第150話

 酒場を飛び出したマゼンタは、体中を襲う激痛にすぐに転んだ。地に体を擦り付けるようにして、その痛みから逃げようと藻掻いている。


「マゼンタ様!?」


 葬列の兵から声が掛かる。体中を掻きむしりながら、マゼンタは兵を睨み付けた。


「……っ、この、酒場を……! この中にいる者を、殺しなさい!!」


 静かであるはずの外から、そして兵や騎士達から、どよめきの声が挙がる。その光景を酒場の中で、アルギンが冷めた目で見ている。

 こんな女だったか。これまで苦楽を共にしてきた筈のあの少女は、こんな小物だったのか。心に僅かあった筈の姉妹への未練が、音もなく消えていく。

 マゼンタから命令を受けた兵は戸惑っていた。何が起きているのか解っていない顔だ。アルギンは扉まで近寄って、枠に凭れて気怠く声を掛ける。実際今は打たれた横腹が痛くてまともに立っていられない。


「そこの兵隊さんよ」

「……アルギン、様」

「どうする。王家の縁者だって鼻高くしてたその女の命令だぜ。アタシら何か悪い事してたかね。黙って外出禁止令を守ってたんだけど、こんな日に勝手にうちに入って来たのはこっちの女だ。ちょっと無体が過ぎやしないかね」

「………。」


 兵は黙ったまま、マゼンタを起こそうと手を伸ばす。しかし、その手はマゼンタによって振り払われてしまった。


「殺しなさいって言ってるでしょう!!?」


 ヒステリックな叫び声。液体で濡れた腕は荒れて、皮が剥けかけている。しかしその体に流れているのは血で無いからか、赤くなっている訳でも無い。樹木の幹を思わせる白に近い薄い橙色の肌は色を変えることなく、ただ、傷ついていた。


「何の騒ぎだ」


 そんな悶着を聞きつけてか、新しい影が現れる。その声の聞き覚えに、アルギンが肩を竦めた。その行動理由は、安心からだ。

 現れたのはソルビットだった。騎士隊『花』隊長。相変わらずの隊長としての仏頂面に、アルギンが内心で笑う。


「……アルギン、これはどういう事です。何故貴女の酒場から、マゼンタ様が出てきたのですか?」

「そりゃこっちが聞きたいよ。冷やかしなら帰れって言ったけど、帰らなかったのはそっちだ。また散々うちの酒場荒らしてくれやがって、弁償はどこにして貰えばいいんだよ」

「弁償……。成程」


 ソルビットがちらりと酒場内部に視線を寄越した。無残な店内の様子に、ソルビットは納得する素振りを見せる。


「外出禁止を破ったのは、マゼンタ様。貴女の責ではありませんか」

「―――!!?」

「おい、マゼンタ様を城までお送りしろ。あたしは少し、酒場と話を付けてくる」

「ソル、ビット……!? 貴女、私がどういう存在か解っていて言ってるんでしょうね!!? 私は、王妃の妹で、王族のプロフェス・ヒュムネよ!? 私の命令は王族の命令でしょう!!?」

「……王族王族と」


 ソルビットの片方しかない瞳が、ぼろぼろになったマゼンタの姿を射抜く。


「権威ばかり振りかざしている貴女に、王族を名乗る資格はない」

「―――!!!」

「この国の王族は国王であり、王妃であり、その子息子女だけである。貴女は賓客ではあるが、あたしは貴女を王族と認めない」


 ソルビットが片手で兵に指示を出すと、兵は二人がかりでマゼンタを肩に担いで立ち上がる。

 マゼンタは呆然としたような、侮辱の怒りに震えているような、大きく瞳を開いた顔で唇を半開きにしていた。

 兵達の背中が去っていく。それを見送ったソルビットは、酒場の中に入って扉を閉めた。


「っ………」


 外から姿が見られない状態になって。


「アルギンー!!」

「ぉうわっ、おまっ、ちょ、ソルビット!! いた、いたい! 痛いんだってば!!」


 ソルビットが勢いよく、アルギンに抱き着いた。先程の横腹に負った痛みが続いているアルギンはすぐさま悲鳴を上げる。けれどソルビットはそれもお構いなしにアルギンを抱き締めて締め上げた。


「んもう、あたしのいない間に何やられちゃってんすかアルギン。大丈夫っすか? 湿布貼る? 一先ず脱ぐ?」

「脱がない。でもお前さんが来てくれて助かったよ、ソル、………。」


 ソルビットに礼を言うアルギンの視界の端に、蹲る人の姿が見えて黙り込んだ。

 ユイルアルトだ。顔を両手で覆って、床に座り込んで、声を殺して泣いている。床に流れ落ちる涙が一滴、また一滴と数を増やしていった。

 見れば、アルカネットも横に押しやられてしまったテーブルや椅子、それらに座って呆然としている。握られたその拳だけが、怒りを抑えるたった一つの方法のようで。


「……何が、あったんすか」


 内装だけでなく、それぞれにも痛手を負ったような酒場の中の雰囲気に、ソルビットが軽口を自ら封じて問い掛ける。


「……兄さん、……エイス兄さんの事だけど」

「エイスさん? エイスさんがどうしたっすか」

「殺したの、マゼンタ達だって」

「―――は?」


 アルギンの一言に、ソルビットの声が低くなった。


「それ、どういう事っすか。何で今更エイスさんの話が?」

「さっき、言われた。マゼンタが、自白した」

「あの女、殺しておけば良かったっすね。今からでも遅くないっす、ちょっくら殺してきましょうか」

「待ってください」

「待って」


 ソルビットの低い声に制止を掛けたのは二人だった。アクエリアとユイルアルト。

 二人は顔を見合わせ、先に話すのはアクエリアに決まったようだ。一回の咳払いと共に、アクエリアが喋り出す。


「……仇を取るのは、アルギンかアルカネットだけです。他の誰も、手を出してはいけません。でないと」

「でないと、?」

「……俺が殺したくて殺したくて、でも我慢したんです。他の誰かが殺すくらいなら、俺がすぐにでも殺しておきたかった」


 その怒りに呼応するかのように、ちらちらと幻影のように本来の姿が見え隠れするアクエリア。それを初めて見るソルビットは、不可解そうな顔をしながら唯一残る目を何度も擦った。

 名前を呼ばれた気のするアルカネットは、アクエリアの気遣うような言葉に少しだけ怒りを解く。


「……ちょい待ち、えっと、アクエリアさん? 何であんたがそんな怒ってるっすか? あんたがココに来た時、もうエイスさん亡くなってたっすよね?」

「ああ、ソルビットさんは知らないんでしたっけ。エイス、俺の兄なんですよ」

「へええええええ!!?」


 驚きのソルビットの絶叫。その場にいる誰もが耳を塞いだ。


「え、なんすかこの酒場。本当。なんでこんな訳ありばっかが来……え。じゃ、じゃあアクエリアさんってもしかしてダーク……?」

「そうですよ」

「えええええええええええええええ!!?」


 再びの絶叫に、全員が迷惑そうな顔をする。


「うるせぇよソルビット。……んで、それで、イル? お前さんは何言いかけたの」

「……その」


 ソルビットを嗜めながら、アルギンは今度はユイルアルトに話を振る。ユイルアルトは先程までマゼンタに見せていた態度とは一転、魂の抜けたような表情になっていた。泣いた瞳は赤く、声は小さい。

 ユイルアルトは全員の顔を見渡し、それからスカイの顔を見ると、ハッとしたような顔になる。


「大変! アルギン、拭く物ありますか!!」

「ふ、拭く物? あっちに雑巾なら幾らでも」


 指差すのが早いか、ユイルアルトはすぐさま示された方向へ向かって走り出す。全員何事か解らなかったが、ユイルアルトはすぐさまあるだけ持って来た雑巾で、先程床に広げられた液体を拭きにかかる。

 それを手伝おうとスカイが近寄ったが。


「駄目!!!」


 ユイルアルトはそれを鬼のような形相で追い払った。驚いたスカイは近寄る事も出来ず固まっている。

 アルギンが近寄っても、ユイルアルトは何も言わなかった。一先ず二人がかりで拭き終えた所で、二人は溜息を吐く。


「……ごめんなさい、スカイ君。でも、貴方の命に関わるから」

「ぼ、僕の命?」


 そんな不穏な事を言われて、スカイの顔が青くなる。アルギンも同時に嫌な顔をした。


「……おいおい、それってアタシの命にも関わるんじゃないだろうな」

「大丈夫ですよ、アルギンなら。……いえ、プロフェス・ヒュムネでない、なら」


 床に落ちた酒瓶の欠片を拾い集めながら、ユイルアルトが口を開き始めた。


「マゼンタさんに撒いたのは、一本目は普通の除草剤です」

「除草剤?」

「そう、除草剤。以前注文を受けたもので、予備に取っておいたものなんです。畑の側に使うから、作物に影響が少ないものがいいと言われたので……効果は薄かったみたいですけど」


 ユイルアルトが集めた酒瓶の欠片を捨てる為に、ダーリャがバケツを持ってきた。笑顔で礼を言って、その中に欠片を入れていく。


「もうひとつは、土地に家を建てるから、と。もう雑草も生えなくなってもいいから、強力なものを、と」

「……それが、マゼンタが悶えてた二本目? あ、もしかしてアタシの肌が今ちょっとピリピリしてるのってそのせい?」

「そうです。流石に川や井戸に影響があってはいけないと思って、あれでも効果は抑えていた方なんですよ」

「あれで?」


 床に散らばった葉を見ながら、アルギンが問いを重ねる。緑に色づいていた筈の葉の色は、既に黄色に変わっている。


「……三本目は?」

「三本目。……はて、何のことでしょう?」


 いつぞやも「企業秘密」と言われてしらばっくれられた薬瓶の話になると、ユイルアルトは再びとぼけた顔をする。しかし、今回ばかりは言い訳は聞かない。この場にいた者は全員が見ていたからだ。

 その視線にとぼけられなくなったユイルアルトは、苦笑しながら首を振る。


「……アレは、駄目です。本当は、使っちゃいけなかった」

「そこまで言われるとどうしても気になっちまうんだけど……。結局なんなの、アレ?」

「………『病気』です」


 かちゃり。

 瓶の欠片が音を立てる。


「病気?」

「植物にも、病気はあるんですよ。葉を枯らすもの、根を腐らせるもの、実をダメにするもの。カビなどの原因でなる病気も多いですけれど、私は除草剤を作るために少し研究したんです」


 除草剤。病気。ユイルアルトがその端具を口にする度にスカイが身震いする。先程まで理由を知らず液体付近に近寄ろうとしていたスカイだったが、今はなるべく距離を取ろうと離れていた。


「除草剤で傷ついた肌に、直接その『病気』を流し込まれたら……。どう、なるでしょうね」

「………『今すぐ何かが変わる訳じゃない』って、そういう……」

「そうですね、すぐ変わりませんよ。でも」


 それは、まるで魔女の呪いのように。


「この病気は、植物同士で移ります。……生きて帰って、それで、本拠地で皆に移してもらったら。それだけで、向こうの戦力はだいぶ減ると思いませんか?」


 ユイルアルトの言葉に、全員が身震いした。

 これが、医術と薬草学を身に着けた者の本気だ。今のユイルアルトなら、もし誰かが魔女として糾弾しても、ここにいる面々は否定することが出来ないかも知れない。

 心強い。けれど恐ろしい。そんな凄惨な事を語るユイルアルトの微笑みは、とても美しいものだった。


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