第84話
―――すべて、夢だったら良いのになぁ
―――目が覚めたら、隣にあの人がいて、バルトとウィリアもいて、皆元気で、幸せで
―――そんな世界が、現実だったらいいのになぁ
アルギンの願いは叶わない。
目が覚めても、また一人だけになってしまった寝床で起きて、何も変わらない日々が始まる。
朝起きて「おはよう」を言いたい相手は足りなくて、「おやすみ」を聞きたい相手も足りないでいた。
何を食べても美味しいと感じる事も少なくなって、楽しいと思える事も殆ど無くなった。
双子を孤児院に渡してから、三日後の話だ。
「お邪魔しまーす」
アルギン達が酒場の掃除をしていた昼間、耳に障る声で酒場に入って来たのは暁だった。
髪の毛も合わせて、今日も上から下まで白い。その姿が目に入るだけで気に障る。
「おいオルキデ、ちょっとチーズグレーター持って来い」
「お元気そうですねぇ、アルギン様」
「マゼンタ、上からアクエリア呼んで来い。ちょっと今から解体ショーするぞ」
「嫌ですねぇ、そんな殺気立たないでくださいよ。ウチはこんなにアルギン様の事を慕っているのにぃ」
「今度来たら擂り下ろすって言っただろう。そんなんでアタシが嬉しがると思ってる? あの人が生きてる頃から、お前さんはそんな冗談ばかり」
「冗談じゃないんですけどねぇ」
暁の細い目が開かれた。アルギンが一瞬だけ気圧されて言葉を詰まらせる。
狐のような顔だと思っていた。決して不細工だとは思わなかったその顔は、今はまるでアルギンを一飲みにでもしそうなくらいの圧がある。
「解体でも、擂り下ろしでもお好きにどうぞ。それで、アルギン様がウチの事見てくれます? ウチの事を、あの人と同じくらい好きになってくれます?」
「………。」
マゼンタとオルキデが空気を察し、手にモップを持ったまま酒場のホールを出て行く。
二人きりになった場所に、暁は尚も言い募った。
「ウチは、ずっと昔に貴女を初めて見た時からお慕いしています。『j'a dore』の監査になったのだって、貴女の為になりたいウチの意見が取り入れられたからです。貴女の為になるのなら、爪先から脳味噌まで全部刻まれたって構いやしません」
その瞳には狂気があった。アルギンが眉を寄せて、その言葉に耳を傾ける。
「なのに、未だに貴女はあの男の事ばかり。もう生きてもいない男なんて思い出さないで。ウチだけ見てください。貴女の事をウチは―――」
「もう止めろ」
途中で、アルギンが掌を見せる。もう聞きたくない、の合図だ。
暁が言葉を飲み込む。悔しそうな表情で、苦虫を噛み潰すように。
「妻が亡夫の事を思い出すのなんて当たり前の事だろ。愛を誓った相手なんだから」
「………ですが」
「聞きたくないね。どうでもいい。お前さんの自己満の『好き』とやらを、勝手にアタシの方まで押し付けて来るな」
アルギンが、もう相手もしたくないとばかりに手をひらひらさせる。途中になった掃除を再開させようとするアルギンに、尚も言い募る暁。
しかしその内容は、再びアルギンに視線を向かせるもの。
「……ウチ、部屋借ります。二階、空いてますよね」
「―――……。」
「ウチは監査役を任されています。監査役は、何かあった時にいつでも対応できるようにしておかないといけませんよねぇ」
また面倒な話を―――。アルギンの瞳がそう言っていた。しかし暁は話を止めない。
「ウチ、この前『月』隊の任を解かれて宮廷付きになったんです。……『宮廷人形師』。だから、自由に動ける時間が増えたんですよぉ」
「……で? こっちのギルドに仕事任されに来たって?」
「お手伝いならしますけどぉ、表立って仕事はしませんよぉ? ……監査役、ですからね。アルギン様の御手伝いしたり、ギルドメンバーが何か良からぬ事をしないよう見張るなら、ここにいた方が効率がいいでしょ?」
見てみれば、暁は何やら大きい荷物を持ってきていた。本気で部屋を借りるつもりだ。
暁の言葉に不穏なものばかり感じているアルギンだが、こう言い出すという事は王や王妃の了承は取れているのだろう。宮廷人形師という地位も、恐らくは本当だ。
ここで叩き出すのは簡単だ。しかし、この件でまた王や王妃直々に話をされるのはもう嫌だった。
「……二階なら五号室が空いている。狭いぞ」
「ありがとうございます。これでアルギン様と一つ屋根の下ですねぇ!」
「ふざけんな、追い出すぞ。あと、王が許可したかどうか証拠が欲しい所だな」
「はいはい、そのくらいご用意させて頂きますよ。部屋の鍵あります?」
暁は本気で転がり込むつもりらしい。いそいそと荷物を抱えて鍵を要求して来る。
カウンター内にある鍵の一つを取って暁に放り投げる。それを受け取った暁は、とても嬉しそうに微笑んでいた。
「本業で居ない時もあるとは思いますが、これで一緒に居られますね、アルギン様……いや、オーナー?」
「煩い。居ようが居なかろうが部屋代は満額払って貰うからな。宮廷付きになったならさぞ給金も良いだろうな?」
「それはご想像にお任せします。ウチとの結婚のお話ならいつでもお待ちしていますからね?」
「禿げろ」
適当にあしらいながら、アルギンが暁の言葉に引っかかりを覚えた。
「……ギルドメンバーが良からぬ事をしないよう?」
「はい。勿論その中にはアルギン様の事も入ってますよぉ?」
「もし、そういうのが実際見つかった場合、どうなるんだ?」
「んー……。」
暁は細い目をしたまま、首を捻る。まるで日常会話をしているように、事も無げに。
「一先ず拘束、然るべき処分が下りるのを待って、悪質だったら裁定も待たずにウチ自ら処刑ですかねぇ」
「―――。」
「一応『裏』ギルドですからぁ。その権限があるのもウチなんで、あ、でもオーナーはそんな事するくらいならウチが飼ってあげますからねぇ?」
「………冗談。お前さんに飼われるくらいなら国に反旗翻してでも死んでやるよ」
「もー、オーナーってば。可愛くないのはそういう所ですよぉ?」
ニヤついた暁の顔を見たくなくて、顔を背けるアルギン。
暁の返答はある程度予想はついていた。そうか、処罰を与える側の者か。暁は。そしてその対象に、アルギンも入っている。
見張られている。逃げ出したりしないよう。面倒な事になったんだな、とアルギンが溜息を吐いた。
「……暁。ギルドメンバーを増やすことについて、王は何か言ってたか」
「増やす? 別に、特に。そういや実質今ギルドメンバー三人ですもんねぇ、オーナー含めて」
「少人数の方が動きやすいのは分かっているが、話しが直ぐ通る医者が欲しい所だな。あとさらっと自分だけ逃げてんじゃねぇぞ。ここにいる以上お前さんも一員だよ、たっぷりコキ使ってやるからな」
「やぁん、これでウチもお仲間を名乗れますねぇ。嬉しいですよ」
「…………アルカネットが頭を抱えるな。面倒になるから、お前さんの本業は他には伝えるなよ」
「はいはーい」
本当は二度と関わりたくなかった一人でもある。
けれど暁は、アルギンが思っていた以上に良く働いた。アルギンが気の進まない王家への報告や謁見も、暁を通せば全て不要になった。
その度に暁は褒めて欲しそうにしていたが、そこは敢えて構わないようにした。
次第に、アルギンは暁を側に控えさせることに抵抗が無くなっていく。それでも、暁がアルギンの心に入り込むことは、それから時間が経っても出来ないでいる。
それから少しして、這う這うの体でユイルアルトが酒場にやって来た。
それから少し時間が経って、ユイルアルトが街中でジャスミンを拾った。
彼女たちは行く場所を失っていて、アルギンは酒場に招いた。
元は医者の真似事をしていたという二人に頭痛薬を作らせたら、驚くほど効果のあるものが出来た。
それを暁経由で王家に報告したら、また暁経由で薬の作成を依頼された。
二人はそうやってギルド員になった。
彼女達の過去は深く聞かなかったし、アルギンもまた過去を話さなかった。
彼女達に余計な話をして、余計な荷物を背負わせる気は無かった。
アクエリアは、旅の路銀が十分溜まったであろうに、酒場を離れる事は無かった。
一度だけ、尋ねた事がある。
「アクエリア、またどっか行ったりするの?」
答えはこうだった。
「もう暫く居ますよ。少し、居心地が良すぎるのは考え物ですね」
その答えが嬉しかったけれど、アルギンの事が足枷になってしまっているのではないかと思って不安になった。
アクエリアも、時々双子の様子を見に行ってくれているらしい。
アルギンはそれを知って、アクエリアの優しさに人知れず感動した。
彼を失ってからも、アルギンの生活は続いている。
彼が今のアルギンを見たら、笑ってくれるだろうか。また、あの時のように。
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