第87話

「―――時折あるんですよ、勘違いした暴漢が酒場で大暴れ。ほら、面倒な客とかを出入り禁止にしたりするでしょう? そうすると、腹を立てたりされるんですよねぇ」


 酒場の取材はまだ続いていた。アルカネットが側に居るだけで何も話さない、テーブル席に座る三人だけの空間。

 オリビエは熱心にアルギンの言葉を書き取っている。こんな取材、特に面白みも無い内容になるだろうに。

 酒場襲撃の事件に関しては、詮索されると面倒だったので『出入り禁止にした客が徒党を組んで襲撃してきた』という事にした。それがまた更に面白みを削る理由になってしまう。


「こちらとしても困るんです。他のお客さんが快適に過ごせるようにしたいのに、それを逆恨みされるんですから。かと言って、ご覧の通りこちらはそれ以上の手段も持ち合わせていないので……」

「そうなんですか……。これまで、何回かこういう事はあったのですか?」

「ありますよ、それも何度も。その度に、此処に部屋を借りてるアルカネットに力を借りているんですよ」

「成程、それも自警団のお仕事があっての事なんですねぇ……。……因みに、マスターさんとアルカネットさんのご関係は?」


 オリビエの顔が、少し笑んでいるようだった。アルギンが内心不快感を覚える。


「関係? 特に無いですね。育ての親が一緒ってくらいですか」

「へええ? 育ての親? じゃあ、アルカネットさんはお兄さんなんですか?」

「あら嫌ですね、そんなに若く見えますか? 私と彼はそこそこ年が離れてて私が上なんですけども」

「えっ……、そ、そうなんですか!? とてもお綺麗で、私はてっきり……」


 そういう下衆の勘繰りが来るのも、アルギンにはお見通しだった。余所行きの笑顔を浮かべるが、少し苛々したので煙草を吸いに下がりたい。しかし今だけはお行儀よくしているのが正解だという事も解っている。

 この様子では、アルギンが元騎士である事も解っていまい。そこをほじくられるとアルギンは非常に弱いので、それだけ感謝した。


「よく言われてるらしいんですよ。アルカネットは自警団勤めで随分気を揉んだらしく、年齢よりかなり老けて見えるって」

「へええ……。関係が特に無い割に、そこまで知っているんですね、マスターさん?」

「そりゃ、同じ家に帰る者同士知っていますよ。仲が酷く悪い訳ではないですから」

「それでも、マスターさんはこんなにお綺麗ですし……何か、そういった事は?」

「取材はこれくらいで宜しいですか? あまり『そういった事柄』としてこの酒場と貸し宿の面々を見た事が無いので解らないですね」


 苛々が募ったアルギンが席を立つ。それをオリビエがしまったと言ったような顔をして引き留めた。


「待っ……お願いします、もう少し話を!!」

「もうお茶は出しませんが、それでも宜しければ」


 取り繕うのも面倒だったが、尚も縋るオリビエにアルギンが溜息を吐きながら答える。それでもいい、と彼女は大きく頷いた。

 アルギンは椅子に座り直し、自分の残っているお茶をのんびり啜る。さて、まだ聞きたい事ってなんなのかねぇ―――。


「マスターさんは、この国の都市伝説である『裏ギルド』をご存知ですか?」


 ぶーーーーーーーー。

 アルギンが飲んでいた茶を勢いよく噴き出した。


「え、ちょ、大丈夫ですかマスターさん!?」

「……ごほっ、げほ、だ、い、じょうぶ、です」


 都市伝説とは初耳だったアルギン。いつからそんな大層な話になっていたのかと思いながら咳き込む。

 話を持ち出してきたオリビエはきょとんとした顔をしていた。……この話を持ち出してきた意図は特になさそうだ。何故アルギンが咳き込んでいるかも解っていまい。


「……裏ギルド、とは? どこかで聞いたような気もしますが聞き流していたのでしょう、知らないですね」

「御存じないのですか? 今まことしやかに流れている噂ですよ! どこかで秘密裏に悪者を退治する集団がいるって!!」

「………へー」


 アルギンは椅子の背凭れに背中を預け、話半分にその内容に耳を傾けた。

 どうやら正義の味方的な内容で裏ギルドが存在すると流れているその噂は、先の子女誘拐の犯人の根城に放火した事件や、奴隷商人の集団の解体を上げ、それが裏ギルドの仕事であるというものだった。

 少し違うが、そこそこ合っていた。噂になっている以上、王家の話の揉み消しも間に合いそうにない。下手な手を打つより、噂が沈静化するのを待った方がいいだろう。どこから流れた噂かは気になるが。


「悪者を倒す……。憧れちゃいますねぇ、騎士や自警団が手を出せないような、証拠が揃っていない相手に対しても正義の鉄槌を下すなんて!」

「正義、ねぇ」


 何が正義だ。正義を振りかざして何も良い事なんてない。そんな集団はただ言われるがままに『仕事』をしただけだ。だって例の首無し死体だって、簡単な罪状と指示のひとつだけで、アルカネットが向かっただけ。あとはその事件は騎士預かりになって、こちらには金が支払われて、はい、おしまい。


「正義っていうのは、どこから見るかによって変わりませんか」

「……え?」

「正義の鉄槌なんて思いあがってる集団だったら、そのうち別の正義からぶっ潰されませんかね。放火なんて、その最たるものでしょう。近隣の家にとっては迷惑でしかない」


 アルギンは正直、正義だの正義じゃないのなんてのには興味がない。もう王家の権威に関わる事柄なんて、過去に騎士を辞めた時からどうでも良かった。

 二人の様子を側で見ているアルカネットは気が気じゃなかった。何が楽しくてこんな場所に同席しないといけないのか。


「私は、隣の家が放火されたらブチ切れますよ。理由がなんであれ」

「………。」

「それで、その集団が何ですって?」


 オリビエの表情が固まる。アルギンがそう言うとは思っていないような顔だ。正義だどうだとはしゃぐアルギンを想像していたような顔。それは明確な『悪』に迷惑を被ったアルギンにだから抱いた幻想。

 アルギンが自分の話を切ってオリビエに手番を回したというのに、オリビエは口を開かなかった。暫くペンを持って黙って、それからだった。


「……私、もうすぐ今の仕事首になるかも知れないんです」


 ぽつり、話し始めたのは。


「首」

「追いかけた事件は殆ど全部騎士預かりになって、それ以上調べる事を禁止されました。だから、次の報道が出来なくて、記事は書けなくなるし、平和な記事しか書けなくなって、なのにそれの評判は良くなくて」

「……で、首と?」

「今回の記事の内容次第、と。私は、記者に向いていなかったのかも知れません」


 何の関係もないアルギンに話し始めるとなると、彼女は彼女なりに切羽詰まっているようだ。

 アルギンはその話を聞きながら、また面倒臭い手合いが来たものだと溜息を吐く。どうしてこの酒場には面倒な類の話と人物しか転がり込んでこないのか。


「それで、私とアルカネットの醜聞でも書けば首は免れますか?」

「そんなつもりじゃ!! ……ですが、人の心を惹く記事を書くにはどうしたらいいだろうって……考えたのは本当です」

「………。」


 本当に面倒だな、と思った。平和な話を書き慣れていないその様子だと、今回の記事も不穏にされそうだ。アルカネットにこの話を断らせていたら、余計にどんな記事が書かれていたか解ったもんじゃない。

 アルギンは新聞記者じゃない。だから、どんな助言も出来そうには無いけれど。


「じゃあ―――」


 アルギンが席を立つ。


「今晩、酒場が新装開店するんです。暫く休業していましたが、また酒場を開くことが出来るんですよ」

「……それは、おめでとうございます」

「なので、夜の酒場を見て宣伝を兼ねた記事でも書いてくれませんか。宣伝料を幾らかでもこちらから支払えば、記事を簡単に否とは言われないでしょう」


 それを言い出したのは、気紛れの戯れ。


「……いいん、ですか?」

「おいオーナー、……それじゃアクエリア達は」

「大丈夫。客にでも紛れて帰って来るだろ」


 オリビエが目を丸くする。取材する側はされる側に幾らか支払うのが常だ。それが逆になるという。そんな取材を、今までオリビエはした事が無かった。

 アルギンは今度こそ煙草が吸いたかった。手をひらひらさせながら、奥へと入っていく。


「じゃあ、また夜にお越しください。アルカネット、送ってやれ」

「……全く、勝手に話決めて行くんじゃない」

「………アルカネットさん」

「すまないな、うちのオーナーは奔放なんだ。さ、送るぞ」

「アルカネットさんは、マスターさんのこと何とも思ってないんですか?」


 アルカネットにまでそんな質問が来て、少し面食らった顔をする。少し考えて、それからアルカネットは


「……無いな。あの性格、恋人どころか友人にもあまり選びたくない」

「えええ、あんなに綺麗な人なのにですか?」

「あんな蓼みたいな女でも、選んだ男は居るには居たが……おっと、この話は口止めされてた」

「えー!? そこで話を切るなんてひどいです!」


 とことんまでにアルギンとの相性が悪い事を言っても、オリビエは簡単に納得していない様子。ぷりぷりしながら酒場を出て行くオリビエ。それを彼女の仕事場の近くまで送って行く。

 誰も居なくなった酒場。そのキッチン奥で、アルギンの紫煙が音もなく漂っていた。

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