4.5-5
追伸
ねえ 兄貴 あの二人が結婚するよ
無理でも帰って来れないかな 二人を祝ってあげようよ
「……お前は、それでいいのか」
妹から届いた手紙の最後には、短くそう書かれていた。美麗な字で綴られたその言葉に、手紙の受け取り主であるフュンフが目を細める。
ここは隊を展開した、帝国と王国の国境沿い。未だに緊張が走るこの状況、簡単に抜け出せる訳では無いのだが、それを妹は解っていて言っているのだ。
夜も更け、フュンフは夜番の為に今日は朝まで起きている日だ。場所を自分に割り当てられた天幕ではなく、会議兼執務用になっている大天幕で過ごすことにしている。そんな中で、自分あてに届いた五通の手紙を順番に開いている。
面倒臭そうな手紙から開いた。ひとつは自分の生家、ツェーン家当主からの手紙だ。当主というのは自分の父で、妹であるソルビットの父でもある。中身は特になんてことの無い小言ばかり。面倒この上ないので、一度読んだら灯りに使用している蝋燭ですぐ燃やした。
次に見たのは母親からの手紙だ。ツェーン家第一夫人。身を案じる内容だったが、保存する内容でも無いのでこれも灯りにくべた。
次に見たのが妹からの手紙だ。これはソルビットとは違う妹で、第二夫人の腹から産まれた女。異母兄妹が、今度結婚するという。それだけだ。日時まで書かれているが招待状などは入っていない。付き合いの薄い妹なので、これもまた火にくべる。
そして次に見たのが、ソルビットからの手紙だ。
このような字を書くまでに、どれだけ時間を要したのかは知らない。先の三通の手紙より遥かに美麗な字で、近況と隊の様子を綴っている。これだけでも報告書として価値があるので、これは燃やさず取っておく。
便箋は三枚。フュンフの身を案じる言葉も見え、フュンフが少しだけ表情を緩めた。……そして、追伸に書かれた文章に、フュンフが目を細めたのだ。
フュンフは知っていた。
ソルビットが、自身の隊長に並々ならぬ感情を抱いていることを。
ソルビットが副隊長を勤める『花』隊は、アルセン国が有する『花』『鳥』『風』『月』の隊の中で一番騒がしく、そして一番和気藹々とした隊である。それは先代の『花』隊長の頃からそうだった。
そんな隊の副隊長になると妹から聞いた時は我が耳を疑ったのも、フュンフだった。ソルビットは元『風』隊の諜報部隊の一人で、『宝石』と陰で呼ばれていて、仕事であれば誰とでも遊び、その技術で男女関係なく虜にしていっていた。そこにソルビットの感情など、何処にもなかったけれど。
『風』期待の隊長候補。なのにソルビットは現『花』隊長の就任と同時、引き抜かれて行った。一時期はそれで二隊の間で悶着があったそうだ。
けれどフュンフは知っていた。
それを易々行ったアルギンには、それだけさせる特別な何かがあったことを。
ソルビットはツェーン家の子として認められていなかった。ツェーン家現当主が、己の慰みに戯れに手を出して孕ませた使用人の子だった。子を宿したその女に、幾ばくかの金を渡して追い出したのだ。
それをフュンフが知ったのは、フュンフが少し成長してから。社会勉強と言いくるめられ、神父見習いとしてとある教会に奉公に出させられてから。それは体よくフュンフを跡目争いから弾くためとも言えた。
そこに預けられていたのが、まだ幼い、母親を流行り病で亡くしたソルビットだった。
まだ十と生きていない、そんな幼い女が妹であると、その時は知らなかった。年齢差は十以上開いていて、その時に自分との関係性を知る事なんて出来なかった。
知ったのは後になってから。ソルビットが昔に聞いたという父親の事、そして、父の要素を良く受け継いだ自分とよく似た成長をしたソルビットの姿を見て。
舌足らずな声で「ふゅんふさま」と呼ばれた事もある。
それが時を経て「兄貴」と、美貌の持ち主が呼ぶようになった。
フュンフはソルビットの成長を近くで見てきた。それが家の許さぬ事としても。
自分の後を追って城仕えになったのも。
騎士として『風』に配属されたことも。
そこで何をやって地位を築いてきたのかも。
フュンフはそのどれもを知っていて、それを、とても心苦しく思っていた。
ある日、ソルビットが突然城の中で話しかけてきたことがある。
それはフュンフが『月』副隊長、ソルビットが『風』に配属されてからそれなりの期間経ってからだ。
「兄貴、あたし、好きな人できたかも」
何を突然、と、そう思った。
今まで色事で様々な事を動かした傾国の女が、その色事に染まる側になるのかと。頬を染めた妹は、それは綺麗で。
「……女の人なんだけど」
何を突然、と、本気で思った。
このアルセンで恋愛に性別の問題はさして重要ではない。貴族たちの間でも同性愛や男娼はよく聞く話だ。しかし、自分の(異母とはいえ)妹がそのような嗜好だなんて思いもしなかった。いや、ソルビットの『仕事』の相手は男もいるのだから、それは違うかも知れないが。
聞いてみると、相手は『花』の騎士らしい。しかも副隊長。フュンフがその時尤も苦手としていたアルギン・S=エステルだ。暴力的で馴れ馴れしいのもそうだが、騒がしくて喧しくて煩くて女らしさの欠片も無い。これまでフュンフは女性像を、貞淑な自分の母親や敬虔なシスターのようなものと考えていたから尚更相性が悪い。
あんな女の何が良い。芽生えて久しい兄心は、フュンフの口からその言葉を出させた。
「……アルギン様は、あたしが一回挨拶しただけで顔を覚えてくれたの」
「………それが?」
「あたしはその時、覚えて貰おうって思わなかった。あたしは人に覚えて貰う時、いつも努力してる。遠距離なら手紙、顔を合わせてなら仕草、触れる距離なら香水、閨の中なら技術」
血の滲むような努力、という言葉があるが、ソルビットは実際血を流しながら会得したものだ。その美貌を以てして、積み重ねていく数々の努力。フュンフはその妹の努力を知っている。
「……名前と、所属、覚えててくれた。あたしは所属まで言ってない」
「曲がりなりにも向こうは副隊長、お前は有名だ。気にするほどの事では無い」
「嬉しかったの。それは、大分前の話。……あたしが、有名になる前のことなんだよ」
妹が蕩けるような瞳で語る言葉は、例えるなら紅茶に入れた角砂糖。形を保っていた角砂糖は、紅茶の中に入ると甘さを残してゆるりと姿を消していく。ソルビットのその言葉も、やがて空気に溶けていくが、話した内容は消えることがない。
「……お側に行きたいなぁ」
「お前は、……『風』隊の者だろう」
「解ってる。でも、言うだけなら許してよ。……兄貴が羨ましい。あの方が同僚とか羨ましすぎる」
「本気で言っているのか? ………煩わしいだけだ」
フュンフはその時、アルギンの懸想の相手まで知っていた。丸わかりだった。あの女が誰の側で挙動不審になるか、見るだけで誰でも分かる。それが自分の隊長である事も、不愉快に感じる一因でもあったのだが。
「………兄貴んとこの隊長が、一番羨ましいなぁ……」
それはフュンフが初めて見る妹の顔だった。
あの女の何が良い。煩いだけで、人と少し交流が上手いからというだけで副隊長に成り上がったようなものだ。それほどフュンフはアルギンに苦手意識を持っていた。
あの女の何が良い。
フュンフの口から何度もその言葉が出そうになった。
それはソルビットがアルギンに引き抜かれても。
アルギンが『月』隊長と距離が縮まっても。
そして、今、妹の手紙で二人の結婚が知らされても。
フュンフの思考は今に戻る。
フュンフの元に届いた手紙は五通。最後の手紙を手に取った。差出人に、自隊の隊長の名前が見えて、それを最後に取っておいた。封筒は白一色。
封を開ける。便箋は遊び心など一切見えない白色。そこに、黒に近い灰色の字が書きつけられている。
結婚が決まった
帰って来られるか
内容はそれだけだ。
あの人らしいあっさりとした文面に、思わず笑いが込み上げた。そして同時に思う。帰って来いと書いたのは(例え一時的にしろ)ソルビットと彼だけだ。
便箋をもう一度封筒に戻し、今はもう灰に変わってしまった手紙三通を見る。見たのは一瞬だけで、もう興味はない。
あの二人の結婚だ。どんな式になるだろう。乙女思考で豪勢になるのだろうか。それとも合理主義でシンプルなものになるのだろうか。
なんにせよ、祝わない理由は無かった。自分は文句を言いつつも、きっと二人の式に出席するだろう。神父が必要なら自分が執り行ってもいい。いや、その座は譲りたくない。
燃やしていない手紙を持った。すぐに椅子から立ち上がり、自分の天幕に戻る。二通の手紙を大事に運んで、それを自分の荷物の中に仕舞い込む。
戦争状態?
そんなもの知った事か。
大事な人が結婚するのだ、それに出ないでいられるか。
フュンフの決意は固かった。同時、僅かな寂しさが胸に訪れる。
フュンフにとっての大事な人は、自隊の隊長。けれどそこに、自覚するような恋情は無い。そんなもの、とうの昔に母の体の中に置いてきた。あるのは隊長に対する心酔する想いだけ。結婚式には、その感情だけで出席する。
あの女の何が良い。
妹と隊長に聞きたかった言葉は、この便箋に書いてある言葉が答えのようなものだった。
もう、あの頃のような毛嫌いする感情は消え失せている。
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