第106話


 アルカネットから見て、アルギンは『不快な存在』だった。


 孤児院からエイスに引き取られた子供時代、妹と一緒に行けない事を知って不安になった事もある。季節は今でも覚えている、雪の降る真冬だ。

 身を切るのは、寒さか、それとも寂しさか。そんな時、エイスから困った顔で言われた。


「もう少し、フェヌグリークちゃんが大きくなったら一緒に暮らせるようになるから」


 その時、アルカネットは相応の年齢になった少女の体にはどんな変化があるのかを知らなかった。エイスはそれを憂いて、もう少し待てと言ったのだ。そのエイスの言葉を、不満はあれど素直に受け入れた。

 アルカネットの世界がエイスに守られて開かれた。孤児院の外の世界は広くて、エイスの側だとどんな事も出来る気がしていた。そんな世界を、妹にも感じて欲しかった。

 血は繋がっていない、大切な妹。

 小さい頃からアルカネットの背を追って、呼び止めて、孤児院の庭に咲いているような小さな花を見せてくれた。世界に『綺麗』を見つけられる、純粋な妹だった。


 自分の知らない所で、エイスが死んだ。

 妹を引き取る話は消えた。

 死体の第一発見者はアルギンだった。それが解決策にならないというのは解っていたが、自然アルギンを憎んだ。騎士であるアルギンには、動機も時間もないと解っていたのに、アルギンが殺したのではないかという疑念を抱いたこともある。

 それから彼の持ち物だった酒場はアルギンの手に渡る。アルカネットでは経営など出来るはずも無かったし、それはそれで良かった。けれど、自分が酒場の新しい主であるという振る舞いは、アルカネットの心にどうしても引っかかって取れない棘のようなものに変化していった。

 アルギンは、エイスを忘れて今の生活を謳歌しているように見えた。それがどうしても不快だった。


 でも違った。

 アルギンは、今でも彼を―――エイスを慕っている。

 そして、妹の事を考えてくれた。それが妹にとって良かったのかは別として。


 ……時間がかかったが、アルギンに抱く感情の『不快』は段々と消えて行った。

 でも、だからこそ。

 アルギンを今更姉として見る事は出来なかった。だからと、恐らくはこれからも恋愛感情を抱くことも無い。……こんな姿を見れば、余計に。


「おい、アルギン」


 アルカネットは二番街の入り口でアルギンの名前を呼んだ。


「あん?」


 まるでチンピラはどっちだ、と言いたくなるような返事をするのはアルギンだ。

 溜息を吐きながら、育ての親が一緒なだけで姉貴面するその人物に首を振る。


「もう止めてやれ」


 その日もアルギンは、二番街入り口でチンピラに囲まれていた。暁と訪れた時より少ない人数――三人――であったからか、アルギンはアルカネットを差し置いて暴れ始めた。かつては国の騎士を勤めていただけあって、多少鈍ってはいるのだろうがその強さはそこいらの男よりも上だった。

 アルカネットが自警団員だという脅しをかける前に、チンピラ達は地に沈むことになる。最後の一人などはしっかりシメ上げられたうえで往復ビンタの洗礼を受けていた。


「……チッ、わーったよ」


 息を切らした柄が悪い姉貴面。黙っていれば美人なので、こういう輩はよく絡んで来る。お互いに運が悪かったんだ、と内心でチンピラ達に同情する。今日はアルギンが無理矢理もぎ取らせた非番なのでそれ以上の事は自警団員としての領分になるからしない。願わくば、こいつらがまた同じような悪事を働きませんように。

 アルギンは男から手を離すとその手を払い、仁王立ちでそのチンピラ達に強い口調で言い切った。


「お前ら、二度とこんな真似すんなよ。仲間がいるなら伝えとけ、顔は覚えたからな」

「ひ、ひっ……」

「何だこの女……!」

「あーあー、帰るならもう一人も連れて帰れ。伸びてんぞ」


 往復ビンタされていた男は完全に気を失っていた。一人を二人が肩に担いで、そんな三人が消えて、今居る二番街入り口が一気に静かになる。


「……アルギンさん、話には聞いてましたが……つ、強いですね……」


 怯えた様子のジャスミン。ジャスミンはアルギンの戦闘姿を初めて見るからか、感想を言う唇が震えている。勿論、悪漢に遭遇した恐怖もあるだろうが。アルギンはジャスミンの感想を受けて、満更でもない様子。


「そりゃ、一時は……、隊長、してたんだからな。強くないと示しつかないだろ?」


 その細腕で、その美貌で。

 まだ息が荒いのは、それが久々の戦闘だったからか。いつもは年齢を感じさせないアルギンの表情は、少し疲労の色を見せていた。

 ジャスミンはそんなアルギンを恐々見ていた。いつも人の好い、がさつな酒場店主としてのアルギンの姿とは違っていたからだ。


「おし、じゃあ行くか」


 気を取り直したアルギンは、目指す場所に向かって歩き出した。その後ろにジャスミンが付き、一番後ろをアルカネットが歩く。

 異質な三人組の姿は、二番街に住むものの好奇な視線に晒されながら進んでいった。




 進んだ先にあったのは、アルギンは見知ったもの、アルカネットは仕事柄時折見るもの、ジャスミンは初めて見るものだった。

 一番街と二番街を隔てる、高い壁。その足元にはゴミの類が散乱している―――のだが、今日の様子は、いつもと違っていた。話に聞いていた通り、そこかしこに雑草とも違う、何かの草が生えている。

 アルギンは、アルカネットから『雑草』と聞いていた。だからそこいらで見るような植物を想像していたのだが、どうも様子が違う。側で見れば見るほどそれは、まるでゴミを覆いつくすように、まるで蔦のように縦横無尽に生えていた。


「……ジャス」


 異様な光景だった。まるで春の空き地を埋め尽くすように、或いは夏の畑を侵略するように、若しくは秋の野を茶色く枯れ行く姿のように。アルギンが想像していたのはその光景。しかし、この蔦はその想像のどれとも違う。そもそも、アルギンが少し前にこの場所に来たときはこんなもの無かった。

 ジャスミンが名を呼ばれ、その植物の側まで歩み寄る。


「アタシは見た事が無い草だが、どうだ」

「私も、見た事が無いです」


 幾ら植物に詳しいとはいえ、世界中の植物を知っている訳ではない。ジャスミンは自分の知らない植物だとアルギンに伝えると、荷物の中から私物らしい薄い白手袋を出し、付け、恐る恐るそれらに触れようと手を伸ばした。


「おい、触って大丈夫なのか?」

「……解りません、でも、イルにも見て貰わない、と―――!?」


 植物に触れるか触れないかの距離。その一瞬で、植物は姿を変えた。まるで獲物を待ち構えていた魚の口のように、蔦から生える葉が大きく開いて、ジャスミンの掌を飲み込むかのように包んで来た。


「っあ、あ、痛い!! 痛いっ!!!」


 ジャスミンの悲鳴。その悲鳴に顔色を変えたのはアルギンもアルカネットもだ。アルカネットがその葉を無理矢理開かせようと手を伸ばしたが、触れた瞬間に顔を顰めて反射的に腕を引っ込めた。まるで、針を刺されたような痛みだ。その間に植物には、それまでの鮮やかな緑色からどんどん赤色に近い黒ずんだ部分が増えていく。しかし三人には、その色の変化を気にしている余裕なんてない。

 アルギンが手持ちの短剣で、その植物の葉の付け根を一閃。まるで植物とは思えぬほどの強度だったが、切り離すこと自体は成功した。

 植物は次第に萎れていく。やがてジャスミンが自分で振り払えるまでにまで弱ると、その葉は力なく地面に落ちて行った。

 葉から出て来たジャスミンの手には、襤褸切れ同然の手袋を纏って数十か所の切り傷があった。それらの殆どは浅いものの、傷に沿ってぷくりと球状になっている出血が幾つも見える。ジャスミンは自分でその傷の処置をする。無事な方の手で荷物から消毒液を出し、傷口に振りかける。それは痛みを伴って。


「な……に、……これ………」


 怯えた震え声はジャスミンの口から出ている。自分の手を見ながら、今起きた事を理解できていない様子。当然だろう、今の今まで人を襲う植物など見たことは無かったからだ。


「……これじゃ、イルへの土産にはならないかもな」


 先ほどまでジャスミンを襲っていた植物を地面から拾い上げる。もう表面に緑色の部分は無かった。手を包んでいた内部を見ると、どす黒い部分が多いが血らしき液体が一切見当たらない。それから察せる事に、アルギンの顔から血の気が引いていく。


「おいおい、マジかよ」

「……どうしたんですか、アルギンさん?」

「ジャス………。これはアタシの想像だがな。笑ってくれていい。寧ろ笑い飛ばしてくれ」


 葉の裏表を二人に交互に見せる。ジャスミンも、アルカネットも、気付いた様子で眉に皺が寄っていた。液体が付いていない植物、色が変わったその葉。そこから考えられることは、普通では考えられない事。


「コレ、血ィ吸ってない?」


 ジャスミンの手の出血はもう止まっていた。けれど、それまで出ていた血は何処へ行ったのか―――。

 三人は、改めてその植物を見た。急に生えて来て、人を襲って、血を吸う植物。


 三人にはその場では対処法が見つからなかった。

 ただどうすることも出来ず、その場に立ち尽くす。


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