第82話

 扉の開く音に、アルギン以外が振り向いた。

 疲れ切っているアルギンは、視線だけを向けた。

 明るい外から入って来たのは、白い―――白い、男だった。


「皆さんお早うございますぅ。双子ちゃんもお元気そうで良かったですねぇ」


 それを言った瞬間、アクエリアとアルカネットが双子を男から庇うように動く。


「そんな警戒しないでくださいよぉ。アルギン様の子供だからかわいいとは思いますけど、あの男の子供になんて興味なんて殆どありませんからぁ」

「……お前さん、アタシの子供にそんなこと言って良いと思ってるの」

「勿論、アルギン様の子供だから邪険になんてしませんよぉ。……そんな顔しないでください、お綺麗な顔が凄みを持ってしまってますよぉ?」


 その語尾を伸ばした喋り方に、アルギンの眉が寄る。

 ―――階石 暁。裏ギルド『j'a dore』の監査役、『月』隊の隊員。この事は、アルギンとオルキデ、マゼンタしか知らない。

 暁は全員から敵意の目が向いているのにも関わらず、アルギンの側まで歩み寄ってくる。顔は、いつものように得体の知れない笑みを浮かべた狐顔。


「お話、城にまで届きましたよ。大変でしたねぇ」

「……暁、今日は何の用」

「少しご提案したいことがありましてねぇ。ちょっと城までご足労頂きたいんですよ。馬車付けてありますから、このままどうぞ」


 まるで執事がするように、胸に手を当て頭を下げた暁。アルギンの視線はコバルトに向いた後、ウィスタリアに向けられた。


「……この子達が一緒で良いならな」

「アルギン……」


 不安そうな声はアクエリアのものだ。世話をしているせいか父性がちょっと湧いているらしく、子供達になにかあったらと心配している顔。


「大丈夫だ。……少し待ってろ、準備してくる」


 アルギンが立ち上がる。それから、双子に笑顔で声を掛けた。

 双子は、母親の笑顔が見られたことでニコニコの笑顔を浮かべている。アルギンに手を伸ばし、抱っこをせがむがアルギンはそのまま離れて行った。

 アルギンが居なくなったことで、双子が声をあげて泣く。




 双子のお出かけの準備を済ませたアルギンが馬車に乗る。

 コバルトはアルギンの腕に収まり、ウィスタリアは同席を言われたオルキデが抱いていた。

 向かい合う馬車の中の席で、暁だけ向かいの席に座っている。アルギンを連れ出せたことが上機嫌らしく、暁は鼻歌を歌っていた。


「王妃様が、双子ちゃんの事心配してましたよぉ?」

「……ふん。他に考える事は山ほどあるだろうにな」

「そんな言い方は捻くれてて良くないと思いますよぉ」


 今更城に行って何になる。アルギンは半ば自棄になっていた。

 けれど少なくとも、酒場の中で昨日の事を思い出しながら鬱々と過ごすよりは何倍も良い。

 ウィスタリアもコバルトも、二人とも初めての馬車で楽しそうだった。がたがたと揺れる感覚に、ニコニコ笑ってじっとしている。

 城までは馬車ならそんなに時間は掛からない。慣れていた筈の城の門を潜る時、アルギンの気分が重く落ち込むのが解った。


 馬車を降りる前にアルギンとオルキデは双子を抱っこ紐で体を括る。

 そうして降りた時、アルギンの耳に大きな声が届いた。


「アルギン様ー!!!」

「マジだ、赤ん坊がいる!」

「アルギン様、お久しぶりですぅぅうう!!」


 それは城の至る所から聞こえてくる野太い歓声のような声だった。

 ―――四方、あちこちの通路や窓を見れば、知った顔が沢山ある。


「お、まえ、ら」


 『花』隊の兵、騎士、他隊の者達、その全ての名前を覚えている。

 久し振りで少し老けた者、変わらない顔をしている者、その全てが元気そうで、アルギンに向かって手を振って声を上げている。

 アルギンは放心していた。こんな歓迎が待っているとは思わなかった。あの時、アルギンは逃げるようにして騎士を辞めて、城を出て行ったのに。

 『花』のその後は聞いていた。時折酒場に来る者達がいるから。


 しかし、騎士を辞めたあの日から、ソルビットには会えていなかった。


「アルギン様、お元気そうで嬉しいですー!!」

「赤ん坊ゆっくり見せて欲しいです、『花』隊舎にも寄ってください!!」

「アルギン様あああ!」


 四方からの声は、次第に阿鼻叫喚に変わっていく。流石に煩すぎてアルギンの耳が痛くなった頃


「―――お前達、黙らないか!!」


 その野太い歓声を掻き消すような、一人の女性の声がした。


「彼女はもう一般市民だぞ!! 子供達も怯えているじゃないか!」


 その人物の姿は、アルギン達が向かおうとした通路の向こうから現れた。

 癖の強い茶色の髪を一つに結い上げ、片目の眼帯は茶色。露出を控えて武骨な鎧を身に纏った―――。


「……ようこそ、『j'a dore』マスター、アルギン」

「ソル……ビット……」


 覚えているより遥かに隊長然としたソルビットだった。アルギンを見ての笑顔は無い。


「お前達、持ち場に戻れ! 勝手に動いたものは後で懲罰を与える!!」


 その怒声に、集まっていた者達は皆散開した。その様子には怯えが見て取れた。アルギンが居た頃からは考えられない。

 全ての者が居なくなって、改めてソルビットがアルギンに向き直った。


「御案内します。どうぞこちらへ」


 ―――たーいちょ! こっちっすよ


 記憶の中のソルビットの声が、アルギンの頭の中で蘇る。

 声は同じなのに、今のソルビットからは記憶の中の彼女とは全然違っていた。

 それ以上は何も言わず、先導して前を歩き始めたソルビット。その後ろを暁が、そしてアルギンとオルキデが歩く。

 静まり返った通路は、アルギンが知っているのに知らない空間になってしまったようだった。


 アルギンは知っていた。

 ソルビットが副隊長をしていた時の口調は、道化役を自ら買って出てくれたときの『仮面』だ。『風』の諜報部隊出身であったソルビットは、相手に応じてその『仮面』を変える。それは他国の要人であったり、傷ついた部下であったり、気に入った男相手だったり、アルギンであったり。

 そして今、『花』の隊長になって仮面を変える必要も無くなったソルビットは―――アルギンにも、もうあの頃の仮面を付けることは無い。


 そして案内されたのは、ソルビットと同じくらい久々な謁見の間だった。そこまで来て、アルギンは暁を睨み付ける。


「……テメェ、どういうつもりだ」

「あれぇ、言ってませんでしたっけ? 今日のは王妃様からのお呼び出しですよ」

「………今度店に顔を出したら、足先からチーズみたいにすりおろしてやるから二度と来るな」


 暁に毒づいても、彼は一切気にしていない様子で笑顔を浮かべている。

 ここまで来ては帰る事も出来ない。アルギンは重い足取りで中に進んでいった。相変わらず『鳥』隊が列を成して立っている。人数は、最後に見た時より増えていた。

 階段の上には玉座が二つ。そしてその椅子に座っているのはひとりだけ。


「―――久し振りだの、アルギン」

「………。お久し振りです」


 ―――王妃だ。

 臣下の礼を取りそうになって、寸前で踏み止まる。今更そんな事はやりたくないし、片膝を付くだけで止めておいた。


「ぁう?」


 何事か不思議がっているのは、抱っこされているコバルトだ。下りたいとばかりに身動ぎを始めた。こうなると要望が通るまで動き続けるので、アルギンは顔を顰める。


「よい、赤子だ。動いても構わぬ、下ろせ」

「へ」

「床が不潔なのが気になるか? 恐らく、酒場の床よりは綺麗にしてあろう」


 言葉に従って、コバルトを抱っこ紐から解放して床に下ろした。赤い絨毯も大理石の床も、コバルトは気にすることなく這い回った。

 やがてその興味は横に並ぶ騎士達に向いた。猛烈な勢いでハイハイして近付き、その鎧相手に掴まり立ちをしている。


「ふふふ、可愛らしい。二人とも其方によく似ておるな」


 コバルトが動き出したのを見て、オルキデに抱っこされていたウィスタリアも動き出す。床に下ろされると猛然と騎士達に突っ込んでいく。

 掴まり立たれた騎士は、鎧の下でぷるぷると震えていた。双子は楽しそうに鎧を叩いたり、引っ張ったりして自由に遊んでいる。それを少しだけ解放された気分で眺めているアルギン。


「……昨夜の話、我が耳にも届いておる」


 そして切り出された話に、アルギンが王妃の方を向いた。

 この話しかないだろうな、とアルギンは覚悟していたものの、いざ話されると不快感が半端無い。思い出したくも無いのに勝手に記憶に蘇るような昨晩の事なんて、忘れられるものなら忘れたい。

 次がれる話に身構えていると、肩を揺らして王妃が笑う。


「そう力むな、アルギン。……少し話をしよう」

「……王妃殿下とお話など、畏れ多い事です」

「知らぬ仲でもあるまいて。……アルギン、其方の耳に入れておきたい話があってな」


 今更何も聞きたくなかった。しかし帰りたくてもウィスタリアとコバルトは騎士を巻き込んで遊びの真っ最中だ。それに、側に控える暁とソルビットが許してくれないだろう。


「帝国の要人らを拷―――尋問した際にな。『月』の首の在処について尋ねた」

「……!?」

「我が国の隊長を倒すなど、帝国には誉れであろう。だから『月』は首級を上げられたのだと思っていたが―――帝国の誰に聞いても、何処を探しても、終ぞ首は見つからず仕舞いだったのだ」


 アルギンにとって、その言葉は何より心を引くもの。最愛の人の首が未だに見付かっていない。

 もう国によって既に埋葬されたものだとばかり思っていた。しかし、それが未だ叶っていないという情報はアルギンの意識を思い切り引っ張って来た。


「あの人の、くび」

「其方がまだギルドマスターを続けるのであれば。……私達も捜索を続けよう。『月』が其方と、其方達の娘の元へと帰れるまでな」

「……探して、見つかる可能性はあるのですか」

「探さぬなら見つかる可能性どころの話ではないと思わぬか? その問いは愚問である」


 王妃の言葉は的確だった。アルギンが言葉を詰まらせ、否の言葉を奪われていく。

 最愛の人の首。それは未だ亡き夫を愛するアルギンにとって、どうしても無視できないものであった。例え肉が朽ちて骨だけになってたとしても、アルギンの名を呼んで愛していると言ってくれたのは彼なのだ。

 アルギンの沈黙を是と捉えた王妃は続ける。


「……ギルドマスターとして動く以上、双子には更なる危険が襲うかもしれぬ」

「―――。」

「今回は直ぐに見つかった。今回は無事で済んだ。しかし、次は明確な悪意を持って双子に害を成すかも知れぬ。酒場を経営するならば、酔客が双子に取り返しのつかぬ傷を負わせることもあるやも知れぬな?」

「……だから、酒場を畳めと?」

「いや、そうではない」


 続きを聞きたくなかった。アルギンは顔を俯けるが、王妃の声が耳に届いてしまう。


「双子を、安全な場所に預けてみてはどうか」


 それは昨日危険な目に遭わせてしまったばかりのアルギンの心に刺さる。

 刺さった場所が、痛んで、疼く。小さな二人に視線を向けると、アルギンがいなくても楽しそうに各々やりたい事をやっていた。


「―――王妃、それは」

「王立の孤児院がある。代々『月』隊長が施設長を兼ねる場所でな、騎士が常任している訳ではないがシスターの数も多い。教育も保育もしっかりしている」

「いや、です。二人とも、アタシの手元で育てたい」

「孤児院とはいえ其方はいつでも好きな時に逢いに行って構わぬ。医師も常勤している、何かあった時は酒場に医師を呼ぶより手当が早い」

「嫌です」

「場所は十番街だ、五番街よりも治安が良い。同年代の子供も多く、環境としては悪くない」

「だから、嫌だって―――」

「『守れる』というのは、欺瞞だと思わぬか」


 親として否定された気分だった。当然かも知れない、彼の首の件で心が揺らいでしまっている。

 それでも、今までアルギンは頑張って来た。片親として、他の者の手を借りながら双子を育ててきた。双子は双子として愛していたから。


「……いつまでも孤児院に預けよ、と言っている訳ではない。その日が来れば、手元に引き取ると良かろう」

「………タシ、は」


 頑張って来た。

 双子が、可愛くて、愛しくて、それで。

 守りたいと思っていた。母親として、これまでも、これからも。

 それで危ない目に遭わせてしまって、アルギンの自信は地に落ちていた。


「……この子達と一緒に生きていきたいだけだった……。なのに、アタシにはその資格も無いって言うんですか」


 アルギンの瞳から涙が流れ落ちる。それは自分に対しての失望の涙だった。

 幸せでいて何が悪い。子供達が居て、アルギンは幸せだ。

 その幸せが、奪われそうになるのが、何より怖かった。


「そうとは言っていない。それでも、其方が守り切れなくて流す涙を見る方が私はよっぽど堪える」


 アルギンは泣くしかできなかった。まだ歩くことも出来ない双子が、そんな母を心配してか近くに寄って来た。

 小さくて、柔らかくて、可愛い双子。

 アルギンは双子を抱き締めた。遊んでもらっていると思ったのか、双子は声を上げて笑った。


「じかん、を」


 アルギンが呟く。


「時間を、ください。この子達が、一歳になるまで」


 それは、アルギンが諦めた瞬間だった。



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