第77話


 どさり、体が瓦礫の山に倒れ伏す音がする。

 アルギンは耳に届くその音を頼りに、半壊した町を歩いていた。

 鉄錆の臭いが濃い場所。ふらつく足取りで、ただ一人を求める体に従って進む。


 道すがら、転がる死体の数を数えていた。

 見知った顔が幾つもあった。家族構成を言える顔の持ち主が何人もいた。それらは全て、国の為にと死んでいった者達だ。

 帝国軍の死体もあった。奴隷部隊の死体も数多かった。それらは今まで生きてきて、どんな生活を送っていたのだろう。

 知りたくなった。けれどもう知ることは出来なくなった。もう、その場に転がる死体のすべては、二度と何かを話すことが出来ないのだから。


「   」


 アルギンの唇が、最愛の人の名を呼ぶ。


「   」


 願わくば、その名の持ち主の死体が転がっていませんように。

 アルギンは信じてもいない神に縋るような思いで、祈りながら道を進んだ。




「アルギン様!?」


 道の途中で、満身創痍の『月』副隊長フュンフに会った。

 彼は配下らしい魔法部隊数名を連れている。血を流したままのアルギンを見て、その目を見開いていた。


「……ようフュンフ、元気そうじゃん」


 フュンフも、防具は壊れ、下に着ていた神父服で戦闘を繰り返しているようだ。長い髪を括っていた紐は解け、ソルビットとそっくりの落ち着きのない髪があちらこちらに毛先を向けている。


「……無駄口が叩けるなら、心配せずとも宜しいですな」


 アルギンは口許を歪めて笑って見せた、それまでは良かった。

 途端に膝から崩れ落ちる。フュンフは咄嗟に駆け寄ったが、間に合わずアルギンは瓦礫の上に倒れてしまった。


「アルギン様!!」

「……大丈、夫。それより……あの人は」


 フュンフに抱き起こされて、礼より先に『月』隊長の安否を尋ねる。その態度に相変わらずだとおかしくなったらしく、フュンフは軽く笑いながらアルギンに告げる。


「……あの方はまだ、戦っていらっしゃる」

「……それは、どこで……?」


 戦っていると聞けば、こんな場所で休んではいられない。アルギンが立ち上がるのを手伝いながら、フュンフはその態度を諫めた。


「今の貴女が知らなくて構わない事です。貴女は治療を受けるが宜しい」

「……だめ、だよ」


 足を引っ張るだけだ。

 アルギンも自問自答していた。

 この体で全力を出して戦える筈がない。

 けれどもう決めたはずだった。


 隊長としても、アルギンとしても、戦う。出来るのはもう、それくらいしか無い。

 自分一人が、医療部隊の所でのうのうと治療を受ける訳には行かない。


 ぱん、と大きな音をさせて、アルギンが自分の頬を張った。

 それは痛くない。いつかにソルビットに頬を張られた時の方がよっぽど痛かった。

 フュンフも、その近くにいる配下も驚いている。力を振り絞って、アルギンが見せ掛けだけの凛とした態度を取った。


「フュンフ。アタシの隊の再編は可能だと思うか」

「……は、各地に散らばっているのは見えました。時間は掛かりますが、生きている者も少なからずいるでしょうな」

「『月』はどうなっている? 指示はあの人がまだしてるのか」

「いえ、各小隊長が各々の判断で動いています。だからこそ隊長は単独で―――」


 そこまで口を滑らせたフュンフは、途端に「しまった」と顔を歪めた。

 聞きたいことが聞けた。彼は、今一人だ。アルギンが知っている限り、最上級の剣技の持ち主が。


「案内しろ」

「………出来ません」

「良いから。じゃないと、アタシはこのまま町を練り歩くぞ」


 脅しにならない脅しは、あまり言われ慣れていないフュンフには効いたらしい。ソルビットだったら「何馬鹿な事言ってるんすか、医療部隊ん所行きますよ」で強制連行だっただろうが。

 フュンフはその場で配下に指示を出し、その場から立ち去らせた。それから、不本意そうな顔をしながらアルギンに肩を貸す。


「……貴女という人は、隊長の顔を見ないと医療部隊の所に行きそうにありませんね」

「そうそう、解ってるんじゃん。……理解の早いお兄さんでソルビットも幸せだねぇ」

「無駄口叩くと捨てて行きますよ」


 肩は借りなかった。

 大丈夫、アタシはまだ自分の足で歩ける。走れる。

 アルギンは自分に言い聞かせながら、足がふらつかないようにするので精一杯だった。




 フュンフに案内されたのは、町の外れ―――瓦礫と、死体がうず高く積まれた場所だった。

 アルギンが『月』の姿を確認できた時、タイミング悪く馬に乗った帝国兵らしき二人、それと交戦中だった。遮蔽物の少なくなった今、騎馬隊が攻め込んで来てもおかしくはないと思っていたが―――。

 矢をつがえかけるアルギンを、フュンフが手で制する。


「隊長は、誰かの邪魔が入る事が御嫌いです」

「……そうだったな」


 だから、かつては一人で一隊という扱いを受けていたんだ。互いに厄介払いという風に。

 アルギンは遠くから、彼の戦闘を見ることになった。


 馬が駆ける。相手は槍だった。その一突きを避けて、一閃。相手の腕が飛んだ。

 続けざまに、もう一閃。遠くから見ても解るような、柄の魔法石の輝き。馬上の一人の胸鎧が弾け飛んだ。

 騎馬兵はもう一人。そいつはどう動くか―――見ていたけれど、彼の強さに慄いて馬を翻す様に去っていく。


 彼が強い事はアルギンも知っていた。ずっと前から。

 敵が去って漸く、アルギンとフュンフが彼に近寄った。


「―――アルギン」


 先程倒した兵が乗っていた馬を引いていた彼が、アルギンに気付いた。その満身創痍ぶりに、彼が眉を顰める。

 馬は主が倒された直後にも関わらず、落ち着いていた。その馬はフュンフの手に渡る。


「ちょっとだけ、やられちゃった。でも、まだ大丈夫」

「……ふん」


 彼のその『ふん』は、少し気分を害した時のそれだ。アルギンもフュンフも解っている。

 これが逆の立場なら、アルギンは彼からの抱擁ひとつで途端に機嫌を直すものなのだが、こういう時の彼の機嫌の取り方は、アルギンにもフュンフにも解らない。尤も、何があっても逆の立場など有り得ないのだが。


「フュンフ」

「は」

「町はどうなっている」

「未だ一部が交戦中。流石に防衛線ともなるとこちらの優位のようですな」

「優位、か。我はその言葉が出てからの逆転を何度も見た事がある。気を抜くな」


 有能な副隊長は町の様子も見て回っていたらしい。兄妹似てるな、とアルギンが他人事のように思う。

 自分の有能な副隊長は―――きっと、大丈夫。上手くやっている筈。そう信じている。


「そっちは今どんな感じなの?」

「遊撃兵らしい者どもと……斥候が幾らか。いつまでも町を落とせない事に焦れているのやも知れぬ」

「斥候の相手なら、貴方一人でも大丈夫だしね……」


 それは純粋に彼を誉めただけなのだが、フュンフには妻の惚気に聞こえたらしく顔を歪めた。


「……全く、『花』は春色で参りますな」

「あれ、フュンフ、ご機嫌斜めかぁ? 大丈夫だって、アタシだってこんな所でイチャついたりしないから、―――」


 その時、アルギンの言葉が途切れた。

 帝国軍の陣側、遠くに見える何かにアルギンが目を凝らす。


 遠く、何かの列があった。それは緑色で、遠目に見ても明らかに、人よりも大きな物体。

 アルギンの背中に嫌な予感が走った。


「フュンフ」

「何だ」

「あれ、」


 まだ少し棘の残るフュンフの言い方。それを無視して遠くを指差す。『月』隊長は、既にそれを見ていた。

 緑に蠢き、横一列に揃っているそれが何かを、三人は知らない。今まで見てきた魔物や魔獣とも違う。フュンフも、『それ』を見て言葉を失っていた。


「―――エンダが言っていたな。帝国には奥の手があると」

「奥の手……?」


 あれが、そうだと言うのか。アルギンは何を言えばいいか解らなくなって、思わず『月』の腕を引いた。


「―――隊を組みなおそう。今町にいる戦況を確認して、まだ帝国の残党がいるなら片付けよう」

「……それが良いであろうな。……ん」


 それから聞こえた、遠くからの馬の蹄の音。それは敵意のない『月』が視線で出迎えた。


「たいちょー!!」


 ソルビットだった。栗毛の馬を駆って、息荒くアルギンを呼ぶ。


「ソルビット!? お前さん、向こうはどうしたんだ!」

「んな事言ってる場合じゃないっす!! 緊急事態っす、あっちに何かいるの見えるっすか!?」

「向こうって……あの緑色の?」

「あれ、三十人のプロフェス・ヒュムネっす!!」


 そう言われ、『月』の二人が驚いた顔をして顔を見合わせる。アルギンは、何のことか解っていない。


「……プロフェス・ヒュムネって……あの、プロフェス・ヒュムネ……? 帝国に滅ぼされたっていう、あの」

「あの、っす!! 急いでくださいたいちょ、町捨ててでもこっちと合流してください、皆死にますよ!!」


 アルギンの知っているプロフェス・ヒュムネはオルキデであり、マゼンタだ。ヒューマンと何ら変わらない体躯で、黒髪が美しい女性だ。

 遠くに見える緑色のそれらとは、全く一致しない。何で緑色をしているのかも、アルギンには解らなかった。


「今こんな所でプロフェス・ヒュムネの授業してる暇は無いっす! たいちょ、急いで―――」

「……いや」


 急かすソルビットを制止したのは、『月』隊長である彼だった。

 彼はフュンフに向き直り、軽く頭を下げた。フュンフは、それに何の意味があるか知っているようだった。


「……プロフェス・ヒュムネは、『ファルビィティス』に住まう種族だった。今は滅ぼされ、奴隷として身を窶している者も多数いる」


 『月』の涼やかなテノールが、プロフェス・ヒュムネの話を諳んじる。アルギンにはその声が心地よくて、今居る場所が戦場という事も忘れて聞き入ってしまっていた。


「プロフェス・ヒュムネにはひとりひとりに様々な能力を有する『種』がある。その種を体内にて発芽させることにより、他を圧倒する戦闘力を誇る。そしてその種は、一定の条件下で暴走する」


 フュンフもソルビットも、黙ってしまっている。アルギンは、今の状況を理解しきれていない。


「暴走したプロフェス・ヒュムネは、帝国軍の半分を虐殺した。………一方的な殺戮だったと、聞いている」

「……まさか、それが今見えてるアレって訳……?」

「アルギン」


 突然の事だった。

 アルギンの体を、彼が優しく抱きしめる。回された腕の力は次第に強くなり、アルギンが顔を顰めた。


「三十名も居れば、疲弊したアルセン軍など半壊……あるいはそれ以上に追い込めような」

「……ちょ……っと……、なに、を」

「ああ―――」


 それは、とても優しいテノールだった。


「もっと早くに、出し惜しみせず、伝えていれば良かったな」

「……何、言ってるの? ねぇ」

「知っていたのだ、我は。言葉が結び付かなかっただけで、我はずっと解らないと思っていた言葉を探し続けていた。答えは、いつでも我の側にあったのだ」

「うで、くるし……」

「アルギン」


 彼の顔はアルギンには見えない。けれど、フュンフとソルビットにはしっかりと見えていた。

 それは―――フュンフが一度も見た事が無い、ソルビットもここまでは見た事が無い、穏やかな笑顔だった。


「愛している」

「―――………。」

「我が、この世界から消え去ろうと、汝への愛は永久に消えることは無い」

「待っ……、なんで、そんな、こと」


 二人が優しいやり取りをしている横で、フュンフがソルビットに声を掛ける。


「ソル、お前はアルギン様を連れて、退却しろ」

「……あー、そういう事か。嫌だよ。それは兄貴が言われた仕事だろ。あたしはたいちょーが居ない『花』の指揮しないといけないんだから」

「……お前も、強情よな」


「やだよ」


 アルギンが、彼の体を突き放す。


「なんで、そんな、今生の別れみたいなこと言い出すの。アタシは、貴方が居ないと生きていけないんだよ」

「……アルギン」

「好き、大好き、愛してる。お願い、アタシも一緒に居させて」


 泣きじゃくり始めるアルギン。兄妹の二人は互いに目を合わせ頷き合う。

 馬に先に乗ったのはフュンフだ。『月』隊長は、アルギンをもう一度抱き寄せ、額に口付ける。


「……居よう。我は、これから先、共に。いつでも汝と共に在る」


 その言葉が最後だった。彼はアルギンを抱き抱え、それをソルビットが補佐する。

 フュンフがアルギンを思いっきり引っ張り上げ、アルギンは馬上に乗った。


「何すんだお前等!! 離せ!! 離せぇっ!!!」

「すまないが命令だ! 飛ばす、舌を噛まぬように!!」


 その言葉と同時、馬が駆ける。あっという間に、彼が遠くなる。

 アルギンはそのままフュンフに連れられて行った。慟哭にも似た叫び声を残して。



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