第94話


 オリビエの失踪には裏があった。アルギンはそれに気付いてから、どうしたものかと頭を悩ませることになる。

 酒場を休みにしたので皆が手隙だ。それを好機とばかりにアルギンは久しぶりに夜、邪魔の入らないキッチンに立っている。

 オルキデもマゼンタも姿を見せない。アルギンが怒っていることを、マゼンタがオルキデに知らせたのかも知れない。

 キッチンで使う食材は卵、米、野菜、肉、ミルク、小麦粉、マカロニ、その他諸々。

 派手ではないが、一応の料理が出来るアルギンの力作。


「皆ー。下りといでー」


 出来上がりと同時に階段下から声を掛ける。


「夕飯出来たぞー」


 それはまるで下宿の女将さんがするような声掛け。

 やがて部屋にいたものはぞろぞろと降りて来る。今日いないのは仕事のアルカネットとどうでもいい暁だけ。それ以外はオルキデもマゼンタも降りて来た。

 その面々がそれぞれの指定席に並んでいる夕飯を見て少し驚いたような声を出した。

 今日の夕飯は、アルギン手製のオムライスとグラタンだった。


「美味しそう!」


 最初に喜んだのはジャスミンだった。


「良いですね、グラタン。今日も寒かったから、嬉しいです」


 ユイルアルトも席に座りながら、早速シルバーに手を伸ばした。

 オルキデとマゼンタの姉妹も喜びながら椅子に座る。アクエリアは、断りなしにもう食べ始めていた。


「美味いです」


 そう、アルギンの喜ぶ感想を後から取って付けたように言って。


「あ゛~、あったまる。最高。美味しい」


 ミュゼはそんな親父臭いダミ声を出しながらほっこりしていた。

 それぞれの食べ方を見ていると、グラタンが特に好評のようだ。とろりと溶けたチーズの奥に隠したブロッコリーを、皆喜んで食べている。そろそろ食材としての期限が怪しいから取り敢えずぶっこんだものだったのだが。


「アルカネットさんも暁さんも、いらっしゃらなくて残念ですね」

「別に残念でも無ぇよ、アルカネットの分は置いてある」

「それって、暁さんのは……いいえ、何でもありません」


 ジャスミンの言葉は歯切れ悪く、オムライスと一緒に飲み込まれた。


 アルギンが今日キッチンに立ったのは、作業をしながら考え事をしたかったからだ。しっかり自分の中で答えが出た訳ではないが、考えに入る前よりは大分思考がマシにはなっていた。

 手近な椅子に座ったアルギンは、それぞれが食べ進める所を眺めている。不躾な視線に気付いたものもいたが、アルギンはたまにこういう事をするので誰も気にしない。

 だから、良い。誰も何も深く考えない今の状態で。


「イル、ジャス」


 アルギンの唇が、二人の名前を呼んだ。


「アタシが個人で依頼したいんだ。薬、作ってくれないか」

「……? いいですけど、モノは何です?」

「気付け薬。それも、一週間以上起きない入院中の眠り姫の為に、ドギツいヤツをお願いしたい」

「一週間も……ですか? 構いませんが、一週間眠ってるって大丈夫なんですか?」


 三人が話している間、オルキデとマゼンタがアルギンを見ていた。アルギンはそちら側を見ないが、肌はとても寒気を感じている。

 二人の、逆鱗に触れた気がする。つまりそれは、王家に盾突く事になるかも知れない。アルギンはそれでも良かった。以前から捨て鉢だったから、というのに加え、もうこれ以上見知った誰かを簡単に失いたくなかったから。

 二人はどう出る。アルギンは気配を感じるのに集中していたが、二人は食事を終えると皿を片付けにキッチン奥へ行ってしまった。

 他の面々も、食事終わりの休憩を挟んで皿もそのままにホールを後にする。今日は皆落ち着いて食事が出来、リラックスした表情だ。……アルギンと、あの二人以外は。

 全員分の皿を両手に持ったアルギンが、キッチン奥まで行く。……その場所に、オルキデとマゼンタが居た。先に皿を片付けようとしたが、シンクまで行く道を阻まれる。


「―――どういうつもりです」


 最初に口火を切ったのはオルキデだ。アルギンもこう来るだろうな、とは二人が奥に消えてから思っていた。


「どう、って。……他の奴等の食器片づけに来ただけだよ」

「彼女、起こすつもりですよね?」


 マゼンタの語気も棘ついている。いつもの穏やかさが嘘のようだ。仕方なしに、食器は近場に置いてしまう。二人の様子を見るに、怒ってはいないが苛立ってはいるようだ。

 面倒だな、とアルギンは思った。そこそこの期間、それこそ先代の時から勤めてくれている彼女達と問題を起こしたくはないが、最近はアルギンにしても、二人に対する疑念が拭えなかった。

 例えば―――時折ある、外出の理由とか。


「起こすつもりだよ」

「何故」

「理由、いる?」

「自分の酒場と子供以外はアルカネットさんさえ切り捨てるような貴女がですか」


 マゼンタが痛い所を突いてきた。確かにそんな事も言ったな、とアルギンが苦虫を噛み潰す。これじゃますます二人の不興を買うだけだ。


「話すような理由なんて特にないよ。それは本当だ。それより、アタシはお前さん達が、なんであんな小娘一人にそんな大袈裟な対応するのかが聞きたいね」

「……それは」

「言え。オリビエが探っている、お前さん達に都合の悪い話―――何がある」


 話をすり替えて、二人にアルギンの疑問をぶつけた。アルカネットの話で、何となくだが『都合の悪い』部分にアタリは付けている。

 マゼンタは黙ってしまった。代わりに話に出てきたのは、オルキデ。


「……ご質問にはお答えできません」

「答えてくれ」


 そのオルキデに、アルギンがきっぱりと一言を投げつけた。


「どうしてオリビエを起こさない方が良いのか、納得できる説明をして貰えるならアタシも考えを改める」

「……それに関しても、言えません」

「そればっかりだな」


 アルギンの顔に苛立ちが浮かぶ。それは二人が浮かべていたものよりも鮮烈な怒りだ。

 何も話さない、何か裏があるこの出来事に、アルギンは二人が思っているよりもずっと憤っている。


「信頼関係もクソもあったもんじゃねえ。お前さん達三姉妹はアタシ達に何隠してやがる。言えないってんならアタシはアタシのやりたいようにやるから、止めたきゃ国家権力でも使って止めさせろ」

「……マスター」


 アルギンはもう、持って来た食器にも見向きはしない。苛立ちそのままにキッチンを出て行った。

 カウンターに入り込み、置いていた煙草を手に取る。火を付けた煙草を咥えて、湧き上がるイライラを抑えていた。


「……苛ついてんなー」

「ぅお!?」


 誰もいないと思っていた酒場のホール。

 いつもの指定席であるカウンター席の端っこに座っている人影が声を出すまで気付かなかった。

 いなかったはずだ。さっきまで。


「……ミュゼ……いたのか」

「ああ、風呂の順番確認しに、な」


 一度部屋に戻って着替えを取って来たらしい。なるほど、カウンターには風呂の道具と着替えが置いてある。

 浮かない顔を見るに、キッチン奥でのやり取りを聞かれているかもしれない。アルギンが煙草を一本勧めると、ミュゼは遠慮する様子も見せずそれを手に取った。


「火……」


 ミュゼが小声で呟いたので、アルギンがマッチを渡そうとした。しかしミュゼはそれを面倒臭がって受け取らない。代わりに、アルギンに向かって手をひらひらさせた。まるで『こっち寄れ』とでも言っているように。


「ん」


 その意味はアルギンも解って、渋々ながら近付いた。アルギンの咥えた煙草の先に、ミュゼが咥えた煙草の先が重なる。

 それはほんの短い時間。アルギンの煙草の火がミュゼの煙草に移った。


「あんがと」

「おうよ」


 二人はそんな言葉を交わして、二人同時に煙を吐き出す。その仕草もそっくりで、アクエリア辺りがこの二人を見たら「似てますね」の一言でも漏らしただろう。

 

「……なぁ、ミュゼ」

「ぁん?」


 アルギンがぼんやりと、それでもミュゼの名を呼んで話しかけた。


「お前さん、もしも、この酒場無くなったら行く場所あるか」

「……ええ……?」

「アルカネットとお前さんが、孤児院に金入れてるのは知ってる。……けれどここから出してた金も途絶えたら、お前さん達どうするんだ」


 この酒場が無くなれば、一番困るのはアルカネットとミュゼかも知れない。そう思って、ミュゼに直接聞いた。

 ミュゼは少し考えるような仕草を見せて、それから。


「……アルカネットも私も、その時は孤児達に他に空きのある孤児院探して……。アタシはこの国に未練なんざないから、すぐ出てくかも知れない」

「……そーか」

「もしかして、ここ畳む?」


 ミュゼが少し心配そうに聞いてきた。キッチンでの会話を聞かれていたなら、それは当然の反応かも知れない。アルギンは一度煙草経由で息を大きく吸い込んで―――。


「……今の所は、その予定はない」

「何だよ、勿体ぶった言い方して」

「もしもの話だよ。そういやお前さん、育ての親とか言っ―――」


 アルギンがハッとした顔をする。

 ミュゼはアルセンで育ったと言っていた。しかし、彼女の言うアルセンと今のアルセンでは明らかに相違点があった。

 『紫花歴72年・穂積地区』。それがミュゼが生まれ育った場所だと言っていた。


「……ミュゼ、お前さん―――、一番街の生まれじゃないか?」

「………あ?」


 煙草の灰を払ったミュゼが、アルギンの声にそんな気の抜けた声を返す。

 アルギンの極めて真剣な瞳に―――ミュゼは、溜息で返した。


「残念、私はあんな所の生まれじゃないよ」

「違うのか……って、『あんな所』?」

「あ、ヤベ」


 ミュゼが油断した様子で、ぽろりと零した言葉はミュゼにとっての秘密の一部らしい。本当にこの場所に関わる奴等は秘密主義だな、と思いながらアルギンが煙草の火を押し付けて消した。


「……一番街、中を知ってるんだな?」

「………。ここじゃ、ちょっと」


 ミュゼがキッチン奥を気にするような素振りを見せながら自分の煙草の火を消した。あの二人には聞かれるのが嫌らしい。

 小さく頷いたアルギンは、場所を変える為に自室に招き入れる。足音も立てないよう、静かに。

 どっかりとベッドに座ったアルギンは、来客用のソファをミュゼに示す。ミュゼも持ってきていた荷物と一緒にソファに座り込んだ。


「私の育ての親から聞いた話だから、私自身は全然知らないんだけど」

「構わない、話してくれ」

「まるきり信じるなよ? 責任取れないぞ」


 そして、ミュゼは語り出す。



 

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