第102話
王城では一度門番に止められた。幾ら元『花』の隊長とはいえ、今は一般人になっているアルギンは前もって申請していないと簡単に王城には入れない。
こちらでお待ちください、なんて、そんな言葉で足止めを食らう。その時間が惜しいほど、アルギンは焦れていた。
詰め所で茶を出されながら、ぼろいソファに腰掛けたアルギンは足と腕を組んで苛々した様子を隠さない。王城に連絡しに行った兵と組んで門番をしていたらしい者が、そんなアルギンの様子にも怖気づく事なく聞き取りをしている。
兵はこの雨の中、流石に門前に立つ事はしないようだがしっかり鎧を纏っている。兜の下の顔は、ヒューマンであればアルギンよりも年上そうだ。およそ四十代といった所か。
「それで、アルギン様。今日はどういったご用事で……」
「もう一般人なんだし『様』付けは止めろ。さっきも言ったろ、王妃殿下にお伺いしたいことがあんだよ。ったく、向こうはこっちを呼び出すだけ呼び出しといて、こっちに用事ある時は事務手続き必要なんだから参るぜ」
「それ、王妃殿下の御耳に入れても?」
「入れたらぶっ飛ばすぞ」
アルギンの苛々は、兵の目から見てもどんどん溜まっているようだ。見かねて、兵が私物らしい煙草を差し出す。
「……要らねぇよ」
「おや、アルギン様は愛煙家ではありませんでしたかな。酒場でもお吸いになられてる姿を見ますよ」
「今は気分じゃねぇ。それに、謁見申請しようとしてる一般人が煙草臭かったら殿下も嫌だろうさ」
「それはそれは」
煙草は引っ込んでいった。それに少し惜し気な視線を送りながら、憂鬱そうな大きな溜息を吐く。
「……それよりも、グラナダ。最近どうよ。ちょっと老けたんじゃねぇ?」
グラナダ、と呼ばれた男は表情を崩した。
この男はアルギンも良く知っている。今はどうかは知らないが、アルギンが隊長をしていた頃の『花』に所属していた兵だ。足が少し悪く、それで騎士としての叙勲を辞退していた男。グラナダは聞き取りの為の紙とペンを置き、柔らかい笑顔で話し始めた。
「覚えていて下さっているとは思いませんでした」
「時々店にも来んだろ、いっつもテーブル席に座るから話も出来やしねぇ」
「いつもお忙しそうにしているか、常連の方とお話していらっしゃいますから。こちらがお邪魔する訳にはいかないと思っているんですよ」
それから続くのは穏やかな会話。隊員の現状から昔の話、最近の出来事等々色々を二人は話した。待たされる時間は長かったが、アルギンにはさして気にならないくらいに話は濃密だった。アルギンに出された茶が空になる頃、詰め所を不躾にノックもせず開ける影が現れる。
「―――ソ」
グラナダが扉を見て目を瞠った。そこにいたのは、武骨な胸鎧を付け、全身を黒の衣服で覆った女の姿。癖の強い髪を一纏めにして、眼帯を付けた化粧っ気の少ない顔を無表情に繕っているその者の姿に、名を呼ぶことを止めて固まってしまった。
アルギンが扉の方を見る。双子を連れて謁見した時の事を思い出した。見知った顔ではあったが、良く知っている頃とはやはり違う雰囲気だ。
―――ソルビット。現『花』隊長。
「……ご機嫌如何かな、『花』隊長サンよ」
軽口は聞き流されてしまう。ソルビットの足は詰め所中まで入って来て、アルギンの側で止まった。
「御自分からこちらへいらっしゃるとは思いませんでした。……今日の用向きは謁見と伺いましたが」
「そうだよ。準備は終わったのかい」
まるで同じ顔をした別人だ。アルギンの知っているソルビットは、仕事はきっちりして、けれどどこかだらしなくて、男を食い物にするからか選り好みは激しくて、それから、それから……。
色々な事を並べられるくらいには、浅い仲ではなかったはずだ。少なくとも、アルギンはそう思っている。
「整いました、王妃殿下がお待ちです。こちらへ」
「ソルビット」
アルギンの心に浮かんだ感情は、寂しさでも憤りでもない。ただ何とも言えない靄掛かったものが、心の中央から薄く広がっていく。
「敬語、止めてくれねぇか。お前さんの敬語、聞いてると頭が混乱してくんだよ」
知ってる声で、知ってる顔で、真面目に怒られた時しか聞いたことのないような口調で。
記憶が混じってしまう。過去の彼女が今の彼女に書き換えられてしまう。それがアルギンには我慢ならなかった。小さな望みを、ソルビットは。
「……殿下へのお客様に敬語じゃなければ、失礼になってしまいますから」
そんな言葉で、投げ返した。
それに返す言葉を飲み込んだアルギンは、ソルビットに促されるまま城の中へと入っていく。
残されたグラナダは、連絡をしに行ったまま戻らないもう一人の兵が帰ってくるまで、まるで変わってしまった二人の仲を憂いていた。
通された謁見の間は、相変わらずの光景だった。最早並ぶ騎士達にくれてやる視線も無い。綺麗に整えられた絨毯を遠慮なしに雨に降られた靴で踏みしめて進んだ。体は覚えているもので、一定の所で勝手に足は止まり片膝を付く。いつかの時と同じように、臣下の礼は止めておいた。一緒に謁見の間に入ったソルビットは、アルギンを気にせず臣下の礼をしたが。
階段の上の玉座には、今日も王妃の姿しかない。その意味には、アルギンだって薄々気付いている。
「……どうした?」
ずっと玉座を眺めているアルギンに、王妃が先に声を掛けた。そんな王妃に軽く首を振る。
「王のご加減は、如何ですか?」
「………。」
カマを掛けた問いかけだったが、その言葉に王妃は黙ってしまった。
「其方が気にするものではない。……だが、そうさな。アルギンが見舞いの言葉をかけてくれたと伝えておこう」
「そんな、とんでもない」
「全く、私も其方には甘いものだ。それでアルギン、ここに来た理由を聞こう」
話を促す言葉に、アルギンは一度頷いた。しかし、わざとらしくその場を気にするように、周囲の騎士を見渡す。
「……あまり、他には聞かれたくない事でございます」
アルギンがそう言うと、解りにくい騎士たちの表情が変わった―――気がした。頭全体を覆う兜の下で、騎士達が僅かに動揺する。それはきっと、城にあまり関わった事のない一般人では感じられないものかも知れないが。
王妃はヴェールの下で考える仕草をする。暫くの沈黙が続いた後、王妃は他の誰にも見えない瞳をソルビットに向けた。
「……ソルビット」
「はっ」
「其方だけ、残れ。他の者は、下がって良い」
その声はまるで号令のよう。言葉一つで、騎士は皆謁見の間を出て行った。
残ったのは王妃、ソルビット、そしてアルギンの三人のみ。
「……一般人にするにしては破格の待遇をありがとうございます、殿下」
「忘れないでください、私は態度次第で貴女の首を刎ねます」
「おう、怖」
口をついて出た軽口は、本気とも冗談ともとれるソルビットの言葉に掻き消される。
他に人がいなくなったのを確認して、王妃が階段を降りて来た。裾を踏まないよう、可憐な少女のようにドレスを軽く摘まんでいる。そうして二人の側まで近寄ってきた王妃は、膝を付いた二人を立たせた。
「それで、アルギンよ。話は何だ」
いつもと変わらない王妃の姿。けれど、こうして玉座から降りて来るという事は、用件も何となくは解っていそうなもので。
ソルビットは少し離れた。正確にはアルギンの斜め後ろに位置付いた。……いつでも首が狩れる範囲に。
「暁から、粉の入った小瓶を受け取りました」
あの時、暁にはぐらかされても聞いておけばよかったのかも知れない。
「あの粉を摂取した鼠は、みるみるうちに太ったという事でした」
「ほう、鼠に食わせたか。あの粉は安くは無いぞ、勿体ない事をしたものだな?」
「………ユイルアルトが、粉を『花粉のようだ』と、言っていました」
聞いていたら、少しは何かが違ったかも知れない。何が変わるかなんて、アルギンには解らないけれど。
「見た事も無い花の花粉。……まさかあの粉は、プロフェス・ヒュムネの花粉なのでは、と思いまして」
「……それを知って、どうする?」
「ユイルアルトは、出所の解らないものは使えないと言いながら、今日オリビエに使ってくれました。オリビエは、使った後、アタシの名を呼んでくれました」
出所と効果が解って、それで最初に使っていたなら、オリビエはあんなに苦しまずに済んだんじゃないか。
夢を追って、あんなに瞳を輝かせていたのに、今は病室で動けない。アルギンの脳内で、オリビエが昔の自分と重なる。
「どうして、オリビエをあんな目に遭わせたんですか」
「………。」
「王家の秘密とやらを握ったのですか。都合の悪い事を知ってしまったのですか。あんな小娘に、この国を揺るがす何かを知られたっていうのですか。アタシは、それがどうしても知りたい」
「其方には―――関係のない話だ」
「………っ!」
その言葉は、アルギンを怒らせるのに充分だった。
「あいつが何をしたっていうんだ!! 隠されてるものが暴かれそうで困るなら、そんな後ろ暗い事止めちまえ!!」
「マスター・アルギン」
アルギンの叫びと同時、ソルビットの短剣が叫んだばかりの首筋に当てられる。冷たい切っ先がアルギンの肌の上を滑るように、皮一枚を僅かになぞった。
「冷徹なギルドマスターが、あんな小娘の為に随分激昂するのだな?」
「………アタシは、もうギルドなんてやりたくない。王家の面子に関わるってんなら、騎士でもなんでも使えばいい。自由の国なんて謳ってるから、こんな不便が出てくる。アタシ達をその犠牲にしないで」
「では、あの者の首はもう諦めるのか?」
「っ―――。」
アルギンの脳内に、今でも忘れられない最愛の人の顔が浮かぶ。
オリビエと彼とで、天秤にかけてしまう。正者と死者を天秤にかけて、それで重いのは、アルギンの中で以前から決まっていた事だけれど。
「………卑怯だ」
「卑怯結構。言われ慣れている」
「アタシは、ただ、人並みの幸せが欲しかっただけだ」
「自分一人が不幸なつもりか? その小さな背中に背負っているのは世界で一番の不幸とでも言いたいのか」
ソルビットがアルギンの首根を掴む。そのまま、謁見の外まで引きずった。
「ソルビット! テメェ、離しやがれ!!」
「忘れられない者がいる誼で、最後に良い事を教えてやろうか、アルギン」
王妃が、引きずられるアルギンに言葉を投げる。
「あの者の首は見つかった。時が来れば、其方の元に返してやろう」
「―――!!?」
アルギンには、言葉が出なかった。廊下まで引きずられたアルギンは、それから放心したような顔のまま、ソルビットの手が離れても動けないでいた。
ソルビットが、冷たい目で見下ろしている。
「……謁見の間での無礼は、許されない。知っているでしょう」
「アタシ、……今、何て言われた……?」
アルギンの瞳には涙が溜まっていた。
見つかった。
それはいい。
時が来れば。
それはいつ。
解っていた事だった。簡単に、今の仕事をしているアルギンを王家が手放すはずがない。結局、あの人の首は返ってくることは無い。時が来れば、なんて都合のいいあの言葉だって、嘘かも知れないし、そんな時なんて来ないかも知れないのに。
涙が幾筋にも流れて床に落ちる。そんなアルギンをただ、ソルビットは無言で見ていた。
「………見つかっても、あの人は帰って来ないの……?」
「……捜索は手伝うと言っても、返すとは言っていません」
「そんなの子供の屁理屈同然じゃねぇかよ!! アタシを使い潰すことしか考えてねぇっ……畜生……畜生!!」
これじゃ解放されない奴隷のようだ。泣きながら床を殴っても、何も解決しない。ただ手の皮が破れて血が滲み出るだけ。
ソルビットはアルギンの前に座って、手を取って、それを止めさせた。ソルビットの手の温かさが今は煩わしくて、荒々しく振り解いてしまう。
「……アタシ、帰る。見送りは要らない」
「そういう訳には行きません。城門までお送りします」
「付いてくるな」
そう言っても、ソルビットはアルギンの後ろを付いてきた。アルギンが騎士として王家に仕えていた時は、この状態がよくあったことを思い出す。
あっという間に城門まで辿り着いた。まだ雨は降っている。
「……ソルビット」
帰る直前、アルギンはソルビットに振り向いた。
「やっぱり、あの時アタシがあの場所に残ってれば良かったんだ」
その瞳には、もう絶望しかない。
何かを言いかけたソルビットは口を噤んだ。
アルギンの背中が遠くなっていく。もう、ソルビットには呼び止める事も出来なかった。
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