4.5-4


 言葉が直ぐに伝えられたなら、と、思っていた。


 ソルビットは夜になると、便箋に思いを綴る。それは軍隊の日報とは違う、私情の手紙だ。

 便箋に乗せるのは、過去必死で練習して美麗とも言えるまでになった字で綴る言葉。便箋の字で落とした貴族もいる程の綺麗な字が、ソルビットの想いを綴った。

 今日はどこに手紙を書こうか。『縁』がある近隣諸国の貴族には、もう送ってしまって返事待ちだ。このきな臭い戦時中、借りられる力があるのならどんなコネを使ってでも借りる。そのコネは文字通り、ソルビットの躰を使って手にしたものだが。

 ソルビットは隊舎の私室、その中のソファに座りテーブルに向かって便箋を手で弄んでいる。部屋の中は明るいオレンジ色のクローゼット、ブラウンのテーブルにはパステルオレンジの布をかけていて、来客用の白い一人掛けのソファが二つ狭い室内に置かれている。これらはソルビットの趣味では無かったが、もし万が一その『縁』のある人間が訪ねてきた時、ソルビットのイメージを壊さないようにするためのもの。


 ソルビットが対外的に装っている姿は、社交的で、天真爛漫で、そして、必要性があれば誰とでも『遊ぶ』。ソルビットが『風』の諜報部隊にいた頃からそうしてきた。それが出来るほどには、容姿は申し分なかったからだ。勿論、それを可能にするために多大なる努力をしてきた。どんな者とも一時間は会話を保たせる為に学問、武術、演劇や芸術品なども勉強した。

 そうして出来上がったのは、諜報部隊の宝石。磨けば光ったソルビットは、諜報部隊の第一線で仕事をしてきた。本当の自分を見失って出来た宝石だ。

 その宝石を、諜報部隊から奪ったひとがいた。

 そのひとは、それまで深い関りがあった訳じゃない。笑いながら、他の隊に引き抜いた。そこにあるのが当然だった指輪の石座から、笑顔でソルビットを取り上げたのだ。


 ―――ソルビット、アタシん所で働いてくれないか


 深い関りがあった訳でないのに、空座になった隊の副隊長に着けられた。そしてそれから、まるで馬車馬のように働かされた。

 ソルビットにとって、彼女は台風のようなものだった。装っている自分の姿の、天真爛漫さの遥か上を行く考えなし。怒れば煩いし、隊にあったそれまでの慣習も無視するし、男勝りで、やかましくて、おせっかいで、それから、それから。

 ソルビットは手で遊んでいた便箋を、観念したようにテーブルに置いた。下に敷いてある布をざっと手で避けて、直接テーブルに便箋を置く。用意していたペンとインク瓶は側にある。

 こういう時、ソルビットは魔法のような何かが欲しくなる。言葉を吹き込めば、遠くにいる人に言葉が伝えられる何かを。手紙を書くときの、ペンを進めていく面倒はいつも感じている。それでも。


「たいちょ」


 便箋に、彼女の名前を書きつける。


 アルギン・S=エステル様


 彼女の名前を、青のインクで。

 言葉をすぐに伝えられる魔法が欲しかった。けれどそれでは、こんなに熟考出来たりはしない。余計な事を吹き込んで、やっぱりやめたなんて事も出来ない。彼女以外ならそれでもいいが、彼女には、自分の考えた言葉を伝えたかった。


 彼女とのやり取りは、全てが面白いものだった。

 男を相手に、大立ち回りをするような剛毅さ。人当たりが良い訳では無いのに好かれる性格。よく大ボケをかまし、やることなすことオッサン臭い。なのに、たった一人だけに対してとても―――乙女。

 からかって、からかわれて、彼女の側に居るのが楽しくて。

 そんな彼女が、一か月後、結婚する。


「………隊長」


 彼女に対して抱いていた想い。きっとそれは、普通の『隊長』『副隊長』なんて括りでは片付けられないだろう。だからと、じゃあなんだと言われたら、返せる答えが無かった。憧れの感情もあったけれど、そんなのほんの少しだけだ。

 容姿を武器にして来たソルビットさえ、その銀糸のような髪に見惚れた。その横顔にときめいた。長い睫毛の陰にさえ、勝てないと思った。その容姿が自分にあったのなら、字の練習さえしなくて良かったのかもしれない、と。

 彼女はいつでも清廉で、綺麗で、その姿を隣で支えるだけの能力が自分にあると思っていた。

 けれど彼女は、別の男の隣に立つ事を選んだ。そして、それは自分も応援していた筈だったけれど。

 ソルビットの世界で、いちばん、きれいなひと。

 彼女が選んだのは、彼女に負けず劣らずきれいなひとだった。


 便箋にペン先が降ろされた。そのまま、少しの時間をかけて文字が書かれていく。

 何を書こう。何を伝えよう。彼女に。結婚する彼女に、何を伝えられるだろう。


 出会いを、覚えていますか。あたしは覚えています。たいちょーは、きっと忘れてるだろうけど。

 貴女がした無茶を、覚えていますか。あたしは覚えています。尻拭いが大変でした。

 私がした失敗を、覚えていますか。あたしは忘れました。忘れた事にさせてください。


 言葉が浮かんでは消えていく。ペン先は宛名だけ書きつけて、便箋にインクの粒を残して離された。

 ソルビットにあるまじき事だった。ソルビットはこの便箋ひとつで、近隣国の軍を動かすことだって出来たのに。

 言葉が浮かばない。そんなことは無い。けれど、何を書いていいのか解らなくなっていた。

 間を置いてやがて、もう一度便箋にペン先が降ろされた。今度は、名前を書いた時のような丁寧さはない走り書き。思い切った二行を便箋に書きつける。


 何を書いたらいいか、なんて。

 そんな事、最初から解っていたけれど。

 簡単に書きたくなかった。だけど、これならきっと、笑ってくれるから。


 『結婚おめでとうございます、たいちょ

  ソルビットから 愛を込めて』


 ペンをインク瓶に入れ、ソファから立ち上がる。クローゼットを開いて、そこにある化粧道具入れを取り出した。

 一番色が濃い口紅を手に取る。くり出したそれを唇に滑らせて、馴染ませて。それからまたソファに戻り、便箋を手に取った。


「あたしの愛、受け取ってよね……たいちょ」


 そして便箋に書きつけた文字の最後に、瞳を閉じて唇を押し当てる。それはまるで、愛しい人にする接吻のように時間が長く、優しい口付け。

 離した便箋に、唇の皺までしっかり移ったのを見てソルビットは満足そうに笑った。それを封筒に入れて、封はしない。愛を込めた手紙を、彼女はどんな顔で見るのだろうか。期待通り笑ってくれるだろうか。笑っても困っても、どちらでもいいから、どうか彼女の目に入りますように。まるで銀細工のような、輝く彼女のその瞳に。


 結婚式が楽しみだ、とソルビットは思った。

 その日がどんな天気でも、きっと、彼女たちの道行きは晴れるだろう。そうなるように自分も努める。


 だから、大丈夫。


 ソルビットはそう信じていた。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る