第88話
「―――となっており、零番街の『育成』は順調です」
ロベリアの報告を耳にしながら、三姉妹がゆっくりと頷いた。王妃は些か満足げだ。
控えている暁も、笑顔を浮かべながらじっと立っている。
「暁、ラドンナから『彼女』の様子の報告は届いているか」
「はい。いつもと変わりなく働いていると。体調に変化はないそうです」
「そうか」
王妃はそれを聞くと満足そうに、自分の紅茶を口に運んだ。
お茶請けとして供されているクッキーを口に入れたのはマゼンタ。もぐもぐとゆっくり咀嚼する彼女に、ロベリアが手拭き用のハンカチを渡す。それに礼を言いながら受け取る。
オルキデはここに来て何も口にしていない。
「―――随分、保護したプロフェス・ヒュムネも増えてきましたね」
「じきにまた増える。零番街下にも、幾人かいるだろう」
「と、なると、もう少し居住区を広げた方が……」
「いや」
王妃の声が遮った。とても冷たい声で。
「もうすぐ、だ」
王妃の声に、四人の表情が固くなる。マゼンタが、無意識にロベリアの服の袖を掴んだ。
「……陛下の御加減、そんなに宜しくないのですか?」
マゼンタが聞いた。王妃はその表情に翳りを持たせながら、小さく頷く。
王は暫く前から体調を崩していた。最近は公務に出る事もままならず、王としての権限を王妃ミリアルテアに譲渡していた。
次期国王は第一子であるアールヴァリンと目されている。王妃もそれで構わないと思っていたし、反対意見も殆ど無かった。……最近になって、それが覆り始めている。
「良くない、な。持って半年だろうというのが医者の見立てだ。リエラという宮廷医師でな、腕は良い」
「………。」
「お前達も知っているだろう、ユイルアルトとジャスミンに薬を作らせているが……どうも、あの者達の腕を以てしても、儘成らぬ事があるらしい。ロベリアの占いでも、そう遠くないうちに不幸が起こると予想された」
王妃のその顔は悲しそうなものだった。王の容態を語るその顔を姉妹は見つめていて、暁とロベリアはそんな姉妹を見ていた。
室内の五人は暫く静かに黙って、やがて暁が声を出す。
「次期国王は、やはり?」
その声に王妃は頷いた。王妃の中で、既に次期国王に推す人物は決まっているからだ。
「ああ、……我が娘、リトを。既に、ヴァリンを始め兄妹や大臣にも話は通してある」
「……数奇な運命ですねぇ、王女様も」
それは国王の子供の内、唯一現王妃が産んだ子供であった。
夜の酒場は久しぶりの開店とも会って盛況だった。
カウンターで注文を捌くアルギン。ホールで料理や酒を運ぶマゼンタ。キッチンで料理を作るオルキデ。
その盛況の最中、オリビエは再び酒場にやって来ていた。
「……繁盛店とは聞いていましたが、まさかこれほどとは……」
怖気づいて、扉を開けただけで固まってしまったオリビエ。陰惨な事件を担当してもこういった場所には耐性が無いのか。そのオリビエの横を通り過ぎ、アクエリアが中に入ってそのまま部屋に上がる。
オリビエはまだ戸惑っていた。そんな姿に、声を掛けたのは仕事帰りのアルカネットだった。
「……まだ入って無かったのか」
「アルカネットさん!!」
「中に入っても別に誰かが噛みついては来ない。早く中に入ったらどうだ。取材するならテーブル席が良いと思うが」
アルカネットが彼女の背中を押した。幸いテーブル席が一つ空いている。そこに彼女を誘導すると、アルギンもオリビエとアルカネットに気付いた様子で手を振って来た。
「……な、なにか注文をした方が良いのでしょうか……?」
「そこは自腹で頼む。おい、マゼンタ!」
マゼンタをアルカネットが呼ぶと、彼女は手に持っていた注文の料理を客席に置いた後すぐ来てくれた。手にはメモ用紙とペンを持っている。
「おかえりなさい、アルカネットさん。ご注文ですか?」
「ああ、俺はハムステーキとサンドイッチ。こっちは……」
「えっ? え、ええと、ええと、同じものを!!」
急に注文を振られて動揺したオリビエだが、メニュー表に手を触れることなく注文を終わらせた。メニュー表も今日の開店に合わせて新調した綺麗なものだ。
畏まりました、と笑顔を浮かべたマゼンタはすぐにカウンターまで進む。その間も、店内には酔っ払いの大声と笑い声が響いていた。
「……いいのか、俺と同じで。多いが」
「だ、大丈夫です! 私もお腹空いてるし!」
若干本気で心配した様子のアルカネットだったが、オリビエは笑顔で答える。
早速オリビエは取材用のメモ用紙とペンを取り出した。店内、盛況。客層、中年男性が大半。
「食べきれるならいいが……、食べ残しには煩いぞ、この店」
「……大丈夫です。多分」
店内、食べ残しに厳しい。
そんなどうでも良さそうな事を書き留めるオリビエを、アルカネットはただ見ていた。彼は彼で、自分のいつもの指定席が空いてないので仕方なく同席をしたまで。料理が届くまで時間があるが、アルカネットには気の利いた事が言えない性分なので、今更になって少し困っている。
「アルカネットさん」
困っていたアルカネットに、声を掛けたのもやはりオリビエだった。
無言が苦痛な訳でもないアルカネットだったが、何の用かと視線だけ向けて続きを待った。
「アルカネットさんは、マスターさんと育ての親が一緒だとか?」
それは昼間の話の続きのようだった。書き留められると厄介なので、手を伸ばして彼女が持つペンを一度下ろさせる。
育ての親。それはエイスの事だ。彼との思い出話は、普段寡黙なアルカネットにさせても長くなる程で。
「……同じだな。あいつがこの酒場を出て行ってから、俺が孤児院から引き取られた」
「出て行って? でも、今酒場を経営されてますよね?」
「そこを話すと長い話になる。それこそ、本が一冊出来上がる程にな」
「本が一冊!? そんなに波乱万丈な人生を送ってらしたんですか!?」
「……本当に、あいつの事何も知らないのか」
そう言われたオリビエは、急にしゅんとした顔になった。
「……私、無学で。成人して田舎から出て来たんですけど、それまでずっと牛や鶏と囲まれて暮らしていました」
「……城下出身じゃないのか」
「そうなんです。私、子供の時からずっと憧れていたんです、新聞記者って仕事に。どんな所にいても、どんな所に住んでても、情報が共有できるって凄い事じゃないですか!!」
そう語るオリビエの瞳はキラキラと輝いていた。彼女の百面相は見ていて飽きないものだったが、そんな二人が挟んだテーブルに、サンドイッチが運ばれてきた。オリビエがそれを察し、テーブルの上のメモを端に寄せる。
成人してから、とオリビエは言った。見た所二十代前半である彼女は、五年もこの城下にいたようには思えない。
「何か楽しそうですね、お二人とも。逢引ですか?」
「俺が仕事帰りに誰かを誘ってここに来るとでも?」
「そうですね、失礼しました。では、ごゆっくり」
マゼンタの話を無表情で躱し、躱されたマゼンタは笑顔で去っていく。ハムステーキは焼き上がりに時間が掛かるらしく、先に作り置きのサンドイッチを持って来たようだ。
オリビエはそれに手を伸ばし、先に噛り付く。アルカネットはハムステーキの到着を待って、サンドイッチには手をつけない。
サンドイッチを頬張ったオリビエの表情は嬉しそうだった。
「……そんなに有名なんですか、マスターさん」
「有名も何も、この城下で五年暮らしてる奴はあいつの悪名は嫌でも知っていると思うぞ。お前の勤め先も何も言ってこなかったのか」
「んー……。私の職場、あんまり人の仕事に干渉しませんから。私がどこに取材行ったかも、編集長しか知りませんし」
「編集長とやらは事前に情報くれたりしないのか」
「しなかったですねぇ……」
これは本当に編集長とやらはオリビエを首にしたがっているようにしか見えない。少し調べれば解って、良い記事のネタになりそうな情報がゴロゴロしているというのに、その手助けさえしない編集長。
本当に任せて大丈夫か、とアルカネットが頭を抱える。
「でも、何も知らない状況から情報収集するのも楽しいです。勿論、相手がちゃんと話してくれたらですけど」
「ちゃんと、な……」
「それが難しいんですよね」
アルカネットを含め、この酒場の面々は『ちゃんと』を話しそうにない。確かに宣伝記事として取材に来させるのは双方ともに最善の方法だったかも知れない。
やがてハムステーキが運ばれてくる。そこそこの厚みを持ったそれは、この酒場の人気メニューだ。
「でも、取材していると色々興味深い話も聞けるんですよ、例えば―――都市伝説とか」
「………。」
そういや昼間の取材でそんなことを言っていたな、とアルカネットが思い出す。『興味深い』のまま思い留まって欲しかったが、目の前の彼女はそういう訳には行かないらしい。
「……都市伝説って、他には何があるんだ?」
「あ、気になります? 気になっちゃいます?」
「少しだけな」
「『真夜中に二番街を徘徊するシスター』、『夜中に話しかけたら次の瞬間姿を消す子供』は最近よく聞きますね……。他にもいっぱいありますよ」
「………。」
アルカネットはその二つの片方に心当たりがあったので、咳き込まないようにするので精一杯だった。後でミュゼと暁経由で暁の人形に周囲の確認を怠るなと進言しておこう。
ハムステーキを切り分けて口に運ぶ。今無言でいる理由はそれだけだったので、思っていることを顔に出さないようにするので精一杯だ。
「……ですが、都市伝説は都市伝説だから、子供みたいなこと信じるなって良く言われるんです。二番街をシスターが歩いている、だから何なのか、って……。子供だって、声を掛けた人の死角から逃げただけだろう、って」
「……普通に考えたら、それもそうだな」
「でも、噂には何らかの理由があるはずなんです。例えば、裏ギルドの話と繋がっているとか」
「―――。」
アルカネットが危機感を覚えた。このままオリビエに新聞記者をさせれば面倒なことが起こりかねない。一応秘密裏のギルドだ、公になる事はとても危険。下手をすれば、これまでの『仕事』の内容を理由に、王家から足切りの為にギルドメンバー全員処刑されても不思議ではないのだ。
アルギンを見た。アルギンはまだ酒場の仕事で手いっぱいだ。こちらを気にかけてる様子も、無い。この事はアルギンの耳に入れておくべきだろうが、アルカネットはまだ迷っていた。
「裏ギルドの話は、とても素敵な話だと思います。だから、私はそれまで都市伝説で一括りにされたくないんです」
「……自警団の手の届かない所に手を出す奴等だもんな、確かに自警団は少し頼りないかも知れないが」
「あ、いいえ、そんな、アルカネットさん達が頼りない訳ないじゃないですか! ……でも」
「『好奇心は猫を殺す』、と言うな」
この話をアルギンにしたら―――オリビエは、どうなる?
「都市伝説だという事で終わらせた方が良い話もあるだろう。……あまり首を突っ込むと、取り返しのつかない事になるかも知れないぞ」
「……アルカネットさんは、お優しいんですね」
アルカネットに出来る、可能な限りの助言だった。
それをオリビエはどう取ったのだろう。困ったような表情を浮かべて、アルカネットに微笑みかける。
「それでも、私は記者ですから。気になる事を追いかけるのが仕事です。アルカネットさんだって、危ないと知っていて自警団をなさってるんでしょう?」
「……危ないの意味合いが違う。俺がしているのは未知の危険に首を突っ込むことじゃない」
「『未知』を『未知』じゃなくさせるのが、私の仕事ですから」
ああ、もう駄目だ。アルカネットはそう思った。
オリビエの瞳はやる気に満ち溢れ、キラキラと輝いている。本当にこの仕事が好きなんだな、と思うと同時、このままではこの女がどうなるか解らない、と思った。
アルカネットが苦い顔をしながらハムステーキを食べ終えた。サンドイッチも片付け、アルカネットの食事が終わる。オリビエは、ハムステーキを半分残していた。
「……アルカネットさん、多かったです……」
サンドイッチは食べ切ったらしいオリビエは、残り半分に苦戦している。肉体労働に従事しているアルカネットで腹八分目程度の食事だったが、小柄な彼女にはやはり多かったらしい。
やれやれ、といった具合にアルカネットが溜息を吐く。
「……我慢して食べる事だな。あのオーナー、女相手でも怒ると怖いぞ」
「ひええええ……」
助けの手は貸してやらない。
苦戦しながら食事を続ける彼女を、アルカネットは頬杖を付きながら見ていた。
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