case7 緩やかにコワレていくもの
第105話
「アルギン、今回の依頼のものです」
十二月に入って、随分と寒くなった頃。
昼の酒場、部外者の入らない時間にアルギンとユイルアルト、そしてジャスミンが話をしていた。三人とも寒さには勝てず冬服を引っ張り出して、身を切るような寒さに耐えている。
カウンターに置かれた硝子の小瓶の中身は薄桃色の液体。それを持ち上げて光に透かすアルギン。
ユイルアルトはその間どこかそわそわと、周囲を落ち着かない様子でちらちら見ている。
「……おし、ありがと。届けさせる。報酬は向こうの受領印待ってからでいいか?」
「あ、は、はい。それば別に大丈夫です」
ユイルアルトが是と答える。しかし、いつものユイルアルトにしてはおかしいその様子に、ジャスミンも不思議そうな顔をしている。ジャスミンは一応の受け渡しが終わった所で、相棒の様子を気にしながらも行く場所があるらしく足早に酒場を出て行った。外の寒さに負けないよう、もこもこの毛皮が付いた茶色のコートを纏って。
「……どうしたよ、イル。煙草でも吸う?」
「いえ、私は結構です。……アルギン、もうオルキデさんとマゼンタは戻ってこないんですよね」
「………、どうした、急にそんな話」
二人が出て行って半月が経った。
あの二人が居なくなっても酒場は何とか回っている。ここ数日はキッチンの仕事はアルギンだけで回るようになり、ユイルアルトも随分接客に慣れてきた。注文の料理を落とすことは、もうない。
アルギンはユイルアルトからの突然の、そしてもう解りきったような事への質問に動揺した。そして勧めた煙草を自分で吸う。スッとマッチを擦って、咥えた煙草に火を点けた。
「……最近、リシュー先生の姿が見えないんです」
言われて、アルギンが噎せる。
「……婆ちゃんが見えない?」
アルギンも知っているリシューの姿は、生前のとても穏やかで少し茶目っ気のある老婆の姿だ。しかし、ユイルアルトにはその姿が『今も』見えている。それを知ったのはいつだったか。
リシューは死んで久しい。それなのに時折ユイルアルトがその話をする時、この女には見えないものが見えると知った。
「いつもだったら薬草の事教えてくれるのに、どこにもいないんです。先生のお部屋にも」
「………え、婆ちゃん部屋使ってんの? マジ?」
「襲撃受けた時に死んでしまった子達の代わりって貰った種が発芽して、花が咲いたから……見て貰いたかったのに」
残念そうにするユイルアルト。ジャスミンと二人で借りている部屋は、確かに多くの植物がある。それらの大部分はリシューから譲り受けたものだという。そのリシューの姿を探しても、どこにもいない。それはユイルアルトにとって初めての事だった。
「……まぁ婆ちゃんの事だ、その内帰って来るよ」
「そうでしょうか。私……」
口ごもるユイルアルト。
「―――なんだか、嫌な予感がします」
嫌な予感、と言ったユイルアルトの言葉が的中したのかは解らない。
アルギンが店の仕込みをしていた夕暮れ、それは突然現れた。
「たのもー!!」
大声を出しながら酒場の扉を開ける者。キッチンにいても届くその大声に驚いてアルギンはそれまで魚を三枚に捌いていた手を滑らせて、すぱっと魚を不格好な切り身にしてしまった。
軽く手を洗って酒場入り口に向かう。……そこには、雑に短く切ってツンツンに尖らせている赤毛の髪をしている、年若い男がいた。
「アルギンさん! お疲れ様です!」
「お疲れ様じゃないよ、何だい急に大声出して」
「え? 疲れてないんですか?」
「疲れてる。疲れてるよ……」
そこにいたのは、自警団員で最近アルカネットの部下になった―――トーマス。
まだ成人前の十七歳。少し強気な性格がツリ目に見て取れる。トーマスは強気だが素直な性格で、アルギンの事を『アルカネットの姉』として扱ってくれる。そして、アルギンの騎士時代の事も知っている。
「アルカネットさん居ますか?」
「ああ? 今日は顔見てないな。アタシもキッチンにいたから解らないけど、出てなかったらまだ部屋に居るはずだ」
「入っていいですか!」
「勝手に入ったら怒られるぞ? ちょっと待ってな、呼んでやる」
「……聞こえている」
アルギンが呼ぼうとしたのと同じタイミングで、階段からアルカネットが降りて来た。まだ眠そうに眼を擦りながら、少しだけ寝ぐせの残る髪を手で撫でつけながら。
下まで降りて来ると改めてトーマスを見ると、誰にもそうと解るような面倒臭さを前面に押し出した溜息を吐いた。
「トーマス、今日俺が休みだと知っているか?」
「知ってます。でも呼んで来いって言われたんで」
「いいじゃねえか、自警団なんだからそんな事も良くある話だろ?」
嫌な顔をしているアルカネットを宥めるのはアルギン。トーマスは特に気にした様子も無く、まるでアルカネットが我儘を言っているような図式になってしまった。
再びの溜息。諦めたように、アルカネットが酒場を出て行く。それに続いてトーマスがアルギンに頭を下げて出て行った。
再び静かになった酒場内。アルギンは気を取り直して、仕込みの為にキッチンに引っ込んでいった。
「行方不明ぃ?」
そしてそれは酒場の開店時間、アルカネットがやっと帰って来ての事だった。
既に酒場のピークは終わっている。ユイルアルトとジャスミンもまだ余力がある状態で凌いだ今日の営業。あとはちらほらと単体客がやって来ては、簡単なものを注文して帰っていく。
カウンターに座ったアルカネットは、今日呼び出しを受けて出た先で見たものをアルギンに話していた。
「二番街で行方不明って……珍しい話でもなさそうなものを?」
アルカネットが言った事。それは今日の呼び出しの理由。
自警団に二番街での行方不明情報が入って来た。目に見えて治安が悪い二番街でも、家庭を持って生きる者がいる。今回の行方不明者は、そんな家庭を持つ男だった。
「ああ。珍しい事でなくても、家族にとっては大事件だ。なんせ、稼ぎ頭だったそうだからな。何の仕事をしていたか知らないが」
「二番街じゃあな……。それで、手掛かりとかあったの?」
「無い。目撃者もいない、いても教えなかっただけかも知れないな。……ああ、そうそう」
疲れた表情を隠さないアルカネットは、いつものハムステーキとサンドイッチを注文している。そのハムステーキを切り分けて口に運ぼうとし時、何かを思い出したようなアルカネットは何でもない風に見た光景を口にした。
「二番街と一番街の境。あそこに雑草が大量に生えてたぞ。ゴミ溜め過ぎだな」
「……草?」
それは二番街、特に一番街との壁際に多く生えた草。ゴミを押しのけて植物が生えだした、という話。
生え出したのは少し前かららしい。植物に気を配っていなかった二番街の住人は、正確な日時までは解らない。
「……待て、アタシがちょっと前に行った時、そんな草なんて無かったぞ」
「本当か? ……まぁ雑草っぽかったからな。すぐ生えてくるモンなんじゃないのか」
「こんな冬にか?」
アルカネットがハムステーキを頬張りながら、アルギンが口にした違和感に眉を顰めていた。アルカネットの見た雑草とやらを想像するアルギンは、青々と茂っていて、そこだけはまるで夏の野原のような光景を思い浮かべた。
「そう言われると、確かにちょっと不自然だな」
「……。」
一瞬、アルギンに嫌な予感が走る。雑草と言われたその植物が生え始めたのと同じ時期に行方不明者が出たのは果たして偶然なのか。
脳内に、オリビエの姿が過ぎった。あんなに痩せて、そして死んでいった彼女の姿。アルギンは恐らく、この先ずっと忘れる事が出来ないだろう。
「アタシも、ちょっと明日行きたいな」
「お前が? ……あんまり勧めないが」
「付いて来てくんない?」
「はっ……? お前、それ本気で」
言ってんのか。
アルカネットの言葉は口内で飲み込まれていた。アルギンは至って真面目だった。冗談を言うような笑顔を浮かべていない。
「……仕事休めって言ってるようなものだぞ」
「そこはお偉いさんに話してやるよ。弟想いの姉で嬉しいか? ん? ん??」
「誰が」
食事を終わらせたアルカネットは呆れた顔で椅子から降りる。食器はジャスミンがそそくさと片付けて行った。
「ジャス、聞いてたか」
呼び止められたジャスミンは、食器を手に取ったままアルギンに振り向いた。何のことを、と聞き返してこないので、二人の会話はジャスミンの耳に入っているようだ。
「明日、お前さんも一緒に行くか」
「わ、私……ですか?」
「聞いてたんだろ。気にならないのか」
「気にならない……と言ったら嘘になりますけど。二番街かぁ……」
やや気乗りしない様子のジャスミンの様子。話に聞いている二番街の治安に不安があるようだった。
無理に誘うつもりもないが、植物といったらその専門の人間の知識が欲しいアルギン。
「ユイルアルト、ちょっと」
ジャスミンは無理としてもユイルアルトなら。そう思って声を掛けてみた。ユイルアルトも近い位置にいる。話を聞いていたかも知れない。
「私は……ちょっと。明日予定が入ってるんです」
「ええ、お前さんも駄目なの?」
「……私が行きます」
ユイルアルトが難色を示したのを見て、決心した様子のジャスミンが声を上げた。アルギンもその様子に笑顔になり、明日の面子が決まった。これで自警団から人手を借りれば、二番街入りも困難ではなくなる。
「んじゃ、明日宜しくなジャス」
「……はい」
草の調査だと言えばジャスミンの二番街入りも不自然ではないだろう。ジャスミンもユイルアルトと同じくらい有能な医者という事で有名だ。
明日何が待ち受けているか。草の正体は解るものなのか。
アルギンは明日の事を考えて、酒場をもう閉める事に決めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます