第107話
「……何ですか、これ……」
一つのテーブル席に、男女合わせて四人が座っている。
その夜、帰って来たユイルアルトに酒場閉店後、二番街から持ち帰った植物を見せた。
ユイルアルトを送って来たらしいフィヴィエルも同席している。久し振りに見る組み合わせだ、と思ってアルギンが二人を見ていた。
ジャスミンはその組み合わせに何か言いたげだったが、植物を観察するユイルアルトに何も言えない様子ではある。フィヴィエルは、ユイルアルトを見ながら何やら不思議そうな顔をしている。
「ユイルアルトさんも見た事が無いんですか?」
「はい。……蔦性の植物はある程度種類が決まっているんです。ですが、この葉を持つ蔦は見た事が無いです」
その場でユイルアルトが酒場内を見渡す。ユイルアルトにしか見えない師の姿は、やはり無かった。その仕草が何ら不自然で無い事は、アルギンとジャスミンは知っていた。その動作を初めて見るフィヴィエルは不思議そうな顔をしている。
師の姿が見えない事を諦めたユイルアルトは、その植物を手に取ってみた。それから、誰かに確認を取るでもなく、その葉を縦に裂いた。
どろりとした、赤色の液体が流れ出す。それはテーブルに落ちて、その衝撃で雫が散る。二回。三回。ユイルアルトが指でそれを千切る度、絞るように押し潰す度、液体が漏れて流れる。そうした指は真っ赤に染まった。
「……これって、血……みたいですね?」
「ジャスの血だろうな。吸ってたみたいだ」
「植物ですよね!?」
アルギンの言葉はユイルアルトが自分の認知を超えたらしい。まるでそれは植物ではない、と言いたそうな叫びだったが、悲しいかなそれは事実だった。
ジャスミンの手が包帯を巻いている。傷は浅いものだったが、広い範囲にある赤い跡は包帯を巻いている姿よりも痛々しいものだった。
そうだ、植物だ。植物の筈だ。しかしユイルアルトでも今まで見た事のない種類で、植物にしては有り得ない行動を取る。
「植物なんだけど、切り離したら直ぐ萎れたの」
ジャスミンが自分の見て来た事を、ユイルアルトに伝える。ゴミを覆うように生えていて、切り離すとすぐに萎れて、人の血を欲する。
それは何だと、誰かに聞かれたら。やはり植物としか答える他になかった。
「……本当に植物なんですか?」
それでも、極当然の疑問を投げたのは何も知らないフィヴィエルだった。
その言葉に、ユイルアルトとジャスミンが互いに顔を見合わせる。
「食虫植物、という植物があるとは聞いたことがあります。虫を誘引する香りを出して寄ってくる虫を溶かして栄養にするとか」
「溶か……」
「それでも、人の手に傷を負わせてまで血を吸い上げる植物ではないと記憶しています。……切り離しても植物は直ぐに萎れない。そんな植物なんて、まるで……」
ユイルアルトの口が、彼女の考えられる範囲で物事を考えて、それから。
「まるで、魔獣みたい」
「………。」
アルギンがユイルアルトの口から零れたその言葉に、唇を引き結ぶ。魔獣、みたいな、植物。その言葉で連想できるものが、アルギンの頭には思いついていた。そしてそれは、ユイルアルトもジャスミンも同じで。
無言の三人を、フィヴィエルが順番に見渡していく。
「……そんな魔獣、いるんですか?」
何も知らないフィヴィエルだからこそ、その問いかけが出来た。その言葉に答える事が出来たのは、アルギンだけ。
「フィヴィエル」
名を呼ぶ音は、通常時のアルギンの声と比べて、とても冷たい。
「お前さん、最悪国を出て行く覚悟って出来るか」
「ええ!? な……、何を突然言い出すんですか」
「出来ないなら今すぐここ出てけ、んで何も見なかった振りしろ。そして二度とこの酒場に来るな」
事実上の出入り禁止を目の前にぶら下げられて、フィヴィエルが動揺する。しかしそれをユイルアルトもジャスミンも止めない。二人とも、フィヴィエルを見つめて悲しそうな顔をしていた。そんな二人を交互に見て、フィヴィエルは。
「……そんな事、言われると、気になるじゃないですか」
動揺を隠さない顔で、それでも動かずにいた。その意気を認めたアルギンが、その植物が千々にされた残骸を指で押し潰す。
「お前達、王妃がプロフェス・ヒュムネって事は知っているか」
「え!?」
「なっ……!?」
それに驚いていたのはユイルアルトとジャスミン。フィヴィエルは知っているのか驚いた顔をしない。
「王妃がプロフェス・ヒュムネ……!? まさか、それがオルキデさんとマゼンタさんが出て行ったことと関係してるのですか?」
「理解が早いなイル。……王妃は国巻き込んで何やら企んでいそうでな。アタシも最悪、国捨てて夜逃げでもしようかと思ってる」
「国を巻き込んで……? しかし、騎士である僕が市民を見捨てて国を出て行く訳には……」
ここまでを聞いて難しそうな顔をしているのはフィヴィエルだ。騎士としての彼は、どこまでも国優先だ。六年以上前のアルギンだったなら、今のフィヴィエルと同じことを言っていたかも知れない。それが騎士だからだ。
アルギンはそういう姿勢は嫌いではない、しかし好きでもなかった。死んだら、何もかもおしまいなのだから。
「フィヴィエル。アタシの旦那が死んだときの事覚えてるか」
「………。」
「花鳥風月全隊、死んだり死ぬ思いしたり、それで死んだのがアタシの旦那だけど。……今でも、アタシは彼が死んで苦しいよ」
フィヴィエルがその言葉に息を飲んだ。今でも、そしてきっとこの先までも騎士達に語られる隊長同士の悲恋話。それは、まだ若くして兵になったフィヴィエルが見てきたものでもある。
見目麗しい二人の騎士隊長。その二人の愛は最期、片方の死で終わる。しかし生き残ったほうには、まだ生が続いているのだ。そして、生ある限り苦しみ続ける。
「聞いたけどさ、お前さん、宮廷医師に母親いんだろ」
「……どこでその話を?」
母親の話を振られ、フィヴィエルの目つきが変わる。幼い頃に国によって無理矢理生き別れにさせられた母の話はあまり触れられて欲しくないようだった。
「お前さん所の隊長、アタシの元同僚だぜ。それでなくとも、この酒場にはイルもジャスもいる。話なんて入って来放題だ。……まあその話はいいとして。お前さんの母親は、市民庇ってお前さんに何かあったら、なんて考えたくねぇだろ」
「……母の気持ちなんて、僕には解りません。それでも、僕は騎士です」
「王妃が何考えてるのか解んねぇが、お前さんの母親の気持ちなら少しは解るぞ。アタシも母親だからな」
騎士としての想いも、母親としての想いも、今のアルギンならどっちも解る。その二つを天秤に掛けて、今は少しだけ母親の想いの方に傾いた。
フィヴィエルはまだ納得しない顔だ。当然だろう、騎士としてそう教育されているのだ。彼らにとっての最重要事項は、国と王家。
「んでさ、フィヴィエル。少し相談なんだが」
アルギンはもう騎士ではない。だから。
「王家が何か良からぬ動きしてたら、カリオン連れてここに来い」
大事なものの取りこぼしを、もうしたくない。
その思いだけで、フィヴィエルにそんなお願いをした。
フィヴィエルは少し考えて、小さく頷いて。顔は未だ不満そうだったが、アルギンの考えだけは伝わったらしい。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます