第95話
ミュゼがアルギンに話したのは、荒唐無稽とも言える話だった。
過去に犯罪を犯したものを収容する目的で作られた一番街。かつては国が管理し、その間は一応の秩序は守られていた。
それが王の代が変わり行き、管理の手も行き届かなくなり、いつしかただの閉鎖された空間になってしまった。時折、一番街から脱出するものもいなかった訳ではない、とも。
けれどそれが、ある時からぱったりと無くなった。
それはとある戦争を境に。遠い過去に滅ぼされた国の種族が、アルセンに入って来てから。
その種族は一番街の者たちを『養分』に、遠い昔に滅んだ国の再興を目論んでいる。
「……養分、って」
「解らん。それは比喩かも知れないし、アイツの作り話かも知れないけど。その先は、あの人も教えてくれなかった」
「……プロフェス・ヒュムネ」
『養分』が何を現しているかはアルギンには解らなかったが、なんにせよ、あまり耳障りの良い言葉ではない。
話に出て来た、『遠い過去に滅ぼされた国の種族』は、恐らくプロフェス・ヒュムネ。そう考えて話を聞けば、納得のできる所もあった。再興を目指している、というのもまだ幾らかは理解は出来る。
だから、『養分』とされる一番街の事を嗅ぎまわるオリビエが邪魔なのだ。……オルキデも、マゼンタも、王妃にとっても。
「……それを言っていたミュゼの育ての親って、本当何者?」
「…………。言っても良いかなって気にはなってきた、けど」
ミュゼの言葉はここまで来ても歯切れが悪い。
「やっぱり、まだ駄目。私もまだ話せない」
「あーもう、アタシとお前さんの仲だろ? 秘密は良くないぜ」
「……仲、か」
ミュゼの表情が、笑っているが困惑の色が滲み出た複雑なものになる。それは、初めて出逢った時よりも随分と柔らかくなった表情。
笑顔はアルギンも好きだった。一瞬だけでも、その性格の苛烈さを忘れさせてくれそうになる。
「……私だって、マスター相手に秘密なんてしたくないよ」
「じゃあ、しなけりゃいい」
「出来ない。……私もね、色々悩んでんだよ。言い過ぎたら、私『消える』気がする」
「『消える』?」
「上手くは言えないけど、その表現が一番合ってる、と思う。私は、多分喋りすぎちゃいけないんだ」
ミュゼは歯切れ悪くそう言うと、荷物を抱いて部屋を出て行った。これ以上話すことはないとでもいう風に。
一人、部屋に残ったアルギンは、その言葉の意味も解らないのに考えていた。…他に考えなければならない事も、あるというのに。
こういう時は、酒場を休みにしたことを後悔する。動いてさえいれば、余計な事を考えないで済むのに、と。
ミュゼが残していった言葉が気になって、アルギンは部屋で一人ぼんやりしていた。
『消える』なんて、随分抽象的な表現だ。『殺される』でもなく、『消される』でもなく。それを言ったミュゼも、この酒場に来た当初から不思議な女だった。新居での生活に慣れていないだけかと思いきや、どことなく世間離れした行動もする。例えば、風呂の沸かし方を知らなかったり、酒場のトイレを『古い』と言ったり。
アルギンにとって、ミュゼは『仲間』の一人に他ならない。けれど、何だか彼女から感じる空気は、決して他人のものでは無いような気がしていた。仲間という認識から逸脱しかけているのか―――アルギンはそう思いかけた。しかし、その考えはすぐにアルギン自身が否定する。
ミュゼは、仲間だ。仲間だからこそ、何かあったら制裁を加える事を躊躇ってはいけない。
知っていることを喋り過ぎないように、とミュゼは自分で言っていた。ならばアルギンはミュゼにこれ以上言う事もない。考える必要もない。この国に忠義を誓う考えは今更無いにしても、もう今以上の面倒事は御免だったアルギンは、仮眠だと言い聞かせてベッドに体を横たえた。
見る夢は、幸せだった頃の夢。
起きればまた、絶望に打ちひしがれる夢。
―――もう、限界かも知れない。
オルキデとマゼンタの部屋は、幻想的な光が中にあった。仄かに青白く光る葉を器に入れて、それで部屋の灯りとしている。そんな小さな部屋で、オルキデの声が小さく聞こえた。
蝋燭の灯りより、弱々しい光は、ぼんやりと姉妹の顔を浮かび上がらせるだけ。それなのに、互いは互いの表情を、視覚で認識するよりはっきりと感じ取る事が出来た。
「姉様」
「マゼンタ、お前は姉様の計画が上手く行くと思うか」
「思います。思いたいです。私は、ファルビィティスを見た事が無い」
「そうか、私は思わない。ファルビィティスは美しい国だった。だが、それが復活するなど有り得ない。滅びた国は二度と戻らない」
二人の声は、互いだけが何とか聞き取れる程に小さい。マゼンタの囁きは、普段の声に比べて格段に甘さを増している。オルキデの囁きは、表情の憂いをそのまま捻り出したかのように掠れていた。
互いのベッドで、離れているのに声が届く。それは他に聞かせまいとする、二人だけの会話。
「私はもう、エイスさんの時のように犠牲を払う事は、もう嫌だ」
「……姉様、それはミリア姉様への裏切りです」
「では、私は裏切られていないのか。犠牲を増やしたくないという、私の願いは裏切られていないのか」
マゼンタが息を飲んだ。『育成』は順調に進んでいる。もう後戻りはできない。それなのに、もう一人の姉がこれから先の未来を拒む。
……やがて二人が、誰かの気配を感じて扉まで視線を向ける。そこには、優しそうな老婆が立っていた。
「……お邪魔します、お二人とも」
顔に深く刻まれた笑顔を浮かべたのは、二人も『知っている』リシューだ。……既に故人ではあるが、時折彼女の事が視認できる者がいる。オルキデとマゼンタも、その手の類だ。しかしリシューの姿形をしっかりと認める事ができるユイルアルトと比べれば、二人の視界の中のリシューは半透明で、向こうが少し透けて見える。
話の途中に入って来たリシューを、マゼンタがいつもは見せない顔で睨み付ける。それを見てリシューはころころ笑うだけ。そんなリシューに、オルキデがこの酒場に来てから殆ど初めてとも言える声掛けをした。
「……リシュー女史、部屋をお間違えではないか。ここはユイルアルトの部屋では」
「良くない話が聞こえたから、私も混ぜて貰おうと思って」
「聞いていたんですか」
「そうね、でもさっきからよ。……ファルビィティスは確かに美しい国だったわ、貴女達はあの国を再生させようとしているの?」
リシューの問い掛けには、姉妹が顔を見合わせた。二人は暫し見つめ合った後、マゼンタが口を開く。
「……再生、なんてものじゃありません。あの土地は死んでしまった。私達は、死んだ土地で生きていくことは出来ない」
「じゃあ、どうやって? 過去に無くなった国を、どうやって再興させようというの」
「死人は黙っててくれませんか」
冷たい口調で言い切ったのも、マゼンタだった。
「貴女がこれ以上深入りするなら、次は貴女の大事なユイルアルトさんを殺します」
「―――。」
「マゼンタ!」
それはリシューにとって、二つの意味を持つ。それを解っていて、手遅れながらオルキデが制した。
既に肉体から解放されて、ごく少数以外に変化を与えられないリシューにとっての弱点の一つ。それがユイルアルト。
しかし、マゼンタが言った言葉がリシューの思考から剥がれない。―――『次』。
「……待って。次、って。……もしかして」
「………。」
リシューの声が震えていた。
それはリシューが長く求めていた、限りなく答えに近い言葉だった。
「エイスを殺したのは、貴女達なの?」
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