第115話
「お、噂をすれば影がさす」
アクエリアの声に、暁が顔を上げた。アルカネットも、音がする方を見る。それはアルギンの部屋に続く廊下。
最初に現れたのはジャスミンだった。茶の髪を結い上げ纏め、ちらちら見える遅れ毛がなんとも色っぽい。着ているレモンイエローのドレスは後ろ部分が床に着くか着かないかくらいの長さのフィッシュテール。時折膝下まで見える脚線美が、普段のジャスミンの振る舞いとかけ離れていてアルカネットが小さく息を漏らした。
その次に姿を見せたのはミュゼ。ミュゼも普段の振る舞いからは考えられない、肩と背中を広く出したマーメイドラインのドレス。その色は菫色で、細身のミュゼの体の曲線を艶やかに出している。普段見慣れないその姿は、アクエリアの嗜好に合ったらしく視線が注がれている。
「……なかなか悪くないですね」
「お前、本気かよ」
アクエリアの親父じみた発言に、アルカネットが即座にツッコミを入れた。
そうして御披露目のようになっているジャスミンとミュゼの後ろから、また一人姿を現す。
「―――。」
全員が息を飲む。
アルギンは、化粧っ気のない状態でも美人と称えられる美貌の持ち主だ。そんな彼女が唇に紅を乗せ、目元に色づく仄かな赤と茶色。僅かに頬に赤みが差し、元の美貌を更に高めている。
着ていたドレスは保存状態が良かったようで、皺も染みもなくアルギンの美貌と調和している。薄青と濃青の二色で完成されているドレス。アルギンにとって少しの思い入れがあるもの。肘辺りまである白のレースグローブは、アルギンの腕にある古傷を綺麗に覆い隠している。
結い上げた髪はジャスミンの本気。遅れ毛の量も計算されていて、それ以外は特製の整髪料できっちり撫で付けられている。
「……綺麗」
言葉を漏らしたのはユイルアルトだ。その声を聞いて、アルギンが磨き上げられた美貌の顔でユイルアルトに向き直る。
「ありがと、イル。イルも綺麗だよ」
「………!!」
言われたユイルアルトは顔が赤くなったり、と思えばいきなりの無表情になったりと表情筋が忙しそうだ。男性陣がユイルアルトを心配そうに見ているが、アクエリアは『自分が見惚れた程に綺麗な人から言われる誉め言葉』の効果を知っていた。恐らくユイルアルトの中では喜びと嫉妬が入り混じっているだろう事も。
「流石、ウチのお姫様はお美しいですねぇ。さ、お手をどうぞ」
「触んな鼻折れ男」
「手厳しい」
スカートを手に持って引きずらないようにしながら、アルギンが暁の隣を通り過ぎる。アルギンとしてはこうしてまたパーティーに出される事自体がまだ気に入らないらしい。アルギンの後ろをギルドメンバーの面々が進んでいく。
暁は肩を窄めて、一番後ろを付いていった。
「お、御者はお前さんか」
外に出たアルギンは、馬車で御者を勤める男に声をかけた。男はアルギンに軽く頭を下げる。
「ええ、宜しくお願いします。……お綺麗です、アルギンさん」
それは見知った顔。『鳥』所属のフィヴィエルだった。一緒に出て来たジャスミンとユイルアルトが御者の顔を見た瞬間、化粧を施した顔を赤く染める。フィヴィエルもまた、タキシードを着ていた。
「ふぃ、フィヴィエルさん!?」
「なんで、こんな、」
二人とも揃って後ずさる。二人の気持ちを知らなかったアルギンだが、ははーんと声を漏らして二人を下世話な視線で見ていた。城に赴く仕事がある時に嬉しそうに酒場を出て行く理由がそこにある。
「安全に頼むよ、非力なお嬢様が二人も乗るんだ」
「お任せください、大丈夫ですよ」
アルギンが誰の手も借りずに馬車に乗り込んだ。馬車の中は真紅の絨毯が引かれており、乗合馬車のような粗末な内装ではなかった。ジャスミンとユイルアルトは後ろの男性陣に急かされて、アルギンの手を借りて乗る。ミュゼと男性陣はそのまま自分で乗り込んだ。
中の席は少しばかり狭いが進行方向に向かって人数分備え付けてある。扉に一番近い席はアルカネットが載った。最後に暁が扉を閉めて、合図を出した後馬車は出発する。
歩きだと長い距離。それを馬車によって短い時間で進むことになる。
煌々と見える明るい十番街。空にはもう夜空が広がり始めていた。
城の前で馬車が止まる。アルギン達の他にはもう降車中の馬車は無い事から、アルギン達が一番最後らしい。視線を王城から少し外せば、他の馬車は少し離れた所で待機中。男性陣がそれぞれ一人ずつエスコートするように女性陣の手を引いて、降車完了。
フィヴィエルは再び馬車を走らせる。決められた場所に置いてくるのだろう。
「……さて」
アルギンが下から見上げた城は、何回見ても高く聳えていて、この場所で働いていた記憶は遠い過去のようだ。城から受ける威圧感は、昔には感じていなかった筈なのに。その威圧感は暁以外の全員が受けているようで、特にアルカネットの顔色が悪い。
石畳の上を歩くたびに、アルギンのヒールの音が鳴る。転ばずに歩けるのは、過去に受けた訓練のお陰。アルギンをこうして、一人で歩かせても良いように指導してくれた人がいた。
「お、おいアルギン?」
顔色の悪いアルカネットも、進もうとしないアクエリアも、アルギンが自分で手を払った暁も、物怖じしたままのジャスミンとユイルアルトとミュゼも。
その全員を置いて、アルギンは歩き出す。紅を乗せた唇を噛みしめながら。
入り口では七人の到着を見ていた係の者が、暁の手振りだけでノーチェックでアルギンを中に通す。残りの六人はゆっくりと、暁と一緒に中に入っていった。
中はジャスミンとユイルアルトが見た城とはまるで違う程、煌びやかな装飾が施されていた。敷き詰められた赤の絨毯は平時ではなかったものだ。季節は冬というのに、廊下の両端の至る所に鮮やかな白と赤の花が活けられおり、外の寒さを感じさせない程に内部は暖かい。アルギンは迷うことなく会場への道を進む。
会場の入り口では、アルギンの見知った顔があった。
「………。よぉ」
声を掛ける。
「……ようこそ、アルギンさん」
返事が来る。
少し表情に影があるが、それは『鳥』隊員のゾデルだった。ゾデルもまたタキシードを着ている。その表情が浮かないように見えるのは、格好のせいだけではないらしい。
「疲れてるな」
「……いいえ、そんな事はありません」
「顔色悪いぞ、もう少し気合入れろ」
二人が軽い会話を交わしていると、漸く六人が追い付いた。アルカネットが更に表情を悪くしている。暁の両隣にはいつの間にか人形が二体控えていた。
ギルドメンバーの到着が来客の中で一番最後だったようで、ゾデルも七人と一緒に会場に入る。中は、今が昼かと錯覚するほどに明るかった。
歓談している賓客がいる。楽団の音楽に合わせて踊る者もいる。その中に入っていく七人は、既に会場でパーティーを満喫している者達の視線に晒された。特に女性陣四人の登場は、他の賓客の唇から吐息を以て歓迎される。
綺麗、と女性の声が聞こえる。
美しい、と男性の声が聞こえる。
アルギンはそれらの顔を眺め見る。国の貴族や領主とは聞いていたが、集まった顔ぶれは当主などではなく、継承権の低い次男以下や令嬢ばかりだった。快気祝いとする舞踏会にしては年齢が低い。時折いる老齢な人物たちも、顔は知っているが覚えのある領主とは違っていた。感じる違和を今はどうすることも出来ず、アルギンが肩越しにギルドメンバーを振り返る。
「命令。『余所行きの態度』」
アルギンがギルドメンバーとゾデルのみに届くほどの小声で命令する。すると空気が明らかに変わったのはミュゼとアクエリアだった。
「散らばれ」
それも命令。返答をしないままアクエリアが一番にその場を離れた。それに倣うようにミュゼが逆方向へと離れていく。ジャスミンとユイルアルトはおずおずと二人揃って壁際に進み、アルカネットは戸惑いながらも立食形式の料理がある方へと歩いて行った。暁と人形二体は離れないまま。ゾデルはそんなギルドメンバーの動きに、感嘆の溜息を漏らす。
「統率が取れてますね、流石です」
「………。」
アルギンは、一度大きく息をした。
「そうでしょうか。ですが、ゾデル様から見てそう思ってくださるなら、こんなに嬉しい事はありません」
初めてアルギンの余所行きの態度を見たゾデルは、その変わりように目を丸くした。戸惑うゾデルを横目に、暁が人形達をそのままに、アルギンの少し前に出て、それから手を出す。
「お姫様にはエスコートが必要でしょう? ウチが悪い虫を寄り付かないようにして差し上げますからねぇ」
「………。アリガトウゴザイマス」
しおらしい淑女を装うのは、アルギンにとっても不愉快な事だった。しかし今エスコートを断る事は出来ない。大人しく暁の手に自分の手を重ねて、心の中で盛大に溜息を吐いた。しかし当の暁はとても嬉しそうで。
「お前達は下がっていなさい。この会場内であれば何処へでも行け」
「はい、マイマスター」
「承知しました、マイマスター」
人形達は言われた通り、二人一組になって会場の中に向かって歩みだす。その後ろ姿を横目で見ていたアルギンだったが、その姿が他の招待客の中に紛れた所で視線を戻した。
暁はうっとりとしたような顔をしている。
「この瞬間を何年夢に見て来たことか」
「そーかよ……ですか」
化けの皮が剥がれかける。舌打ちをしそうになるのを何とか堪えて周囲を見渡してみると、既にミュゼには黒髪の男性客からの声が掛かっていたようだし、アクエリアはアクエリアで女性客二人ほどに声を掛けている。壁の花を選んでいたジャスミンとユイルアルトにも、いかにも口が上手そうな赤毛の男性客が近寄っていた。アルカネットは普段より何倍も上品な様子で食事に手を出している。
アルギンは暁が手を引くままに、会場の奥の方へと進んでいった。
「オーナー……、アルギン」
暁が呼称を改めた。名を呼んだ暁が少しだけ頬を染めている。
「このまま、ウチらもダンスしませんか?」
「なに? 今度は足の指の骨まで折られたいって?」
「……なんでもありません」
暁の提案を速攻で断りながら、進んだ先は視線が向きにくい壁際。側には使用人用らしき小さな扉があった。
その場所でアルギンは歩みを止める。暁も止まったからだ。暫くすると給仕の人間が二人に飲み物を持って来た。そのグラスを受け取って、少しだけ口に流し込む。甘い果物の味がするが、アルコールだ。
「アルギン、お味は?」
「……上の中。戦争前のアールヴァリン成人祝いで飲んだ酒の方が旨かったな」
「ああ、ワイン引っかけられたと噂の」
「思い出させるな」
二人の側には誰も寄ってこない。当然だ、男女が親し気にしている所に割って入る無粋な者はこんな場所には居ない。会場の中心を見れば、ミュゼが客の誘いを受けてダンスをしている所だった。意外と軽快で上手なステップに、アルギンが感心する。
「なんだ、ミュゼ案外慣れてんじゃないか」
「ですねぇ……、ほら、あちらも」
「何? ……うわぁ」
アクエリアの側に居る女性客が五人に増えていた。流石は『結婚詐欺師』の汚名を持つだけある。五人の女性は五人ともが楽しそうで、アクエリアも余所行きのものではあるが人当たりのいい笑顔を崩していない。のんびり食事にありついているのはアルカネットだけである。そのアルカネットにも、他の女性客から視線が向けられているようだ。
ジャスミンとユイルアルトは変わらず壁の花。どうやら男性客は離れて行ったらしい。
「お前さんも、アタシから離れて他の客口説きに行ったら?」
「ウチが口説きたいのは、今も昔も貴女だけですよ」
「はいはい」
適当にあしらってグラスを空にする。グラス自体も酒場で扱っているものより遥かに良い品だ。その手触りを手袋越しに味わって、再び回ってきた給仕に渡す。二杯目は辞退した。
「んでも、陛下と王妃の姿見えないな」
「まだ奥に居られるのでしょう。先にご挨拶します?」
「後からいらっしゃるなら別にいい。早く話とやらを終わらせて―――」
その時、楽団の音楽が止まった。
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