第79話


 宣言通り、それから暫くしてアルギンは退院し、その足で執務に戻った。

 山と積まれた書類は手つかずで、それを休憩を挟みながら整理するのに半日が過ぎた。


 アルギンの知らない間に戦争は終わっていて、書類に拠ればアルセンの勝利で終わったらしい。

 帝国は戦力がほぼ尽きて、頼みの綱のプロフェス・ヒュムネ隊も全滅。帝国が全兵力を投入した戦場は、それと殆ど同じ数の死体で埋まったそうだ。

 帝国は白旗を上げたがそれをアルセン――戦場にいた王妃――は拒絶。『鳥』の残存隊がそのまま丸腰に近い城まで殴り込みに行って、皇帝の首を獲ってきた。

 その状態の帝国をどうするかは、近隣諸国との話し合いの場が持たれるそうだ。


「………。」


 アルギンの入院中、動けなかった期間に色々な事が起きていた。

 『月』副隊長フュンフの隊長就任。

 『風』隊長であるエンダの戦死。

 それに伴うアールヴァリンの隊長就任。

 戦死者の合同葬儀。

 国内孤児の支援。

 他にも色々ある、そのどれもを、アルギンは書類整理の最中に知った。


「エンダ、死んだのか」


 これで隊長格の戦死は二人。アルセンも相当な痛手を食らったものだ、とアルギンはどこか冷めた気持ちでいた。

 エンダに対して思い入れが無い訳ではない。あれでいて良い隊長だったと思っている。

 けれどアルギンには、薄情と言われても―――『月』を喪った時程に悲しむことが出来なかった。それに、どうしても気になっている事がある。


「アルギン様」


 扉をノックする音と声がする。この声はフュンフだ。


「入れ」


 短く返すと、すぐに扉が開いた。扉からフュンフが顔を覗かせる。


「酷い有様ですな」

「お陰様でな。……どうした」

「謁見準備が整った、と」

「……分かった」


 アルギンが重くなった体を立ち上がらせる。フュンフもその様子にハッとした顔になって、すぐにアルギンを支えに行った。


「……どうしたフュンフ、えらい気が回るようになっちゃって」

「……身重の女性を気遣うのは、男として当然の事です」

「きゃー、素敵。最高。でもアタシなら大丈夫だよ、ちょっと体は鈍っちゃったけどな」


 大丈夫、と言われれば、フュンフも支えている手を離す。

 フュンフとの距離が近くなったことで、気になっていることを聞く気にもなった。アルギンがフュンフに向き直り、頬を掻く。


「……あのさ、フュンフ」

「何でしょう」

「………。」


 気になっていたのは、ソルビットの事だ。

 アルギンが肉体的にも精神的にも落ち着くまで人払いをしていたせいもあるが、誰がどうなったという詳しい話は全く聞かなかった。病院側からも、精神の安定を図るためにそういった情報が入ってくるのを制限していた。

 エンダが戦死したのは今知った。しかしソルビットがどうなったかは、今見た書類のどれにも書いてはいなかった。


「ソルビット、こっちに帰って来てるよね」


 言ってから、アルギンの胸に不安が襲う。

 フュンフはアルギンの顔を見て、それから扉に視線を向け、もう一度アルギンを見て。


「心配ですか」

「いっ、いや、そんなんじゃないけど、あのソルビットが、簡単にどうにかなるって思ってないし」

「そうですか」

「で、でも……この書類……溜まってるの見て……、ソルビットが手ぇ付けてる訳じゃないみたいだし……今、何やってんのかなって………」


 フュンフの顔色は変わらない。アルギンには、それが『月』の戦死を伝えた時と変わらない表情の気がして、さっと血の気が引く。

 思わず、フュンフの腕を握った。力を入れたつもりもないのに、掴んだその手が震えている。


「……ソルは、………貴女の事を最後まで心配していましたよ」

「―――。」

「プロフェス・ヒュムネ相手に善戦、しかしソルビットは勝てませんでした。最後まで戦線にいましたが―――私がソルの姿を確認した時には、もう」


 フュンフが影を帯びた表情で話すそれに、アルギンが目を見開く。

 引いた血の気が戻る気がしない。エンダの死を知った時より、動揺している。


「そん、な」

「それでも幸せだったでしょう、貴女の事を守れて」

「……ソル、ビット。嘘……だろ……?」

「兄貴ぃいいいいい! 勝手に人を殺すなっ!!」


 その時だった。開いたままの扉から怒鳴り声が聞こえたのは。

 執務室内のやり取りを廊下で聞いていたらしい、その声の持ち主が中に入ってくる。

 久し振りに見たソルビットは―――片目に眼帯をしていた。


「兄貴、冗談が過ぎるぞ!!」

「嘘は言っていない。お前がいつまでも入ってくる様子が無いのでな、出やすかっただろう」

「……ソルビット、お前」


 アルギンが指さしたソルビットには、眼帯で隠しきれない肌に生々しい傷跡がある。

 ソルビットは事も無げに「ああ、これっすか」と眼帯に手を当てた。


「ちょっとグサリ、ボロンで無くなっちまったっす」

「……」

「……そんな事より、兄貴から聞いてたっすけど……、本当に妊娠中なんすね」


 ソルビットがアルギンに恐る恐る近付くが、その腹に触れることはしなかった。手を伸ばしてはいたが、触れてはいけないもののように、少しして手を引っ込めたのだった。

 久方振りの、隊長と副隊長の顔合わせ。ソルビットは少し居心地悪そうにしながら、身重の隊長に顔を向けた。


「……暫くの留守、お許しください。こちらも傷の治療や戦争の後始末を行っておりました」

「いいんだ、ソルビット。……いいんだ」


 申し訳なさそうなソルビットに、気にしなくて良いと声を掛けながら、アルギンの瞳から涙が溢れた。

 そんなアルギンにソルビットが目を剥いて驚く。これまで憎まれ口の応酬をしていたような上司のそんな顔、初めて見たからだ。


「……この上、ソルビットまで、死んでたら……アタシ、もう、どうしていいか解んなかった………」


 顔を覆って泣き出すアルギンに、一番動揺したのは口が災いしたフュンフだった。すぐさまソルビットの拳骨がフュンフの腹部目掛けて繰り出される。

 床に蹲るフュンフを他所に、ソルビットがアルギンの肩を支えた。そしてそのまま抱き締める。


「たいちょ、あたしは殺しても死なない女っすよ。大丈夫っす、そうやって泣いて貰えるのがとっても嬉しいっす」

「……良かった……。良かったよぉ………」


 そんな二人を見ながら、フュンフがふらふらと立ち上がる。

 仲の良い事だ、とフュンフは思った。二人の関係を大いに誤解している者もいるが、絆は流石隊長と副隊長と言った所。

 ―――フュンフはそう思いながら、今は亡い人の事を思い出していた。


「二人とも。……特にアルギン様、謁見に向かわなくて良いのですかな」


 過去になってしまった、先代『月』隊長との時間は、フュンフにとってもかけがえのない物だった。その記憶を今は思い出さぬよう、そっと胸に閉まっておく。

 二人にそう声を掛けると、ソルビットはアルギンのエスコートを買って出る。アルギンもそれを拒むことはせず、ソルビットに先導されるまま執務室を出て行った。




 謁見の間に立っている『鳥』の騎士の数がいつもより足りなかった。

 今日は玉座に二人の姿がある。それは王と王妃で、王妃はいつものように頭からヴェールを被っていた。

 いつもの謁見の間の雰囲気とはまた違う。今日はどことなく、アルギンにとって嫌な雰囲気だった。


「『花』隊長アルギン・S=エステル、『花』副隊長ソルビット只今御前に」

「……『月』隊長フュンフ。只今御前に」


 謁見の間で膝を付き頭を垂れる三人。結局フュンフもソルビットもアルギンを心配して一緒に来てしまった。

 そんな三人に「よい」とだけ言って頭を上げさせる王。


「アルギン、その体では難儀だろう。足を崩せ」

「……畏れながら、そうさせていただきます」


 腹が出て来たアルギンの今の体では、片膝を付くことが困難だった。両膝を付いた体制でもキツい事に変わりはないが、温情だと思って何も言わない。

 王妃はそれまで黙っていたが、突然口を開いた。


「畏れながら陛下。アルギンは座らせた方が宜しいかと」

「……そうか。私の言い方が悪かったな、アルギン、座るが良い」

「……ありがとうございます」


 流石経産婦は解っていた。アルギンが言葉に甘えて座る。座るだけでも一苦労だ。

 そんな様子を見ながら、王が徐に口を開いた。


「それで、アルギン。謁見申請を出した仔細を聞こうか」

「……は」


 今回の謁見はアルギンから言い出したものだった。

 フュンフもソルビットも、何を言いたいのかはここに来る道すがらに聞いていた。

 アルギンは言葉を並べる前に、座ったまま頭を下げる。


「……私は、今まで能力を評価していただいた事、本当にありがたい事だと思っています」


 王も王妃も察しているようだ。

 当たり前かもしれない。こんな状態で謁見して陳情するなんてことは決まっている。


「それでも、私は『花』を―――騎士であることを、辞めたいと願ってしまう事をお許しください」


 変に包み隠すこともせず、素直な感情をアルギンは言葉にした。

 言い訳を並べるつもりは無かった。純粋に力不足を感じていたし、『彼』が居ない苦しみに勝てた訳でも無い。この体で皆の前に立っていられるなんて思ってもいなかった。


「……理由は聞かぬ」


 王も、解っていた。このまま騎士として続けられるような状況ではないと。

 地位返上は、そんな言葉ですんなりと了承された。


「後任に希望はあるか」

「はい、副隊長のソルビットを。彼女は私より有能です、きっとこの国の為になりましょう」

「引継ぎはどうする?」

「私が可能な限り済ませます。ですが、引継ぎなども必要ないほど、彼女は執務も隊の動かし方も慣れています」


 それだけ聞くと、満足そうに王は笑った。アルギンの後ろにいるフュンフとソルビットは、話しの成り行きを不安そうに見ているだけだ。


「……それで、構わぬな? ソルビット」

「は……、はいっ!」

「喜ぶと良い。これでお前は晴れて、正真正銘の『花』隊長よ。あれだけ望んでいただろう」

「……そう、ですね。ええ、嬉しいです……」


 ソルビットの声には覇気が無い。当然だ、こんな形で隊長になるなんて、過去あれだけ騒いでいた頃のソルビットは想像もしていなかった。

 王は立ち上がった。ソルビットの心の機微には気付かない様子だ。喜ばない彼女を不思議そうに見ながら、王は謁見の間を出て行く。

 残ったのは王妃だ。王妃は玉座のある階段を下りて、アルギンの側に寄った。


「………『月』の事、私もとても残念に思っている」

「……王妃、殿下」

「それでも、遺したものもあるのだな。あの者はあれでいて、相当に其方を愛していたと見える」


 王妃の言葉で、再びアルギンの瞳に涙が溜まる。それは幾筋も頬に流れ、アルギンの腹が濡れた。

 王妃がアルギンに手を差し伸べた。アルギンはその補助でゆっくりと立ち上がる。


「―――アルギン、こんな状態で話すのは悪いと思っている。しかし」

「……? 何でしょうか」

「『j'a dore』の件だ」

「―――。」


 アルギンに一瞬の眩暈が襲う。それを支えたのは王妃とフュンフだ。フュンフは少し青い顔をしている。

 アルギンはそれで何とか持ち直し、自分の足でしっかりと立っていた。


「このまま二代目を襲名せよ。でなければ、私の決めた相手を婿に取り、その者に二代目を引き継がせよ」

「っ、王妃殿下、それはあんまりでは!?」


 王妃の言葉に声を荒げたのはソルビットだった。周囲の『鳥』隊の騎士が一瞬騒めく。

 それを制したのは、アルギンだ。ソルビットは殿下相手の言葉ではないものを投げてしまったと、後から後悔する。


「畏れながら。お聞き、しても宜しいですか」

「構わぬ、許そう」

「何故、私なのです。他に設立でもなされば宜しいのではないでしょうか。それとも、エイスの妹として育った私には、もう民草として生きる権利も無いと?」

「その通りだ」


 王妃の答えはあっさりとしていた。憤慨していたソルビットも、その答えに凍り付く。


「『知ってしまった』以上、元には戻れぬ。失った国は、仇敵を滅ぼそうが戻らぬようにな」

「………」

「私も―――王妃の冠を捨てて、戻りたいと思った。しかし戻れぬ。諦めしかない。私はもう、この道しかない」


 王妃の言葉の裏に隠れたものに、アルギンは気付いた。

 王妃がプロフェス・ヒュムネであることを知っているのはどのくらいいるのだろう。あの戦場で、王妃は自らを名乗り、その力を振るったのだろうか。

 プロフェス・ヒュムネの国『ファルビィティス』を滅ぼした帝国を落城させるのが、この王妃の目的だったとしたら―――その目的が果たされて、王妃の心にあるのは一体何なのか。

 けれど、アルギンはそんな事知りたくも無かった。もう、どうでも良かった。


「……承知しました」


 アルギンは立ったまま頭を下げる。


「たいちょ!?」

「二代目ギルドマスターの座、拝命いたします。―――代わりに」


 アルギンが下げた頭のまま、王妃を睨んだ。


「アタシの子に何かあったら、この国に何が起きても責任取りませんからね」


 それがアルギンに出来る脅しの精一杯だった。


「そうか、ならばその時は私と心中するか、アルギン?」


 王妃もヴェールの下で笑いながら答える。


 『花』隊の代替わりは呆気なく終わった。

 謁見が終わった後、アルギンが残っている仕事を片付けようと執務室に向かおうとしたが、その足をソルビットによって止められた。


「妊婦が何無茶しようとしてんっすか!! 今日から隊長はあたし! たいちょーは……あー、隊長……アルギンは、何かあったら明日ゆっくり出てくる事! 荷物も『あたしの』部下に運ばせるから、絶対重い物とか持つんじゃないよ!!」

「ソル、唐突な口調の変化は止めておけ」

「だって! 今日からたいちょーは『アルギン』に戻るんだよ!? やっと呼び捨て出来るんだ……! あたしが隊長なんだ!!」


 ソルビットはなんだかんだで、隊長就任自体は嬉しいらしい。謁見の間を出て数歩の所というに、ソルビットがその場で踊り始めた。


「……ま、確かに、形だけでも一般人に戻ったアタシに、お偉いさんが敬語じゃ不味いよな」

「……そういうものですかな」

「てな訳で、フュンフも普通で良いよ。……これから先、またお互いに面倒事に巻き込まれるかも知れないし、そん時顔を合わせるかも知れないし、フュンフもたまには酒場に来て欲しい」


 アルギンが腹を撫でる。その顔は既に母親の顔だった。


「……アタシの知らないあの人の話、聞かせてあげて欲しいしさ」

「………。」

「ソルビット『様』も煩ぇし、アタシは今日は帰るかね。また明日来るよ」

「では、馬車を手配しましょう」

「お、それはありがたい。……ほらソルビット『様』、市民の規範になるような行動してくださいな。とっとと歩け」

「いた! もー、アルギン!殴る必要はないでしょー!?」


 三人はその場を後にした。

 まだ心からは笑えないが、それはとても穏やかな時間だった。



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