第134話
十番街の施設―――孤児院。
アルギンは道すがら、これまでの事をダーリャにぽつりぽつりと話していた。
もういない『彼』がどんな雰囲気で『月』の隊長として仕事をしていたか。夫としての彼はどうだったか。そして、どんなに彼を想っていたか。半分以上は惚気になってしまっている事にも気付かないまま、アルギンはダーリャに話し続け、そしてダーリャもその話を頷きながら聞いていた。
「アルギンは、彼のよき妻であったのですね」
途中でそう零したダーリャの言葉に、アルギンの心はどれだけ救われたか解らない。短すぎる夫婦としての時間、それは今でもアルギンの胸の中に大切なものとして残っている。
孤児院に到着したのは昼前だ。アルギンは勝手を知っているので正面から入る。アルギンの来訪に気付いたシスターが駆け寄ってきて、淑女の礼をしてからアルギンの連れに視線を寄越した。
「アルギン様、……え、も、もしかして」
そのシスターは勤続年数も長く、それでなくとも『元』とはいえ騎士の隊長ともあれば顔はあちらこちらで知れている。シスターは驚いて目を丸くしたまま戻らない。何か異変を感じたシスター達が様子を見に出てくるが、それらも全員目を丸くしたまま硬直してしまった。
しまいにはシスター長まで出て来た。かつて双子をこの孤児院に預けた時、温かい対応をしてくれた彼女だ。
「……お久しゅうございます、ダーリャ様。遠路はるばる、ようこそお越しくださいました」
そう言って頭を下げるシスター長は、流石といった所か。ダーリャはそう言われ、柔和な表情をしている瞳を更に細める。
懐かしい、と思っているのだろうか。アルギンがそう考えていると、ダーリャは軽く首を振って、シスター達に声を掛ける。
「手土産も無い老いぼれに、ここまで歓迎していただかなくても結構ですよ。……今日は、その、アルギンのお子さんに逢いたくて来たのです」
「まぁまぁ、あの二人にですか?」
二人、と聞いてダーリャの目が見開かれた。
あ、ヤベ、言ってない。アルギンの口についその言葉が出かける。必死で飲み込んだ。
「……二人?」
「双子なんです」
「双……」
これもまた、ダーリャの想像を軽く飛び越えた事実らしい。アルギンは色々感極まっているダーリャへシスター達の視線を外させるように、シスター達に質問を投げ掛けた。
「折角ダーリャ様が戻ってらしたんだから、フュンフいたら出して欲しいんですが」
「フュンフ様はまだこちらにはいらしてません」
「お休みでなければ一日一回は必ずお見えするので、お待ちいただければいらっしゃるとは思います」
「なんだ、まだいないのか」
予想の出来た事ではある。でも実際そうなると残念だ。仕方ないので、ダーリャが忘れかけていそうな本来の目的を切り出す。
「……それで、その、……子供達に逢いたいんですが……いま、授業中?」
「そうですね、でももうすぐ休憩時間なので。良かったらお茶を出しますので、奥へどうぞ」
「どうします、ダーリャ様? ……ダーリャ様……?」
ダーリャは胸から三神教のシンボルを下げたネックレスを握って何やらぶつぶつ繰り返している。これだけ見ると危ない人だ。アルギンが名を呼ぶ声も届いていないらしい。どうしようコレ、とアルギンが困っていると、シスター長が突然掌を数度打ち合わせた。その音に弾かれるように顔を上げるダーリャ。
「ダーリャ様、そんな所は相変わらずですね」
「う……うん? お、おっとこれは失礼しました」
「では、改めて。ダーリャ様、アルギン様、奥へどうぞ。さしたるおもてなしも出来ませんが、お茶をお出しするくらいはさせてくださいませ」
ダーリャのこう言った時の扱いも慣れているらしく、シスター長は奥へと二人を案内する。応接室はアルギンにも見覚えがある。双子を孤児院に渡した時と同じ場所だ。胸が苦しくなるような感覚を覚えながらも、アルギンはその中に通される。
中のソファに二人が座ると、その向かいにシスター長が腰掛ける。他のシスターは仕事に戻ったり、お茶を淹れに行ったりと別々になった。
「今日お二人がいらっしゃるなら、お菓子でも用意したものですが」
「お茶を下さるだけでも充分です。ですよね、アルギン」
「そうですよ。急に訪問してしまい、すみません」
アルギンが数度頷いた。シスター長は笑顔を浮かべたままだ。
「大丈夫ですよ、いつでも来られる時にいらしてください。……それより、ダーリャ様」
「何でしょう?」
「お戻りになられたとは知りませんでした。……久し振りの城下は、貴方の目からみてどう映るのでしょうね」
その言葉に何らかの重さを感じたアルギン。この城下が見た目こそ変わっていなくても、様子が変わってしまったのは、アルギンから見ても明らかだ。ダーリャはシスター長の言葉に、考え込むように腕を組んだ。それから、ソファの背凭れに体を預ける。
「……変わりました、な」
「そうですか」
「見た目ではない。もっと本質的な何かが。具体的に言うのは難しいですが、今の城下はまるで私の知っているアルセンではない」
ダーリャの言葉と同じくして、紅茶が運ばれてきた。カップも茶葉も、ミュゼのいる孤児院で出された物より段違いに質が良い。ダーリャは紅茶の香りを楽しむように鼻を近づけ、それから紅茶を口に含む。ゆったりと味わうその様子は、騎士を辞めて大分経つと言うのに気品を感じさせる。アルギンはそんなダーリャを横目にさっさと飲み終わってしまった。
「一体何が起きたと言うのです。私の愛したアルセンの城下はこんな萎れた街ではなかった。私が守りたかったものを、今の騎士は見て見ぬふりをしているのですか」
「それは、………」
それを、シスターに聞いても仕方の無い事だけれど。それを解っていて、ダーリャは憤慨しているように見えた。やり場のない憤りを、今、シスター長にぶつける。彼女は黙って聞いていた。
「ダーリャ様」
シスター長が、皺だらけになった口を開き、その名を呼んだ。
「若い者に全てを任せ、皆の前から消えた貴方が今更それを言うのですか?」
その言葉はダーリャのみならず、アルギンの心さえ殴りつけた。アルギンも元騎士隊長だっただけに、その言葉に痛みを感じる。ダーリャも黙り込んでしまった。
「……これを言う資格は、私にはないかも知れない。それでも、国を案じている心は本当です」
「案じるのは結構ですが、それでも貴方は後任に全てを任せたはず。もう、年寄りの出る幕は無いのですよ」
シスター長は諦観のような表情をしていた。もう彼女には、これからを想うには時間が足りないのかもしれない。シスター長も自分の紅茶で唇を湿らせ、再び声をダーリャへ。
「もし、貴方が今でも国を案じていると言うのなら、若い物へと力を貸すのが精々なのではないでしょうか」
「……シスター」
「でしょう? アルギン様」
「え……」
突然、話を振られてアルギンは戸惑う。しかし、それに何と答えればいいのか迷って口を噤んでしまった。シスター長が何をどこまで知っているのか解らないからだ。するとシスター長は、いつもと変わらない笑顔で。
アルギンが言葉選びに迷っていると、突然鐘の音がなった。授業終了を告げる音だ。
「……お二人とも、時間です」
「懐かしい。またこの音を聞けるとは思いませんでした」
「我が施設は、ずっとこの音ですよ。それはきっと、この先も変わらないでしょうね」
暫く待つと、軽い足音が二人分聞こえた。その足音に、知らずアルギンの胸が高鳴る。
「まま!!」
「ままっ!!」
よく似た声が二人分。扉の隙間から顔を覗かせる、小さな子供が二人。アルギンの表情が一気に明るくなる。しかしそれとは対照的に、双子は知らない顔を見つけて表情を曇らせた。
「……どなたですか?」
「………おきゃくさんですか?」
たどたどしい言葉で、二人がダーリャの様子を伺っている。対するダーリャは、双子の登場に固まっている。そんなダーリャは一先ず置いといて、アルギンが二人に手を振った。
「ウィリア、バルト、おいで。この人はママの知り合いだよ」
「しりあい?」
「わーい」
おいで、と言われて小さな二人がアルギンの側に駆け寄った。そしてソファの横から後ろからアルギンに抱き着く。久し振りの抱擁に、アルギンの表情は緩みっぱなしだ。
「ままー、だいすきー」
「わたしもー。まますきー」
「えへへへ、嬉しいなあ。ママも二人の事が大好きだよー。元気してた?」
三人が団子になってニコニコしている横で、ダーリャは再びネックレスを取り出していた。その様子を冷めた目で見るシスター長。ダーリャはひとしきり祈りの言葉を呟いた後、自分で自我を取り戻していた。
「貴方は、変わらないですね」
シスター長の言葉を聞きながら、ネックレスを元の場所へ戻すダーリャ。
「人は、そう簡単に変われませんよ」
「そうですねぇ」
シスター長の瞳が細められる。それはまるで自身の過去を想うかのような表情だった。
「よーし、ここじゃ遊べないから外行こうか二人とも」
「はーい」
「はーい!」
「ダーリャ様はどうします?」
「私? 私ですか、そうですね」
ダーリャは視線をシスター長に向けた。彼女は、特に何も言わないししない。
「先に行っててください、すぐに追いつきますから」
「解りました。じゃ、二人とも行くよ」
アルギンと双子はそのまま応接室を出て行った。一気に静かになった部屋で、二人が改めて顔を見合わせる。
ダーリャの視線を受けながら、シスター長は少しばかり居心地が悪そうだ。そんなシスター長を見ながら、ダーリャは笑った。
「大分、お老けになりましたなお姉様」
「黙らっしゃい」
それが、姉弟として交わした一言だった。
ダーリャはその言葉を残し、紅茶を飲み切って応接室を出て行く。アルギン達を追う為に。
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