第83話
アルギンの不幸の始まりは何だったのだろう。
あの女性にコバルトを抱っこさせなければ。
泣いた双子を店に連れて来なければ。
あの戦場で、町から離れなければ。
あの人に恋をしなければ。
兄の隠していた秘密を知らなければ。
戦争で故郷が戦禍に包まれなければ。
産まれて来なければ。
アルギンの思考は過去まで遡る。愛したすべてを否定するかのように。
これまでの全てを後悔した。後悔して、後悔した事も後悔した。
愛しい子供達は生きている。それが、アルギンが正気を保っていられる唯一の希望だった。
アルギンには最適解が解らなくなっていた。どの選択肢の何を以て正解とすればいいのか。ただ一つ解っているのは、『子供達を危険な目に遭わせたくない』という自分の願いだけだった。
そして双子の誕生日がやって来る。
アルギンが『最後』と決めた日だった。
「ぁ?」
「だー」
その日は酒場も休みにして、朝から夕方まで双子を連れて遊びまわった。
いつもの公園にも行ったし、街で果物を買って食べ歩きもした。
付き合ってくれたアクエリアもマゼンタも双子に対していつも以上に優しかったし、行った川では水遊びもした。
抱っこして歩いている最中にお昼寝を始めた双子を、文句も言わずアクエリアは抱き続けてくれて。
遊んで、食べて、寝て、遊んで、食べて。双子がずっと機嫌よく過ごしてくれたことが、アルギンも皆も嬉しかった。
―――その日の最終目的地は、十番街の孤児院だった。
夕暮れの時間になって、三人と双子は孤児院の門を潜る。
既に話はついていて、出迎えのシスターが奥に案内する。応接室らしい場所に案内されたアルギン達は、三人のシスターと話をすることになった。
「御足労頂きありがとうございます、アルギン様。お会い出来て嬉しいです」
そう言ったシスターは、老齢に近い女性だった。顔に深く刻まれた皺で、大体の年齢を想像する。
そのシスターの両脇に座っているのは比較的若いシスターで、どちらも柔和な笑みを浮かべていた。
「可愛らしい双子ちゃんですね。何か月ですか?」
「……今日、一歳になりました」
「それはそれは! おめでとう、双子ちゃん。あらあら、ニコニコさんね」
おめでとう、と言われた双子は意味も解らないまま笑顔を浮かべている。アクエリアとアルギンの膝に乗っている双子は、今は大人しく動かずにいた。
「……ウィスタリアちゃんと、コバルトちゃん、でしたっけ」
「………はい」
「とても、お父さんによく似ていますね」
「―――。」
アルギンがそう言われた瞬間、アルギンの目から涙が溢れた。シスターを驚いた顔で見るが、彼女は笑みを湛えたまま話を続ける。
「あの方は、こちらの施設長をなさっていましたから」
「―――あ」
「あまり子供が得意では無いと仰られていましたが、子供達に優しく接しておられましたよ。何があっても子供達を邪険に扱う事もなく、とても優しい方でした」
『お父さんに似ている』
それは、アルギンが無自覚に、それでも誰かに言われたかった言葉だった。この子を育んだのは自分一人じゃない、彼がいてこその双子だったから。
頬を伝って流れる涙に、膝の上のコバルトが手を伸ばす。その手を優しく握って引っ込めた。
「アルギン様、双子ちゃんをお預かりする前にどうしてもお願いしたいことがあります」
アルギンの体がビクリと震えた。
覚悟していた。『もう会わないようにしてください』と言われる事を。だってここは孤児院で、ここで暮らす子供達は皆親がいないのだから。
しかし、アルギンに言われたのは全く逆の言葉だった。
「頻繁にで無くても良いんです。けれど、どうか可能な限り逢いにいらしてください」
「―――」
アルギンは言葉を失ったまま、口をぱくぱくさせている。
逢いに来ていいのか。子供を孤児院に入れるような親が、そんなに逢いに来てもいいのか、と。
シスターは、そんなアルギンの反応を予想していたように笑顔で続ける。
「御存じの通り、この場所は孤児院です。……殆どの子には、親がありません。けれど、この双子ちゃんには貴女という立派なお母さんがいます」
「……りっ……ぱ………?」
「詳しい話は存じ上げませんが、成すことがあるのでしょう? 貴女は生きていらっしゃる。この子達にとっては、それはそれだけで幸せな事なんですよ」
「―――そんな、こと」
立派だなんて、そんなの違う。現にこうやって、自分の手元から離そうとしている。
でもアルギンは、そう言われて救われる思いだった。
親として認められた気分だった。シスターの言葉は、アルギンの涙を止めさせてくれない。
「お願いします、アルギン様」
しゃくりあげるように泣くアルギンに、シスターがハンカチを渡す。
「何度でも、必ず、逢いにいらしてください」
「………っ、は、い……」
アルギンの隣で、アクエリアとマゼンタも泣きそうな顔をしていた。
ひとしきり泣いた後、双子をシスター達に渡す。酒場からここまでずっと持ってきていた双子用の荷物は、少し大きめ。
まだ何事か解っていない双子は、シスターの腕の中で、ニコニコと笑っている。
「なにかあったら、直ぐ連絡ください」
「承知しました。……大丈夫ですよ、大事にお預かりします」
三人が、席を立った。応接室のソファは、居心地が良くて離れがたい。
三人が立ったのを見て、コバルトとウィスタリアがそちらに向けて手を伸ばす。
「ぁー!」
「だっ!!」
抱っこを求める声。それが今はとても辛くて、アルギンは思わず顔を背けてしまった。
「あー!!」
「ひぇあああー!!」
声が奇声になっていく。今顔を見ると絆されてしまうのが解っているから、誰も顔を向けなかった。
まだ歯も生えていない。
まだ『ママ』とも呼べない。
そんな小さな、かわいい双子。
「……どうか、宜しく、お願いします」
アルギンの震える声。堪らず、そのまま応接室を出て行った。
背中を追う、双子の泣き声。走って、走って、出口まで来ると流石に双子の声は聞こえなくなっていた。
可愛い双子。一番大切な、愛しい我が子。
アルギンはこの選択が正しかったのか、未だに解らないでいる。
双子を連れて、この国から逃げ出せばよかっただろうか。逃げ出せただろうか。
残った二人を待つために、自分の考えをどこかへ追いやるために、アルギンはその場に座り込んだ。
暫く待つと、沈んだ顔をした二人が出て来る。
「……アルギン」
沈痛な面持ちのアクエリアが、アルギンの側に寄った。
「お疲れさまでした」
そう言って、アルギンの頭にポンと手を置く。
「……何のつもりだよ」
「労ってるんですよ、貴女の今までとこれからを。あの子たちとまた一緒に暮らせるようになるまで、貴女何かしなきゃいけないんでしょう」
「……そうだな」
頭に置かれた手が、いつかにエイスからされた感触によく似ていた。頭を撫でるだけの行為が、愛しの彼のそれとは似ていない事に思わず笑う。未だに何も忘れられていない。手の感触も、その行為も。
「アクエリアもお疲れさま。今日はありがとう」
「……進んでやった事です。暫くは静かな酒場に慣れないかも知れませんね」
「夜は相変わらずうるさいぞ、また手伝うか?」
「それは遠慮しときます」
外はもう夜で、空には星が瞬いていた。
見上げた星空はいつもと変わらないのに、アルギンには生涯忘れられない景色となる。
手元で成長を見続けられないのはとても悲しい事だった。
けれど、危険な目に遭わせたくないのも本心だった。
『彼』があの日、負けるかも知れない戦場でアルギンの為にと下した決断が、少しだけ分かったような気がした。
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