第76話

「配置、終わったよ」

「そうか」


 ファルミアの町に残っていた市民は皆、『風』の隊の者が近くの村や町に向けて送り届けている。

 民家やギルド関係、工房として使われていた石造りの建物など、それらの殆どに部隊の者を配置し終え、一番高い建物内――元は工房ギルドの支所だったらしい――の一室で『月』と『花』の両隊長が顔を合わせる。

 『月』隊長の側にはその副隊長であるフュンフがいた。彼はいつも通りの仏頂面で、アルギンの来訪を横目で見ていた。


「……アルギン様、我が妹は配置に付いたのですかな」

「ソルビットなら『鳥』と『風』の所にいるよ。部隊半分渡したからな」

「―――何と」


 フュンフは驚いた様子だ。アルギンの側にいつも控えているソルビットが、こんな時に離れるなんて思っていなかったようで。


「フュンフ」


 『月』隊長の声。彼が何を言うでもなく、フュンフは理解した様子で頭を下げた。そして、そのまま部屋を出て行く。

 二人きりになり、アルギンが少しだけ自嘲の笑みを浮かべる。こんな状態でも、二人きりが嬉しくて、情けない、そんな自分に。

 『月』である彼は、白いカーテンのある窓の桟に腰掛け、外の様子を見ていた。外に出ている兵の姿が散見される。帝国もまだ進軍を開始している様子は無いが、遠くないうちにここも戦場になる。アルギンも彼に並んで、外を窓から覗いた。


「……静かだね」

「ああ」

「でも、ピリピリしてる」

「……ああ」


 ピリピリしているのは、空気か、自分か。

 アルギンは何も言わず、彼の手を握る。ここまで来れば、最早泣き言は言っていられない。恐らく、彼もそれは好まない。

 静かな町の様子を見ながら、アルギンが一呼吸。


「……アタシがこっちに来て、怒った?」

「いや」

「良かった」


 淡々とした二人の会話は、細切れの内容。やがて二人が互いに顔を見合わせ、アルギンが笑顔を浮かべる。


「アタシ、この戦い終わったら、騎士辞める」

「……本気か」

「ギルドも……畳む。兄さんは畳みたがってたみたいだった。そんで、あの酒場経営するんだ」


 アルギンが口にするのは、少しでも暗い未来を払拭したいが為の話。少なくとも、今だけは。

 二人で並んで、アルギンが明るい未来を口にして、そこだけは幸せな空気で。


「それで……、騎士じゃなくなったアタシは、貴方に全部捧げたい」


 幸せで。

 二人でいられる事が。

 大切だと思える人と一緒に居る事が。だからこそ、決めた。


「貴方の背中はアタシが守る。だから、貴方は前だけ向いていてね」


 ここで死のうと生きようと。

 国に命を賭ける振りをして、最愛の人を守ろうと。

 それは勝手だった。自分の隊の配下を巻き込んだ我儘。それでも、隊は自分が居なくても大丈夫だと思った。個々の生き死にまで、アルギンは責任を持てど管理はしない。


「アルギン」


 彼が手を引いた。胸に倒れ込むように引き寄せられる。彼の背で、カーテンが閉まった。


「……そうなれば我も、あの酒場の経営を手伝おう」

「……嬉しい」

「隊長が二人も居なくなっては、皆が戸惑おうな」

「ソルビットもフュンフも、二人ともいるから大丈夫だよ」


 小さく笑うアルギンの声。何の音もしない空間で、二人だけが生きているような錯覚。

 二人は、それが錯覚であることにはとうに気付いている。それが現実になればいいと思っているかどうかは、互いの胸の内。

 アルギンが彼の首筋に腕を回す。これが最後、と彼の耳元で囁いた。

 最後だから。

 その囁きは、彼の頷きを持って了承された。




 純粋なエルフだったなら。

 強力な魔力と契約した精霊による魔法で、戦線を有利にすることが出来たかもしれない。

 純粋なヒューマンだったなら。

 強靭とは言わないまでも、欠点の少ないその身体で、戦線で大多数を占める種族として活躍できたかもしれない。


 アルギンはエルフとヒューマンの合いの子として、今までの生を呪ったことは無かった。

 けれど今になって、自らの非力さを後悔していた。


 最愛の人の為に出来る事は、帝国軍からの盾となり、その刃から身を以て守る事。

 アルギンは死ぬつもりでこの場所に来ていた。




 市街戦と言える戦いは、それから日が一回昇って沈み、また昇る頃に始まった。

 建物内の高所らしき高所にはアルギン率いる『花』の長短両部隊が陣取っていて、それを守るように『月』の部隊が配置されている。

 最初に突撃してきたのは、帝国軍にの奴隷獣人部隊。それらには地の利が無く、大半が弓矢によって負傷、或いは落命した。しかしそれは同時に、『花』『月』両隊の犠牲も伴う。

 次にダークエルフの部隊が進軍してくる頃には、『花』隊は半壊していた。




「お前ら、逃げ場なんて無ぇぞ! 死ぬ気で気張れ!!」


 町の半分も、加減をしないダークエルフの精霊魔法で大半が崩壊した。瓦礫と、あちこちで上がる火の手と、鉄錆のような臭い。

 アルギンも遮蔽物を探しては、持っている弓と短剣で応戦していた。

 士気はギリギリ。いつ配下が逃げ出してもおかしくはない状態。それでも『花』も『月』も、誰も逃げ出さず踏みとどまっていた。

 あちこちで声が聞こえる。こうなってはもう、市街戦の様相を成していない。アルギンの前にも、二人の獣人が走って来ていた。

 アルギンはそこで、その獣人に巻き付いている首輪を初めて見ることになる。黒い、武骨なチョーカーのようなそれは、戦闘を止めればたちまちその喉を締め上げてしまうもの。

 弓をつがえた。矢とアルギンの視線が、獣人一人の頭部を狙う。


「ここ取られたら、アルセンが終わると思え!!」


 引き絞った矢が放たれる。しかしその矢は容易に躱され、獣人も走る速度を落とさない。

 来る。弓を投げ捨てるように手から離し、短剣を構えた。

 最初は一人からの拳。超至近距離からのそれをなんとか躱す。二撃目は、もう一人からの体当たり―――それは、周囲にいた『花』隊の弓矢が放たれ、獣人の体に三本矢が刺さり、その場に倒れ伏して動きが止まる。


「俺たちの邪魔をするな!!」


 そう叫んだのは、一撃目を食らわせようとした獣人の方からだった。


「そりゃこっちの台詞だ!」


 アルギンが叫び返す。獣人は武器を持っておらず、手には鋭い爪がある。見た所、恐らくは豹の獣人だろう。毛皮に覆われた皮膚、しなやかな筋肉と、速い堅強な足。その身一つで、こちらの配下をどれだけ倒してきたのか。

 簡単に倒されてくれる手合いではないらしい。弓を使う部隊が居る事は百も承知なのだろう、アルギンとの距離を詰め、簡単に離れてくれそうにない。そうなると弓部隊はアルギンに当たらないよう弓を控えるしかなかった。

 そんな部隊の動揺を察したのか、アルギンが叫ぶ。


「散開!!」


 それは部隊に対する『他所へ行け』の合図だった。部隊が戸惑ったのがアルギンの肌に伝わるが、やがて音もなく部隊は散らばる。


「……部下が居なくても余裕のつもりか?」

「居られちゃ困るだろ、他所はもっと激戦だ。こんな所で見物されてる間に、こっちが敗戦ってことになったら笑えないんでね」

「その選択、後悔させてやる!」


 眼光鋭い獣人から、再び至近距離での攻撃。一回、二回、三回を数えたそれを、アルギンは避けきる事が出来なかった。

 爪がアルギンの腹部を裂いた。裂いたとは言っても、身軽な革鎧の継ぎ目にある服を破き、表面の皮膚を撫でるように掠っただけではあるが。


「後悔させてみろやぁ!!」


 アルギンが短剣を振る。獣人の腕を狙ったそれは、その毛皮に線を描いただけ。ぱっと地面に少量の血の花が咲いた。


「……命掛かってんのはこっちも一緒でね。生憎簡単に死んでやるわけにゃ行かねぇんだよ」

「ハっ。その半端な耳、ハーフエルフだろ? 弱っちい癖してよく言うぜ……、ん? ハーフエルフ……?」


 獣人が喉奥で笑った。その様子を訝しんで見るアルギン。


「お前、隊長の一人だな?」

「……そうだ、と言ったら?」

「こりゃ好都合! 一番狙い目の隊長が俺の獲物とはな!!」


 アルギンを侮る目が光る。血走ったようにも見えるその目は、まるで勝利を確信しているかのようだった。

 アルギンは笑わない。笑えない。油断が死を招くことは、これまで何回も目で見てきて知っているからだ。


「その首級、上げさせて貰うぜ!!」


 獣人が走る。アルギンは、その侮りに満ちた男に何とも思わなくなってきた。

 一撃、二撃、それらを躱したアルギンに、三撃目が襲う。それは堅強な足からの蹴りで、受け止めたアルギンの体は簡単に後ろに吹き飛んだ。


「……んだぁ? 威勢は良くても大したことねぇな?」

「………。」


 背に瓦礫があるせいで、座った状態になったアルギン。立ち上がり、頭から頬にかけて流れる血に触れた。

 場所が悪かったのか、痛みの割に血の量が多い。それが左の掌全体にべったりとついている。


「なぁお前さん、見誤ったら死ぬぜ」

「はぁ? よくそんな大口が叩けるもんだな、流石隊長様ってか?」


 掌の血を何かで拭う事もせず、アルギンがふらつく足取りで一歩、また一歩と歩を進めた。

 構え、吼える獣人。


「死ぬのはテメェの方だ!!」


 こんな奴、カリオンなら正攻法で倒せただろう。

 エンダなら挑発して油断を誘って倒せるだろう。

 ―――『彼』なら、何も言わずに切り伏せただろうな。


 アルギンの思考に、他の隊長の顔が浮かぶ。けれどいつまでも消えないのは、最愛の彼の顔。


 走り寄る獣人に向かって、血が付いた掌を向ける。それを見た所で動きを止めるような獣人では無いらしいことは、これまでの相手を見て解っていた。


「……『水の精霊』」


 アルギンの口から声が漏れる。それは小さく早口で、『ここに見えない』ものに呼び掛けている。


「『我が血は針である』」


 その短い呟きは、獣人の拳がアルギンを捉えかけた時。アルギンの掌が獣人の拳に触れそうになるその瞬間に終わった。

 アルギンの掌の血が、何百本という細くて長い針のように形状を変える。それは長く鋭く、獣人の拳を貫いた。固く丸められていた拳が、まるで栗の毬のように姿を変える。


「っ、ぎゃあああああああああ!!?」


 範囲極小の、肉を抉り取るような精霊魔法。血の針は一瞬でその姿を元の血に変え、何百という極小の穴が開いた掌に付着し、彼の血と共に地面に散る。

 アルギンは綺麗に血が消えた掌に、また自分の頬から血を塗り広げた。再び、左の掌が真っ赤に染まる。


「手向けに教えてやるとさ、アタシ、水の精霊と契約しても水魔法使えないんだわ」


 拳を押さえて痛みに地面を転がる獣人に、立ったまま顔を覗き込むようにアルギンが話しかける。


「どうしても使えないからさ、試しに自分の血で魔法使ってみたら、一瞬しか発動しないでやんの」


 アルギンは再び、地面に伏した獣人の拳に手を置いた。その拳は逆の手で庇うように握られており、彼からは最早戦意を感じない。


「でも、一人だけをどうこうする時だったら、一瞬で事足りるんだよなぁ」


 アルギンには、相手を助けてやる道理も無かった。再び、小声の早口で短い詠唱を呟いた。

 途端、再びの針。今度は一本の太く長い針が、二つ重なった手の中央を貫く。


「ひぃ、があああああああああああああっ!!!」


 その痛みはどれほどのものだろう。アルギンは、その悲鳴と咆哮の入り混じった叫びを聞きながら、痛みを想像することしかできない。

 三度、アルギンは自分の血を掌に塗り広げた。次は少し移動して、足。

 しかし、瞳に涙を浮かべた獣人はまるで生まれたての小鹿のように震える足で立ち上がって、アルギンから背を向け離れる。

 アルギンは、それを追わなかった。


「っ手、おれ、の、手ェええええ……!!あ、あぁああ、ああああああああああ」


 アルギンには獣人の末路が見えていた気がした。

 遠ざかる叫び、しかし獣人は途中で足を止める。絶望を感じさせる叫びが、次第に苦痛を帯びていく。


「っあ、あ……ぐ、ぁ、っ……!! ゃ、あ、」


 話には聞いていた。

 戦意喪失、或いは『戦わない』事で、その武骨な首輪は絞まっていくと。

 アルギンは獣人を遠目に見ていた。暴れ、のたうち、そして倒れた獣人の首が転がっていくのを。


「……胸糞悪い」


 アルギンは溜息一つ零して、失血と頭を打った事による眩暈に今更よろけた。

 悪趣味だ。こんな事に魔道具を使う帝国も、こんな魔法しか使えない自分も。


 未だ火の手の上がる町をそのままにしておけない。

 アルギンは、再び弓を手にしてふらつく体のまま、他の場所に向かって歩き始めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る