第104話


「あの者は、死んだか」


 王妃が玉座に座っている。その階段下にはオルキデとマゼンタの姉妹がいる。そしてマゼンタの隣には、ロベリアが控えていた。

 四人以外は誰もいないその場所に、王妃の落ち着いた声が静かに響いた。


「そうみたいですね」


 事も無げに言ったのはマゼンタだった。自分の爪に視線をやって、塗った爪紅の色が剥がれていないかを確認している様子。オルキデは、王妃の言葉を受けて俯いていた。


「詮索しなければ生きていられたようなものなのにな」


 王妃の言葉も、世間話でもするかのような声色。少しだけ呆れのような色が見えて、オルキデは何も言えなくなる。ほんの少しだけ心を痛めていることに、気付かれてはいけないような気がしていた。


 ―――あの日。

 オリビエは果敢にも、一番街を見ようとした。壁は登れるようなものではなかった。そこを放置されているゴミをかき集め、なんとか足場にしようとしていた。ゴミを集めて、壁に寄せ、足の引っかかりを作りながら、それを数日繰り返した。

 あと少しで壁の一番上まで手が届く。必死に伸ばした腕は何かに掠め取られた。咄嗟の事に掴むことが出来たのは、不審者を感じ取った一番街の中の『もの』。人の腕ほどもある触手のような蔦が、オリビエの手首や足を掴んで、所持していた『花の香り』を漂わせている荷物ごと引きずり込んだ。足場はその時に壊されてしまった。

 オリビエが中で見たものを、四人は知っている。

 そこはまるで樹海。大きく枝を伸ばし空を隠してまるで牢獄のように天井を作る樹木、長く広がる蔦、地に広がる草花、そしてあちこちに転がる人や獣の骨。鳥の声も、虫の羽音もしない世界。

 オリビエは蔦に絡まれた。身動きの出来ない世界で、オリビエは『養分』として命を吸い取られ続ける。

 『花の香り』は、マゼンタが彼女の鞄に付けた誘引剤。毎日を忙しく過ごしていたオルキデが、もし、鞄に気を配ってその香りを花粉ごと落としていれば―――もしかしたら、結果は違っていたかも知れない。

 そうなるよう仕組んだのは、マゼンタ。


「マスター、どんな顔してたのかなぁ。見てみたかったな」


 マゼンタはまるで可憐な花を思わせるような笑顔を浮かべながら、嗜虐の感情が込み上げてくる言葉を隠さなかった。くすくす、と漏れる笑い声が、オルキデの耳に障る。


「……お前が上手に隠していた本性をあの酒場の面々が知ったら、どう思うだろうな」


 言ったオルキデにとってそれは嫌味ではあるが、マゼンタには誉め言葉に聞こえたらしい。笑みを更に深めて、側にいるロベリアの袖を握った。一瞬戸惑った彼は、戸惑いはすれど不快ではないらしくされるがまま。

 王妃は被っていたヴェールを外し、三人に改めて向き直った。


「さて、三人とも」


 ヴェールの下の王妃の顔は、笑ってもいない無表情。


「いよいよ養分が枯渇している。少し早いが二番街に手を付けよう」

「あれ、姉様。早くないですか?」

「浸蝕はまだ僅かにする。どうせ他の街から見向きもされない土地だ、二番街を封鎖地区にする」

「封鎖……ということは、一番街のような壁でも作るんですか?」

「そうさな」


 王妃はゆっくりと両手の指を組んだ。切れ長の瞳が、三人を見る。その視線にも動じないオルキデとマゼンタは、二人が王妃の姉妹だからか。

 ロベリアは一瞬息を飲んだ。宮廷占術師として召し抱えられる前から、ロベリアは一度だって王妃に逆らえたことが無い。王妃の薄青の瞳は、ロベリアを捉えて離さなかった。


「何か良い案は無いか、ロベリア」


 意見を求められて、ロベリアは口ごもる。そんなロベリアに助け舟を出すのも、袖を掴んだままのマゼンタだった。


「姉様、いっそ落盤させましょうよ」

「落盤?」

「一番街にあの子たちがいるんだから、掘削は簡単でしょう? 地面をあの子たちの根で掘って、土はそのまま一番街に盛り土して、そんで、下からドーン!」


 身振り手振りを付けて説明するマゼンタは、誰の目から見ても楽しそうで。王妃は少し考える素振りを見せながら、唇に指を当ててオルキデの方を向いた。

 『あの子たち』というのは、恐らくオリビエが見たであろう植物の数々。それらの力を借りる事は、プロフェス・ヒュムネ、そしてその王家の者なら出来る事。

 『その種に出来ない事は瞬間移動と死せる者の復活のみ』。プロフェス・ヒュムネの伝承は、まさにその通り。ただ、個々によって使える能力に差はあるが。


「オルキデ、お前はどう思う?」

「………。少しばかり、時期尚早かと」


 三人とは違う感情を抱いてしまったオルキデは、この状況で案に関する口にする言葉を持たなかった。

 思っていたのと違う返答に王妃は目を丸くする。しかし、オルキデの言葉を頷いて聞くような状況でも無く。


「時期については、もう充分話した筈だ。他の案がなければ、それで行こう。良いな?」

「……はい」


 オルキデは是と答えるしかなかった。

 四人いる中で、オルキデ以外の三人の意見が一致している。そして、オルキデはその意見が通る事が納得できずにいる。

 最終的には犯罪者も善良な市民も、冒険者も構わず同じように『養分』として、プロフェス・ヒュムネの礎にする事。―――そのための『自由国家』。

 それを知っているオルキデは、三人にも見て取れるような憂い顔を隠すことが出来なかった。




 オルキデとマゼンタのいなくなった酒場は、それでも盛況で。


「はいイル! 注文上がったよ!」

「アルギン、追加でシチュー入りました!」

「シチュー……。シチュー……すまん、もう少し待っていてくれ……」


 その日はギルドメンバー総出で店の切り盛りをしていた。アルギンと共にキッチンへ駆り出されたアルカネットは注文の料理を作りながら青い顔をしている。

 カウンターで平然とアルコールの注文をこなすのはアクエリア。ここ数日で女性客が少し増えた気がする。


「お待たせしました、ご注文のシェリー酒です」

「は、はい……」


 女性客相手に、クールを気取って接客している姿は流石この酒場で一番の年長者といった所か。

 ユイルアルトもジャスミンも、少しはホールの仕事に慣れて来た様子で次々と料理や酒を運んでいる。ミュゼはいつも着ているシスター服ではなく、アルギンから譲ってもらったサイズぴったりの生成り色をした踝丈のワンピースで接客をしていた。


「お、ミュゼちゃん。今日は接客側かい? おじさんのところで一緒に飲もうよー」


 そんなセクハラ紛いの言葉には


「ざんねーん、今お手伝い中なんで無理ですぅ。覚えてたらまた後で相手してあげますね!」


 と、得意になったシスタージョークで軽く流した。内心で唾を吐いているのはギルドメンバーにしか気付けない。

 全員がばたばたと忙しなく仕事をしている。それでも、このギルド全員掛かりでも、オルキデとマゼンタのいた時には勝てなかった。


 アルギンの胸に襲うのは、過ぎた時間への郷愁。


 この国に起こり始めている何かを、この時は未だ、誰も知る由もない。


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