第113話
ミュゼとアルギンはその後、他愛もない話をした。なんでもない話は酒場でも出来るが、場所が変わるとアルギンの気分も変わるらしい。
過去パーティーに出席した話をする。自分が撒き餌にされたり、その頃片想いしていた亡き夫としたワルツの話。撒き餌にされた話はミュゼも苦笑を交えて聞いていたが、亡き夫との話は余計な口を挟まず相槌ばかりで、どこか真剣に聞いていた。
あの頃は生きてて楽しかった。アルギンがそう言うと、ミュゼは複雑そうな顔をする。
「……それ言うと、そこがアルギンの人生の頂点みたいに聞こえる」
「頂点ってかね……。危なっかしかったとはいえ戦争も無かったし、生きていて欲しい人が死んでないし、仕事は大変だったけど辛くは無かったなぁ。そこにウィリアとバルトがいたならもう最高」
「アルギンにとって」
ミュゼの瞼が伏せられる。
「……大事、なのか? その、双子」
「ああ? 多分アタシの命より大事だな。王妃の指示さえなかったら、アタシはまだあの二人を手元で育ててた。……まだ小さいうちから手を離しちまった。親失格だな、アタシ」
「そんな事」
ミュゼの金の髪が左右に振れる。それはアルギンの最後の言葉を否定する意味で。その顔が真剣なのは、ミュゼがアルギンの事を短い期間ながらも見て来たからか。
アルギンは不思議な気分だった。この金糸の髪の持ち主は、アルギンにとって鏡のようだ。顔も性格もふとした仕草も、煙草の趣味だって一緒。そんな鏡のような存在から自分の戯言を否定してもらえるのは、どこか安心を感じさせるものだった。
「……アルギンの場合は理由があって手放してんだ。理由なくポンと捨てた訳じゃないのは、ここ最近の色々で解った」
「そう言って貰えると……アタシも救われる思いだよ。例えお前さんみたいなシスターでもな」
「私みたいってなんだよ! ……でも、さ。……でも、だよ。もしもの話」
ミュゼが紅茶のカップを傾ける。それが最後に中身が空になってしまったらしい。中身のないカップがテーブルに置かれると、ミュゼは自分の指を組んで話し始めた。
「アルギンにこの先何かがあった時。……あの双子の後見人とか、考えてんの?」
「後見人?」
「あんな仕事してて、万が一っての考えたりしない? 私は置いていって後悔するようなものなんて無いけど、アルギンは違うんだろ」
「………。」
そう言われて、アルギンが黙り込む。今までそんな事考えたことがなかった。危ない目に遭うのは自分じゃないし、仕事の後始末をするのも自分以外に任せる事が出来た。スカイの時の事は例外中の例外で、いつもあんなに矢面に立ったりしない。だから、自分の身の安全は誰より守られている、つもりだった。
後見人と言われて固まった思考が動き出さない。親である自分がまだ生きているのだ。だから来るべき時が来たら、また自分の手元に置けるとしか考えていなかった。
「……アタシは、まだ死なないつもりだよ」
「人はいつか死ぬよ。私の親がそうだったようにな」
「………。」
「だから、私は……育ての親の所で育った。生きている以上、人は簡単に死ぬんだぜ。アルギンだって、そんな事解ってるって思ってたけど」
人は、いつか死ぬ。
アルギンだってそれは知っている。けれどその範疇に自分を入れる事がなかった。
「私は、アルギンに死んで欲しくはないけど。でも、私はアルギンの身を何もかもからは守れないから」
「……ミュゼ?」
「出来る限りの手伝いはする。だから、アルギン、私の話を笑わずに聞いて」
ミュゼの顔は真剣だった。
「私の親は、戦争で死んだ。祖母は私の父を一人で育てて、若くして死んだって聞いてる。私の育ての親は、私の祖母の、更にその前の代からずっと私達の後見人をしてきた」
「……祖母より前って……、育ての親って幾つだよ。エルフか?」
「そこはまだ置いておくとして。ずっと私は親から、『何かあったらあの人について行け』って言われて育った。何かあったら、が当たり前な環境だった」
「そんな環境、って……」
アルセンでも、そんな環境が無いとは言い切れなかった。現にユイルアルトやジャスミンは戦争も終わったこのアルセンで、魔女の疑いをかけられて故郷を追われた。城下は平和だとしても、国内の、それも城下から離れた町や村では何が起きているかアルギンも解っていない。騎士を辞めた今、自分を取り巻く環境以外に興味もなかったからだ。
語られる話に落ち着かなくなり、指が勝手に煙草を探した。しかし煙草は酒場に置いて来てしまっていた。
「凄かったよ。なんせ私のばーちゃんのそのじーちゃんまで知ってるって人だったから。私が何か悪戯する度に、やれ誰々に似てる、その悪戯は誰々にやられた。そうずっと怒られてきた」
「先祖の名前出して怒られるって中々他の奴は体験できない経験だな」
「でも、寂しくなかった。親の話もばーちゃんの話も、お願いしたら教えてくれた。……あの人が話してくれる度に、私は独りじゃないって、思えたから」
指が行く場所を無くしていたら、ミュゼが席を立って高い所にある小棚から煙草を取り出した。それを二本とマッチを持って、また同じ席に座る。
「おお、シスターが施設内で喫煙とはこの孤児院もやるねぇ」
「別に、来客が吸う事もあるんだ。別に誰も気にしたりしねぇよ。……続き話すぞ」
二人が交互に煙草を咥えて火を点けた。換気の為か室内の窓は既に開いている。
二人分の紫煙が漂った。一息置いてから、ミュゼがまた話し始める。
「私の後見人は、最初に自分で育て始めた子供達を手元に置くまで苦労したってよ」
「……ふうん? そりゃどうして」
「権利がないんだよ。親じゃねーもんな。幾ら親と親しくしてたって、それは孤児院から見て解んねーもんよ」
「は……。まぁ、そりゃ道理か」
アルギンが紫煙を吸い込む。それから、どうしても気になっていた事をひとつ。
「……そろそろ教えてくれたって良いんじゃないのか?」
「え? 何をだよ」
「その育ての親って誰だよ。アタシの事知ってんだろ」
煙草を指で摘まんで、灰皿が無いから適当に灰を落とす。「あ、テメ」とミュゼから苦情が来たが知らない振り。ミュゼは煙草を咥えたまま灰皿を探しに行った。
「アタシはそんな長生きできるような知り合いって多くないけどさ。エルフはあいつら偏屈だし理屈っぽいし」
「…………。」
「アタシばっかり知られてるもの嫌だな。言ってくれよ、誰なんだよ」
「話したら、後見人の話真面目に考えてくれる?」
「……? なんでそれが繋がる訳?」
灰皿がテーブルに置かれた。一足先に入っているのはミュゼの分の灰。
「いいよ、話すよ。私の育ての親はエクリィ・カドラー」
「……エクリィい?」
アルギンが拍子抜けする。出逢った人物の名前は忘れる方が少ないアルギンだが、記憶の中にその名前は無かった。一致しそうな顔さえ思い浮かばない。姓であるはずの部分にも聞き覚えがない。
「知らんぞ、誰だそれ。なんでアタシの事知ってんだ」
それにはミュゼは答えなかった。
「なー、誰だよエクリィって。カドラー姓もアタシ知らんぞ」
問われても、苦笑のような顔で首を振るだけ。
「んじゃ、後見人の事しっかり考えてくれよ。アタシのイチオシはアクエリアだな」
「えー、前から思ってたけどお前さんあんなのが好きなの?」
「曲がりなりにもダークエルフだろ。長生きするし私の育ての親みたいに長期間子孫を見守ってくれそうじゃん?」
「まぁ、アルカネットよりは子供の相手も得意だしな……っ、……え?」
ミュゼはアルギンの言葉が途切れたのを聞いて、自分の失言に気付いたらしい。ミュゼの視線が泳ぎ始める。
「お前さん、アイツがダークエルフって知ってたっけ?」
「………」
「スカイの件で敵さんへ夜襲掛けた時、お前さん居なかったよな」
アルギンから見て、そのミュゼの仕草は一生懸命言い訳を考えているようだった。本当に鏡だ。同じ立場に立たされたのがアルギンだったとしてもするであろう仕草をしている。
「……どこまで、話したら大丈夫なんだろうな」
苦々しい顔のミュゼは、そう呟いて煙草に口をつける。アルギンはそれを見ながら自分の煙草を灰皿に押し付けた。
「そんなに、言えない事ばっかりなのか」
「言えない言えない。言ったら私頭おかしい扱い受けて病院連れてかれる」
「連れて行かない」
言い切った口調は優しいもの。けれどミュゼはそれでも口を滑らせるのを耐えているようで。その唇が、震えていた。震える朱色からは、彼女からそれ以上を引き出すことが出来そうにない。アルギンが、それでも念押しのように続ける。
「……連れて行かない」
「だとしても」
「笑わない。頭おかしいって思わない。アタシは、お前さんがこんな時でも変な冗談言うなんて思ってない」
「駄目なんだよ、アルギン」
繰り返される拒否。
「……こんな話、するんじゃなかったな。外行こうぜ、子供達と遊んでたら気分も変わるだろ」
そう言ってミュゼは自分の煙草の火を消す。そのまま灰皿を片付けに立ち上がるミュゼの背中を見ながら、どうしてここまで隠したがるのかが気になって仕方がなかった。
最初は記憶混濁を疑った。けれど話しているミュゼの様子は、そんな言葉が不似合いな程しっかりした記憶を持っているようで。
アルギンはミュゼが応接室の扉を開いてから立ち上がった。それからはもう問い質すこともせず、外に向かって歩き始めた。
沈黙の重さが二人の間に漂っている。
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