第156話
「アルカネット!!!」
アルギンの悲鳴が冬の空に響き渡る。走り出したアルギンを抑えようと兵士が三人ほどアルギンの前を塞ごうとするが、それを寸での所で躱して走り抜けた。
側にはトーマスがいた。トーマスも青ざめた表情で、アルカネットの体を支えている。その傍まで寄って座り込み、声を張り上げた。
「トーマス! どういうことだ、何があった!?」
「あ……アル、あ、あああぁ……」
トーマスはまともに話が出来る状態になかった。アルカネットは、肩で荒く息をして目を閉じ、胸元にある傷口を抑えている。痛みを逃がすためか眉間に皺は寄っており、アルギンの声に煩いとでも言いたげに緩慢な動作で瞼を上げた。顔色は青く、汗が滲んでいる。
「……うる、さいぞ、アルギン」
「喋れるのか。喋っていいのか。黙ってろ」
傷が腕や足にあるなら止血も出来ただろう。しかし、傷は胸の中心だった。これでは圧迫するしか止血法がない。
この三人を、兵士十人が取り囲んだ。アルギンが怒り籠る視線でアールヴァリンを見る。
アールヴァリンは立派な白銀の鎧を纏っていた。深い赤色のマントは、冬の冷たい風に合わせて靡く。アルギンの知っている、昔のような少年顔ではなくなっており、年齢よりも少し老けたような、これまでの過酷な状況を思わせる、苦労を眉間の皺にして刻んだような顔をしていた。
「……アールヴァリン、アタシの弟に何しやがった」
「アルギンの弟? これは失礼をした。少しばかり、手元が狂ってな」
「手元が狂った、だと?」
「市民を扇動して我々に盾突いたものがいたのでな。そちらを狙ったつもりだった。間に入らなければ傷を負う事もなかっただろうに、考えの足りぬ輩だと思っていたのだが」
アールヴァリンが剣を振るった。地に赤い小花が咲いた。
「そうか、アルギンの弟か。道理でな」
小馬鹿にするように向けられた侮蔑の視線。それと共に投げられたのは煽りの言葉に他ならなかった。アルギンが憎悪を込めた視線を投げつけながら立ち上がる。
「……テメェ……」
「この場で切り伏したのも何かの縁だ、もし望むなら一思いに楽にすることも出来るが」
「……よっぽど殺されたいらしいな!?」
アルギンの言葉と同時、周囲の兵がアルギンを取り押さえようと近付いた。腕を掴まれたアルギンが激昂する。
「ざけんな、っ」
腕を振り解こうとする。しかし相手は腐っても兵士。それも男の力となれば、騎士を辞めて久しいアルギンでは振り解けずに。
「離せ!!」
尚も抵抗するアルギン。しかし、取り押さえる兵士の数は増えていく。両腕を、首を、胴を、抑えられて引き摺り倒される。その後は、足を。
「アル、ギン、……!」
息も絶え絶えなアルカネットの声がする。トーマスは何も出来ないまま座った状態。
「離せえええええええええええええええええええええ!!!」
まるでこの世を呪う声。アルギンの喉が切れそうになるほどの絶叫。
その口に猿轡を噛ませようとした兵士。
その瞬間。
アルギンから遠いものの順に、兵士が倒れていく。
一人、二人、三人。
その異変に気付いた兵士が、アルギンから手を離した瞬間に倒れた。
「え、……」
兵士の視線が狼狽えたように四方を見渡す。その時、アルギンから注意が離れた瞬間を狙って、アルギンが腕から逃れるために地を転がった。腕は難なく外れて、その時。
「―――『落とせ』」
その短い言葉は命令形の魔法行使。
アクエリアの声でそう呟かれた瞬間、先程までアルギンがいた場所に轟音を立てて晴れた空から雷が落ちた。
焦げ臭い匂いをさせながら、残っていた兵士が全員崩れ落ちる。その光景を、アールヴァリンは不愉快そうに眉を動かしながら見ていた。
「……っ、たす、かった」
「いいえ、お粗末様です」
アクエリアは全員の手が離れるまで、様子を見ていたようだった。それからアルカネットの側に寄る。
「傷はどうです、深いですか?」
「……うる、さい」
「深いみたいですね、少しじっとしててください」
そう言ってアルカネットを横抱きに担ぎ上げたアクエリア。傍目からは細身に見えるのに、筋肉質のアルカネットを難なく抱える姿をみればやはり只者には見えない。
アルカネットが座っていた場所には血だまりが出来ていた。出血量に驚いた様子のアクエリアが小さく口笛を鳴らす。
「……少し、急ぎましょうか」
「………たの、む」
「こういう時だけでなく、普段からもっと素直でいてくれてもいいんですよ?」
一歩ずつ歩くたびに、地に血の花が咲く。
建物の影を目指して去っていくアクエリアを、アールヴァリンは追わなかった。血を振り払った剣を鞘に仕舞い込んで、アルギンに視線を向けるだけ。
「トーマス、立てるか」
残されたアルギンは、トーマスを立たせる。状況に置き去りにされているような顔のトーマスだが、手を貸すと素直に立ち上がった。
地に沈む兵士はまだ起きる気配がない。アクエリアも流石に加減しただろうが、その面々をまるでゴミでも見るような視線で眺め、それからアルギンの側に近寄る。一歩、一歩、距離が縮まるごとにアルギンの嫌悪感が強くなる。
「新しい燕か?」
アールヴァリンが言った言葉を、ちょっと前に誰かから聞いた気がして眉根を寄せる。同じ言葉なのに嫌悪感が段違いなのは、状況が違うからだろうか。そもそも、アルギンの知っているアールヴァリンはこんな悪趣味な冗談を言う人間ではなかった。
何かが、アルギンの居た頃と違っていた。城の様子も、そこに仕える者も、アルギンの知っている姿を保っているのは、フュンフくらいなものだった。
何のせいだ。誰のせいだ。アルギンはアールヴァリンを睨み付けながら、その責任を誰に押し付ければいいか考えていた。この行き場のない胸の中の苦しみを、誰のせいだと断罪すれば気が晴れるのか。
「……気品に溢れた筈の次期国王が、よくもそんな軽口を叩けるな」
「それももう過去の話だ。俺は次期国王ではない」
「へぇ? 次期国王から外されてスレちゃったんでちゅかぁ? だからって人を馬鹿にするような事言うんじゃねえよ馬鹿野郎」
アルギンの記憶の中のアールヴァリンは、穏やかな人物だった。穏やかで実直、しかし若さゆえか頼りない。それでも年齢を重ねたら、強く頼れる指導者になるのだろうと思っていた。彼には未来しか感じなかったからだ。
それが今の彼はどうだろう。言葉通りに受け取れば、市民を害そうとし、実際一自警団員を害し、軽口にも満たない下衆めいた言葉を投げる。それだけでもアルギンの怒りを買うのに充分だった。
「今の騎士ってのは、簡単に民草に剣を向けるんだな。それも、騎士隊長のお前さんみたいなのでも」
「王家に害があると判断出来れば、その内臓を抉り出すくらいの罰は与える。お前も『そう』だろう。その為にお前が、あの裏ギルドを任せられた」
「ば、っ……!」
裏ギルド、との言葉にトーマスがアルギンを見た。今や都市伝説になっているらしいその言葉を、トーマスは知っているのだろうか。けれど、今それを聞いてもどうしようもない。
アールヴァリンの発言は続く。その表情には笑顔も侮蔑もない、ただ淡々とした語り口で。
「そのお前がどうした事だ。国に誓った忠誠は最早消えたか? 我々の指示を無視して五番街に残り続ける、その愚かしさは我が妹弟も笑っていた。国の為と、数多くの不届者を手に掛けたお前達ともあろう者が」
「え……、ちょっと……アルギンさん……?」
知っていてもおかしくはない。確かに、以前は犯罪者が遺体として発見されたり、自警団の目を掻い潜って成敗されていたりするのだ。それがまさか、自警団員を擁する酒場が行っていたと誰か考えていただろうか。この件を興味深げに調べていたオリビエさえ気づいてなかったというのに。
トーマスの視線が痛かった。痛いと感じるのは、本当に痛みがある訳ではなく、自分の後ろめたさが感じさせる幻想だ。そうと解っていて、アルギンは痛さに顔を顰める。
「……それが?」
もう、強がるくらいしか出来なかった。最初から、最後まで、強がってばっかりだ。最初から、この任務には向いていなかった。それを嫌でも思い知らされる。
「いつまでもアタシ達を飼いならせると思っていたら大間違いだ。アタシ達は国の走狗じゃない。意思を持ったイキモノなんだよ。道理が通らない話を受け入れ続けるなんて思ってたら、その喉笛に噛みつくぞ」
「……いつまでも駒のままであれと思っていたが、躾の行き届いていない駄犬だったとはな。惜しいと少しは思っていたのだが、その感情も最早失せた」
アールヴァリンは興味を失ったかのように、首を竦めて歩き出した。離れた所に馬を待機させていて、それに跨って、アルギンを一瞥。
「残念だ、アルギン。残念だよ、本当に」
それだけは本心であるように、絞り出すような声で言い放ってから、アールヴァリンは馬を走らせた。兵士達を置いて。
後ろ姿を見送る気にもなれない。トーマスはまだアルギンを見ていて、その視線を正面から受け止める形になってから、笑いかけた。
「……行こうか、トーマス」
気が付けば、遠くに野次馬が集まっていた。視線に晒される嫌悪もそうだが、先程のアールヴァリンの言葉を聞かれているのではと思うと気が気ではない。
もうアクエリアはアルカネットを安全な場所に連れて帰っただろうか。傷の手当てを受けているだろうか。アルギンにしてみれば、それが気がかりで。
トーマスは呆然と、アルギンを見ている。微動だにしないその姿に、アルギンが焦れてしまい。
「トーマス!」
大声を出した。トーマスはその声に肩を大きく震わせる。
「あ、ああ……アルギン、さん」
「行くよ。ここは視線が多い。アルカネットも、きっと先に酒場に帰っている筈だから」
トーマスの腕を掴んで、強引に引っ張る。目指す先は酒場だ。そこまで遠くないとはいえ、帰るまでの間、衆目の視線に晒される事が我慢ならなくて、しまいにはアルギンは無意識のうちに走り出していた。
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