case6 好奇心は猫をも殺す
第86話
「取材ぃ?」
酒場『J'A DORE』は朝の内から騒がしかった。
漸く新しい客席が届いたのだ。テーブル、椅子、カウンターの天板、その他料理道具を含めた小物色々。少し前の酒場襲撃で破壊された店内は、今日無事に新装開店が出来るという訳だ。
少しだけ奮発したテーブル類は、アルギンが昔から貯めていたポケットマネーからも手出しして注文した。懐は寂しくなったが、アルギンはほくほくした顔で嬉しそうにしていた。
………アルカネットから、その話を聞くまでは。
「……ああ。襲撃事件で色々あっただろう。新聞記者が、自警団経由で取材の打診をして来た」
運搬を手伝うアルカネットも迷惑そうな顔をしていたが、アルギンはもっと迷惑そうだった。
咥えられていた煙草がじりじりと燻る。店内レイアウトが描かれた図面をくるくる手の中で丸めながら、アルギンが酒場の手伝いをしてくれている面々の顔を見る。
「アクエリア、どう思う」
アクエリアは特に不満も無さそうに椅子を運んでいる。面倒臭がりで普段はあまり仕事をしたがらない性質だが、ここが亡き兄の店だからか文句も言わないでいる。件の襲撃事件にも関わっているからかも知れないが。
「どう、って……、俺に取材って訳でもないでしょう。アルギンの好きに決めたらいいじゃないですか」
「かー、使えねぇ意見をどうもありがとう。……アルカネットはどう思う?」
「面倒な話だが、ブン屋は情報提供しなければ適当な事書きかねないとは思う」
「………そうだなぁ」
意見を求められたアルカネットは、やや慎重な意見を出した。自警団員なので、そういった事例になった件を時折見ていた。それで、新聞社とある事ない事書かれた側の押し問答になった事も。
「こんな新聞社しょっ引いてくださいよ!」と息巻く被害者側に「そうは言っても、この国はアルセンだからな」と言った事がある。『アルセンだから』で通じるのは、口下手なアルカネットにとってはとても有難い事だった。
「ネタを提供しても、適当な事を書くのでは?」
そう言ったのは小物運搬中のユイルアルト。今日はジャスミンは外に仕事で出ていて、一人で手伝いに下りていた。
「………どちらにしろ厄介だなぁ」
アルギンが溜息を吐き、もう根元まで灰になった煙草を灰皿に押し付ける。
どかどか煩い酒場のほとんど空っぽのホールは、あっという間にテーブルや椅子が並んで行く。前からあった、なんとかまだ使える椅子とテーブルはアルカネットが補強して同じように並べられている。
ホールが酒場の様相を成した頃には、アルギンの機嫌もすこぶる良くなっていた。
「おかえりアタシの酒場!! ただいまアタシの酒場!!」
図面を片手にくるくると踊りだしたアルギン。手伝いに駆り出された面々はその姿を見て困ったように微笑んでいる。酒場の事になると怒るし喜ぶ、そんなアルギンの性質を皆知っていた。
「それで、どうする。受けるか断るか」
アルカネットが上機嫌なアルギンに聞いてみる。
「えー? もーいーよどーでも。取材なんて来たけりゃ来ればー?」
「はぁ? ……お前、少しは良く考えてだな」
「ただし」
アルギンが急に喜びの舞いを止めた。そしてアルカネットに向き直る。
「アクエリア、暁、ミュゼはその間ココに寄り付かせない」
「………俺もですか」
「当たり前だろ、お前さんは自分の胡散臭さに気付いた方が良い」
「胡散……」
言われたアクエリアはショックを受けたが、並んだ他の名前の主の胡散臭さに少し納得した。
職業不詳の暁と、孤児院シスターのミュゼが酒場の部屋を借りているとか確かに怪しい。その中に自分が入っているのかと思うと不本意だが。
「その取材って、直ぐ終わるんでしょうか? 私達は部屋に居ていいですか、アルギン?」
「さてな……。まぁ、朝か昼くらいから始めて夜には終わるだろ。酒場もあるからな、その位には締めて貰わないとこっちも困る」
「夜には俺も部屋に居たいものですけど」
アクエリアの要求もアルギンには解っていたので、それを頭に置いてこれからを考える。
今日はアルギンが待ちに待った酒場開店の日。少しだけ浮かれているのもあった。
昼前からアルカネットが自警団詰め所に行った。
昼過ぎには帰って来た。―――客を連れて。
「初めまして、お会い出来て光栄です!」
それはアルカネットより背も低く小柄で、声も高く、赤毛の―――女性だった。
「今回取材させて頂きます、オリビエ・ディンレと申します! 宜しくお願いします!!」
「………ディンレ?」
アルギンがその客を酒場内に迎え入れ、自己紹介を耳にすると、どことなく覚えのある名前が聞こえた。
それはいつだったか、客が置いていった新聞にあった記者の名前ではなかったか。しかも、その記事はアルカネットの『仕事』について書いてあった筈だ。
「ディンレというと、以前拝見した記事の担当の方がそうだったような。ちょっと前の、首無しの死体」
アルカネットがオリビエの隣でビクリと跳ねた。
「わあ、見て頂けたんですか!? そうなんです、あの記事は私が!!」
「そうでしたか。物騒な事件でしたからね。しかしそんな記事を担当しているのが女性とは思いませんでした」
アルギンは完全によそ行きの態度と笑顔だ。アルカネットの表情が青くなっているのにも関わらず。
どことなく小動物を思わせるオリビエは誇らしげに笑っていた。
「そうです! 女だからって甘く見られても困りますから! 私はそれが仕事ならどんな危ない場所にも行きます!! ……ですが」
みるみるオリビエの態度が萎んでいく。アルギンはそのころころ良く変わる表情に、若干の面白さを感じていたが
「……あの首無し死体事件は、上から中止を指示されてしまって……。続きが書けなくなってしまったんです」
「………。」
その言葉を、アルギンは目を細めて聞いた。さてどこから掛かった圧力だろうと、アルギンが考えを巡らせる。……どうせ騎士預かりの事件になったからなんだろうが、もしかすると王家が手を回してくれたのかも知れない。
オリビエはそれを残念がっていたが、アルギンにとってはありがたい話だった。過ぎた好奇心と情熱は、ある境を踏み越えたらその足から燃やし尽くされてしまうから。
「……それは残念でしたね。ですが、中止も何かしらの理由があるという事じゃないですか?」
「ええ、ですが、私は一人でも調査を続けようと思っています!!」
オリビエの隣でアルカネットが目を剥いた。吹き出しそうになるのを堪えて、アルギンが営業スマイルを取り繕う。
「そうですか。大変でしょうが、頑張ってください。……さて、本題である取材に入らせて頂きましょうか」
「は、はいっ」
適当に話を区切り、切り替える。アルギンにとってはこんな会話どうでも良かった。今回の取材の記事が載った新聞も、最終的には揚げ物を揚げる時に使わせてもらおうと考えている。
こんな小娘一人に何が出来る、と。アルギンは高を括っていた。
少し席を外し来客用の茶を淹れながら、ぼんやりとオルキデとマゼンタの事を考える。
面倒だなぁー。あの二人、今日は城にいるんだっけかー。
早く帰って来てくれないかなぁー。
―――少し前のアルセン城。
門は顔パスで潜る事が出来るオルキデとマゼンタは、城の中、それも中枢部にいた。
案内も不要とばかりに、二人は平服で中を歩いている。
中枢部では、二人を不審そうに見る城仕えもいない。マゼンタが一歩先を歩く、その姿はたまに王城で見ることが出来る物だ。
「マゼンタ様、オルキデ様」
そんな中枢、向かおうとしていた廊下の途中に男が一人立っていた。
彼は腰まである艶やかな長い黒髪を持つ、年若い男だ。切れ長の瞳と、薄い唇を持つ美形。
彼の姿を認めた時、マゼンタの顔が明るくなる。
「ロベリア」
ロベリアと呼ばれた彼は、二人の姿に向けて執事然とした姿で腰を下げる。
少しだけ速足で、マゼンタがロベリアの側に寄った。その足取りは軽い。
「御足労、ありがとうございます。いつもの場所で王妃がお待ちです」
「出迎え御苦労、ロベリア。姉様の様子は如何か?」
「変わらず。毎日お忙しそうです」
オルキデの言葉に返るロベリアの言葉も、いつもと同じ。
三人は『いつもの場所』―――王妃の私室まで、共に歩いた。
ロベリアが扉を開く。中は、薄緑の壁紙に緑の絨毯、白と緑で統一された部屋。奥には王妃だけの寝室があるが、扉で区切られている。
その部屋には、ユイルアルトとジャスミンの部屋以上に植物があった。マゼンタが、その植物を見て微笑んだ後、中で待つ部屋の主に挨拶する。
「お待たせしました、姉様」
「ご機嫌麗しゅう、姉様」
二人揃って軽く膝を曲げ、頭を下げた。
中にいた主―――王妃ミリアルテアは、ソファに座ったまま二人を笑顔で歓迎する。今日は、いつも被っているヴェールを取った状態で。
「待ち兼ねた―――って、言っていいのか?」
濃紺のような艶やかな黒髪。
灰色がかった紫色の瞳。
今日は長いドレスではなく、踝まであるワンピースのような簡素な服。
肘置きに頬杖を付いた王妃は、身内に向けて砕けた口調で話し始めた。
「嫌です、姉様。待っていらしたならもう少し早い時間に来ましたよ?」
「それはそれで困る。……ほら、二人とも、座れ座れ」
オルキデとマゼンタがソファに腰掛ける。すると、王妃の隣に控えていた白い人影が姉妹三人に紅茶を淹れ始めた。
その姿は二人も知っている―――階石 暁だ。
「暁、今日はお前も同席するのだな」
暁が先に王妃に紅茶を出しながら、声を掛けて来たオルキデに笑顔を向けた。
その顔は胡散臭い事この上ない。オルキデはそこまで不快には思わなかったが、マゼンタは無言で視線を逸らす。
「はい、ウチも『一枚噛んでいる側』なので。そりゃ愛しのオーナーの側に居られないのは残念ですけどねぇ」
「……愛しの、だなんて、良くもまぁ」
―――暁は、宮廷人形師だ。
代々人形師の家系で、その中でも暁は幼い頃からその技術を元に、魔力で動く自動人形を作っている。今使役している人形は、索敵・巡回を得意とする一号『スピルリナ』、情報収集・コミュニケーションを役目とする『ラドンナ』がいる。ラドンナは今、とある孤児院でシスターの真似事をさせていた。
人形の作り方は門外不出。それは例え、王家であっても。
「一枚噛んでいる、なんて……物騒な話は止めて欲しいところだな、暁」
「失礼しました、女王殿下。ですが、恐らく今の所アルセン一物騒なのはこの場所だと思いますよぉ?」
暁が笑いを殺す様に喉を鳴らした。その笑いは不穏で、全員が全員なんとも言えない顔をして目を逸らす。王妃すら。
そんな空気を追い払うように、王妃が咳払いをする。その音で皆は互いに顔を合わせ、それから。
「―――では、皆。『零番街』の話をしようじゃないか」
王妃の声が、私室に静かに響いた。
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