扉を開く。


「あんまりガンガン鳴らすなよ」


 懲罰房の中の衛生状態は最悪だった。前入れられていた者が残していったであろうゴミ、暫く使用されなかったのと外から入ってきたであろう埃、仕切りもない不浄、蜘蛛の巣だって張り放題。懐かしい光景だな、とアルギンが笑う。


「揺れてる扉なんて、開けらんねぇだろ?」

「―――あ」

「ごめんな。ちょっと、待たせちまった。……ソルビット、こっちにおいで」


 中の埃に汚れた、綺麗な肌が灰色がかってしまったソルビットに向かって手を差し出す。

 こんなになっても、綺麗だな、と思った。流石は『風』の自慢の宝石、美貌がこんな所でも不似合いに輝いている。

 何故ここに、と、ソルビットの唇がわなないた。彼女の両腕は、自分を隠すために顔を覆う。


「……あた、私、懲罰中で」

「そんなん、サジナイル様の匙加減次第だ。鍵持ってきてくれたのはあの人だよ」

「それでも、私」

「アタシなぁ、お前さんに大事な話を持って来たんだ」


 差し出した手は、まだ握り返されない。


「おいで」

「………私」

「来て欲しいなぁ。アタシの為に、この手を取ってくれないか? 今なら―――副隊長の席もつけるから」


 アルギンの背後で、フュンフが目を見開いていた。アルギンはそれに気づかない。

 サジナイルは言いたい事がありそうな顔で唇を曲げていたが、二人の話に口を挟むことなく、煙草を手にしていた。


「え、ふ、副隊長……って」

「アタシな、本当は事務仕事嫌いなんだ。折角ならツラ合わせて色々話す方が好き。ネリッタ隊長が居た時はあの人の役に立ちたくて色々頑張ったけど、正直自分が隊長になるってんならそういうの任せられる奴がいいなぁって思ってさ」

「ど……う、して」

「アタシを引き留めるためなら何だってするんだろ?」


 いつまでも手を伸ばさないソルビットに焦れて、アルギンが室内に入る。歩くだけで床の埃が動くような環境だ、この場所にいることでソルビットに害があったらたまったものではなかった。

 顔を隠す手を取った。華奢な手は、本当に仕官を殴りつけていたそれと同じものなのか俄かには信じられなくて。アルギンの手から逃げようとする指先の動き一つだけでも美麗、それが『風』の『宝石』と言われている彼女だ。


「アタシが隊長やる『花』に、副隊長として来てくれない?」


 その『宝石』を―――奪う。

 彼女が輝くために用意されていた石座から取り上げる。

 ソルビットは座ったままアルギンを見上げて、その瞳に涙を溜めていた。


 

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