第151話
葬列が終わっていないから、と言い残してソルビットはすぐに酒場を出て行った。
アクエリアは気分が悪くなった、といって先にスカイと共に部屋に下がっていった。
ユイルアルトは、クプラの様子が気になるからと階段を上がっていった。
ダーリャとアルカネットは、簡単に酒場内の片付けをして、それから部屋に戻っていった。
ミュゼはバキバキに折られた愛用の槍を手にして惜し気に眺め、それから自室に引いていった。
そうして誰もがいなくなった一階で、アルギンは呆然と立ち尽くしていた。
誰かがいたら心配させてしまう。その一心で、その場に誰かが残る限り平静を装おうとしていたアルギン。実際誰も居なくなってから、アルギンは一歩も動けなくなってしまった。
何を考える事も出来ない。ただ、さっきまでの出来事を脳内で反芻し続けるしか出来なくなっていた。
ずっと一緒にいたのに、マゼンタ達が裏でしていた事に全く気付けなかった自分の愚かしさ。
アルギンはただただ、自分を呪った。表の顔に騙されて、自分の近くにマゼンタ達を置いていた事を。
そんなマゼンタ達が居なくなって、寂しさにも似た何かを感じていた自分の事を。
「……アルギン?」
アルギンの唇の皮が再び破けそうになる頃に、小さく名前を呼ぶ声が聞こえた。彼女は変わらず毛布を被っていて、通路とホールの境からアルギンを心配そうな顔で見ている。
その顔を見て、アルギンは知らず安堵の溜息が漏れた。声の持ち主―――アールリト王女は、その溜息が迷惑そうなものに聞こえたのか、近寄ろうとはして来ない。
「……大丈夫ですよ。どうぞ、こちらへ」
側に来てもいい、と理解した王女は小走りでアルギンの側に寄る。アルギンは近いテーブル席に王女を誘導した。なるべく、今日マゼンタと悶着のあった場所からは遠くなるようにして。
王女が椅子に腰かける。それを見届けてから、アルギンはカウンターの方に歩き出す。飲み物を取りにだ。
「マゼンタ叔母様、来たのね」
「……ええ」
あの悶着を聞かれない方がおかしかった。王女の言葉には短く肯定を返し、適当なカップを二つ手に取った。中に注ぐのは、冷えた茶。もう、火で湯を沸かす気分にもなれなかった。
そうして出された茶を、王女は文句も言わずに口に運んだ。アルギンも渇き切った口の中に、その液体を流し入れる。花の香りはすれども、味を感じ取る事が出来ないまでに疲れ切っていた。冬の寒さで冷えた茶が体内に入れば、その温度に身震いする。身も心も凍えそうな気さえした。
「……ねぇ、アルギン」
王女の唇がカップから離れた。そして、名を呼ぶ。
「何でしょう」
「私の事を、恨んでる?」
アルギンのカップがすっかり空になった頃、王女がそうぽつりと聞いてきた。
そう問われて思い当たる節がないので、逆に問い返す。
「……何でそんな事聞かれるんです?」
「だって、私も叔母様と同じプロフェス・ヒュムネよ」
「貴女が私の兄を殺したというのなら、恨む理由にもなりますが」
そんな事より。早々にその話を打ち切ろうと、アルギンは別の話題を振った。今、マゼンタの事を思い浮かべてしまえば王女の前で怒りによる失態を犯しかねない。
話を無理に切られて、王女が困惑した顔をする。まだ、王女の中で話は終わっていなかった。
「それで、王女。あれから何か思い出せました?」
「……あれから、って」
「覚えていらっしゃるか解りませんが、貴女を見つけたのはフュンフです。貴女の記憶から、口から、どうして城から出たのか。それをお聞かせいただければ嬉しいのですが」
王女の口から、フュンフに助けられるまでの顛末をまだ聞けていない。何故、川で見つかるようなことになったのか。川に入ったのは自主的な行動なのか、それとも。
王女のカップにはまだ茶が入っている。王女の両の長い指で持たれたそれはまるで、心の中を移すかのように、水面がゆらゆらと揺れていた。
戸惑い、困惑、躊躇い。そのどれもが混ざった王女の感情は茶に移ったかのように揺れ動き、それは王女の手によって一息に飲み込まれる。
「……思い、出せない」
茶を飲み干した王女の口から出た言葉は、アルギンにとっても予想の範疇だ。思い出せないなら、仕方ない。特に焦って今すぐ聞く内容でもなかった。空になったカップを手に、お代わりを注いで来ようと席を立つ。
「待って」
しかし、その腕を王女に引かれた。昔よりも強くなった力は、過去の彼女とは比べ物にならない。王女の表情は深刻そうで、その表情に渋々アルギンは再び椅子に座り直した。
「私、本当は何歳なのかしら?」
「……ええ?」
何歳、と言われても。
アルギンは王女の実年齢を知っている。王女が目を覚ました時、それは話してあるはずだ。
「……逆にお伺いしますが、王女は今ご自分をお幾つだと認識されているのです?」
問い返したのは王女の様子見の為だ。
ダーリャといた時は七歳だと言っていた。振る舞いや発言から感じ取るに、あれから幾らかの年齢上昇はあった筈だ。王女は柳眉を寄せ、唇を引き結ぶ。
「……解らないの。十九歳の誕生日祝いを朧げに思い出したんだけど、二十二歳の誕生日祝いもなんとなく覚えてるの。でも、私の誕生日の記憶にしては、外に雪が降ってて……それで、それで」
「落ち着いてください」
記憶がごちゃ混ぜになっているのは今も同じらしい。言葉を重ねるにつれ動揺が口から漏れだす王女に声を掛けると、王女は一先ず口を閉じた。アルギンの声が聞こえる程度には、混乱はまだ軽い様子だ。
「……貴女の年齢は、まだそこまで達していません。冬に誕生日ということなら、御兄弟の誰かの祝いと混ざってしまったのでしょう」
「私……おかしくなってしまったの?」
不安を隠さず、潤んだ瞳でアルギンを見る王女。その表情は、昔側仕えをしていた頃の、まだ小さな王女だった時の面影がある。
引かれた腕に、そっと自分の手を重ねて微笑むアルギン。
「そうご自分を心配なさっている間は、王女は大丈夫ですよ。大丈夫じゃなくなった時は、そんな風に自分を気にする事なんてしない」
「大丈夫、なの? 私、まだ大丈夫? こんなに、解らないことばかりなのに」
「ええ、大丈夫。……だから、落ち着いてください。今はアタシが付いていますから」
アルギンの手の温かさに、王女は次第に落ち着きを取り戻していく。俯いた顔には微笑が浮かんで、安堵の表情。
そっと席を立って近寄り王女の背中を撫でる。王女は頭をアルギンに預けるようにして、力を抜いて目を閉じる。言葉の無い空間で、二人は暫くそのまま同じ体制でいた。背中を撫でられ続けていた王女は、時間が経った後で瞳を開く。
「……あ、でも、ね。思い出したことも、少しはあるのよ」
微笑を浮かべた王女が言葉を漏らす。
「何をです?」
「お父様とは、政務であまりお会いすることが出来なかったけれど……。でも、会うと必ず頭と、耳を撫でてくれたの」
「……耳?」
「ずっと小さい頃、私は怪我をして……耳の形が変わってしまったんですって。お父様はそれを気に病んでらして……、会うたびに、撫でてくれたの。それが、嬉しかった」
「そうですか、陛下は王女の怪我を覚えていらしたんですね」
「昔は、耳の形が嫌で隠してたの。でも、お父様にされるそれだけは、好きだったなぁ……」
それは王女にとって優しい父親の思い出のひとつなのだろう。死んだ、という認識はそのままの筈だ。穏やかに話す王女の瞳から視線を外し、話題の王女の耳へと視線を注ぐ。言われなければまじまじと見る事も無かった部位だ。それはこれまで彼女の髪に隠れていたが、見やすいように王女がわざわざ髪を掻き分ける。左の耳が見えた。
「……へぇ」
確かに、『普通』とは違う耳の形だった。
例えるなら、耳上部が切られて平坦になってしまった形、とでも言えばいいのか。
当時怪我の手当てを担当した医師の形成が下手だったのか、とも思えるような、言ってみれば歪な形。
「あまり見ないで。恥ずかしいわ」
髪を掻き分けて見やすいようにしたのは王女の方だというのに、照れたようにアルギンに抗議する。それを受けてからアルギンも笑みを浮かべて視線を逸らした。
もう時間も時間だ、アルギンも疲れている。疲労感に流されるように、王女から少し離れた。
「さて王女、もう今日はお眠りになってください。アタシの部屋しか寝られる場所はないでしょうし、出来たら文句を仰らないでいてくださると嬉しい、かな」
「え……、アルギンの部屋って、じゃあアルギンはどこで寝るの?」
「アタシはどこでも寝れますよ。まだ怪我人なんですから、アタシの事は気になさらないでください」
「そんなのダメ! じゃあ一緒に寝ましょうよ、あのベッドは広かったわ」
「勘弁してください、アタシじゃ王女を潰してしまう」
「もう! 王女なんて言わないで。……昔みたいに、名前で呼んでよ」
王女は意地になったように、アルギンに次から次に要求をしてくる。困ったような苦笑を浮かべてアルギンが両手を挙げた。
「……はいはい、解りましたよ。王女のそういう所は変わらないんだから」
「だから!」
「解ってますよ、……アールリト様。あまりアタシを困らせないでくださいよ」
そこまで言ってから、王女の表情がぱっと花が咲いたように明るくなった。満面の笑みで何度も頷いている。
やっと椅子から立ち上がった王女。アルギンに背中を向けてから、部屋に向かって歩き出す。
「……?」
その時、翻って靡いた髪の隙間から、王女の右耳が一瞬だけ見えた。
そちら側の耳も、左耳と同じような、上部が削ったように平坦な形の耳だった事に気付く。
怪我は両耳だったのか。アルギンはそれで納得した。自分の記憶に王女の耳に関する覚えがないのも、形が嫌で隠していたからだという事で納得はいく。
変な怪我だな。
アルギンはそうとしか思わず、考えず、王女の背中を追った。
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