第136話


 作戦会議と称した酒場の夜はまた始まった。

 アルギンはその日もギルドメンバーとクプラやスカイ、ダーリャ達の食事を用意し、その日は少し遅いフュンフたちの到着を待った。

 そこまでは今までの作戦会議と何も変わらない。食事の用意はアルギンの気分転換も兼ねており、適当とは言え質は悪くない。大皿に並べられた食事をそれぞれが思い思いの量を取って、席に座り、食していく。今日はホットサンドとビーフシチュー、温野菜のサラダ。パンのおかわりまでついている。一人ひとつ渡されたスープ用のカップは、暖かそうな湯気を立てていた。

 食事はあらかた片付いた頃、女性陣とスカイには作っておいたプリンを出した。これはいつか子供達に食べさせようと、機嫌のいい時を選んで練習しているものだった。今はまだその時が来ることは無いのだが、多めに作ったプリンは腹の子の為とクプラに二つ出された。

 そのプリンも皿を片付け始めた頃だった。酒場の扉を叩く音が聞こえたのは。


「開けてやってくれ」


 皿を積むアルギンの一声で、アクエリアが扉の閂を開く。ベルの音が鳴り、開いた扉から現れた姿は二つある。

 相変わらずの外套姿だ。しかし、背格好には見覚えしかない。


「よう、遅い到着だなぁ?」


 外套を脱ぐ二人――カリオンとフュンフ――は、晴れやかな顔をしていなかった。どこかしら患っているような重い顔。特にカリオンは、沈痛な面持ちだった。アルギンはその理由を知っている。ダーリャがいるからだ。

 ダーリャは食事中は朗らかに笑っていた。ギルドメンバー達と早速打ち解けていた。その包容力と、誰かを惹き付ける人間性は、今も昔も変わっていない。しかし、今は眼光鋭い冒険者の視線で、二人の到着を眺めていた。フュンフとカリオンは、その視線から顔を逃がしている。アルギンが二人を揶揄うように言った言葉には、フュンフが舌打ちを返した。


「……こちらも暇ではないのだよ。貴様とは違ってな」

「あんだと」

「やめないか二人とも。そんな事言いに来たのではないだろう」


 早速噛みつき始める二人を諫めるカリオンは、日ごろの仕事でも疲れているらしい。この場所に来るまでに疲弊しきってしまっているようだ。その二人にアルギンは水を汲んで出した。適当な席に座れと指示して。

 二人は同じテーブルについた。斜向かいに座るようにして互いに距離を取っている。その間も、ダーリャは厳しい目で二人を見ている。


「―――カリオン、フュンフ」


 そして、その口が開かれる。


「『アルセン国の騎士たるもの、国の有事の際には市民の命を第一に勤める事』」


 その顔は、アルギンの知っている騎士としてのダーリャの顔だった。


「今のアルセンはどうなっているのですか。カリオン、フュンフ。あなた方がいながら、この国の状態は一体何なのですか」


 低い声が語る言葉は、全員の意識を奪うものだった。その言葉の重さは、アルギンの比ではない。酒場が自分たちの拠点であるギルドメンバーは、今日突然酒場に現れたこの老人が国について語り出すのを驚いた顔で見ている。

 特に怪訝な顔をしているのはアルカネットだ。既に幾らかダーリャと話をして、悪い人間ではないと解っているらしい。それがアルカネットの毛嫌いする騎士に説教モードだ、その不思議な光景に頭が付いて行かない。


「……おい、アルギン。ダーリャって一体何なんだ」

「何って?」

「騎士隊長にあんな話し方して」

「先々代の『月』隊長だよ」

「は……!?」


 それをさも当然、とでも考えているかのようにあっさりと話すアルギン。しかし、アルカネットの動揺と同時にダーリャの厳しい目がアルギンに向けられる。


「アルギン、私の話は今するべきでは無いでしょう」

「……失礼しました、ダーリャ様」


 アルギンの謝罪を無言で受けて、再びダーリャはカリオンとフュンフの二人に向き直る。二人の表情は変わらなかったが、ギルドメンバーはアルギンが『様』を付けて呼んだ事実に目を見開く。今の今までそんなアルギンは見た事が無い面々が、途端にダーリャを畏怖混じる視線で見始めた。ダーリャは未だ、騎士隊長の二人に説教を続けている。恐らく今日の昼過ぎに孤児院で同じことを聞かされていたであろうフュンフの顔は、もう解放してくれと言っているようだった。

 ダーリャの説教は、横から聞いてても決して的外れではない内容だった。だが、こうして時折酒場に来る二人の考えはギルドメンバー全員が解っている。一方的に叱られている二人をどうにかして助けられないか、誰もがそう思っていた時だった。


「……やめてください」


 か細い声が、全員の耳に届いた。

 それはスカイの口から発せられた小声。


「せんせいは、……先生は、困っている誰かをわざと放っておいて、知らない振りをしている人じゃないです。困っている人がいても、助けたくても、助けられないって、言ってました。先生は、そんなに怒られるような酷い事をする人じゃないです」


 先生、というのはスカイがいた孤児院の施設長をしているフュンフの事だ。まさかスカイが口を開くなんて思っていなかったフュンフとアクエリアは驚いて、そして、口を噤んだ。

 ダーリャも驚いている。自分に否を告げる者が、この酒場にいる中で一番小さな者だとは思っていなかったようだ。


「……君は、フュンフを信頼しているのだね」


 ダーリャはそんな小さなスカイに、敢えてそう言ってみた。その信頼がどこから来るのか確かめるように。


「先生を近くで見ています。そんな酷い事する人じゃないです」


 それはかつての奴隷時代を思い返した上での言葉かも知れない。けれどスカイの目は、ここにいる誰より澄んだ目をしている。ダーリャはその目にそれ以上言葉を募らせることを止めて、溜息を吐いた。


「君を信じましょう。……しかし、事実この国は荒れてしまった。その事に対策があるのならば、是非聞きたい所ですね」


 ダーリャの目が改めて、騎士隊長二人に向いた。漸く解放されたか、という色が見えたがそれに関してはアルギンは黙っておいた。

 騎士隊長の二人は改めてダーリャに向き直る。そして、カリオンが話し始める―――


「実は、ダーリャ様、これには事情が」

「この話でしたら、アルギンが隠さず申し上げる事が可能です」


 そのカリオンの言葉を押さえつけるように、フュンフがアルギンに全てを擦り付けた。


「はっ……ぁあ!?」

「私共は、この酒場と連絡を密にしておりますので。私共が語る事が出来ない内容も、アルギンでしたら話すことが出来ます」

「ちょっ……、待て、フュンフ、お前!!」

「さて、アルギン。我々の共通して抱いている秘密を、どうぞ聞かせて差し上げるといい」


 裏切ったな!! アルギンの表情がそう言っていた。お前、昼間はカリオンの許可が無いととかいっておきながら、と声にならない声が吐息となって漏れると共に、アルギンの顔色から血の気が引いていく。ダーリャの視線と注意はアルギンに向いて、それからゆっくり椅子が方向を変える。ダーリャの全部がアルギンを捉えて、もう、逃げられない。


「……ほう? アルギン、御聞かせ願えますかな」

「あ、あの、その、あうう」


 ギルドメンバーは押し黙ってしまった。こうなってしまうともう、誰も庇う事が出来ない。スカイとクプラは何が何だか解らない顔をしているが、面倒事になっているというのは感じることが出来た。

 アルギンが腹を決めるまで五分。それまでの沈黙は、誰にとっても重くて苦しいものだった。




「……そのような事が……」


 ダーリャに包み隠さず話した。

 それはオリビエの死の事件まで遡る。二番街で見た植物。王家から言われた事、十番街に来いと言われたあの話。そして崩落した跡地に現れた蔦の集合体。そしてそれらに付け加えるように、フュンフは城下の事件に不可侵であるよう言われていることを話した。

 それらを聞いたダーリャは愕然としていた。まさかそこまで、などと呟いている。


「……一先ず、アタシの口から話せるのはそれだけです」


 ダーリャもそうだが、クプラとスカイはその話を聞いて愕然としていた。この面子が何かしら危ない事を考えていたのは知ってはいたが、まさかここまで大仰な話になっているとは思っていなかった顔だ。これまでの孤児院での勉強で、この話がどんな意味かを知れるまでになっているが故に不安そうな顔をスカイがしていた。その小さな頭を、アクエリアの手が撫でる。

 クプラの顔も沈んでいた。これまでは自分の生を生きるのが精いっぱいだったクプラは、この場所に来て、その生活が脅かされる事態になっていることを改めて知った。全ては、王家の仕業かも知れない事も含めて。不安そうに腹を撫でる顔を、アルギンは複雑な表情で見ている。


「ありがとうございます、アルギン。……今の事態、よく解りました」

「とんでもない」

「そうですか、王妃が……そんな事を。陛下はよく黙っておいでですな」

「……それが」


 それは、アルギンがわざと言わずにおいた事。


「陛下は、崩御なさいました」

「何、と……?」

「今は城下の混乱が激しく、触れは明日出すとの事。その準備で我等も遅くまで動いており、今日こちらに来るのが遅れました」

「なんだ、お前さん達ちゃんと仕事してんのな」

「どの口が言うか」


 アルギンが再び茶化す様に言うと、フュンフからすぐ言葉が返る。二人が再びやり合う気配を見せるが、カリオンの一瞥を食らい二人とも黙り込む。

 ダーリャは、国王崩御の話を聞いて頭を抱えて下を向いていた。


「……陛下が……そうですか……。そうですか、よく解りました」

「ダーリャ様」

「王妃も……、まさか、そんな人だとは思っていませんでした……。昔は大臣や内政官から、お二人の結婚を反対する声が多かったのですが」

「反対?」

「噂があったのですよ。『王妃はかつて、陛下の命を狙った賊であった』と」


 その場にいた全員が、それぞれ反応を示した。アルギンや騎士隊長の二人は目を見開き、ギルドメンバー達は怪訝な顔をし、アクエリアだけは、唇を引き結んだ。


「……噂? でも、実際そんな賊であったなら婚姻関係など結ばずに即刻処刑台行きなのでは」

「噂、ですから。でも、王妃の出自を知っている者ならば、皆が皆さもありなんという顔をするのですよ」


 ダーリャの顔が上がる。そして、その場にいる全員の顔を見渡した。


「王妃はプロフェス・ヒュムネです。……帝国に、そして、我が国に滅ぼされた国の、王家の者です」

「―――!!!」


 その言葉は、アルギンの体中を鮮烈に駆け抜けていった。知らない情報が、ダーリャの口から出た。

 『我が国に滅ぼされた』? そんな事、誰からも聞いてない。


「過去に、ファルビィティスという名の国がありました。話は、そこまで巻き戻ります。これは、国が隠しておきたかったであろう話ですが―――、皆さん、聞く覚悟はおありですか?」


 ダーリャは再びその場にいる全員の顔を見渡す。

 その全員は戸惑いの色を隠せなかったが、やがて、ダーリャは話し始めた。


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