第65話


 隊長が『花』と『月』だけになって半月が経過した。

 訪れた年明けも砦で越した。特別、何も起こらない年越しだった。


 国境での任務は、不穏な空気の中、静かに行われていた。

 骨の折れるような仕事は、ソルビットが仮の司令塔を務める『風』隊がやってくれる。

 『花』と『月』両隊は、いつか来るかもしれない敵襲に備えていた。

 仕事とはいえ、騎士や兵は生きている。息の詰まるような毎日に、息抜きというものは必要だった。


 その日も、アルギンは頭を悩ませていた。

 砦の備蓄は充分で、かつなるべく早くに持ち出せるよう準備も進めている。

 食べるに困ることは無い。週に一度は食料が届くようにしてある。しかし、アルギンにはどうしても欲しいものがあった。


「……まーた悩んでるっすか」


 今日も会議室兼執務室となった部屋で、アルギンが一人頭を抱えていた。

 後から入ってきたソルビットは呆れ顔だ。何の為にアルギンが悩んでいるか知っている目をしている。


「……悩むだろ。アタシにとっては死活問題だ」


 アルギンは悩んでいた。

 ―――この場所には、アルコールが無い。


「このアル中」


 ソルビットも流石に冷たい視線でアルギンを見ている。


「愛しのあの方の側に居れるんっすから、その間のアルコールくらい我慢したらどうっすか?」

「あの人とアルコールは別だ。……アタシだって解ってる」

「っはー、愛しの人が聞いて呆れますよ。自分の恋人が手の施しようのないアル中って知ったら……いや知ってるか」

「知ってる知ってる。でも『無いから我慢する』ってなると、ちょっとキツイよなぁ」

「いつ襲撃されてもおかしくないってのに、呑気なものっすねー」


 部屋に用意された机に、体を預けるようにして座るソルビット。

 アルギンは地図を睨み付けるようにして見ながら、時折唸り声をあげている。


「……うるさいっすよ、たいちょ」

「仕方ないだろ、アタシに今いる場所なんてここしか無ぇんだ。それでなくとも皆ピリついてんのに」

「寝床でも行ったらどうっすか」

「本当に寝るだけになっちゃうじゃんかよ。アタシに仕事してる振りだけでもさせてくれ」

「そーっすねー、ダメな子になっちゃいますもんねー。よちよち」


 こうして二人が冗談を言えるのは、状況が酷く悪くないからだ。

 『花』が来てから、帝国側の動きが殆ど無くなった。それは『月』も言っている。

 ソルビットが一時的に司令となっている『風』からも、良くない情報は入って来ていない。


 生き物というものは、余裕が出てきたら手持ち無沙汰になってしまうものだ。


「アルコールの話は冗談としても、だ。隊のうち少し帰していいんじゃねぇか」

「駄目っすよ。まだ『鳥』からも何も言われてないっしょ」

「だよなー。せめて交代制にしたがいいって言っとくべきだったな……」


 酒もそうだが、アルギンが心配しているのは部下や他の隊員のことだった。

 アルギンは隊長という事で、最大限の配慮がされている。狭い砦というのに寝床は個室が与えられている程に。

 しかしそうではない隊員の心労はアルギンとの比ではない。目に見えるところではまだ無いが、砦内の空気はあまり良くなかった。


「次『鳥』から連絡来るのいつだっけ……。週一だったよな」

「明日くらいじゃないっすか? アタシだってそんな把握してる訳じゃないっすから、しっかりしてくださいよたいちょ」

「ほいほい」


 アルギンの気の無い返事に溜息を吐くソルビット。これが『月』の前なら幾らだって態度が変わるのに。

 そんな隊長をどうしたものかと悩んでいると、ソルビットにとっての頼みの綱である『月』が来た。


「アルギン」


 会議室兼執務室は、決して広くないこの砦では隊長副隊長が皆で使う部屋だ。ノック無しに入ってきた彼に、アルギンが振り返る。


「あ……、ど、どうしたの?」

「今日急ぎの予定はあるか」

「無いけど……。何? 何かあった?」


 振り返った先の彼は、いつもの剣を下げていた。柄に魔法石の嵌められたそれは、鈍い銀色に光る年季の入ったものだ。

 彼は基本的にいつもそれを身につけているが、彼の今の服装は神父服をもっと実用的にしたような――全体的に体のラインにフィットしている――格好だった。決して細すぎるだけでは無い彼の体のラインが出ている。


「獣が出たようだ」

「獣? こんな冬に?」

「食糧不足か、この空気に当てられて巣穴から出てきたか……。肉はこちらとしても貴重な食料だ、仕留めてくるかと思ってな」


 成程、とアルギンが納得する。

 アルギンは嗜好としては肉を好まないが、士気を高めるための肉の重要性は痛いほど分かっていた。肉が有ると無いとでは、兵の気力が目に見えて違う事も。

 そんな納得した様子のアルギンに、『月』が話を持ち掛ける。


「手隙であるなら、我と来るか」

「え、いいの?」

「何度も言っている、我は冗談も嘘も不得手だ」

「ちょっと待ってくださいよ、隊長二人も抜けたら困りますって」


 二人の話にソルビットが口を挟む。でもそれは当たり前のことだった。アルギンが言われた後で顔を曇らせる。


「何があるか解らないんっすからね。最終決定はどっちかが下して貰わなきゃ困るんす。たいちょーくらいは居て貰わないと」

「う……、そ、そうだな」

「そうか」


 彼はそれ以上アルギンに言葉を連ねなかった。

 代わりに、背中を向けたまま、肩越しに振り返って。


「では、行ってくる」


 と、それだけ。


「いってらっしゃい」


 その言葉はアルギンが。

 小さく手を振りながら扉が閉まるのを見ていると、横からソルビットが良からぬ事を考えている顔つきで耳元に囁いた。


「……『いってらっしゃいのチュー』は要らなかったんすkボォ!!」


 最後まで言わせないうちに、アルギンの裏拳がソルビットに炸裂する。

 倒れ伏したソルビットを見下ろしながら、裏拳を食らわせた方の手を撫でつつ一言。


「失礼、虫の羽音が聞こえた気がしたから」

「こんな寒い時期に虫なんて出て来やしないっすよ!!」


 アルギンがソルビットを見る目は物凄く蔑んだようなものだった。

 何度も何度も同じ目に遭っているのに懲りないソルビットは勿論、何をしても懲りない彼女をそれでも副隊長として扱っているアルギンも、どっちもどっちではあるのだが。

 二人は短い時間睨み合っていた。けれど結局


「……仕事に戻るか」

「………そっすね」


 暫くしたらそんな空気にも飽きてきたのか、同時に自分が座り慣れた椅子に戻った。

 状況報告用の書類はまだ残っている。二人はそれに同時に手を付けた。


「なぁ」

「何すか」

「あの人が狩ってくるのって、熊かな。猪かな」

「さー。……一人で行ったんすかね」

「一人じゃ流石に獲物持って帰れないんじゃない? 誰か連れて行ってるだろ」


 書類仕事をやっつけながら、二人がそんな会話を続けている。


「そーいや、たいちょ」

「何」

「あの仏頂面のどこに惚れたっすか」


 ばっさあ。

 ソルビットの問いかけに、アルギンがしていた仕事の書類が宙を舞う。


「……それ、今更聞くの」

「今更っすかね。別に聞くタイミングなんていつでも良くないっすか」

「……惚れた理由なぁ」


 席を立ち、書類を集めながら、アルギンが何やらぶつくさ言っている。

 ソルビットはそんな隊長の姿を面白おかしく眺めていた。ソルビットだけでは絶対にさせられない女の顔だ。

 やがて意を決したように、アルギンが口を開く。


「ソルビットって、アタシが短弓部隊の一兵卒だった時の事って知ってるか?」

「ん? 多少は知ってるっすよ。やれ『兵舎で好き勝手やってる小隊長に喧嘩売って勝った』だの、『女性兵に嫌がらせしているオッサン兵を女性兵引き連れてボコボコにした』だの、荒事起きるとたいちょーの名前が頻繁に出て来たっすね」

「その辺りの話じゃなくて。その辺は忘れろ。

 ……十年近く前に、何回目かの戦争があったじゃないか。それがアタシの初陣だったんだけど」


 あまり覚えられていて欲しくなかった過去を掘り返されて、アルギンが急いで話を進める。


「もう怖くてね。出陣直前まで兄さんの所で泣いてた。嫌だ行きたくないって、ずっと泣いてて。でも行かなきゃならなくて……」

「初陣あるあるっすねー」

「そんな精神状態ガタガタの新兵がよ、戦場で通用する訳ないんだよな。あっち見ても血みどろ、そっち見ても血みどろ、一緒に訓練してた奴とか早々に向こうから矢が飛んできて刺さってて」


 そっちもこっちも叫び声。そんな地獄のような世界を思い出して、アルギンが一度身震いした。

 それから何度も死線を潜ってきたし、あれより酷いものを見た事も増えたのに、初陣の景色だけは未だに忘れることが出来ない。


「こんな後方部隊でも矢が来るんだ! もう駄目なんだ、アタシは死ぬんだ! ……って思ってて」

「ふんふん。……まぁ、今生きてますもんね」

「そしたらそこにだよ。『月』の騎兵部隊。騎士様のご登場だ」

「うわー、来た。絶対恋しちゃう奴」

「部隊長の号令で一気に戦況が覆る。馬の嘶きが響き渡る。そして戦線を下げる帝国兵」

「ほうほう」

「………気付いたら、周りにいるのは全部死体」


 騎兵部隊が追撃を掛け、敵兵はおらず、生きている者で逃げ遅れたのは自分だけだと知った時。

 静まった世界で、音が消えたような感覚。感じる血の匂いと、砂埃。


「……え、ちょっと待ってくださいよ、騎兵部隊は? そこから始まるたいちょーの恋物語は?」

「まぁ待てよ。……暫く茫然自失でいると、背後から足音がする訳だ」


 間近まで近付かれるまで気付かなかった。振り返った先の神父服は、きっと忘れられない。


 『―――生きていたか。』


 それを言われた、あの声も。


「『死体かと思っていた』って。身動き一つしなかったから」


 『こちら側なら用は無い』


「あの人は騎士だったけど。でも馬には乗ってなかった。彼は、一人で行動してた」

「一人ぃ? ……ああ、でも聞いたことがあるっす。あの人って別動隊で行動もしてたって話」

「後から知ったんだけどな。あの人、一人で『魔剣部隊』だった」


 彼一人が隊員を務め、一人で隊長を兼務する部隊。

 彼の為の隊で、彼の戦力を最大に活かすための名目で組まれていた。


「……魔法使用可能の宝石を埋め込んだ剣を下げて、一人で戦場に立つ。……アタシは、あの人を呼び止めた」

「ほう?」

「『血が出てる』って。……怪我してた。『必要ない』って言われた。でも、無理矢理治療して……、その戦場では、それで終わり」


 治療した時の彼の顔は、今の表情とさして変わらない。でも少しだけ、憮然としていたような気がする。

 手持ちの包帯と傷薬を使って、彼の肌に触れて。―――冷たいと、その時は思った気がした。


「それからかな。アタシもちょっとずつ昇進して、あの人と顔を合わせる回数が増えて、……あの人が、言われてる程冷たい人でもないと知って」

「……具体的には何処が良かったんすか」

「性格だよ。冷静沈着、でも部下には優しい。冷たい人じゃない。隊長職にあの人が就いてからも、それはずっと思ってた」

「あの鉄面皮相手にそう思うのってたいちょーだけっす」

「外見もね、好きか嫌いかって言われたら勿論好きだけど。……それでもアタシ、多分性格で惹かれたんだと思うよ」


 並べられた言葉は全て、アルギンの惚気に他ならない筈なのだが、聞いているソルビットは釈然としない様子。

 道端の恋人たちが言うような、はっきりそれと解るような恋愛話を期待したわけじゃない。それでも、アルギンの話は恋愛の気配を殆どさせていなかった。相手が相手だから尚更に。


「……あのお人形相手にどうこう思えるのってたいちょーくらいなもんですよ」

「だから、あの人を人形って言うの止めろって。……ん?」


 ふとアルギンが耳を澄ませる。

 扉向こう、廊下側で何やら騒がしい声が聞こえた。


「何っすかね」

「気にはなるな」


 がやがやとした声に誘われるように、アルギンが扉まで向かって耳をつける。

 さして緊急性の無さそうな声の様子に、そっと扉を開いた。


 扉の向こうでは、一人の男が誰かに何かを言い募っていた。


 それが、以前城で見かけた階石 暁であることに、アルギンは暫くして気付いた。


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