第130話

 お行儀悪い客対策に、今日もまた店を閉めている『J'A DORE』。普通の店であれば収入が一切無い状態に悲鳴を上げそうなものだが、今日のアルギンはいつもと特に変わりはない。夕食にはギルドメンバー全員が揃い、クプラも一緒になって足の速い食材で豪華な夕食になっていた。

 葉物野菜や卵を使ったパスタにサンドイッチ、店で出すよりも分厚いステーキ、色とりどりの野菜たっぷりのサラダ。それらを適当に皿に盛り付け、立食形式にしたアルギンはその疲労からか食事に手を出すことなく端に寄せた椅子に座ってだらしなく足を投げ出している。


「……その格好、死んだ旦那が見たら泣くぞ」


 アルカネットから言われた言葉に急いで足を閉じるアルギン。


「ステーキ美味しい……」

「本当。お店ってこんないいお肉使ってたんですね」


 ジャスミンとユイルアルトは並んで楽しそうに食事を口に運んでいく。アルギンは椅子に凭れたまま、医者二人の言葉に頷いた。


「肉はアタシが好きじゃないから。取り敢えずステーキ用でそこそこ高い肉選んどきゃ大丈夫だろって思って」

「酒飲みに来る奴等なんて馬鹿舌って相場が決まってるんです。安い肉でも大丈夫ですよ、アルギン」


 アクエリアが横から会話に加わりながら、その肉を小さく切って口に運ぶ。成程、二人が舌鼓を打つのも解る。上質な脂が噛むたびに流れてくるのが感じられ、その味も高級品。ソースの味はしっかりと肉の旨味を引き立てていた。アクエリアは先程までの自分の発言を撤回しようか迷っていた。これは旨い。


「俺は今のままの肉が良い。仕事終わりで食うと疲れも飛んでいく」


 アルカネットは肉を自分の皿に何切れか寄せると、それに集中して食べ始める。体力勝負の自警団員としては、これが最高のエネルギー補給とばかりに。

 ミュゼは、パスタとサラダだけを取って、少し離れた場所でもぐもぐと食べ始めていた。葉物野菜を食む姿はまるで草食動物のような印象。そんな彼女に近付いて行くのは、アクエリア。


「野菜ばっかりで飽きませんか」

「……肉は駄目なんだよ。血の味がすると食欲も萎える」

「そんな事ばかり言ってるから細いんですよ。肉食べないならもう少し食べる量増やしなさい」

「あ、こら、テメ、増やすな! オカンかお前はよ!!」


 自分の皿からひょいひょいサラダを乗せていくアクエリア。そんな彼に嫌な顔をしながら皿を遠ざけるミュゼ。

 アクエリアは昨晩の事を一切気にしていない顔だった。それがミュゼの心中を複雑なものにさせている。それが気遣いだとしても、自分が彼の心を乱すことが出来ない、それが悔しくて。

 彼に背を向け、無言で野菜を口に運ぶミュゼ。もう、振り返ってやる気もしない。

 そんな二人を遠目に見ていたアルギンは、もう心配なんてしていなかった。二人には二人の距離感があるのだ、今のやり取りが出来るなら、二人の仲を案じる事もないだろうな、と。

 安心しながら次は視線をクプラに向ける。……泣いていた。


「え、ええええクプラ!? どうした!!?」

「……わたし、私……」


 クプラは料理全種類を皿に取っていた。そして、何かしらのものを咀嚼しながら涙を流している。

 アルギンは一目散にクプラの元へ駆けつけ、その涙を拭いてやる。ギルドメンバーも全員仰天していた。


「こんな、料理、今まで殆ど食べたことがなくって……」

「………クプラ」

「おいしくて、温かくて、それで、優しい皆さんと、一緒に食べられてって……嬉しくて」


 クプラの言葉にアクエリアが沈痛な面持ちで顔を俯かせる。同じような言葉を、彼は少し前にも聞いたことがある。奴隷扱いで、骨のように細くて、小さくて。スカイはそれでも、アクエリアの側に居る時は笑顔の方が多かったけれど。

 こんなに無防備に泣いてしまう程、今までの生活が辛かったのだろうか。女性が身籠ってからの生活は、アクエリアには想像も出来ないものだ。アルギンがよしよしとクプラを撫でると、泣きながら食事を再開する。


「おいしい。おいしいです」

「嬉しいね、クプラ。そう言って貰えると、作った甲斐があるってもんだよ」


 破顔したアルギンは、クプラの皿に肉をよそう。それを黙々食べる姿に、その場にいた全員が複雑な心境を抱いた。この酒場の裏の顔を知ってしまった以上、元の生活には戻れない。しかし、元の生活はこのギルドに身を置くより何倍も厳しい世界だったとしたら。行くも地獄、帰るも地獄のクプラの今の状態にアルカネットが何も言えず肉を食む。アルギンが女性を手荒に扱う人物で無いのは知っている。

 そんな時、酒場の扉が動く音がした。ちりん、とベルの高い音がする。しかし今日も閂が掛かっている扉は何者の侵入を拒んだ。


「アルカネット、開けてやれ」

「俺がか? ……解った」


 その扉の閂を外せば、外から二人の影が店内に入って来た。その二人は今日も外套姿。一人は良いとして、もう一人は随分小さい。

 二人の姿は予想がついていた。アルギンは店内に入って閂を掛ける二人に声を掛ける。


「先にやってるぜ。食べたきゃ自分で取ってくれ」

「……随分余裕だな」


 外套を取って現れる姿は、フュンフだった。神父を思わせる黒い服は、彼の普段の仕事を思わせる。長い癖のある茶色の髪は三つ編みにされ、背中に落ち着いていた。外套を角に纏められていた椅子に掛け、それから料理の側に歩いて来た。

 もう一人は、まだ入り口付近から動かない。やっと外套を脱いだ姿は―――スカイだった。


「お……、お久しぶりです、皆さん」


 スカイは小さく見えたが、それでも少し身長が伸びたようだった。前と比べて声も低くなっている。女性陣全員が久々に見るスカイの様子に笑顔を浮かべた。アクエリアが手招きをすると、ぱっと花が咲いたような笑顔を浮かべて隣まで駆け寄って来る。


「余裕が無いからこうしてんだよ。早く料理しなきゃダメになっちまう。作ろうと思えばまだ作れるから、ほれ食え食え」

「……ふん、別に腹は空いていない」


 と言いつつもフュンフの手には皿があった。そしてフォークとスプーンで器用にサラダをある程度取っていく。「なんで素直に食うって言えねぇんだよお前さんは」とぶつぶつ言っているのはアルギンだった。「そんな事より」アルギンは続ける。


「今日はお前さんとスカイだけなの?」

「ソルは自隊で問題が起きて来れなくなった。副隊長が王妃派だったそうだ」

「……へぇええ!? そ、それってどうなるの」

「ソルは、お前が居なくなってから自他共に厳しくしてきた。人望は向こうの方が厚いようでな」

「それ、ソルビットの立場かなりヤバくない?」

「騎士を辞めたお前が心配する事では無い」


 冷たく言われた言葉には、沈黙を返すしかなかった。騎士を辞めたアルギンの立場は(表向きには)一般市民だ。もう、騎士としての話に入る事は出来ない。アルギンはかつてそれを解っていて辞めたはずだった。

 フュンフがサラダを口に運ぶ。最初から掛かっているドレッシングはアルギンのお手製のものだった。それが苦手ではないらしいフュンフは、文句を言うことなく黙々と食べ始める。


「……腹は空いてないんじゃなかったのかい、フュンフ」

「………………。」


 アルギンに指摘されたフュンフは、そこで自分の皿に新たに盛り始めたサラダの量に自分で愕然とした。しかし一回盛ったそれを戻すわけにも行かず、再び食べ始める。そんなフュンフを横目に、水差しから彼用に水を注いでやる。


「しかしよ、フュンフ。お前さん、こんなに頻繁に出てきて大丈夫なのか」

「仕事はしている。睡眠時間が削れるだけだ」

「お前さん、もう若く無いんだから無理したら死ぬぜ。はいよ水」

「今日はスカイをこちらに送る話もしていたのでな。迎えが来たなら私もここまで出向くことは無かったのだが。……頂戴しよう」


 フュンフの視線がアクエリアに送られる。アクエリアは目を逸らした。逸らした先でクプラがスカイに目を丸くしていた。ああ、とアクエリアが気付く。二人は初対面だ。


「スカイ、挨拶なさい」

「は、はい」


 言われてスカイも気付いたようだ。クプラの側まで行って、頭を下げた。


「僕、スカイって言います。こちらには前からお世話になっています。今日からまたこちらに住むことになりました、宜しくお願いします」

「え……はい、私は……クプラって言います。宜しく、スカイ君」


 二人がたどたどしい挨拶を交わしている間も、フュンフはサラダを食べていた。スカイも挨拶を済ませると、テーブルの上の料理に手を伸ばす。スカイが皿に料理を取るのに苦戦していると、アクエリアがそれを手伝った。皆の視線が保護者を見るようなものに変わる。

 スカイがいる事で、空気が変わった。それまで、これまで起きた事でどこかギスギスしたような空気だったのが、その無邪気さに触れて穏やかなものになったようだ。パスタを頬張るスカイの姿は、癒し系のマスコットのようで。

 自分の皿を空にしたフュンフが、それを空いた場所に置く。それから、アルギンに向き直って。


「アルギン」


 その声は真剣だった。アルギンも食事の手を止める。


「スカイの事を、頼むぞ」

「……なんだよ、改まって。言われなくても解ってる」

「改まりもする。これは城の問題だ。本来ならアルギンの手を借りず、王家の間違いを正さねばならない話だ。……かつて騎士だったとはいえ、お前の力を必要としている我らを笑え」

「そんなん、今更じゃねぇか」


 今更。

 そう、今更。

 アルギンがギルドマスターになる前から、アルギンは国に力と忠誠心を搾取されていた。その責はフュンフにはないとしても。


「なぁフュンフ。あと一人、他人がこの話に噛んでも平気か?」

「他人? 口が固いものなら構わぬが、漏洩は困るぞ」

「そりゃ今から入ってくるそいつ次第だな。……昨日カリオンが言ってた通り、冒険者雇おうと思ってんだがよ」

「冒険者?」


 フュンフが復唱する。アルギンは全員に宣言するように、声を張る。


「冒険者入れて、少し戦力強化するぞ。そしたらうちの武闘派も動きやすくなんだろ」

「……また部外者を入れるんですか?」

「この国のごたごたに巻き込まれてるんだから部外者じゃないだろ。強けりゃいい。あと口が固けりゃいい。少し割高でも、そんな奴がいたら捕まえて来るぞ」

「やっぱり隠し金あるんじゃないか」

「煩ぇ」


 フュンフは何も言わなかった。それを了承と取り、明日冒険者ギルドに行く計画を立てる。

 ミュゼとアルカネットは仕事。アクエリアはスカイと居残り。ユイルアルトとジャスミンは、それぞれ別の仕事を抱えているらしく居残り。クプラは居残りのメンバーに見守られながら待機。

 アルギンは嫌な顔をしながらも、一人で行くという決定に納得した。

 今日は、それでフュンフも帰っていく。スカイを送り届けただけではあるが、その話は他の王女派の面々に話してくれるだろう。

 お開きになった会場を、ギルドメンバー総出で片付ける。酒場閉店の時とは違う、どこかお祭りめいた食事形式には、少し全員の顔が明るいものとなっていた。


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