第135話

 他の子供達が授業終わりの休み時間、庭に出て遊ぶ姿を遠くで見ながら、四人は庭の隅にあるベンチ付近にいた。双子は忙しなくあっち行ったりこっち行ったりを繰り返しているが、それを見るだけでもダーリャは嬉しそうに微笑んでいた。

 アルギンは、少しダーリャから距離を取ってベンチに座っている。時折双子が拾ったものを見せに来るのを、穏やかな目で見ていた。


「よく似てらっしゃる」


 ダーリャが呟いた。


「お二人にそっくりだ。特に……コバルトちゃんは、彼の面影がありますな」

「……そうでしょうか」

「それにしても可愛らしい。彼が生きていれば、きっと彼も娘を愛したでしょう」


 まだ二人の扱いに慣れない者の為に、コバルトは肩辺りで髪を切り揃えており、髪が背中まであるウィスタリアと識別できるようにしてある。

 二人は双子だ。しかし、似通った容姿ではあるが、二人をよく見ている者には判別できる容姿をしている。姉のウィスタリアは温和な内面が見えるような穏やかな目をしている。対して妹のコバルトは気の強そうな切れ長の目だ。

 彼の面影。その言葉にアルギンの口許が自然緩んだ。彼を覚えている者が、こんなにいる。


「あの人に似てる、って、そう言われるととても嬉しいです」


 もう居ない、最愛の人。


「いつまでも、あの人の事ばかり考えてるのも駄目だって……解ってはいるんですけど」


 今でも彼の事を思い出して眠れない日もある。

 ふとした時に、彼がいてくれたら、と考える場面もある。

 彼が死んでいるのはこの目で見た。首が無くなってしまったら生きる事が出来ない事は、アルギンだってよく知っている。


「……永遠を誓ったのでしょう。貴女の傷は、まだ深い筈だ」


 アルギンは何も言えずに押し黙る。彼の為に捧げたかった自分は、捧げる先を見失って立ち止まったままだ。

 双子もそんな母親を心配して、小走りで近寄ってくる。小さな顔が二人分、アルギンの顔を覗き込んだ。


「ままー?」

「……まま……?」


 不安そうな子供達の声に、アルギンがそのまま二人を抱き締める。それだけできゃっきゃと声を上げて喜ぶ二人。


「……ねぇ、ウィリア。バルト」

「なぁに?」

「なーにー?」

「このおじさんはねぇ、パパの事を知ってる人なんだよ」


 アルギンがダーリャの方を向いた。ダーリャは急に話を振られて驚いた顔をしたが、途端に目を輝かせる双子を見て何かを決心した顔になる。


「ぱぱのことぉ!?」

「知ってるの、おじさん!!」

「……ええ、知ってますよ」


 双子も、父親の話を聞いてない訳ではない。シスター達も聞けば教えてくれるし、フュンフは聞かなくても色々と(賛美大半で)教えているそうだ。だから二人には父親に対しての印象は良好、そう感じている。

 ダーリャは考え込んでいる。こんなに瞳を輝かせた子供を前に、何を話していいものかと。その間にも、子供達はダーリャににじり寄っている。


「どこから話したものですかな。そうですな、貴女方のお父様は、なんでも好き嫌いせずに食べたのですよ」

「なんでも?」

「お野菜も?」

「そうです。だから、とても背が高かった。それに、とても強い人だった。日々の恵みに感謝して、命をいただいていたからですな」


 穏やかに当たり障りのない話をしているダーリャは、本当に言葉を選んでいた。彼の性格はあまり褒められたものでは無い事をアルギンは良く知っているからだ。

 ダーリャの話に双子が耳を傾けている最中、アルギンはどこからか誰かが走ってくる音を聞いた。あ、これは、と思う前に、アルギンがベンチから立ち上がった。振り返ると、向こうから凄い形相で走ってくる男の姿が見えた。長い茶の三つ編みが左右に揺れている。


「ア・ル・ギ・ンんんんんんん!!!」


 四十を超えて久しい男の走りとは思えない速さで、神父服の男は走ってくる。ダーリャもそれに気付いて振り向いた。


「あ、せんせいだー」

「せんせー」


 ダーリャから視線を外した双子は男―――フュンフの方を向いた。全員の視線に晒されながら、フュンフはアルギンの側まで走ってくる。そして一発殴ろうとしたのか拳を握り、そしてダーリャの視線に負けて足を止めると同時に拳も下ろした。


「よう、お疲れさまじゃんフュンフ」

「貴様……、何の用があって来た……」

「何の、って、自分の子供に会いに来たんだよ。ダーリャ様も一緒にな」

「ダーリャ様! 何故このような時期に!!」

「さて、時期、とは。何の事ですかな?」


 フュンフの顔はアルギンに対する憎悪で一杯だ。それに愉悦に似た何かが込み上げるのを感じたアルギンは、双子の頭を撫でながら性根の悪い笑みを浮かべた。

 フュンフは憤慨している。今現在国も自分も忙しいこの時期、まさか仕事場まで押しかけられるなんて思っていなかったからだ。ずかずかと歩みを怒りに任せてアルギンのすぐ隣まで進んだフュンフは、その胸倉を掴んで自分の側まで引き寄せる。


「話したのか」


 フュンフの冷たい声は、自分達と酒場の関係の事を暗に言っていた。アルギンは胸倉を掴まれている手を乱雑に外させながら、その一言を鼻で笑う。


「まだだよ」


 フュンフの心配はそれだったのだろう。その一言と同時、彼は体を離す。まだ怒りに表情は歪んでいるが、昔の上司や子供の前では怒鳴り散らすことも出来ない。アルギンはそれを解っていて、余裕のある振りを続ける。


「それよりも、フュンフ」


 声はダーリャのものだった。様付けをしないダーリャの声に、アルギンが僅かに怒りを汲み取った。


「少し、お話をさせていただきたいのですが、宜しいですかな?」


 温和な表情は今はない。その眼光に、昔彼が騎士隊長としてその座に就いていた時の事を思い出す。

 彼は優しくても騎士だった。そして隊長だった。アルギンもフュンフも、黙り込んで俯いた。双子がそんな三人を見て、心配そうな顔をしている。


「……ごめんね、ウィリア、バルト。また来るから、二人はもうお帰り」

「えー……。もう?」

「やっとまま、来てくれたのに……」


 二人の言葉に後ろ髪を引かれるアルギン。その間にフュンフが「こちらに」と、ダーリャを案内し始めていた。


「じゃあ、お話終わったらまた戻ってくる。ちょっと時間かかるけど、それでもいい?」

「……うん」

「はやくもどってきてね」


 舌っ足らずの二人はそれだけ言うと、名残惜しそうに去っていった。その二人の背中を暫くの間見送った後、アルギンもフュンフとダーリャを追った。大体行く場所の目星はついている。施設長の執務室だ。

 アルギンがその重厚な扉の側まで行くと、驚いたことにダーリャの怒鳴り声が響いている。ノックしても無駄そうなので、部屋の中の様子をそのまま窺う事にした。

 「どう責任を」「貴方は一体何をしていた」そんなダーリャの声が聞こえる。アルギンは中に入れる気がしなかった。しかし、あまりにフュンフ一人が責められている状況に少しだけ心が痛んだアルギンは、そこで漸く扉をノックする。

 返答はない。それでも、重い扉を開いた。


「……アルギンでしたか」


 中では、部屋の中央で二人が向かい合って立っていた。フュンフの表情から察するに一方的なお叱りを受けていたのだろう。ダーリャはアルギンの姿を見ると、咳払いを一回して近くにあったソファに腰掛けた。アルギンは、座るのを憚られた。


「子供達はどうしたのです」

「一旦帰らせました。少し待っててと言ってるので、またダーリャ様が遊んでくださるのであれば、御一緒に」

「……そうですか」


 ダーリャの息が少し荒い。それもそうだ、通路にまで聞こえる声で怒鳴っていたのだから。アルギンはフュンフと目を合わせる。視線で会話できる程仲が良い訳ではないが、軽く顔を振り『少しこっち来い』という意思は通じたらしい。

 二人で部屋の隅に寄り、フュンフがほんの小さな溜息を漏らす。その溜息も無視して、アルギンは小声でフュンフに尋ねた。


「何の話してたの。廊下まで怒鳴り声が聞こえてたぞ」

「……おおよそは想像がついているのではないか」

「そーかい」


 言われたので遠慮なく想像する。

 城下ではまだ混乱している二番街の件だろう。それから、冒険者ギルドに加入しているならあの植物の件も耳に入っている筈だ。それなのに城下、特に下層とされる地域には騎士の姿は一切無い。すぐさま想像できるのはその辺りか。


「……話す?」


 アルギンが恐る恐る尋ねた。今更ダーリャを『老骨の出る幕は無いぞ』と追っ払う事なんて出来ない。元々人徳の塊のような人だった。今でも騎士にはダーリャを慕う者が多い筈。アルギンがそうであったように。ダーリャがいるといないとでは、こちらの士気にも関わって来るだろう。

 フュンフとしては相変わらず『面倒事ばかり持ち込んできやがってこの女は』という視線でアルギンを見ている。


「……カリオンの許可が無いと、話すのは憚られる」

「へぇ、カリオンが一応そっちの頭役なのな」

「流石、全騎士達の長といった所だ。今は隊の分断の危機でそれどころではないようだが……」

「じゃあ、カリオン呼んで来いよ」

「はぁ!?」


 まるでお使いを頼むような気軽さで、フュンフに提案したその言葉を大声で聞き返される。フュンフのその反応にダーリャは驚いたように身を竦ませていた。


「貴様……幾ら貴様があのギルドのマスターだとて、私を軽々と顎で使えると思ったら大間違いだ」

「やめてくれ、アタシのやろうとしてることは国に背くかも知れない。権力を笠に着ている訳じゃない」


 フュンフの怒りは、アルギンが珍しく真顔で答えた。その表情は、アルギンの仄暗い心の内を垣間見せたようでフュンフもそれ以上言うのを止める。

 確かに、カリオンを呼んできて話をするのが一番解りやすいのだろう。ダーリャの怒りは尤もだ。その怒りを解くには、カリオンが直に話をして、現状況を伝えてくれるのが一番手っ取り早い。その状況にダーリャが納得してくれるかはまた別問題にはなるが。

 フュンフの思案は短いものだった。その思案の結果を口にする前に、フュンフが深い溜息を吐く。


「……また、酒場へ」


 フュンフの答えは短いもの。アルギンは「そうか」とだけ呟き、それからダーリャの側へ。


「ダーリャ様、行きましょう」

「し、しかしアルギン」

「今は話せない事があるんです。……ウィリアもバルトも、待っていますから」


 ダーリャがソファから立ち上がる。それを先導するようにアルギンが扉まで歩き、それを開く。


「そんじゃな、フュンフ。忘れんなよ」

「……ああ」


 二人の間で何かしらの話をされていたのはダーリャだって解っている。しかし、その時は何も不満を言うことなくダーリャがアルギンに続く。

 扉は閉められた。アルギンが再び先導して、双子の待っているだろう先に歩き出す。


「アルギンは、まだフュンフと関係が続いているのですね」


 アルギンの背中に投げられたのは、ダーリャの短い呟き。


「……あの子たちをお願いしていますし、アイツ、……彼も、まだあの人を慕ってくれていますから」

「それだけでないようにお見受けしましたが?」

「それだけ、ですよ。彼にそれを聞かれたら、凄く嫌な顔すると思うんで言わないでやってくださいね」


 少し勘繰るような言葉には、アルギンにも若干の不快感を与えた。アルギンとフュンフの仲は、簡単に一言で片付けられるようなものではない。しかし、当人たちがそれ以上の感情を抱いていないもの事実だ。憎まれ口の応酬もたまにするし、必要以上にこき下ろすこともある。本当に、それだけ。


「フュンフは、あのような口調をするような男ではないと思っていたのですが。それだけ、貴女に心を開いたように見えたのですよ」


 アルギンは足を止めなかった。本当にそうだとしても、彼もアルギンも、きっと互いをそれ以上に思うことは無い。


「ダーリャ様。あの子たちはまだ父親の話を聞きたがると思うので、話す内容を考えといてくださいね」


 そうして話をはぐらかす。はぐらかして、向かう先は双子の待つ場所。

 二人の姿を見つけた双子は、輝くような笑顔で走って来た。


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