14


 ネリッタの死から暫くして、『花』隊の者が一人アルギンに名乗り出た。

 彼が言ったのはネリッタの死の理由。隊長は彼を庇って落石に遭ったのだと。その時の隊長は、笑顔だったとも。

 そっか、とアルギンが零した。

 笑顔だったんだ、と。

 あの死に顔は本当は笑顔だったんだ。最期まで笑顔で死ぬなんて、あの人らしい。

 教えてくれてありがとう。アルギンは、その男に感謝を伝えることが出来なかった。


 誰かを庇って死んだなら。

 貴方のこれまでに後悔はなかったのでしょうね。

 そんな貴方の副隊長で良かったです、ネリッタ隊長。


「―――あ、れ」


 アルギンの頬に涙が伝う。それは幾筋も絶え間なく。

 目の前の男は驚いて、けれど、俯いて、それから頭を下げて行ってしまった。

 アルギンは無言で涙を拭う。遠ざかる背中を追う気にもなれなかった。袖で拭う涙は、水滴の跡をつけるだけで止まる気配を見せない。

 伝えられた言葉が悲しい訳では無かった。なのに、泣きじゃくるでもなく溢れる涙を持て余す。


 強くなりたかった。

 強く、なれるだろうか。


 貴方が冠した『花』の名を、アタシは継いで行きたいと思っています。




「ちょっとたいちょ、いい加減にしてくださいよ書類片付かないでしょ」

「えー。いいじゃんもっとゆっくりしてぇ。ほらほらソルビットもちょっと休憩挟まないと息詰まるぞ」

「あああ全くこの女は。だから早く隊長の席譲れって言ってんじゃないっすか」


 ネリッタを喪った戦争が停戦になって季節が何度も変わった。

 停戦とは言えどいつまた開戦するか分からない状況だ。日常に適度な緊迫、それでもアルギンは隊長として立つことにも慣れて少々適当になりつつあった。

 ソルビットはアルギンの下で良く働いている。日常的に言われる『早く隊長辞めろ』も、その実ただの見得なのも知っていた。本当にソルビットが隊長席を欲しているのなら、内から外からあちこちの伝手を辿ってアルギンを蹴落とすくらいは可能だろう。

 この日も二人は『花』執務室で顔を突き合わせながら事務仕事をしていた。時折聞こえるソルビットの不満そうな声が環境音。時間は既に昼を過ぎていて、昼食の時間になっても片付けるべき書類を散乱させている隊長にソルビットが恨めし気な顔を向ける。


「あたしがお昼食べ損ねたらたいちょーのせいっすからね」

「お、んじゃ今から食堂行こうぜ。アタシはトマトパスタが食べてぇなー」

「たいちょ、ちょっとそれどころじゃないっしょ」

「いいからいいから。ほら、アタシと一緒の楽しい楽しいお昼の時間だぞ」


 ソルビットは強引な隊長に連れられて執務室を出ていく。その顔はアルギンが背を向けていて見えないが、満更でもなさそうな顔で。

 二人が食堂へ向かう姿を、遠くから見つけた人影がいた。


「………」


 それは『月』隊長だった。

 先に軽く食事を済ませ食堂から出て、自分の執務室に戻る所だった。いつもなら食事は執務室まで運ばせるのだが、今日は少しばかり事情が違っている。


「『花』の二人、だったね」


 後から来たのは『鳥』隊長のカリオン。

 今日はカリオンの誘いで二人が食堂に足を運んでいた。既に食事を始めていた者達は、突然の隊長格二人の登場に慄き、後から食堂に入ろうとした者はその半数以上が踵を返して帰っていった。

 二人は好かれていない訳ではない。しかし、二人が所有している地位には意味があった。そこいらの一兵卒や叙勲したての騎士などが、おいそれと話しかけていい存在ではない。


「あの二人もああしていれば仲が良く見えるけれど。……それにしても今日提出期限の書類は間に合うのかな……」

「―――ふん」


 二人が食堂に入っていく。その瞬間、中から歓声が沸き起こった。


「アルギン様!!」

「アルギン様お疲れ様です!!」

「今日は食堂っすか! ご一緒出来て嬉しいです!!」

「あーはいはいアタシも嬉しいよ。どう、皆元気?」

「「「「元気です!!!」」」」


 外にまで聞こえるそれは食堂全体が沸いているようだった。

 アルギンは伊達にネリッタの下で尽力していた訳では無い。使える縁は使い、その縁を手放さないようにしてきた。その親しみやすさに地位が付いたのだ、例え隊長として少々の力不足があろうと、その能力だけは他の隊長よりも突出している。近年ではどの隊より『花』所属希望が増えているという。

 わいわいと活気付く食堂を背にして、『月』が歩き出した。


「そういえば」


 カリオンが思い出したように声を掛ける。その声に反応した彼が足を止めて振り返る。


「漸く最近思うようになったよ。……貴方が彼女を隊長に推薦したあの言葉を信じてよかった、と」

「……そうか」

「書類提出に難があるのはまだ受け入れられないけれどね。まさかうちの隊の者まで彼女の信奉者が出るなんて思わなかった」


 信奉者、と聞いて彼の眉が僅か吊り上がる。それを見たカリオンがさも面白いものを見たとでもいいたそうに噴き出した。


「……その様子だと、まだ伝えてないんだね」

「何をだ」

「貴方がアルギンさんを唯一推薦した隊長だっていう事だよ。あの時の貴方はなんていう力技を使うんだって思ったけれど」

「……あれは、……あの時、我のみが唯一あの者に出来る事だった。今のあの者には、我はもう手を貸す事も無い」

「もう、手を貸さない? どういう事だい?」

「あの者は既に、我の手も不要だろう。あの者を隊長の座に引き上げて見えるものもあった。……あの者は、我を……後ろ盾を、必要とする女ではなかった」


 カリオンが硬直した。ここまで心中を吐露する『月』は初めて見たのだ。それは感情的でなく、事実を伝えているだけの筈なのに。

 確かに、今のアルギンは自分で築いたものの上に立っていた。そこには先代隊長の関与は殆ど無く、破天荒で滅茶苦茶な指揮だというのにあちらこちらの信頼を勝ち取っては力に変えていく。

 もう話すこともない、とばかりに背中を向けて再び歩き出す彼の足取りは、先程と変わらない。そんな彼に追いつこうともせず、カリオンが立ち尽くす。

 『月』隊長はそのまま廊下の向こうに姿を消した。その直後、食堂からの声がカリオンの耳に届いてしまう。


「そんでアルギン様、『月』隊長とは進展ありましたか!」

「馬鹿野郎そんな事言うんじゃねぇ!!!」

「ある訳ないっしょ、たいちょーがたいちょーなら相手も相手だっての!」


 賑やかな声はまだ静まらない。話の内容はアルギンの意中の相手だろう。カリオンは暫くその場に留まって、やがて、自分も執務室に戻る為に歩を進める。

 彼女の想いに関しては周知の事実だ。しかし―――その逆は?

 片恋に頬を染めるアルギンの姿を見たことがあるが、その逆は無い。それはつまり、そういう事なのだろうと考えていたのだが。


「もしかして、貴方」


 呟きは喧騒に攫われていく。


 攫われた呟きが色づくのはまだ先の話。

 これは、まだ二人が『始まってもいない』話。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る