第114話


 太陽は既に傾き始めていた。正午よりも影は伸び、子供達の見守り役のシスターも面子が変わっている事にアルギンが気付く。先程まで施設内にいたはずのフェヌグリークが外に出ていた。

 明るい外に子供達の声が響き渡る。王立の孤児院と比べたら皆格好が少々みすぼらしいが、笑いながら遊んでいる子供達の笑顔に違いはなかった。楽しそうな子供達を見て、アルギンの口許が緩む。


「んじゃ、ほい。コレ」


 そんなアルギンを横目で見ながら、ミュゼが何かをアルギンに手渡す。折り畳まれた布切れだ。

 アルギンがそれを受け取り広げると、紐がついていた。どう見てもエプロン。


「子供と遊ぶと汚れるからな」

「ミュゼ、アタシは遊ぶなんて言ってないぞ」

「ここに来た以上逃げられると思うな……って着てるじゃん。遊ぶ気満々じゃん」


 アルギンは文句を言いながらもすぐにエプロンを身に着けた。そしてミュゼはエプロンも無くそのまま子供達の方へ歩き出す。

 フェヌグリークが二人を見つけて近寄って来た。


「お疲れ様です、シスター・ミュゼ。お話は終わったんですか?」

「ええ、お疲れ様ですフェヌグリーク。今日はアルギン様が子供達と遊んでくれるそうですよ」

「本当ですか?」


 こうしてみると二人は品の良いシスターだった。二人の素は知っているので、アルギンが居心地の悪い心の内をそのまま表情に出してしまう。二人も互いの素を知っている筈だが、場所が孤児院なだけにお行儀の良い態度を崩さない。


「本当本当。……あんまり余所行きの態度を見せるな、頭が混乱する」

「まぁ、そんな事仰らないでくださいアルギン様。いつも兄がお世話になっています」

「はいはい、アルカネットのお世話してます。どうよ最近」

「変わらず元気です。前よりはちょっと多く兄も顔を出してくれるんですよ、子供達の相手はあまりしてくれませんが」


 三人が揃って遊ぶ子供達に近寄っていく。すると、その三人の姿を見た子供達がわらわらと寄って来た。


「おばちゃん、お話終わったの?」

「ねーねーおばちゃんどこの人?」

「シスター、このおばちゃんとどこで知り合ったの?」


 再びの質問攻めに遭い、アルギンの表情が苦笑に変わる。あまり呼ばれ慣れていない呼称なだけに心境は複雑だ。双子を預けている孤児院では『ウィスタリアちゃんとコバルトちゃんのママ』で通っている。

 わらわらと近寄ってきた子供達の向こうで、来た時と同じ一歳児がまた転んで泣いた。それにすぐ反応したのはフェヌグリークだった。転んだ子供の側まで近寄って、抱き上げる。


「また転んじゃったの? 大丈夫、痛くない痛くない」

「……こうしてフェヌグリークがシスターやってるのも初めて見たな」


 フェヌグリークと関わった時間も短かった。あれから時折フェヌグリークは酒場に来ることはあっても、アルギンからここまで足を運ぶことは殆ど無かった。子供をあやしながらフェヌグリークが再びアルギンの側に来た。


「まだ見習いではありますが、私もこの孤児院の一員なので。……はい」


 抱いていた一歳児を、アルギンの方へ寄越す。


「……へぇっ!?」

「良かったねステラ、この人が抱っこしてくれるって」


 差し出された子供はステラという名前らしい。つぎはぎだらけの服と短く揃えられたブルーグレーの髪では男女を判別できないが、どうやら女の子。口では動揺しながらも素直に腕に抱くと、アルギンの顔を間近で見たステラがにっこりと笑った。


「へぇー、人慣れしてるねこの子」

「でしょう? 産まれてからずっとこの孤児院にいますから」

「……産まれて、から」


 小さい手。

 まんまるの大きな瞳。


「お母さんが、産んですぐ亡くなったんです。……父親はいなくて、それで」

「そう……」


 まるまる、とはいかなくても肉付きの良い手足。

 すべすべの肌。


「可愛いでしょう?」


 フェヌグリークが顔を覗き込むようにして聞いてくる。アルギンはステラから視線を外さず。


「ああ」


 ステラが声を出して笑っている。初めて見るアルギンに物怖じすることなく、純粋に、楽しそうに。その笑顔が可愛いと思ったし、なにより子供は皆可愛い。その頬に指で触れると、そのまんまるの瞳が閉じられて更に楽しそうな笑顔になる。


「可愛いな」


 言いながらアルギンは、自分の子供の昔の姿を思い出していた。同じくらいの年齢、もう少しふくよかだった体形。愛しい娘たちを愛して愛された。この子も、きっと母親に愛されていた。産まれる前から。


「ねー、おばちゃん、遊ぼうよー!」

「あたし追いかけっこがしたい!」

「はいはい解ったよ。じゃあおばちゃんが鬼な! 皆逃げろ!!」


 わーっ、と喜色の声を上げながら子供達が散り散りになる。アルギンもステラをフェヌグリークに渡し、着ている服の袖を捲り上げた。走り辛そうなスカートは今更どうしようもないが、踝までのブーツはその場で脱ぎ捨てた。

 やる気じゃん、と小さな声で呟いたミュゼを振り返り、笑みを浮かべる。


「本気出していいんだな」

「武力行使無し、あくまで脚力のみの本気でお願いいたします」

「解ってるよそのくらい。……んじゃまぁ、行ってみようかね!」


 その言葉と同時、アルギンが駆けだした。子供達の歓声がさらに大きくなる。

 アルギンは今居る中で一番年長者と思われる、十歳程度の男の子に向かって走り出した。男の子も俊足だが、アルギンとて昔鍛えた脚力はそこまで衰えておらず、二人が敷地内を疾走する。年の小さな子供達はそれを見てきゃっきゃと手を叩いて笑っていた。


「おばちゃん、なんで俺なんだよー!!」


 不満そうだが楽しげな男の子の声が、遠くまで広がる。


「一番捕まえるのに苦労しそうだからだよ!!」


 アルギンの声も、疾走する距離に合わせて広がって風に溶ける。ミュゼもフェヌグリークも、そんな姿を見てころころと笑っていた。男の子が今の状況を分が悪いと判断したのは、それからすぐ。急に進行方向を逆転させ、元いた場所まで走ってくる。それを見た他の子供達が、それまで笑っていた表情を変えて再び散り散りになった。


「お、逃げ方上手いなぁ!! ほーら、逃げないと捕まえちゃうぞー!」


 アルギンの表情も明るくなっている。ミュゼは遠くでその顔を見ながら、口元を緩めていた。


「………マスターさん、どうしたんですか?」


 小さな声で、普段通りの話し方でミュゼに問いかけるフェヌグリーク。ああ、と事も無げにミュゼは口にする。


「ちょっと精神的に参ってるみたいだな」

「精神的に……って?」

「こないだ知り合いが死んだんだと。それに加えて、国から面倒な命令出たそうだ」

「国からって、何て言われたんですか?」

「………。さあ」

「その面倒な命令、兄の事も含まれてますか?」


 フェヌグリークの言葉にミュゼが目を丸くする。そしてゆっくり、その目が笑い始めた。フェヌグリークの心については、少しの付き合いだが向いている先を知っているミュゼが、フェヌグリークの脇腹を指で突いた。


「や、いた、痛いです」

「なんだよ、愛しのお兄様の事が心配かぁ? 安心しろよ、ここ最近でお兄様が巻き込まれた面倒事は店でシチューとハンバーグ作らされたくらいだよ」

「し、シチュー? ハンバーグ?」


 シチューとハンバーグの単語で兄を結び付けると『食べる』以外思いつかないフェヌグリークが目を白黒させている。二人から離れた向こうでは、最年長の男の子が捕まり、他に二人ほどアルギンに捕らえられていた。




 時間は進み、舞踏会の日の夕暮れ。

 十番街はその日、煌々と灯りをつけていた。国内からの貴族や領主などの賓客が続々と到着しているらしい、と暁が言った。暁は白いタキシードを纏い、アルギン達の用意が済むのを待っている。


「ウチのお姫様は随分綺麗な格好をされているようですねぇ。良い事です」


 昼過ぎからだいぶ待たされているにも関わらず、暁の様子は鼻の外固定が取れた事もあって上機嫌だった。本当にこいつはアルギンの事なら何でもいいんだな、と近くのテーブル席に座っていたアルカネットが溜息を吐く。


「……どうして俺はこんな時に限って非番なんだ……」

「おやぁ、御不満ですか? いいじゃないですかぁ、たまには」


 大層不満顔のアルカネットまで、黒のタキシードを着ていた。階段から降りて来たアクエリアも同じ。アクエリアは特に何も思っていない無表情で、そんな彼に暁が手を振った。

 酒場のホールにいるのは暁、アルカネット、今降りて来たアクエリア、そしてユイルアルト。ユイルアルトは色の強い金の髪を緩く巻いて、黒一色の肩開きドレスを身に纏っていた。




 こうなった原因は昨日に遡る。

 アルギンが酒場の閉店と同時、ギルドメンバー全員を下に呼びつけた。暁だけはその日酒場に戻っていなかったが。


「アタシは呼び出し食らったから、明日の夜行くところあるが、残ったメンバーは酒場を開いて接客する事」


 そう言った瞬間の全員の顔たるや。


「ちょっと待て」


 一番最初に口を開いたのはアルカネットだった。


「それって、なんだ。つまり、お前以外の顔ぶれで酒場やれって?」

「ミュゼは来るぞ」


 アルカネットが勢いよくミュゼを振り返る。腕を組んで座っているミュゼは無言のまま数度頷いた。それを見るや全員に聞こえる大きさの舌打ちをして頭を抱えている。


「……行く、って。何処にです?」


 ユイルアルトから飛んで来るそれも当然の質問だろう。アルギンは隠さず口にする。


「国王の快気祝い舞踏会。……暁に確認取ったから言うけど、付いて来たいやつがいたら来ていいそうだ」

「快気祝いって……、そういえば長らく患っていらっしゃいましたね」


 ジャスミンが納得半分、不満半分の顔をする。ユイルアルトは瞼を伏せがちにして、アルギンの言葉をまるで咀嚼しているようにして聞いていた。


「行って良いなら俺行きますけど」

「―――……。」


 それはアクエリアの提案。アルギンが一瞬息を飲んだ。

 アクエリアを連れて行けば、もしかすると王妃と会ってしまうかもしれない。今の何もわからない状態で、それをして良いのだろうかという思考がアルギンの頭から体中を駆け巡る。


「それじゃ、私も行きます」


 アクエリアに続いて手を挙げたのはユイルアルトだった。その姿を見て、ジャスミンもおずおずと手を挙げる。


「……言い忘れたが、それぞれ服は自前で頼むぞ」

「買ってでも行きます。行って良いんでしょう」

「他にも賓客来るから、恥ずかしい格好は無しな?」


 気を取り直したアルギンの言葉に、気合が段違いで入っているのはユイルアルトだった。王城に縁がありながら舞踏会などという事柄に無縁だったせいか、表情もどことなく楽しそうだ。


「んで、どうすんだアルカネット」


 名前を呼ばれてアルカネットが絶句する。あっという間に自分以外はアルギンの回し者のようになっている。周囲を見渡しても、全員が全員『何を当然』といった顔をしているだけ。アルカネットの責めるような視線に、最初に口を開いたのはジャスミンだった。それから後続が言い訳を並べる。


「……アルギン無しで店を回すなんて無理です」

「オルキデとマゼンタがいるなら手伝っても良かったけど……、無理ね」

「俺は何があってもアルコール提供しかしませんよ。会計も嫌です」

「お前等!!」


 アルカネットにとって舞踏会出席は店の手伝いと天秤に掛けられるくらいには嫌なものだった。特に毛嫌いしている騎士たちのうろついている王城になんて特に行く気になれず。しかし断れば一人で酒場を回すしかなく。

 折れたのはアルカネットだった。渋々ながら手を挙げる。


「よし、全員参加」

「何が『よし』だ、畜生」


 アルカネットの不満は途絶えない。アルギンはそれを些末事としか考えてなくて、改めて全員の顔を見渡す。


「多分、ユイルアルトもジャスミンも顔が知れてるからすぐ通してもらえると思う。アクエリアとアルカネットはアタシらの護衛ってことにしておくから、そのつもりで」

「……お前に護衛なんて必要なのか」

「はいそこ。アタシは最悪一人でもどうにかするけど。ユイルアルトとジャスミンは女の子なんだから実際手厚く護衛してくれないと困るって訳」


 全員の顔がそれで強張る。舞踏会なんて響きはいいが、言葉から何やら不穏な空気を感じているのはアルカネットだけではないらしい。


「武器は隠して。でも絶対何か持って行って。最悪取り上げられたら、会場で武器になりそうなものの目星をつけておくこと」

「……会場で何かあるってのか」

「ない、って思うよ。……道中の方が心配なだけ。馬車を手配させてるけど、馬車が襲われる事件なんてゴロゴロしてるしな」


 その言葉で、アルカネット以外の面々が納得したらしい。……アルカネットだけが、不審を隠さない視線でアルギンを見る。

 アルギンもそれに気付いているものの、締めの言葉で全員を解散させる。


「んじゃ、明日はそれでよろしく。夕方ごろに出発したいと思ってるから、それまで各自用意頼むな」


 その言葉で全員が部屋へと帰っていく。

 それが、前日の話だ。


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