第140話


 カリオンが帰城したのは、日付も変わった後だった。

 静かすぎる夜闇、しかし城だけは闇の中に沈んでいるように、うっすらとその輪郭だけを見せている景色。照らされた城はまるで、不気味な印象を遠目からでも与えていた。それは有事の際に城の位置を解りにくくするためにも灯りは最小限にしているというのが理由だが、カリオンにはどうしても、その見た目を含めて今の城の様子が好きにはなれない。城下の様子もそうだが、アルギン達と話して、共有した情報にはどうしてもこの状況を好ましく思うようになれる材料など無かった。

 城門横、使用人用の扉の前で馬を降りた。すると、門番のうち一人が近付いてきて、カリオンの馬を厩舎に連れて行く。こういう時は顔を売りやすいため、門番は丁寧に応対する。相手が近衛隊も率いる騎士隊『鳥』隊長カリオン・コトフォールだと解っているからだ。

 カリオンは冷めた顔で礼を言う。相手の名前は覚えない。恐らく、あと数分もしたら思い出しもしなくなる。相手がしてくれたことが善意からだったとしても、今のカリオンには気持ち悪ささえ感じてしまう。

 城に入ると中は灯りの為の蝋燭が点々と付いており、勝手を知っているカリオンが進むだけなら不便にも感じない。先日の国王快気祝いの舞踏会にあったような装飾は今はなく、それどころか普段置いてあったような調度品も全て片付けられている。それもその筈―――国王は、もう、亡い。明日、その触れが出される。


「遅いお戻りですね、カリオン隊長」


 彼の名を呼ぶ声が、廊下に響いて溶ける。この場所で話していて、声の大きさを迷惑に思う人物など居ないが、カリオンはその人陰の側まで歩を進めて声を潜める。


「……私の帰りが遅くとも、何の問題も無いだろう。執務上の滞りは無い筈だ」

「問題がありますから、私がこうして待っていたのですよ」


 それは『鳥』の副隊長だった。

 ベルベグ・コンディはまるで獣のような体躯で、執事を思わせる所作でカリオンに一礼した。それに嫌悪感を隠さない顔で、カリオンが吐き捨てる。


「私がいつ城を見限って出て行くのかが、それ程待ち遠しいか?」

「……隊長」

「呼ぶな。私は仮眠を取る、不急の用件は明日以降にしろ」


 ベルベグの隣をすり抜けるようにして、カリオンが廊下を進んでいく。その背中を見送るように振り返ったベルベグだが、その表情は沈痛な面持ちだ。


「緊急事態ですから、私が残っております」


 その言葉に、カリオンが足を止めた。


「……緊急事態?」

「隊長、我らはどうすれば良かったのでしょうか。国の、ましてや騎士達の分裂などあってはならない、そう思っていました。しかし、私と貴方で方針が違い、貴方は私を避けるようになった」


 密やかな声での呟きは、カリオンの胸の中に静かに沈む。沈んで、積もる。それはベルベグの嘆きであった。自分と一番近しい存在であるはずの、騎士達の最上位に立つ隊長と副隊長。その二人が、今、こんな場所でしか対話の時間を持てない。そうなったのは、どちらに原因がある訳でも無かった。


「……避けてはいない。だが、失望したのは確かだ、ベルベグ。……国が、城下が、今のような事態になっている原因が解っていて何故」

「それは、コトフォール家をお継ぎにならずに済む貴方だから言えるお言葉でしょうね。内政官のお兄様に家督を譲り、ご自身は自由に過ごされていらっしゃる。噂では貴方に、共和国の第四王女を降嫁させるお話も出ているとか? ……柵をお持ちでない貴方には、私めの悩みなど、遠い世界の話なのでしょうね」


 それはカリオンを羨む言葉のようだった。羨む、とは少し違うかもしれない。互いの立場の違いを嘆く意味合いが含まれるその呟きに、カリオンが表情を歪める。分かり合えないことなど、今まであってもここまで決定的な差を比べて嘆くまではなかったはずなのに。


「……私の妻になる人の話はどうでも良いでしょう。今彼女の話をすべきではない」

「関係ない、とは言えません。それを含めて貴方の環境です。貴方を構成するすべての要素が、私にはとても、輝かしくて、憎らしい」


 ベルベグは、昔から、若くして隊長になったカリオンを補佐していた。それは理想的な隊長と副隊長の在り方で、献身的なベルベグの姿は時の隊長達にとっての羨望の的だった。ベルベグの、カリオンに対しての忠誠心は、今も変わらない筈なのに。


「二人とも、こんな場所で立ち話ですかぁ?」


 その時、二人の話を遮る声がした。その声は高く、そして、カリオンにとっておぞましささえ感じさせる声。それは廊下の向こうから、二人の意識外からの声だった。

 蝋燭のみの灯りの中、歩く音は聞こえない。なのに、何かが這い寄ってくるような音をさせて、一人の女性が側に寄ってくる。

 ―――マゼンタ。現王妃の妹の一人であり、プロフェス・ヒュムネ。裾まであるドレスのせいで、足元は一切見えない。暫く前まで酒場の店員として質素な生活を送っていたという彼女は、今では王族の一員のように自由な振る舞いをしている。事情を知らないものはそれが不愉快に見えているが、王妃の妹だと知ればその不愉快さもすぐに消え、代わりに畏怖だけが残る。


「……マゼンタ様」

「もう遅い時間ですよ? ああ、やっとお戻りになられたんですねカリオンさん」

「……失礼。私用で出ておりました」

「私用? あは、あははっ。そうですか、私用ですかぁ。私用なら仕方ないですねぇ、うんうん。あは、はははっ」


 何が面白いのか、マゼンタは手を叩いて笑い始めた。その姿に、ベルベグもカリオンも黙ってしまう。

 カリオンは、この女の側から離れて早く部屋に戻りたかった。しかし、マゼンタが次ぐ言葉に、己の耳を疑うことになる。


「……私用で出てたなら知らないんでしょうけど。あのね、私の姪が、アールリトが、部屋に居ないの」

「部屋―――。」


 部屋、と聞いて、カリオンの表情が固まる。

 末姫アールリト。プロフェス・ヒュムネの血を引く、濃紺の髪の女性。次期女王として、城の中で最も東に位置する尖塔に居住空間を移したばかりだ。

 居住空間を移す、といえば聞こえはいいが、国王崩御間際から、彼女が逃げ出さないようにとする事実上の軟禁だ。そんな場所から、彼女が消えた。

 カリオンがベルベグを見る。その顔は暗い。もしかしたら、彼は本当はこれを伝えるためにカリオンを待っていたのか。


「私も探してあげたいんですけどねぇ、なにぶんこう暗いと、一人じゃどうしようもない所があって。ねぇ、ベルベグさん」


 そう言って首を傾げて微笑むマゼンタ。そう言っている間に、彼女の右腕が、ゆっくりと形を変えていく。最初は、ちゃんとしたヒトの腕の形。それが、徐々に緑に色を変えていく。そしてそれは、数本に分けて長細くなり、植物の蔦や木々の枝を思わせる形に。所々についた葉のようなものは、暗い廊下で僅かに発光している。

 そうして変化した彼女の姿は、ヒトならざるモノの姿だった。これが、神に生み落とされたプロフェス・ヒュムネの姿。彼女が動くに合わせ、樹木が軋む音がする。プロフェス・ヒュムネと知っていなければ、おぞましいと思わずにいられない光景だ。

 二人がマゼンタ達の事情を知っているからこそ、マゼンタは二人にこの姿を見せる。それはダーリャが言っていた『傲慢』の表れだった。


「……はい」

「あはははっ、どうしたんですかベルベグさん。ほら、行きますよ? 今から皆と一緒に探してくれますよね、カリオンさんも」

「………。」


 探す、とだけ聞けば麗しの家族愛に思えるかも知れない。しかしそうでない事は、カリオンだって解っている。

 彼女のドレスの裾の中は、恐らく腕と同じように変化させているのだろう。足音の代わりに聞こえる這うような音は、その予想を裏付けるものだった。

 カリオンがベルベグを盗み見る。彼の表情は暗いままだ。……自分が支持している派閥の一人が近くにいるというのに。


「……王女の身が心配です。私も捜索に協力しましょう」

「助かります。あの子、本当どこ行っちゃったのかなぁ? ……そんなに婚約破棄が嫌だったのかしら。相手、そんなに入れ込むような男に思えなかったけれど」

「………。」


 マゼンタは何でもない風に言い放つが、王女が婚約相手に抱いていた想いをカリオンは知っていた。過去、外交の為に王女に付き添った事もある。そして、王女は外交先で出逢った王子と恋に落ちた。

 だから、王女の拒絶は無理からぬこと。無理矢理座らされる玉座より、想う相手の側に居たいと思う事はごく自然な感情で。……それが許されぬのは、彼女の実母の思惑のせい。


「……マゼンタさん、何処を探すのですか」

「んー……。城の中と十番街はもう捜索隊出てるのよね。カリオンさん、擦れ違わなかった?」

「いいえ。……そのような状況になっていたとは知りませんでした」

「そっか。じゃあまだ捜索に不十分な所もあるのかも知れないですね? ……でも、困ったわ。他に探すところと言ったら」


 王女の居住空間である尖塔は、窓がひとつだけある。


「……川しかないじゃないの、ねぇ?」


 その窓の遥か下は、城下に広く枝分かれして流れる川になっていた。


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